遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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蝶という吸血鬼

蝶という吸血鬼_f0075075_21415515.jpg

夏の笠通山でたまたま、黒アゲハ蝶に遭遇した。その黒アゲハ蝶は、地面に落ちている獣の糞に、ハエと一緒に寄って来ていた…。

蝶というものは、花から花を飛びまわり、蜜を吸って生きていると思っていたが、実は花の蜜だけでなく、こういう獣の糞や死体にも寄って来て、体液などを吸って生きている。つまり”吸血鬼”みたいな昆虫である。

蝶は、越の国(今の新潟県辺り)では”夢虫”とも云われ、夢の中で飛びまわり、人の寝ているところに近寄り、鼻の穴から入るとも云われる。これは多分、死人に寄ってきた蝶を見て創作された話かと思うが、とにかく糞や死体について体液を吸う蝶は、生きている人間の血をも吸うようである。

綺麗なバラには棘があるといういうように、世の中の見た目が綺麗なものトイウモノには…要注意かもしれない(^^;
# by dostoev | 2012-12-08 21:44 | よもつ文

死の舞踏

死の舞踏_f0075075_21323655.jpg


この動画は、映画「ホワイトナイツ」の冒頭のシーン。この映画が初めてのバリシニコフ体験だった。またバッハの「パッサカリアとフーガ」の管弦楽曲盤が妙に新鮮に聴こえて、いきなり映画のバリシニコフの踊りと共に引き込まれていったのを記憶している。

バッハといえば、何というか天上の音楽のイメージだ。とにかく美しい程の天国的なイメージが既に定着している感があるが、この映画に使用された管弦楽曲「パッサカリアとフーガ」を聴くというか、バリシニコフの踊りと一緒に観て聴いて感じたのは、こりゃぁ天国じゃなく”死の舞踏”だなぁ…と。

「死の舞踏」という曲は、リストやサン・サーンスが有名だが、この死の舞踏の発生は14世紀のペストの流行に遡ると云われている。とにかくペストが流行した時代のヨーロッパでは、歩く人々が苦悶の表情を浮かべながらバタバタと倒れ、立ち上がりまた倒れていったという。その情景を当時の人が、まるで死神がいたるところで、跳梁跋扈しているように…まさに踊っているように感じたと伝えられ、そのイメージがリストやサン・サーンスの時代まで語り継がれたのであろう。

画像は、ハンス・ホルバインにより描かれた死の舞踏の版画。まさに骸骨が踊る死の舞踏だ。で…思ったのは、映画「ホワイトナイツ」でのバリシニコフの踊りと、バッハの「パッサカリアとフーガ」はもしかして、14世紀のそれこそ”死の舞踏”を再現したものじゃないのか?たたま今回久々に観て聴いて、その演出を確認すると、やはり死の舞踏のイメージが湧き上がってしまう。つまり冒頭の音楽と踊りは、天上の作曲者バッハを逆に地獄へ落とそうという、ブラックユーモア?に満ち溢れたものであり、その発想が、このバリシニコフの創作されたモダンバレエじゃないかと…。
# by dostoev | 2012-12-08 21:39 | よもつ文

ソフトバンクの犬トイウモノ

ソフトバンクの犬トイウモノ_f0075075_2045140.jpg

ソフトバンクの犬のお父さんの裏情報に、嫌なものがある。朝鮮&中国系では卑しいものに対し”犬”という言葉を使うというのだ。実は犬を調べると西洋のキリスト世界にも、犬は卑しいものと云われる。

【マタイの福音書7-6】

「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らは
 それらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであ
 ろう…。」


「豚に真珠」という諺は、この「マタイの福音書」からきているのだが、ここには犬も卑しいものという紹介が成されている。

犬の原型に狼という存在がいるが、ヨーロッパでも狩猟民族時代、狼が満月の夜に集団で狩りをするのを人間が垣間見、それに倣って狩猟を覚えたという説がある。ついでに言えば、狩猟民族時代の獣性が脈々と遺伝子に組み込まれ、その獣性が満月をきっかけに甦る為に”狼男”の伝説が生まれたと云われる。狼男はともかく、犬の原型である狼が、人間の生きる術を教え、神として信仰された歴史は、西洋にもあり、それはドイツとイギリスである。そして日本もまた狼を神として崇めている国である。この三国に共通するのは犬好きという事と、恐らく狼の狩猟法を真似た狩猟民族であろという事らしい。

