遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「現代遠野物語」110話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
遠野高校の河童の手
遠野にあるチベットの残存
クワガタと遠野の自然
菊池氏考
佐々木氏考
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
七つ森考
六角牛考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
又兵衛の矛
鯰と地震
おかばみ
三女神伝説考
早池峯遥拝所
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
お雛様と瀬織津比咩
冥界との縁結び
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
七夕と天の川
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 11月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
絵本 宮古物語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
なんでもブログ
外部リンク
最新のコメント
語源は朝鮮人由来で間違い..
by ほげぇ at 22:07
横山不動尊のある大徳寺は..
by 鬼喜來のさっと at 21:26
大阪交野市の星田妙見さん..
by mars at 18:41
今日は突然の電話申し訳あ..
by 鬼喜來のさっと at 20:22
記事が大変興味深く拝読さ..
by 陽啓 at 01:17
古い記事なのですが、写真..
by 鬼喜來のさっと at 18:26
気仙川河口の鮭漁争いで、..
by 鬼喜來のさっと at 09:12
私は学校の校庭などでやり..
by 鬼喜來のさっと at 17:32
この釘刺しについては私も..
by 鬼喜來のさっと at 17:24
このカマコヤキと同じ行事..
by 鬼喜來のさっと at 17:03
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2020年 06月 ( 4 )   > この月の画像一覧

子猫の情景

子猫の情景_f0075075_10083367.jpg
ひなちゃんという子猫が増え、合計三匹となって賑やかになった。子猫たちの遊んでいる姿は、見ていて飽きないもの。ただ、婆様猫となったミーだけはここに加わらない。やはり人間も猫も、歳を取るとこういうハイテンションの付き合いは、出来なくなるものだと思う。
子猫の情景_f0075075_10083908.jpg
しかし本来、人間の子供も、子猫のように飛んだり跳ねたりして遊ぶのが普通であるべきだろう。例えば、子供の頃に野山のでこぼこの斜面を登ったり下りたりして遊んでいると、脳と体に情報が刻み込まれるようだ。逆に、そういう遊びをしてこなかった子供は大人になっても、山の斜面を登るのがヘタになままであるそうだ。危険だからと家の中でばかり遊ばせるより、外で遊ばせる。それも平坦なグランドで野球やサッカーではなく、野山のでこぼこな道や斜面。または、不安定な川底の砂利の上を歩くというのは、人間の体の機能を促進するに、かなり効果があるそうな。犬や猫はほっといても、人間視点の危険な場所で平気で遊ぶのだが、人間の子供は「もしも」を意識した場合、なかなかできないもの。頭で覚える必要な知識は、座ってでもいろいろな情報を読み取れさえすれば得られるが、体の知識は自らが体を張って得るしかないようである。
by dostoev | 2020-06-28 17:32 | 民宿御伽屋情報

「オシラサマ(桑という墓標)」トイウモノ(其の一)

「オシラサマ(桑という墓標)」トイウモノ(其の一)_f0075075_12394378.jpg
先人の長年の研究からでも、未だにオシラサマの決定打が無いのは、あまりにもオシラサマの性格が多方面に広がっているせいもある。オシラサマはその性格の一つとして代表的なものが、養蚕の神としてのものだ。実際にも、伝わり語られる「オシラサマ」の話には、養蚕の起源譚が紹介されている。そしてまた遠野市上郷町来内の伊豆神社に伝わる伝承に、坂上田村麻呂と安倍宗任に関するものがあるのだが、その伝承は養蚕と結び付いている為、どこか漠然とオシラサマにも繋がっていると思われている。菊池展明「エミシの国の女神」において作者が、三河が養蚕の先進地域であり、「安城市史」には、二名の婦女を陸奥国へ派遣して、現地の人々に養蚕技術を教習させた事が記されている事を紹介している。この二名の婦女のうちの一人が、遠野の伊豆神社の伝承に重なる可能性を示唆している。その伊豆神社の伝承は、下記の通り。

