遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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白山様トイウモノ…ついでに今年最後の御挨拶をば。

白山様トイウモノ…ついでに今年最後の御挨拶をば。_f0075075_16491750.jpg
土渕町に"白山様"という小高い岩山があり、この白山様に登り、長者を祈願すると長者になれたという伝説の岩山でもある。昔は上流の沢水をこの白山様の岩山の上に流し、人工的に滝にして水を流していたという。その滝をイメージしても、雄大であり綺麗であったろうと想像できる。ただ、その滝を単なる景観を良くする為に、人為的に滝を作ったのだろうと当初は、簡単に思っていた。しかし"長者祈願"を結び付けて考えた場合、登竜門の疑似体験場としての白山様では無かったか?と思えた。

古代中国の後漢書「李膺伝」に、黄河の上流に竜門という激流があり、その下に多くの鯉が集まり、殆どは急流を登れないが、もしも登ったら竜になれると伝える。それが転じて、立身出世の為の関門を、登竜門と言うようになったのが一般的な話となる。つまり、この岩山である白山様に流された滝というのは、登竜門を意図的に作り出し、それから立身出世=長者という貧しい民が長者を志す指標となったのかもしれないと考えてしまった。そういう意味では、単に登るのではなく滝が落ちる険しい場所を登ってこその登竜門であったのだろうか。

ただ一つ解せないのが、何故ここが"白山様"と呼ばれているのかだ。考えられるのは、白山信仰が被差別民と結び付いているという事と関係するのではなかろうか。被差別民というと、真っ先に穢多非人という言葉が思いつくが、古代の蝦夷もまた被差別民であったという事。白山信仰は、東日本、特に日本海側に多く分布している。そして西日本の白山信仰の分布は、俘囚として連れて行かれた蝦夷の集落と重なる事からも、白山様は虐げられた被差別民である蝦夷の信仰と重なるのではないかと推測する。更に付け加えれば、蝦夷の長であった奥州藤原氏そのものが、白山を強く信仰していた事も、後押しするだろう。

早池峰山中腹にある御金蔵は、白山にも同じものがある。元々早池峰山の名称などは、白山を意図して作られているのは、「白山大鏡」によれば、翠ヶ池に現れたのは、九頭竜であり瀬織津比咩であった。当初白山を支配したのは天台宗であった事から、妙見神の化身が九頭竜である事から、早池峯と白山の信仰が重なる。いや重なるというものではなく、本来同じものであった。恐らく、白山に祀られている姫神が、後から早池峰に祀られたのかとも思える。奥州藤原氏の信仰の重きが、白山と早池峯にかかっているのは、偶然では無いだろう。水沢の正法寺では白山・早池峯・熊野が同体として信仰されているのも、元の龍神であり滝神が同一神である事を意図してのものだろう。

白山様と呼ばれる小高い岩山に登り先端から遠望する先には、早池峯が聳える。その早池峰の女神は、東和町から花巻市にかけて「一生に一度だけ、無理な願いを叶えてくれる神」として伝わっている。この無理な願いを叶える内容の話は、「泥棒を守護する神トイウモノ」に書き記した。その"無理な願い"に、貧し民が切望する長者祈願が入っていたとしても、何等不思議ではないだろう。ともかく白山様は、直接的に龍神であり滝神である早池峰の女神に祈願する場所としてあったのだろう。
白山様トイウモノ…ついでに今年最後の御挨拶をば。_f0075075_16460181.jpg
今年の遠野は暖かく、昨日の午後から降っていた雨も雪に変る事が無かったが、今日の午後からは、その雨が雪に変化してしまった。上の画像は、夕方に撮影した遠野駅前の画像です。見て分かる様に、雨が雪に変わり、うっすらと白くなってしまった。ただ今年最後の日に、雨が雪に変わったのは、よく捉えれば、この記事に書いた様に鯉が龍に変化した吉兆と考えるべきかもしれない。この不景気の時代、来る年に向けて白山様であり早池峯の神に、豊かでゆとりある生活を祈願して、今年を終えたいものと思います。さて皆さま、今年はどうもありがとうございました。ブログも諸事情から更新の頻度が遅くなってはいますが、来年も続けて行こうと思いますので、どうぞ応援よろしくお願いします。それでは皆様、良いお年をm(_ _)m

by dostoev | 2019-12-31 18:55 | 「トイウモノ」考

山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)

