遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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「遠野物語拾遺294(遊び)」

f0075075_17573103.jpg
その他、的射り、ハマツキ、テンバタ(凧)上げ等をするのもの日で、節句前の町の市日などには、雉子の羽を飾り、紅白で美しく彩色をした弓矢や、昔の武勇談の勇士を画いたテンバタが店々に飾られた。

                        「遠野物語拾遺294」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ハマツキというものが、わからなかった。"羽根つき"か?と思ったがさにあらず、「遠野ことば」で調べると、棒倒しとされているが、正確には「釘倒し」「釘刺し」なのだろう。地面に刺さっている相手の釘を倒し、なおかつ自分の釘が地面に刺さっていないといけないというルールらしい。また凧を「テンバタ」と呼んだというのは、自分の子供の頃には、伝わっていなかった。地域性も、あっただろうか。

この「遠野物語拾遺294」は、「遠野物語拾遺293」に続くものとして書かれているが、これではまるで正月の遊びである。憶測だが、3月3日は桃の節句で女の子の集まりだった為に、男の子は別に集まって、こういう遊びをしたという事だろうか。節句前の市日に売られているという事からも、3月3日の節句は、子供達にとって大々的なお祭りでもあったのだろう。

# by dostoev | 2018-03-12 19:13 | 「遠野物語拾遺考」290話~ | Comments(2)

「遠野物語拾遺295(女だけの集まり)」

f0075075_10362914.jpg
お雛様に上げる餅は、菱型の蓬餅の他に、ハタキモノ(粉)を青や赤や黄に染めて餡入りの団子も作った。その形は兎の形、または色々な果実の形などで、たとえば松パグリ(松毬)の様なものや、唐辛、茄子など思い思いである。これを作るのは年ごろの娘達や、母、叔母達で、皆が打揃って仕事をした。

                         「遠野物語拾遺295」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
雛祭りは桃の節句であるが、桃の"節供"でもあった。その時の季節のものを雛段に供え、神と一緒に食べ、災いや穢れを祓う儀式であった。今では色とりどりのお菓子が供えられているが、それ以前は普通に蓬餅を供えていたようだ。蓬には、病を寄せ付けない力があったと信じられていた。餅の形が菱型になったのは、江戸時代からであったよう。菱型になった理由もいろいろあるようだが、あくまでも節句の儀式の意義を前提として上書きされたもののようである。

ところで「遠野物語拾遺293」で書いたが、昔の暦によれば3月3日は「大潮」で固定されていたようだ。その為に潮干狩りの解禁の日でもあるから、旬のものとしてアサリを食べたのだろう。しかし、思う。桃の節句が女だけで組まれているのは、やはり意味があるのだろう。五節句は、穢祓の儀式でもある。その穢れとして、女だけの血穢というものがある。それを、まとめて祓う儀式であるのだろうか。3月3日が大潮であるという事は、その日は新月か満月であるという事。五穀豊穣を願う十五夜の儀式もまた、満ち足りた月を豊穣に見立ててのものである。また別に、古来から月を見ると妊娠するなどという迷信があったのも、月と女が密接に繋がっていたからであろう。ある地域の女だけの講では、大根で男根を作り床の間に飾る風習もある事から、女だけの講には性的要素が含まれているようだ。遠野の綾織地区では、女だけの山神講が組まれているが、山神に捧げるものに男根が含まれるのを考えれば、同じ流れを持つものであろう。宮田登「女の霊力と家の神」によれば以前、遠野を支配した阿曽沼氏の拠点であった栃木県佐野市では、やはり女だけの月待ち講があった。しかしそこで説かれるのは、女は存在する事自体が血穢を伴っているので罪を生じているのだと。これは仏教思想と相まって、かなり強調されているものと思える。しかし、大林太良「稲作の神話」によれば、日本神話においての大気都比売神、もしくは保食神が殺されるくだりを「豊穣を前提として女神の死があった。」と指摘している。ここでフト思うには、人身御供とされる殆どが女の娘であったという事。中世以降の男性中心の神道上の禁忌と、仏教上の女性差別はしばしば一致すると云われるのは、新たな生命を生み出す女性の出産する能力というものが男を超越する能力であるからこその妬みによる差別であったのかもしれない。しかし、いざという時の男は、その女性の能力に頼る為、神を鎮める為に人身御供として女性を差出した。