坂上田村麻呂が延暦二年に征夷代将軍に任命され当地方の征夷の時、此の地に拓殖婦人が遣わされ、やがて三人の姫神が生まれた。

また、田村麻呂とは別に安倍宗任の伝承は、下記の通り。

安倍宗任の妻「おない」の方は「おいし」「おろく」「おはつ」の三人の娘を引き連れて、上閉伊郡の山中に隠れる。其の後「おない」は、人民の難産・難病を治療する事を知り、大いに人命を助け、その功により死後は、来内の伊豆権現に合祀される。三人の娘達も大いに人民の助かる事を教え、人民を救いて、人民より神の如く仰がれ其の後附馬牛村「神遺」に於いて別れ三所のお山に登りて、其の後は一切見えずになりたり。それから「おいしかみ」「おろくこし」「おはやつね」の山名起これり。此の三山は神代の昔より姫神等の鎮座せるお山なれば、里人これを合祀せしものなり。

遠野には、オシラサマは安倍宗任が伝えたとの伝承が残っているのは、恐らくこの伝承の影響を受けてのものだろうか?だが、この安倍宗任の話には、養蚕の話は無い。ところで、ここで違和感を覚えるのだが、東北の歴史の幕開けの殆どが、坂上田村麻呂以降になっている事。確かに坂上田村麻呂以降、仏教の布教活動などから中央の文化が伝わったのは否めない事実である。そしてその時代、三河が養蚕の先進地域であったのも確かな事だろう。だがしかし、その三河ではオシラサマが伝わっていないのはどういう事だろうか?オシラサマの分布は、北関東から青森県にかけて。拓殖婦人が蝦夷国に赴き、養蚕を伝えたという事実は、本当に事実であったのか?という疑問が付き纏う。例えば、有名な安倍宗任の逸話だが、その時代の都人は、蝦夷の文化水準を知らなかったと思う。だからこそ、安倍宗任に対し梅の花の名前など知らぬだろうという都人の言葉に対して宗任は「我が国の梅の花とは見つれとも大宮人は如何か言ふらむ」と歌を返した。都人にとって、遠く離れた蝦夷国の情報は、皆無に等しかったと思われる。「日本書紀」にも記されているよう、蝦夷は文化らしきものなどない野蛮人の国であるから討ち取ってしまえの感覚は、この時代にも残っていた可能性はある。もしかして、拓殖婦人が蝦夷国に赴いたのだが、既に養蚕は普及していた。しかし、それを隠して、養蚕を伝え普及させたという話を残した可能性…。この考えに至ったのは「茨城の史跡と伝説」に掲載されている「日本養蚕事始め」という伝説を知ってしまったからだ。これは鹿島地方に伝わる伝説である。

鹿島といえば鹿島神宮があり、蝦夷国平定以前、それこそ坂上田村麻呂が征夷代将軍に任命されたという延暦年間以前に、鹿島から奉幣使が蝦夷国へと通っていた歴史がある。その鹿島神宮奉幣使が、何故か嘉祥元年(844年)に菊多関で追い返された。鹿島神宮の末社の神々が、蝦夷国に祀られていたそうだが、その神が祟ったという理由からだった。鹿島大神の使いを追い返すほどの神威ある神が、蝦夷国にいたという事だ。しかし、何故に祟ったのか。恐らく祟ったというのは表面上で、あくまでも憶測だが、鹿島神宮の一団が蝦夷国に祀られている神の神威を傷つけたのかもしれない。古代に上毛野氏が駒形神を蝦夷の人達の祀る神の上に重ねた事から、蝦夷の反乱が起きた。今回は、蝦夷平定の後であるから、そこまでの反乱とはならなかったが、鹿島神宮の一団を追い返したとは、ある意味反乱に近いのだとも思える。神社団の一行であるから、考えられるのは、祭神の強引な変更であったり、中央に都合の良い神社の由緒を改竄したりなどがあったのかもしれない。

さて、ともかく茨木の養蚕の事始めの話を紹介しよう。

昔、鹿島郡の日川に青塚権太夫という漁師がいた。はるばる奥州からここに流されてきた姫を哀れに思って家に引き取り、我が子のようにいつくしみ育てているうちに姫は横に伏して間もなく世を去った。権太夫は涙ながらに姫の亡骸を庭の隅に葬った。するとそこから一本の木が生えて、春の初めになると房々とした青葉をつけて生き生きと茂っていた。すると木の根元から小さな白い虫がぞろぞろ這い出して来て木に登り、その葉を食べて成長した。そして丸い巣を造ってその中に隠れた。権太夫が巣を煮ると巣はつやつやとした糸になった。その木はクワで、巣はマユ、虫はすなわち蚕であった。クワの木の葉で育った虫なので、クワコと呼ばれた。これが養蚕の事始めというのである。