しかし人類は文化的進歩を経て、その狩猟そのものを野蛮な行為と考えて否定する傾向を見せていた。例えば日本で云う狩猟民族である蝦夷や熊襲などを卑下する傾向が歴史に刻まれている事実がある。この「マタイの福音書」の一説も、元々土着の宗教や文化…例えばケルト文化とか、ギリシア神話の世界、北欧神話の世界を邪教とし否定し、唯一絶対な宗教としてのキリスト経を広げる意図もあったという。

ところでその犬の文化だが、世界で犬好きで有名な国は三つある。一つはイギリスで、これはキツネ狩りという貴族のスポーツの良きパートナーとして犬を尊んでいる文化からきている。そしてドイツであり、日本となる。しかし別な意味で犬好きな国がある。それは、中国だ。中国は”食べる”という前提で犬を好きなのだという。今でも中国で犬を飼うと、いつの間にか盗まれて食べられてしまうのだと。

実際あった話に、香港がイギリスの統治下の時代、ある西洋人がレストランに愛犬を連れて行き、犬に何か食べ物をと給仕に指示したところ、犬が奥に連れて行かれて料理として出て来たという。また、イギリスの大使館員と中国の大使館員が仲良くなり、今度生まれてくる子犬を貰ってくださいとイギリスの大使館員が中国の大使館員へ申し出たところ「喜んで♪」となったらしい。その半年後、イギリスの大使館員が中国の大使館員に再び出会い「犬はどうでした?」と聞いたところ、中国の大使館員は「大変美味しかったです♪」と言い、トラブルに発展したのだと。

イギリスは香港を統治している100年の間「犬喰い」を止めさせるよう努力したができなかったという。また太平洋戦争後のアメリカも、韓国を統治下に置いた時代に、やはり犬喰いをやめさせようとしたが、無理であったという。

日本の遺跡に、縄文遺跡と弥生遺跡があるが、狩猟民族であった縄文遺跡からは犬は人間と一緒に埋葬されているようだが、弥生遺跡からは、犬は他の食料のゴミ捨て場のようなところから発見されているのだと。弥生系は朝鮮半島から来た、民族だと云われる。今でも韓国では犬を生きながら、韓国の大家族の中で殴って殺し、皆でその犬の肉を食べる。この韓国の犬を食べる文化が西洋人を刺激するからと、以前行われたサッカーのワールドカップの期間中、犬を食べる事を禁じたというのは有名な話。

昔話に「花咲爺」というものがあり、良いお爺さんは犬を大事に育て、その犬から宝物の有りかを聞いたりして家が裕福になる。しかし、隣の悪い爺さんは、その犬を強引に奪い、果てはその犬を殺してしまうのだが、本来は殺した犬を食べてしまうのだと。つまり「花咲か爺さん」の物語は、縄文人と弥生人の違いを訴えている話でもあると云われているが、実はこの「花咲爺」は江戸時代に改編されて伝えられたようで、それは犬好きの日本人と、犬嫌いで犬食文化のある朝鮮人を各々良い爺さんと悪い爺さんに分けたとも云われる。

ところでソフトバンクは中国資本の会社である。そのCMが家族のお父さんであるものに犬を使用したのは、日本人にとって犬は親しまれる存在であるが、中国&中国にとっての犬は、卑下する存在である。例えば邪馬台国に相対する狗奴国もやはり狗という文字が使用されている事から、邪馬台国の「邪」と狗奴国の「狗」だけで、日本に住む民族を卑下しているのだと。だからあの、ソフトバンクのCMは、中国&朝鮮側が日本人を馬鹿にし、ほくそ笑んでいるという噂があるようだ。
# by dostoev | 2012-12-08 20:31 | 「トイウモノ」考