性に伴うオーガスムスには「小さな死」という意味がある。これはつまり、生殖行為には生と死が伴うという考えから出来た言葉でもあった。男にとって、血を大量に流すとは、死を想起させるものである。しかし生理や出産による出血は、女にとって普通の事であるけれど、男から見た場合、そこに生と死を見たのかもしれない。大気都比売神の死による、穀物の誕生は、まさに女の生と死を意味しているのだろう。古代では、月や太陽は、死んで再び甦る存在として認識された神でもあった。まさに男は、女に神を見たのかもしれない。

全国にいくつもの女講が組まれているのだが、遠野においての女講は、やはりオシラサマであろう。女によるオシラ遊ばせは、オシラサマについた穢れを祓うもの。しかし、自らの穢れを祓うものではない。これがもしかして3月3日の桃の節句そのものが月待ちも含めた、女性全体の穢祓の日であるのかもしれない。「遠野物語103」では、満月の夜に雪女が童子を引き連れて来るとされているが、これは満月と出産を重ね合せた話であろうか。3月3日が大潮で満月を意味する日であるならば、女達を集めてまとめて穢祓をするのは、血穢を祓うものであり、ある意味女達の死を意図してのものであろうか。そして新たなる再生をも重ねる為に大潮である満月の日に、女達だけの祭が桃の節句である雛祭りなのであろうか。黄泉国の黄泉平坂において、伊弉諾は黄泉醜女に対して桃を投げた。それによって黄泉醜女は逃げた事から、桃は厄除けの実としても尊重されたとするが、伊弉諾はその桃の実に、大いなる神の実であるとして、意富加牟豆美命(オオカムヅミ)の名を与えたという。桃の実とは、桃の木の新たな生命である。つまり桃の節句に集まる女性達は、そのまま神の新たな生命である御子を意味するのではなかろうか。

# by dostoev | 2018-03-11 14:18 | 「遠野物語拾遺考」290話~ | Comments(0)

「遠野物語拾遺293(三月の節句、子供達の楽しみ)」

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この地方では、三月の節句に子供達が集まってカマコヤキということをする。むしろ雛祭に優る楽しみとされていて、小正月が過ぎてからは学校の往還にも、カマコヤキの相談で持ち切りであった。まず川べりなどの位置のよい処を選んで竃を作り、三日の当日になると、朝早くから色々な物を家から持ち寄る。普通一つの竈には、五、六人から十七、八人位までの子供が仲間になって、銘々に米三合、味噌、鶏卵等の材料及び食器や諸道具を持ち寄るが、なおその上に是非とも赤魚、蜊貝などが入用とされていた。炊事の仕事は十三、四歳を頭にして、女の子供が受持ち、男の子は薪取り、水汲み等をする。そうして朝から昼下りまでひっきりなしに御馳走を食べ合うが、それだけでは満足せず、時どきよその竃場荒しをはじめる。不意に襲って組打ちをして竈を占領し、そこの御馳走を食い荒らすのであるが、今はあまりやらなくなった。もう自分の方で腹一杯食べた後であるから、組打ちには勝っても食べられぬ場合が多い。佐々木君の幼少の頃、餓鬼大将田尻の長九郎テンボが隣部落の竈場を荒して、赤魚十三切れ、すまし汁三升、飯一鍋を一人で掻きこんだまではよかったが、そのために動けなくなって、川べりまで這って行くと、食べたものを全部吐いてしまったなどという笑い話も残っていて、この地方の人々には思い出の多い行事であった。