山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_15010613.jpg
高清水山の次には、耳切山へ行ってみた。何というか、高清水山よりも麓の雪が多く残っている感じ。溶けてはいるのだが、車で走っていると氷をガリガリと潰して走っている様だ。これは、方角と日照の問題からだろう。高清水山方面よりも、耳切山方面の道は、確かに陽当たりが悪い。雪の量は途中までは、高清水山の方があるように思える。耳切山は、雪の表面が融けて凍りになって、パリパリになっている。
山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_16232540.jpg
高清水山と同じに、山の作業車両が走っているらしく、画像の様に場所によっては、雪が溶けている箇所もちらほら。
山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_15005428.jpg
遠野盆地が見渡せる場所にも、問題無く車で来る事が出来た。まあここまでは、車の通った跡があるので大丈夫だろう。問題は、ここより更に上の方。
山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_15004009.jpg
耳切山の牧場へと差し掛かったが、少し走ると、車の走った跡が、雪で埋もれつつあった。最近は、これより先に、車は来ていないようだ。これより少し進んでみたが、もう限界だった。それでも、遠野盆地が見渡せる場所までは、明日以降も行けそうなので、最終的にはそこで初日の出も拝めるだろう。
山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_16325836.jpg
ちなみに2012年の正月は、ここから初日の出を拝んだ。
山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_15012783.jpg
ところで帰り道、白鳥が飛来していて、田んぼに集まっている姿を見つけた。そういや時期的には、とっきに来ていておかしくはない。ただ自分が気付いていないだけだった。
山の道路状況を見に行ってみた(耳切山の場合)_f0075075_15013593.jpg
気になったのは、灰色交りのグループと白色だけのグループが別れていた。その他大勢の白色白鳥グループを、灰色交り白鳥グループが眺めていたのは、仲違いでもあったのだろうか?

by dostoev | 2019-12-30 16:38 | 遠野体験記

山の道路状況を見に行ってみた(高清水山の場合)

山の道路状況を見に行ってみた(高清水山の場合)_f0075075_15003103.jpg
今年の遠野は、雪が少ない。街中は、殆ど雪が無いと言って良いだろう。ころで明日は、大晦日。そして正月と続くのだが、初日の出を意識した場合、やはり山の高みから見てみたい気持ちが強い。街には雪が降らなくとも、山にはそれなりに降っている。しかし、暖かい冬の為に最近は雨なども降っているので、もしかしたら車で頂上まで行けるのではないかと思ってしまった。そこで、ロケハンよろしく、まずは高清水山へと行ってみた。

高清水山への入り口から、かなり先まで雪は無かった。しかし、通行止めの表示がある場所から、雪道となった。
山の道路状況を見に行ってみた(高清水山の場合)_f0075075_15065558.jpg
それでも、作業車両が走っているのか、タイヤで踏み固められている為に、普通の雪道を走るようなもので、無理なく登って行ける。頂まで、この作業車両のタイヤが続いていれば、かなり助かる。
山の道路状況を見に行ってみた(高清水山の場合)_f0075075_15002102.jpg
しかし、作業車両のタイヤ跡は、この石羽根への分岐点までて終わっていた。それでも積雪10センチに満たない程度なので、どうにか行けそうだった。
新雪を走るような感じだが、そんなに雪が深くないので、どうにか行けそうだ。
山の道路状況を見に行ってみた(高清水山の場合)_f0075075_14594703.jpg
とにかく、展望台への分岐点まで来れた。ここから下って進めば、展望台まで行ける。
山の道路状況を見に行ってみた(高清水山の場合)_f0075075_14593859.jpg
分岐点から下って左カーブを曲がると、画像の木が登場する。
山の道路状況を見に行ってみた(高清水山の場合)_f0075075_14592806.jpg
その先が、風によって吹き溜まった雪がコンモリと、道路を覆っていた。これ以上は無理だと判断し、戻った。
山の道路状況を見に行ってみた(高清水山の場合)_f0075075_14595869.jpg
別の頂でもある駐車場のある場所まで、行ってみた。
山の道路状況を見に行ってみた(高清水山の場合)_f0075075_14591763.jpg
駐車場は陽当たりが良く、アスファルトの為か、雪が殆ど無い。手前の木が邪魔だが、遠野盆地は遠望できる。当然、初日の出はここからでも拝めそうだ。ただし、12月31日は、雪か雨。現在、遠野には雨が降っている。これが夜になると、雪に変る可能性が強い。ただし数日前の雨は、朝まで雪に変わらず、ずっと雨だった。それだけ遠野は、暖冬で雪が少ない。とにかく高清水山が、今日の状態を維持していれば、初日の出はここから拝む事が出来るだろう。