猫の絵馬

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観応2年(1351)に描かれた【慕帰絵詞】の中の一枚を見ると、絵馬は神社に…というわけでは無いのが理解できる。山を祀っていれば、その山に対し拝む。また、神木としての信仰があれば、その神木に対して拝むというのが古代の信仰であったのだろう。遠野でも、昔は社が無いまま御神体である山や樹木や滝を拝んでいた時代が確かにあった。この絵は、絵馬が沢山飾られている老松の幹に囲まれた中に和歌の神である玉津嶋明神が祀られており、そこに「我に歌才を与えたまわれ。」と願っているところだ。
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ところで瀬織津比咩を祀る浪分神社に、養蚕の守護として猫の絵馬が祀られるようになった。その数は社の両脇に溢れるほどの多さであった。画像は、そのほんの一部を撮影したもの。
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猫は本来、仏教の経典を食い荒す鼠退治の為に輸入されたようだ。しかしいつしか愛玩動物となり、市民権を得る様になったのだが、まだよくわからない猫の習性により、化け猫のレッテルを貼られるようになった。しかし、経典を食い荒す鼠を捕ると共に、畑を荒す野鼠、そして蚕を食い荒す鼠をも捕る事から、野鼠だけを捕る狐に取って代わり、稲荷神社に祀られた場合もあるようだ。八岩まどか「猫神様の散歩道」には、福島県の猫稲荷なるものも紹介されている。
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遠野の山口部落には、妖怪キャシャという化け猫の話が伝わるが、猫が稲荷と習合しているものもある。その稲荷様は三毛であるというが、どうも化け猫であるキャシャと後に習合したようである。
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また別に、八岩まどか「猫神様の散歩道」には宮城県の「根古の森の神社」が紹介されている。そこでの猫神様は、養蚕の守護であり、村の人達はまず水神にお詣りし、天神様にお詣りし、そして最後に猫神様にお詣りしたのだという。これは浪分神社のパターンと似ており、水神である龍蛇神から猫神への移行は、庶民にとっての親しみ易さもあったのかもしれない。
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また住吉大社の境内社である楠珺社でも猫を祀っている。樹齢千年を超える楠の大木が、元々の信仰の対象であり、後に稲荷が祀られたが、江戸時代になって伏見での土人形の製法を習得した職人が猫の人形を伝えたというが、何故に猫になったのかは定かでは無い。奇妙な事に「初辰まいり」という行事があり辰の日に猫の人形を求めるというものらしい。ここでも猫と辰と、そして稲荷の奇妙な関係が読み取れる。
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初めの画像【慕帰絵詞】は古い松の木に祈願している図だが、住吉大社の境内社はは本来、楠に対する信仰から始まっているという。ところで「猫」は「根古」とも表すように「古い根」つまり、大樹、老樹にも繋がりそうだ。猫が山の主の伝説はいくつかあるが、山には樹木が生えるが、神社などに伝わる由緒などには弘法大師などが、杖を地面に刺したら大樹になったという話が、数多く存在する。または杖を地面に刺すと水が湧き出るなど、弘法大師など高徳な僧は山で修行をする為、その山の霊力を携えたというものが伝説として広がりを見せている。つまり猫も、どこかで山の霊力を携えた存在と言う認識があったのではなかろうか。
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山と密接な化け物は、やはりヤサブロバサという鬼婆であろう。これは彌彦神社に関わるが、そのヤサブロバサは山々を根城とし点々と移動するのだが、別に妙多羅天女としても知られる。妙多羅天女が猫から飛行する能力と嵐を起す能力を授かるのだが、これもどこか猫が山神であるような話となる。
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また、その妙多羅天女は奪った死体を杉の木にかけていたという。弥彦神社の鍛冶屋の母である妙多羅天女は、良い製鉄をする為に金屋子神が死体を求める様に、妙多羅天女もまた金屋子神の一族であったかのよう。杉の大樹に死体をかけるとはまさに、初めに紹介した大樹に祀られる神に対する祈願と同じである。絵馬の本来も、生きた馬を奉げてきた事から、妙多羅天女が山の大樹に死体をかけて来たのは、まさしく絵馬の原点に等しいのだと考える。猫の絵馬も本来は「山の大神」に対する信仰の結び付きであったのではなかろうか。
# by dostoev | 2012-12-06 21:19 | 民俗学雑記