                       「遠野物語拾遺293」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
カマコヤキというのは知らなかったが、年代の様々な子供達が集まって料理を作って食べるという、学校行事にもある野外炊事のような行事であるよう。漢字をあてれば「竈コ焼き」か。また別に「竈コ炊き」とも呼ばれた様である。雛祭が女の子限定とされる事からも、子供達にはこちらの方が楽しみだったのだろう。「注釈遠野物語拾遺(下)」によれば、昭和20年代後半まで行われていたと云う。それ以降廃れてしまったという事はつまり、戦後の物資不足の影響もあったのではなかろうか。しかしその後、この行事が復活しなかったのは、学校教育の更なる普及と学校給食が始まった為だろうか。

アサリと赤魚が食材として登場しているが、昭和の時代にはかなり流通が良くなったので遠野にもかなり普及していたのだろうか。時期的に潮干狩りの始まりでもあるが、沿岸から運ぶのにはかなり大変であったと思われる。仙人峠のトンネルが開通したのが昭和34年であるから、釜石からの海産物はこの時代、軽便鉄道を途中まで乗ったとしても仙人峠を歩いて運んだものだろう。昔の暦によれば三月三日は大潮で、潮干狩りが始まる日とされていたようだ。この三月三日にアサリを食べるのは、やはり雛祭りと同じで、その時期の旬のものを食べ、無病息災を願うと云うものであったのだろう。

ところで長九郎テンボの笑い話が紹介されているが、平成の世でも似たような話はある。例えば綾織の正〇郎という口八丁手八丁の男が農繁期に、ある農家から手伝いを頼まれた。しかし正〇郎は「腹が減って仕事が出来ないから、何か食わせろじゃ。」と。家の者は仕方なく正〇郎に食事を与えた。正〇郎は遠慮せずに出されたものを全て食べつくし、御櫃のご飯もたらふく食べたそうな。家の者は「さあ、じゅうぶん食べただろうから仕事を手伝ってくれ。」と言うと正〇郎は「お腹が苦しくて、仕事が出来ね!」と言って、その場で寝始めたそうな。家の者は呆れ果てたというが、これが笑い話として遠野のあちこちに広まったようである。

# by dostoev | 2018-03-10 19:09 | 「遠野物語拾遺考」290話~ | Comments(1)

お雛様と瀬織津比咩(其の二)

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穢祓の五節句に七夕が入っているが、七夕伝説の古くは古代中国での牽牛と織女が年に一度、天の川で逢瀬の話が広く知れ渡っている。それが日本神話においては、天安河で武装した天照大神と素戔男尊との対峙が原初となるだろう。ただ、その天照大神の武装した姿に違和感を覚える。何故なら「日本書紀(神功皇后記)」を確認してみると「和魂は王身に服ひて壽命を守らむ。荒魂は先鋒として師船を導かむ」とある。また別に「荒魂を撝ぎたまひて、軍の先鋒とし、和魂を請ぎて、王船の鎮としたまふ。」事から実際、率先して戦に参加しているのは天照大神荒魂だけであり、和魂である天照大神は皇族を護る為に、その場を動く事が無い存在となっている。また七夕の習俗に、藁の馬を作り、翌日には川へと流すものがあるが、その藁の馬は水神を乗せる為のものである。つまり七夕は星祭でありながら、水神の祭りでもある。ところが天安河で素戔男尊を対峙したのは、太陽神である天照大神というのは理に適わない。これまでに神社関連の本をいくつか読んできたが、天照大神の"荒魂"部分が省かれ、天照大神の行動であるかのようなものが、かなりある。初めに立ち返るが、五節句の根底は、水による穢祓の思想である。天安河で素戔男尊に対峙した武装した天照大神とは本来、天照大神荒魂でなくてはならない。何故なら、天照大神荒魂こそ、武神でもあり水神であり穢祓の神であるからだ。