by dostoev | 2019-12-30 15:22 | 遠野体験記

遠野高校生による語り

遠野高校生による語り_f0075075_15014022.jpg
遠野、風の丘で今日の14時から、遠野高校生の語り部の披露があった。
遠野高校生による語り_f0075075_15042212.jpg
これを知ったのが、新聞のチラシ。ある朝、新聞のチラシを見ていたら、上記の「遠野物語高校生語り部」の文字が目に入った。仕事も暇になったので、それじゃあ見に行くかとなった。
遠野高校生による語り_f0075075_15040323.jpg
宣伝も行き届いて無かったのか、見渡すと外部の客は、少なそう。半分以上は友達など、身内の集まりの様に見えた。まあ時期的に、これは仕方ないだろう。
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立って撮影すると後ろの邪魔になるので、座ったままカメラはテーブルの上に置いたままの撮影。語りの表情は写っていないけれど、語りの声だけで聴いて下され。ただ個人的に気になったのは、高校生が語っている傍で、テレビの音声が垂れ流しで気になっていた。せめて、高校生が語っている最中は、テレビを切って欲しいものだった。

by dostoev | 2019-12-29 15:18 | 遠野情報(雑記帳)

今朝の早池峯神社

今朝の早池峯神社_f0075075_13075410.jpg
座敷ワラシの御守が欲しいという客を連れて、早池峯神社へと行ってきた。平日には人がいる事が少ないので、前日に御守を買いに行くと電話予約を入れておいた。車で行く途中、早池峯が綺麗に見えた。実はいつも、早池峯が綺麗に見える道を通って早池峯神社へと行く事にしている。
今朝の早池峯神社_f0075075_13080480.jpg
閉鎖となるふるさと学校。なんとなく寂しく見えてしまう。
今朝の早池峯神社_f0075075_13074603.jpg
時間的には午前9時過ぎ頃に到着。太陽の日差しが、この頃から境内に届くようになる時間帯でもある。
今朝の早池峯神社_f0075075_13124198.jpg
樹齢千年を超す、この杉の木から座敷ラシが覗いていたという話をすると、さすがに客は反応し、写真を撮り始めた。
今朝の早池峯神社_f0075075_13141625.jpg
もしかして、雪があるんじゃないか?と思っていたが、境内には若干の雪の名残があるだけ。やはり今年は、暖かいのだろうか。
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早池峯神社の空気感に触れている観光客。
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早池峯神社に通い、いつも思うのだが、この午前9時から11時までの間が、早池峯神社の空気が、一番清浄に感じる。これは太陽光が差し込んできている影響もあるのだろうが、昔の時刻に照らし合わせてみると、辰の刻から巳の刻にかけてだ。祀られている早池峯大神は、水神であり竜蛇神である事を考えると、何となく納得してしまった。
今朝の早池峯神社_f0075075_13145438.jpg
境内の道には、寒さの為に細かな霜柱が立っていた。境内を歩くと、その感触が良かった。
今朝の早池峯神社_f0075075_13150451.jpg
早池峯神社の参拝は、この時間帯が個人的にはお勧めだ。ただ本当に願いを叶えて欲しいという想いがあるなら、夜に参拝すべきとは思う。何故なら、太陽が沈んだ後の夜は、神の時間帯でもある。神との距離を詰めての参拝の方が、願いを叶える可能性が高いだろう。

by dostoev | 2019-12-19 13:24 | 御伽屋・幻想ガイド

早池峯妙泉太神龍(白龍)