「遠野物語37(狼の群れ)」

「遠野物語37(狼の群れ)」_f0075075_1748043.jpg

境木峠と和山峠との間にて、昔は駄賃馬を追ふ者、屡狼に逢ひたりき。馬方等は夜行には、大抵十人ばかりも群れを為し、その一人が牽く馬は一端とて大抵五六七匹までなれば、常に四五十匹の馬の数なり。

ある時二三百ばかりの狼追ひ来り、其足音山もどよむばかりなれば、あまりの恐ろしさに馬も人も一所に集まりて、其めぐりに火を焼きて之を防ぎたり。されど猶其火を躍り越えて入り来るにより、終には馬の綱を解き之を張り回らせしに、穽などなりとや思ひけん、それより後は中に飛び入らず。遠くより取組て夜の明るまで吠えてありきとぞ。

                         「遠野物語37」

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「オオカミはなぜ消えたか」千葉徳爾の調査によれば、日本で一番日本鹿が生息しているのが、岩手県の釜石周辺であるという。実際に、東日本大震災の影響から放射能問題が発生し、鹿肉目当ての狩猟が激減し、また平均年齢の高い狩猟者が次々と引退していく為、更に鹿の生息数は過去最大の数になっているかもしれない。

ただし、この「遠野物語37」における狼の数が二百~三百であるのは、誇張された数字であろう。そしてこの、馬と人を襲うかのような狼の表現は、あくまでも狂犬病が蔓延してからのものであるのを理解して欲しい。何故なら狼とは、大神でもあり、人や人の飼育する馬を襲う事が無かった、人間の崇拝する神に等しい存在であった。

鎌倉時代の辞書である「名語記」には、こう書き記されている。


「オホハ大也 カミハ神也。コレヲ山神ト号スル也」


古来から「オオカミ」もしくは「オホカミ」は「大神」であり「山神」であったようだ。伏見稲荷の縁起を見ても、当初は狐では無く狼から始まったのが、稲荷であった。そう古くから狼は、神として祀られていたようだ。

また「遠野物語37」の記述に「馬の綱を解き之を張り回らせしに」とある。これは馬の綱を周囲に張り巡らせて結界を作ったという意味になる。つまり、物理的な攻撃では無く、呪術的な防御によって狼を避けようとした事になる。それは獣である筈の狼が、霊的な存在でもあったという証でもあるのだろう。

例えば、北陸のマタギに伝わる熊除けの呪文「お前の秘密を知っている!ツキノワ!」と叫ぶと、熊は胸に抱く月輪(ガチリン)の秘密を暴かれたと思い、逃げるからだと信じられてきた。それもつまり、熊がいつの間にか野生の獣から、霊的な存在に変わった為である。この「遠野物語37」においても、神霊に対する対処法として、とっさに出た可能性もあるだろう。有名なのは、「遠野物語」に登場する旗屋の縫が、三途縄を「ひと尋、ふた尋…。」と長さを計り、魔物に対する結界を張ったものに通じる。
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ところで信州飯山樽沢の辺りで、恵端禅師が原野に坐して七夜の間、群れた狼の跳梁に身を委ねた話が白隠禅師「壁生草」の中で紹介している。画像は、恵端禅師に纏わり付く狼のイメージが描かれたもの。禅師であるから、無の境地となり、狼の攻撃を避けたのか?とも思ってしまう。上田秋成「雨月物語(青頭巾)」において、快庵禅師が禅を組むと、鬼となった阿闍梨にはその姿が見えない下りがあったが、この絵からは狼が禅師を認識しつつも、寸前で攻撃していないようでもある。

「送り狼」という言葉は本来、狼のテリトリーに入ったモノを好奇の目で観察し、"それ"が敵意が無いかどうか確認する為、テリトリーを出るまで送る事を云うようである。つまり、ここでの恵端禅師はある意味、狼にとって敵かどうか試されたわけであるが、七夜は少々長すぎるので脚色が入ってのものであろう。
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世界三大犬好き国というのがある。それはイギリス、ドイツ、そして日本であるそうだ。そして、その共通項として、狼を神と讃えた歴史があるという事らしい。先に記したように、日本は狼を大神として崇め奉っている。それは恐らく、狩猟民族としての共通項からだと云われる。
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A・L・リーバー「月の魔力」には、狼男の発生は、満月の夜に人間が狼の狩りを見て学習した名残から、満月に対し、その狩猟民族時代の獣性が目覚める事から創られたものであろとしている。