雛祭りの雛段に飾られる人形が、男雛と女雛を主体とし、その下に五人囃子と三人官女が加えられるのだが、天照大神と素戔男尊の誓約の場面を思い起こすと、五柱の男神と宗像三女神が意図的に置き換えられたように思えてしまう。
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雛人形の源流が、男雛と女雛の一対である事は、先に記した。その雛人形に求められたのは、穢祓の思想である。「雛」とは、可愛いものでもあり、小さなものでもあるが、この場合は人間に模した形代であり依代であろう。自らに憑いた穢を形代に移して、川へと流す。ここに「大祓祝詞」の世界観が実践されているものと思える。「大祓祝詞」では、国内の穢れを瀬織津比咩が川から海へと流し、速秋津比売が受取り、最後には根の底へと速佐須良姫が導き、罪や穢れを無くすと云うもの。山中他界とも云い、また海の果ては常世の国とも云われる。地上である人間の住む世界を離れれば、その先にあるのはニライカナイか、根の国か黄泉国か。地上に住む人間にとって、高山も海も他界であった。その境界に位置し、人間の罪や穢れを受け祓う神が瀬織津比咩である。この境界に立つ女神として象徴的なのは、琵琶湖畔の桜谷における伝承であろう。琵琶湖の下もまた異界であり、俵藤太が竜宮へと引き込まれた舞台でもある。その琵琶湖畔にある桜谷には、黄泉国に引き込まれそうになる地として知られていた。そこに祀られていたのは瀬織津比咩であり、後に佐久那太理明神として佐久奈度神社に祀られたのはまさに、この世とあの世の境界に立ち、穢祓を行う女神でもあったからだ。

艮(丑寅)の方位は東北であり、また、あの世とこの世の境界でもある。朝廷の地からの艮とは、陸奥国であり、今の東北である。鬼は角が生えており、虎皮のパンツを履くのは、この艮(丑寅)の思想から来ている。艮とは、あの世との境界であるから、鬼が現れるのだ。鬼の思想は仏教からきているものだろう。穢れの黄泉国を、仏教の地獄に置き換えれば、地獄の鬼が出現する艮という方位は、穢れの方位でもある。だからこそ、穢祓の神が必要な場所でもある。養老年間に室根山に瀬織津比咩が運ばれたのは、鬼を平定する為であったと云われるが、別の意味では穢れた地の浄化の為であったと思う。そしていつしか瀬織津比咩は、早池峯山にも祀られた。始閣藤蔵が早池峯の神へ、金が採れたらお宮を建てると祈願したのは、すでに早池峯に瀬織津比咩が祀られていたのであろう。早池峯神社の創始は始閣藤蔵から始まったとされるが、それ以前に早池峯には瀬織津比咩が鎮座していたのだろう。