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薬師岳から早池峯を望んで気付くのは、早池峯の真上に北斗七星と北極星が輝いているという事だった。
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そして、その早池峯に向って左側に月が沈む。
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また早池峯に向って右側から太陽が昇って来る。
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早池峯を基点とした星の運行の形は、まさに妙見信仰の尊星王だと思える。早池峯をまず支配したのは、星の宗教と呼ばれる天台宗であった。坂上田村麻呂による蝦夷国平定の後、東北地方を布教して回ったのが天台宗。この頃は、西の真言、東の天台と云われ、西日本を中心に布教活動したのが、真言宗。東日本を布教活動したのが、天台宗だった。尊星王は、左右の手に日月を持つ星神である。この尊星王は、しばしば九頭竜として降臨する。そしてこの尊星王は、三井法流において吉祥天女とされる。
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中野美代子「仙界とポルノグラフィー」で、9世紀唐末の「西陽雑爼」には「龍の頭上には博山の形をしたものが一つあり、尺木と名付ける。龍は、尺木が無ければ天に昇る事が出来ない。」と記されている。それはつまり、龍が天に昇る時は依代が必要であるという事らしい。それは神の宿った樹木であるのだが、有名な長谷寺の「長谷寺縁起文」に記されている龍神の依代となったのは、神の憑依した樹木で造られた毘沙門天像であった。毘沙門天の妻であるとされるのは、龍神とも結びつけられるラクシュミー(蓮女)である吉祥天女であろうから、長谷寺の信仰には、吉祥天女が夫である毘沙門天を抱いて天に昇ったと云う意味を持っているものと考える。
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その吉祥天女を色濃く伝えるのが、早池峯である。遠野に伝わる三女神伝説には蓮華が登場し、それを手にしたのは三姉妹の末娘で、姉の上に降りて来た蓮華の花を奪い早池峯の女神となった。その早池峯の女神の神名は瀬織津比咩であるが、養老二年に国家鎮護の為、熊野から運ばれて来た。それと同じように国家鎮護の為に坂上田村麻呂によって、毘沙門天像が運ばれて来たとされるが、坂上田村麻呂そのものが毘沙門天の化身と云われた。その坂上田村麻呂であり毘沙門天を祀るのが、岩手山。そして吉祥天を色濃く滲み出しているのが、早池峯である。岩手山と姫神山、そして早池峯の関係は、岩手山の本妻が姫神だ、いや早池峯だとされるが、岩手山が毘沙門天を意識し、早池峯が吉祥天女を意識しているならば、本来の夫婦は岩手山と早池峯という事になるのではないか。ともかく早池峯は、龍神であり、それと結び付く吉祥天女が重ねられている。
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九州の闇無浜神社に伝わる古縁起「豊日別宮伝記」には、下記のような伝承がある。

瀬織津比咩は、伊奘諾尊日向の小戸の橘の檍原に祓除し給ふ時、左の眼を洗ふに因りて以て生れます。日の天子大日孁貴なり。天下化生の名を、天照太神の荒魂と曰す。所謂祓戸神瀬織津比咩是れなり。中津に垂迹の時、白龍の形に現じ給ふに依りて、太神龍と称し奉るなり。

上記の「太神龍」という表記だが、正確には「妙泉太神龍」もしくは「妙泉大龍神」と表現する。遠野の早池峯神社の本来は、神仏習合であった早池峯妙泉寺だった。この早池峯妙泉の名は、太神龍意図しているのはいうまでもないだろう。つまり早池峯妙泉寺は仏教的に、白龍を祀る寺院であったのだろう。

by dostoev | 2019-12-17 22:55 | 瀬織津比咩雑記

遠野不思議 第八百九十話「津波から現れた阿弥陀如来」

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今日、十二月十四日は、時宗金圓山常福寺で、阿弥陀如来報恩会、通称"ガンガラガン"が執り行われた。そして一年に一度だけの、御本尊の御開帳日でもある。
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この胎内仏となっている阿弥陀如来像は、津波から現れたとされている。伊能嘉矩「遠野くさぐさ」によれば、この常福寺は正平年中に南部氏遠祖の甲州で建立されたとある。そして常福寺の御本尊に関する言い伝えが、下記の通りとなる。

「明徳中南部氏と共に八戸へ移り、応永十八年正月七日、海水爆漲地に溢れしが、水の減ずるに及び海岸に得たる仏像、即ち今に伝ふる本尊なりといふ。寛永四年更に遠野に移れり。」

この阿弥陀如来像の尊さは、津波という天変地異の後に、海岸に現れた事もあったのだろう。神秘を纏った阿弥陀如来像が民の信心を深めるには、必然であった。

by dostoev | 2019-12-14 20:29 | 遠野不思議(神仏像)

吹雪の日の満月

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昨日の遠野は、夕方から吹雪になったが、その吹雪の風が雲を吹き飛ばしていた為か、合間に満月が顔を出していた。ところでその満月の名が、コールドムーンと付けられ広まっていた様。最近、満月にも様々な名称がつけられているようだ。スーパームーンだ、ストロベリームーンだ…etc。昔は、こういう名前が付けられていなかったと思う。ところで、この寒い冬の日の名称としてのコールドムーンは、まさにピッタリ当て嵌まる。冬の月は、見ても温かさを感じる事が無く、氷の様に冷たい月に感じるからだ。