実際に、狼は集団で狩りをする。そして狩った獲物は、均等に分配する。もしもそれが不平等であれば、狩の集団は破滅する。だからこそ、狼の集団は成り立っているのだ。その狼から習った平等性を日本人はDNAの根底に潜ませていると云われる。その日本人の性質は、アジアの中でも奇異な存在である。それは犬喰いがアジア全般に行われるのに対し、日本で犬を食べるという事は、考え辛い事だからだ。戦後に赤犬を食べたという話があったが、突き詰めればそれは日本に移住した朝鮮民族の風習であり、未だに青森県は八戸で密かに犬の肉が売られているのも、移り住んでいる朝鮮民族が"それ"を買う為だと聞いている。

アジア全般は悪食で、なんでも食べる民族が多い。よく言われる中国民族は、机以外の四足は食べ、飛行機以外の飛ぶものも全て食べると云われる。また東南アジアに置いては、蟲の類からヘビやミミズの類まで食べている。いや、日本にも飢饉の時代に、なんでも食べる文化が残り、イナゴであったり、長野県で有名なザザムシであったりするが、日本において、それは殆どマイノリティに過ぎない。

つまり、イギリス、ドイツ、そして日本に見られる獲物の均等な分配概念は集団で狩りをした事にDNAに植え付けられたと解釈する学者がいる。ところがアジアでは、大型動物を狩りするより、目の前の小動物など、人の手を借りずに得る事の出来るモノを食べて生活してきた為、均等な獲物の分配、富の分配が性質的に無いと云われる。だから日本は、アジアの中で突出した奇異な存在である。それを導く説の一つに、やはり犬である。秋田犬と北海道犬のDNAは、全くアジアに存在しないA型であるのだが、そのA型を保有する犬の殆どが、北部ヨーロッパにしか無いという事実。つまり秋田犬と北海道犬が単独で日本に渡って来たとは考えられず、北方から人が連れて来て定着した犬種であるという事。
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ところでB・H・ロペス「オオカミと人間」に面白い事が書いてある。アラスカのカラスは狼と、狩りを共にしているという。そして、シベリアのカラスは人間に獲物の存在を教えているという。カラスは狩りをする鳥では無いが、狼や人間に獲物を教える事によって、そのおこぼれを授かる存在。つまり北欧神話主神オーディン の肩には、「フギン(思考)」「ムニン(記憶)」という名の二羽のカラスが世界中を飛んで、目にしたことをオーディンに報告
しているのと同じだ。つまり、カラスとはオオカミであり、そして狩猟民族と、その協定を結ぶ存在であると想定できる。

そこで思い出すのが、神武天皇が八咫の烏に導かれる話だ。唐突に現れる八咫の烏ではあるが、動物学的にカラスが狩猟民族と結びつく事を考えた場合、これは高天原から降り立って、日本という陸地に住み着いた日本民族の祖というべき神武天皇そのものが実は、狩猟民族であったという仮定が成り立つものであると考える。また「古事記」においても雄略天皇が狩に興じていた事も踏まえ、恐らく古くから日本民族は狩猟民族であったと考える。人間を評する言葉に、こういうものがある。「人間は、手に牙を持った狼である。」と。山に発生する獲物を求めて、狼と人間の奇妙な共通点が、信仰の中に見え隠れしている。八咫の烏は牛王神(ゴオウジン)とも云われ熊野の護符にもなっている。北欧神話の最高神オーディーンとの音的な繋がりとカラスの存在は、日本人が遥か古代、北方の狩猟民族の文化と血を受け継いで日本に渡って来た民族である可能性は否定できないだろう。そうであるから、アジアの中で日本民族とは孤高の存在であるのだろう。
# by dostoev | 2012-12-05 18:20 | 「遠野物語考」30話~