「早池峯山妙泉寺世代年表」において延長年中(923年~931年)に「本宮・后宮修理」と記されている。后宮とは女神であろうから、これは瀬織津比咩の事を示しているのだろう。では本宮には、なんという男神が祀られていたのか?という疑問が生じる。これは仮説になるが、神仏習合時代が始まり薬師如来の垂迹とされた神とは素戔男尊であった。御存知、早池峯山の出前には薬師岳があり、薬師信仰があったものと誰もが思っている。神仏習合時代になり水神である瀬織津比咩は、水の気の深い十一面観音と習合し、瀬織津比咩の本地は十一面観音とされ、それが今でも続いている。薬師如来の本地は妙見神とも云われるが、原初的な神が仏教と習合された時、素戔男尊の本地が薬師如来とされたのは、かなり興味深い事だと思える。今の早池峯信仰は、手前の薬師岳を含めての早池峯信仰となる事を思えば、瀬織津比咩と素戔男尊の組み合わせこそ、まさに穢祓信仰の原初となるであろう。
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「遠野物語」で有名になったオシラサマであるが、その原初は娘と馬の一対であったとされる。これは「大祓祝詞」によれば「畜犯せる罪」にあたるものである。伊弉諾と伊弉弥は「近親婚の罪」であり、いずれも"一対"でなくては犯す事の出来ぬ罪である。オシラサマもそうだが、人間の穢れを代りに受け、それをオシラ遊ばせにより祓われるものである。着せ替え人形という子供の玩具があるが、これは着せ替えをして楽しむと云うもの。しかしオシラサマの場合、着せ替えではなく重ね着をしている。それはつまり、常に人の罪や穢れを受けている状態であるという事。何故それが出来るかと言えば、オシラサマが人間を超越した神であるからだろう。神とは、人間の背負いきれない罪や穢れを、簡単に背負う事の出来る存在。そして、人がどうしても祓う事の出来ぬものを、いとも簡単に祓う事の出来る存在。その組み合わせがまさに、瀬織津比咩と素戔男尊の組み合わせだと思えるのである。「大祓祝詞」に登場する根の国底の国に坐す速佐須良姫とは、須世理姫であると云われる。素戔男尊の異称に"建速須佐之男命"というものがあり、これは速佐須良姫と同根であるとされる。根の国・底の国に住む女神とは神話上では須世理姫しかいない事からも、恐らく瀬織津比咩が人間の罪や穢れを川から海を経由して根の国底の国へと流し、全てを無くするという穢祓の思想であろう。つまりこの「大祓祝詞」からも瀬織津比咩とは、黄泉国であり、あの世の境界に坐す存在である事が解る。また「大祓祝詞」には、素戔男尊の行った罪が列挙されているが、逆に言えば素戔男尊こそが人間の罪や穢れを一身に受ける事の出来る存在ではなかろうか。罪や穢れを受け、それを祓う存在が一対の男神と女神とされるのならば、それに最適な組み合わせこそが、瀬織津比咩と素戔男尊の組み合わせであろう。「お雛様と瀬織津比咩(其の一)」に書いた様に、遠野周辺の八坂神社では、素戔男尊と瀬織津比咩の異称が習合されている場合が多い。異質は小友町の八坂神社で、主祭神は応神天皇となっているが、これも恐らく背後には神功皇后がいて、「近親婚の罪」を意図しているものと思われる。ともかく穢祓の思想によって誕生した雛祭りであり雛人形の背景には、人間を超越した力を持つ神が配されたのだろう。その男神と女神のモデルとは、素戔男尊と瀬織津比咩ではなかろうか。

# by dostoev | 2018-03-05 11:45 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(1)

お雛様と瀬織津比咩(其の一)

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三月三日の雛祭りの日、遠野では約一週間前から「遠野町屋のひなまつり」が開催されていた。それと「流し雛」のイベントは、確か去年から行われるようになった筈。元々の発生は、古代中国の祓いの行事からだった。上巳節という三月初めの巳の日に行われたのはやはり、川と蛇が繋がるからであったろう。禊は身を削ぐ、もしくは身を殺ぐという蛇の脱皮と関連されるように、穢れた古い衣服を脱ぐ、肌に着いた穢れを落として清めるなどの生活習慣に結び付くものと、新たに生まれ変わるという意味も有している。似た様なものに、胎内潜りというものがある。早池峯山頂、もしくは小友町に胎内潜りの大岩があるが、年に一度その大岩を潜ると、生れ変る、もしくは若返るとされている。これは恐らく「諏訪縁起事」での甲賀三郎にも結び付くものと思える。狭い穴を潜るには這って進むのだが、それがまるで蛇を想起させるのだろう。甲賀三郎も狭い洞窟を這って進み、人間から蛇へと生まれ変わった。ともかく禊と蛇、そして水は、密接な繋がりにある。