冬の満月というと、「遠野物語103」に雪女の話が紹介されている。しかし、自分の小さな頃に、雪女という存在は、昔話の中のものであり、身近に感じるものではなかった。原美穂子「遠野の河童たち」の中に、著者の原さんが雪女の事をチラッと記していた。

「私の子供の頃にしても、人家の並んでいる環境にもかかわらず、雪が降れば山から雪女が下りてきて軒の端に佇み、家の中の様子(子供)をうかがうという昔話がほんとうに思えてきて、障子を一寸ほどあけて眺める雪あかりの中には、なんとなく白い白い雪女というものが立っているようで、その影が想像されて心が寒くなったものである。」
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小正月の夜、又は小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でゝ遊ぶとも云ふ。童子をあまた引連れて来ると云へり。

里の子ども冬は近辺の丘に行き、橇遊びをして面白さのあまり夜になることあり。十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるゝは常のことなり。されど雪女を見たりと云ふ者は少なし。


                           「遠野物語103」
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原さんの記した内容には、「遠野物語103」と重なる箇所がある。原さんの話は、大人が子供を諌める為に話した昔話のようであるが、雪女の印象は子供の心奥深くリアルに、その恐怖が刻まれるもののである。「遠野物語103」では雪女が童子をあまた連れて来ると書かれているが、原さんの雪の降る夜は、雪女が町の各家々の子供の様子をうかがいに来るというのは、その子供を連れて行くものとして結び付く。つまり、原さんの話は「遠野物語103」の前ふりだろう思える。ただ「遠野物語103」の話そのものが、現代において聞いた事のない話であり、どこかでぷっつりと途絶えたのか、或は遠野以外で語られたものが、たまたま流れて来ただけの話であっただろうか。ただ、雪女の引き連れる童子には、どこか座敷童子の匂いがする。河童が家に入ると座敷ワラシになるという話は、遠野に伝わる。その河童が山に入ると、山童になるという話が西日本に伝わる。また雪女の子供を雪ん子と云うが、別に雪の精でもあり、雪童子とも呼ばれるのは、古来からの少童譚に繋がるもののようであるが、その根底には不遇の子供が浮かび上がりそうだ。幼くして死んだ子供の魂は、様々なものに変化して語られる。そこで今回の雪女の話も、やはり子供を諌める話で、一般的な「悪い子でいると雪女に連れて行かれるぞ。」といった、ナマハゲと同根の話として広がっていたのかもしれない。

ともかく、真冬の月は見た目が氷の様に冷たく感じる。しかし、その月の白さは際立ち、まるで雪女の肌の様に白く思えるのはもしかして、真冬の月の冷たい美しさを見て、雪女そのものの創造がなされたのかもしれない、と思ってしまうのだ。

by dostoev | 2019-12-13 20:02 | 民俗学雑記

遠野の殺生石について

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「遠野町古蹟残映」に、遠野の殺生石の話が記されている。

「往時早瀬川の分流は、鶯崎より懸上稲荷の麓を過ぎて、来内川に合流せることあり。此の頃、其の川筋に外川の土名ありき、原と一大平石横はり殺生石と名づく。里俗或は神狐の野狐を罰殺せし怪談を伝ふるも由来詳ならす。明治初年水田開拓の際之を撤去して今は亡し。」
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この殺生石のあったであろう場所は、欠上稲荷の側であるので、欠上稲荷と、何等かの関係があるとは思う。その欠上稲荷は遠野の東の外れにあり、倉稲魂命を祀る。文禄年間に葛西氏の遺臣欠下左座衛門が当地に赴き、阿曽沼氏に仕え請いて、旧領石巻日和山に鎮座するものを勧請したものであると。

殺生石が有名になったのは15世紀前半に成立した「神明鏡」「玉藻前物語」、もしくは能の「殺生石」によるものだろう。ただし、遠野に玉藻前は来ていないし、殺生石が飛んで来たという伝承も無い。ただ唐突に、欠上稲荷の近くの外川という地に、殺生石があるという伝承だけが残っている。これは、どういう流れによるものであろうか。ただ上で紹介した話に記されたこの箇所「里俗或は神狐の野狐を罰殺せし怪談を伝ふるも由来詳ならす。」を読むと、中村禎里「動物妖怪譚」の記述が思い出される。