解説は、この茨木の養蚕の話は、元々蝦夷国に伝わる伝説を下敷きにしたものだと述べている。その蝦夷国に伝わる養蚕の伝説とは、下記の通りとなる。

昔、美しき姫がいた。その母みまかりければ、父なる人は後妻を迎えた。後妻は、いたく娘を憎み、朝な夕なに虐待した。姫は遂に堪えかねて、庭の池に身を投げて死んだ。継母はそれをよきことに思って、娘の屍をひそかに庭に埋めてしまった。父は、姫が見えぬのを不思議に思って継母に尋ねたけれど、知らぬ存じませぬとばかりでどうにもならなかった。ところが姫の屍を埋めたところから、一本の木が生え茂り、土中から多くの虫が出てその葉を食い、白く清らかな巣をたくさん結んだ。父はいと不審に思い、木の根を掘り返して見ると、姫の着衣はそのままにあって、体はすべて虫になっていた。今の世の蚕は、この姫の化身である。さて、姫の名を、くわこ姫といったので、その木をクワと名付けた。

補足として、茨木の鹿島の日川の青塚権太夫が育てた姫は、蝦夷国の大酋長の娘であったと伝わっているそうだ。そしてアイヌ語で、"クワ"は杖の意味と"墓標"の意味がある。「日本の養蚕事始め」の開設にも「奥羽の蛮族の中にこの伝説は古くから伝わっていたので、桑の木を墓標樹という意味でクワと呼び、繭は墓の中から出たという意味で、クワコと呼んだのであろう。

遠野に伝わる語り部の語る一般的な「オシラサマ」の話は、古代中国の「捜神記」に似通っていると有名となっている。それは殆ど、東北の地に伝えられ、広まり定着したものだと。しかし、養蚕の初めの話が東北であり、蝦夷国から始まったとされ、それが古代の常陸国に伝わり広まった話は、これが初めてだった。茨木県の養蚕に関係する古い神社の創建は、孝霊天皇の時代だというのだが、それが本当だとするとかなり古い。継体天皇以降、養蚕を奨励する記録があるのだが、孝霊天皇であるなら、継体天皇よりもかなり古い時代の話となってしまう。その時代に、もしも東北から養蚕が伝わったのならば、それは逆に、朝廷側にとって隠しておきたい事実となってしまう。ともかく、東北であり蝦夷国であり、日高見国の入り口であった常陸国に、この伝説が伝わり未だに残っているというのは、とても貴重な伝説だと思う。続きは、オシラサマの桑の木に関して書き綴ろうと思う。

by dostoev | 2020-06-27 17:59 | 「トイウモノ」考

穢祓の女神(水と風)

穢祓の女神(水と風)_f0075075_19343845.jpg
個人的には、岩手県の中心に早池峯が聳えていると思っている。その早池峯に坐すのは、瀬織津比咩という神名の穢祓の女神だ。古代の穢祓は、海に浸かる事から始まったとされる。それは水の霊力に期待してのものだった。その海の水は、川から注がれる。その川を辿って遡上すると山へと辿り、そして人々の目を惹く神々しい滝に出遭う。滝こそが、この水の流れの根源であるという感覚に支配された事からの水神であり、滝神であったと思う。それ故に、早池峯の麓の又一の滝は、滝神でもある女神の御神体であると思っていた。また、早池峯という漢字には「早池」という水を象徴する漢字が充てられている事からも、水神であるという認識が定まっていた。しかしだ。早池峯には、「疾風(ハヤチ)」という音が含まれている。またヤマセという春から夏にかけて吹く冷たい風は、早池峯が起こすという伝承もある。早池峯の女神は、水神でありながら風神でもありえるだろうと考えていた。
穢祓の女神(水と風)_f0075075_20531678.jpg
盆の頃には雨風祭とて藁にて人よりも大なる人形を作り、道の岐に送り行きて立つ。紙にて顔を描き瓜にて陰陽の形を作り添へなどす。虫祭の藁人形にはかゝることは無く其形も小さし。雨風祭の折は一部落の中にて頭屋を択び定め、里人集りて酒を飲みて後、一同笛太鼓にて之を道の辻まで送り行くなり。笛の中には桐の木にて作りたるホラなどあり。之を高く吹く。さて其折の歌は『二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る』と云ふ。