ところで五節句というものは、禊祓の日でもある。一月七日は人日。三月三日は上巳の節句。五月五日は端午の節句。七月七日の七夕や九月九日の重陽の節句もまた禊祓の日でもある。その他に、六月と十二月の晦日は大祓となり、常に日本人は穢祓を意識していたのが理解できる。これらに加え、古代出雲や宗像で三月会とされていた祭礼は、今では五月に行われる、出雲大社の大祭礼となっている。そのどれも、穢祓の神を必要とする祭であった。
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雛祭りの原型は、禊祓いからの流し雛であった。そして、斎串を十字に交叉させた祓の呪具に頭部を付け、目鼻を描いた天児や這子が、男雛・女雛一対の雛人形の源流であるようだ。これらから、立ち雛が始まったとされる。祀られる神の原型は、彦神と姫神の一対が普通であった筈だが、その元親でもある伊弉諾と伊弉弥が袂を分かってからなのだろうか、仲睦まじく夫婦神として祀られているのは道祖神くらいではなかろうか?その道祖神もまた人々の穢れを引き受ける存在でもある。村境に建てられ祀られる道祖神は、賽ノ神として、村の穢れを引き受け、また外からの穢れを防ぐ神であもある。一般的に、猿田彦と天鈿女命の夫婦神が道祖神と呼ばれている。しかしその穢れ塞ぐ原初もまた、伊弉諾と伊弉弥から発生している。黄泉国から逃げた伊弉諾は、現世と黄泉国を千曳岩で塞ぐのだが、これが塞ノ神の原型となる。境界とは曖昧なもの。ましてやそれが、この世とあの世との境界であれば、尚更気を付けなければならないだろう。その境界を、古代人はしばしば意識してきた。それは、艮(丑寅)である。艮は方位であり東北を意味するのだが、その意味は「全てのモノの境」であり、空間的に言えば「あの世と、この世の境」である。それはつまり、伊弉諾と伊弉弥を隔てた境界でもある事から、艮に立つ神とは、黄泉国の穢れを祓う存在では無くてはならない筈だ。それ故に、塞ノ神でもある道祖神として猿田彦と天鈿女命が立つ事に違和感を覚える。

ところで七夕もまた禊祓いの日になっているが、恐らくその原初は、天照大神と素戔男尊が天安河原で対峙し、誓約をしたエピソードに行き着く。「大祓祝詞」を読んでいくと、そこに記されている罪のいくつかは、素戔男尊が犯したものである。その罪深き神が素戔男尊である為に、それを恐れて天照大神は武装して天安河原で対峙した事になっている。しかしここでこの神々は、五柱の男神と宗像の三女神を誕生させる。

ここでもう一度考えてみると、日本神話では伊弉諾と伊弉弥の兄妹による近親婚という罪によって、多くの神々が誕生する話になっている。また神話上は、伊弉諾の左目から天照大神が生れ、鼻から素戔男尊が生れた事になっており、右目から生れた月読命を含めて三貴子と呼ばれるが、それは三兄弟という事になろうか。その兄弟である筈の天照大神と素戔男尊が結び付いて子を成しているというのは、更なる罪を重ねたという事になろう。つまり日本の神々は、常に罪を負っている存在でもあるという事なのだろう。人がいるからこそ、祀られる神が存在するという事は、人が神々に我が罪を投影し、それを代りに受けてくれるのが神であり、それを祓ってくれるのもまた神であるという事になろう。遠野周辺の八坂神社を見ていくと、ある事に気付く。それは八坂神社に祀られる素戔男尊と合祀されているのが、早池峯大神であり、祓戸大神であり、九頭竜であり、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命となっている。名前は違うが、全て瀬織津比咩と結び付く神名となっている。

# by dostoev | 2018-03-03 21:41 | 瀬織津比咩雑記 | Comments(0)

流し雛神事の日

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今日、3月2日は流し雛が行われる日となっていた。しかし生憎の悪天候の為、神事は執り行われたが、川への流し雛の行事は中止となった。川への流し雛には、園児達が参加する予定であったようだが、吹雪の中に園児達を参加させるのはどうなのか、という事で中止になったよう。ただ穢れのついた雛は神事によって穢れが祓われ普通のモノとなった為、保管して来年の流し雛の時にでも一緒に流すとの事。
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人型の形代を紙で作った船に乗せて流すのは、自分自身の依代に穢れを付け祓って川へと流すものであり、雛祭りの原型となる。古くは古代出雲や宗像で三月会とされていた祭礼で、穢祓の神を必要とした神事でもあった。今では五月に行われる、出雲大社の大祭礼となっている。
ところで神事が始まる寸前に、タッチ式自動ドアが誰もいないのに開いた。何人かの意識が玄関にいくも、そこには誰も居ない。その後に遅れて来た人も普通に自動ドアを開けて入った事から、この時だけ異様な感じがした。もしかして、誰かが入って来たか、もしくは出て行ったのだろうか?
その後に神官さんから祝詞が唱えられ、神事が始まった。
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本来は、来内川へと流す流し雛が、ここから行われる筈だった。昨日は暖かく一日雨が降っていたが、夜になって気温の低下と共に雪に変わり、風も強くなった。それが今日、三月二日には朝から吹雪となっていた。形代と紙で作った船を流そうにも、流す前に強風で吹き飛んだかもしれない。