                            「遠野物語109」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遠野物語」の補注には「雨風祭は本来、二百十日(陽暦九月一日頃)に行われる雨風鎮めの共同祈願である。」という。別称として「風祭・風日待・風神祭」と云い、基本的には風神に対する祭であったのに、後から虫祭の習俗が重なっ伝わっているようだ。伊能嘉矩「遠野の民俗と歴史」によれば、伊能嘉矩はこの祭を広瀬竜田祭と同じであるとしている。

「大忌風神の祭といふ是なり、風水の難を除きて、年穀の豊なる事を祈申さるゝにや。」


また伊能嘉矩は、大忌風神祭、道饗祭、御霊絵、即ち辻祭に関する観念が混同の姿をもって奥州に伝えられ、それには風雨の厄と疫鬼の禍が結び付けられていると説いている。まず「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」という歌の最後「北の方さ祭る」だが、これは玄武を意識しての信仰であるようだから、遠野であれば素直に早池峯を指してのものだと考えるべきだろう。まず風雨鎮めに関しては、時期的に収穫の頃の台風除けを意識しているものだと思える。また、サムトの婆で知られる風もまた同じもので、風による厄災を鎮めねば五穀豊穣はままならぬのも、山神に対する意識がある為だろう。ましてや遠野は、盆地である。山々の手のひらの上に生かされているのが、遠野の民だという意識はあったのだと思える。
穢祓の女神(水と風)_f0075075_19193049.jpg
恐らく、遠野の歴史の中で古くから中心であったのは、土淵であり附馬牛であったろう。その土淵だが「土渕教育百年の流れ」を読むと"明神"の働きかけにより、和野から一の渡まで一つの大きな文化圏を作っていたと考えられているようだ。その明神とは、河内明神か諏訪明神であろう、としている。河内明神は蛇神だが、諏訪明神もまた蛇神。ただし諏訪明神は、風の神でもあるとされる。ただ、風の神としての諏訪明神だが、「倭姫命世紀」には、「風神 一名志那都比古神。広瀬竜田同神也。」と記されている。その志那都比古神だが、志那都比古神の「志那都(しなつ)」は「信濃(しなの)」の転訛とされる。つまり、志那都比古神は諏訪明神でもあるという事となる。これは伴信友「倭姫命世紀考」に「級津彦命、科戸邊命、伊勢津彦命ト同神ニテ諏訪ノ建御名方モ同神ナルコト云ベシ」と記されているように、突き詰めていくと全ての神が一体化してしまう。これらを全てまとめて現れる神名は、遠野の早池峯の女神となる。そうかつて、水神として、また風神として、また穢祓の女神として、その地を祓い清めてきた瀬織津比咩。穢れとは、疫病も含め、あらゆる穢れがあるのだが、その穢れを水と風の力で祓う女神が、岩手県の中心である早池峯に坐しているのだ。岩手県に未だコロナウイルス(武漢肺炎ウイルス)が広がらないのは、早池峯の女神の力と思ってしまうのは仕方ないのではなかろうか。

by dostoev | 2020-06-23 19:51 | 瀬織津比咩雑記

遠野不思議 第八百九十四話「火渡の石碑群」

遠野不思議 第八百九十四話「火渡の石碑群」_f0075075_05574171.jpg
遠野遺産に認定されている、火渡の石碑群。こうした石碑群は、遠野のあちこちにあるのだが、背景が田園風景となり、非常に景観が良いという事で、遠野遺産となったようだ。元々は、点在していた石碑をまとめたもの。場所は、附馬牛方面に向かい、遠野ふるさと村を少し過ぎたところにある。
遠野不思議 第八百九十四話「火渡の石碑群」_f0075075_05573666.jpg
遠野遺産17号と記されている。
遠野不思議 第八百九十四話「火渡の石碑群」_f0075075_05574714.jpg
色も形も大きさも、様々な石碑が横並びとなっている。
by dostoev | 2020-06-22 07:14 | 遠野不思議(石碑)