# by dostoev | 2018-03-02 15:59 | 遠野体験記 | Comments(0)

「遠野物語51(オット鳥)」

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山には様々の鳥住めど、最も寂しき声の鳥はオット鳥なり。夏の夜中に啼く。浜の大槌より駄賃附の者など峠を越え来れば、遥に谷底にて其声を聞くと云へり。昔ある長者の娘あり。又ある長者の男の子と親しみ、山に行きて遊びしに、男見えずなりたり。夕暮になり夜になるまで探しあるきしが、之を見つくることを得ずして、終に此鳥になりたりと云ふ。オットーン、オットーンと云ふは夫のことなり。末の方かすれてあはれなる鳴声なり。

                          「遠野物語51」
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正直「遠野物語51」は、コノハズクの写真を撮影してからアップしようと思っていたが、何年かかっても撮影できずにいた。最近、もしかして生きているうちに撮影できないのでは?と思うようになり、今回ウィキペディアの画像を拝借して記事を書く事にする。

今の時代は便利なもので、こうしてYouTubeでアップされているコノハズクの鳴き声の動画を紹介する事が出来る。聞けばわかるように、これは「遠野物語拾遺118」と同じく、擬音や鳴き声をどう文章化するかの話になる。高橋喜平「遠野物語考(オット鳥考)」では恩徳の三浦氏にコノハズクの鳴声を確認するが、恩徳の三浦氏はコノハズクを飼っていた事があり、オット鳥の鳴き声に似ているとの証言を得ている。ただし明確に「オットー」と鳴いているというわけでないのは、動画からよく理解できる筈。あくまで「オットー」と鳴いている様に聞こえるか?と問われて、似ていると感じる人がいるというだけである。鳴き声は、聞く人によってそれを表音化、もしくは文字化した時に、各々の違いが出て来るもの。

ところで「注釈遠野物語」を読むと、やはりコノハズクの解説となっており、本編に対する解説が成されていない。長者の娘が、別の長者の息子に連れられて山に入って遊んだという内容だが、簡単に帰れないところをみると、奥山まで行ったのであろうか。その後に悲しさからか、オット鳥になってしまった話になっているが、ある意味"かどわかし"の話にも思える。かどわかしは誘拐であるのだが、昔話では何も誘拐するのは人間だけでは無かった。例えば、鷲や鷹に、赤ん坊がさらわれた話は広く伝わる。例えば「遠野物語拾遺138」も、鷲にさらわれた話である。また天狗が人を誘拐する話があるが、その天狗の正体は鳶であった。「今昔物語」にも空を飛ぶ天狗の正体は鳶であるとの話もある。鳥もまた、しばしばその姿のままだけでなく、人の姿に化けて悪さをする場合があるようだ。またこれは小説だが泉鏡花「高野聖」では、山に住む女を慕った男達が、全て動物に変ってしまった物語でもあった。それは女が山の魔性の者であったからなのだが、ここで気になるのは、長者の娘を山奥に連れて行った長者の男の子が果たして人間であったのか?という事。"男の子"と記してある事から、取り敢えず長者の息子であるのだろう。昔は女人禁制の山も多く、また山とは何が棲んでいるかわからぬ恐怖があった。それでも山奥に行くものは、行者かマタギや杣人か、はたまた山菜・キノコを求める者達くらいであったろう。長者の子供が、そういう危険を冒してまで山奥に行くとは考え辛い。これは長者の男の子の正体が、人間では無かったのではないかとも思える話である。

「今昔物語」で、厠に入った女性が化物になって出てきた話がある。また別に、金剛山で修行を積んでいた聖者が、ふとした縁で、ある夫人を自分のモノにしたいと思い、山で命を絶ち鬼となって再び夫人の前に現れる話がある。ここで共通するのは、厠も山も異界の入り口であるという事。厠が今では化粧室ともされるのは、この「今昔物語」の話が大きい。化けるという事は、異界の力を借りると云う事。人に化けている妖魔の正体を見破る方法に「狐の窓」というものがあるが、その呪文に「けしやうのものか、ましやうのものか正体をあらわせ」というものがあるが、「けしやうのもの」とは「化粧をしている者」の事で、正体を隠している者を意味している。

悲しみに暮れ、泣き疲れ果ててオット鳥になった娘であったが、オット鳥になった要因は、山の気を浴びたという事もあったのかと思える。そしてこの話は、先に紹介した泉鏡花「高野聖」での、人間の思いが様々な獣に変化させたものに近いと思われる。「高野聖」で女にやましい考えを持った男は、畜生に変わり果てた。悲しみに全てを包まれた娘は、オット鳥に変った。全ては、山での出来事である。

# by dostoev | 2018-02-18 21:29 | 「遠野物語考」50話~ | Comments(0)

陰影

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ごろごろしていた猫を撮影したら、陰影がくっきりしていた。ましてや家の猫も、白と黒なので、かなり印象的な画像になったと感じた。このコントラストは、あくまでも白、もしくは光を際立たせるもの。
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以前、旧仙人峠の砂防ダム湖へ撮影しに行った時、スローシャッターの撮影中に、たまたま通りかかった車のライトが写り込んだ。その光は、暗闇の砂防ダムを印象的に浮き上がらせてくれた。これもまた、陰影の美しさかとも思う。
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また日陰になっていたところに、雲の切れ目から細い太陽光が滝をスポットライトの様に照らし時、その滝は虹を伴い浮き上がって輝いたのを見、美しいと思った。とにかく極端な陰影、コントラストは、目を通して印象的に脳裏に刻まれてしまう。ただこういうのを含めて、あらゆる偶然が重なったものが目の前に現れてくれるのは、やはり縁かなぁと思っている。あとはただ、カメラのシャッターを切るだけ。
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そして神仏像も光による陰影で、その迫力が増すのを感じる。とにかく突発的な光によって作り出された陰影は面白い。今年は、どういう縁があるのだろうか。

# by dostoev | 2018-02-16 18:55 | よもつ文 | Comments(0)

「現代遠野物語」 第百十五話(穴熊婆)

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某さんはある日、近所を散歩していたという。歩いて行くと、今はもう誰も住んでない空き家に差し掛かったそうな。低い垣根がある家で、通り過ぎる時にチラッと庭先に目を向けたという。そこには古びた家の縁側に、座り込むお婆さんの姿があったという。近所では、見た事の無いお婆さんであったと。そのお婆さんの近くでは、二匹の犬らしきが遊んでいたそうな。だが某さんが、それをよくよく見てみると、それは犬では無く穴熊であったそうな。その時、縁側に座っていたお婆さんが、怖い形相で某さんの方を睨んだので「すみませんでした!」と、慌てて逃げたそうである。しかし、後から考えてみても、とても奇妙であったと云う。まず、そのお婆さんが何者かわからない。また、穴熊を飼っていた?という事も理解できない。そして何よりも、あの睨んだ時の恐ろしい顔が、今でも忘れられないと云う。
# by dostoev | 2018-02-15 20:25 | 「現代遠野物語」110話~ | Comments(0)

バレンタインの夜

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ふと外を見たら、駅前の河童池の辺りが彩光されていた。昨日は無かったと思ったが、もしかしてバレンタインの夜なので光りで彩ったのだろうか?
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# by dostoev | 2018-02-14 18:45 | 遠野情報(雑記帳) | Comments(0)