中村禎里は、玉藻前の話を、狐が関東武士の狩によって殺された事から、創られた話ではないかと展開している。玉藻前の舞台は西の都での出来事であるが、それが何故に、玉藻前の魂が凝り固まって出来た殺生石が栃木県にあるのか。京都には伏見稲荷はあるものの、何故か稲荷神社は東日本に比べて普及していない。全国に数多くある稲荷神社がある地域は、関東以北に集中している。つまり関東以北では、稲荷というよりも狐に対する信仰が強かった為、その稲荷のシンボルである狐を容易に受け入れる土壌があったようだ。殺生石伝説誕生の頃、この石の側を通る人々に危害を加えるという言い伝えがあったそうだ。つまり、玉藻前というより神狐による祟りが強調されたものだったよう。恐らくその伝承に、玉藻前が重ねられたのだろう。日本各地の古い風土記に、似た様な話がある。堺の明神であり女神が、その峠を通る人々に危害を加える話である。その系譜を殺生石が、受け継いでいる話であると思う。これらから遠野の殺生石は玉藻前でなく、あくまで狐の祟りからのものであると思うのだ。
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畑中章宏「災害と妖怪」を読むと安政年間に起こった狐狼狸(コロリ)病・虎狼痢病、所謂コレラの大流行の事が書かれている。そのコレラに関する一文を下記に紹介しよう。

「コレラは感染すると病勢が早く、死を免れないことから「即死病」とも呼ばれた。さらに感染者は、激痛や大量の吐瀉に襲われ、こぶができ、全身がしびれる。しかも黒くしわしわになって息絶えるという、死相の異様さも恐るべきものであった。庶民にとってコレラの流行は、これまでにない魔物の仕業と思わざるをえなかったのである。」

コレラの歴史を調べると、世界的大流行した文政五年(1822年)九州から入り込み、東海道を経たが箱根で留まり、江戸には到達しなかったそうである。そして2度目の世界的大流行は、日本に及ばなかったが、安政五年(1858年)の3度目の世界的大流行には江戸まで及び、3年に渡って続き、多くの死者を出したそうだ。江戸の人々は、このコレラを異人がもたらした悪病と信じたものとは別に、悪狐がもたらしたとも信じられたようだ。その狐とは、人の体に侵入し憑き狂わせる管狐の仕業だと信じられ、それが流布したようである。それで思い出すのは、殺生石に纏わる伝承。その殺生石の伝承の中に登場する玄翁和尚のエピソードが思い出されるのだ。玄翁和尚は、殺生石を調伏しようとした"かさご和尚"に対し、既に退治したと偽り、自ら殺生石を調伏しようとしたが失敗し、殺生石が大きく割れて、その中から無数の管狐の霊が噴出してしまい、日本全土に広がって、人々に憑依するようになってしまったという話は、かなり印象に残る。恐らく安政五年に広がった、狐狼狸病は管狐によるものというデマは、この殺生石の伝承が、この時代まで生々しく息づいている証では無かっただろうか。
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平安時代に、常陸国や上野国などの今でいう関東周辺諸国から、現在の岩手県の辺りに四千人程が移住してきた記録がある。さらに、源頼朝による奥州征伐の後、帰らないで、そのまま居残った人々もまた多くいたという。それから関東と東北の人と文化の交流があったのだと思える。例えば、岩手県の久慈市の久慈という地名の発祥が、未だにわからないとされているが、常陸国の久慈郡の人達が移り住んで久慈となったと考えても不思議ではない。また遠野に伝わる清瀧姫の伝説も、群馬県桐生市に伝わる白滝姫伝説とそっくりなのも、恐らく上野国から移り住んだ人が伝えたものと考えればしっくりくる。遠野の清瀧姫伝説に登場する山田という地名は、上野国の山田郡、もしくは常陸国の山田郡の可能性が高いからだ。岩手県から東京まで、歩いて10日から12日程度で行けるようだ。つまり、1ヶ月あれば東京と岩手を行き来できるという事は、情報の伝達も思ったより早く関東の情報が伝わるという事。栃木県の殺生石伝説が、いつの間にか遠野に辿りついて根付いても、有り得る話である。

ともかく管狐がもたらす悪病とは、民衆にとって未知の疫病、伝染病という事になろう。遠野の江戸時代までの歴史の中で、コレラが流行ったという記録を見つける事が出来なかった。例えば遠野には、天然痘である疱瘡神を祀る社などがある。また疫病の流行には、牛頭天王を祀ったりもしたようだ。また多かった瘧病とは、蚊の媒介によるマラリアの事であり、それを治す石の信仰などはある。コレラの流行った文政五年の後の文久二年(1862年)、遠野で麻疹が大流行し、多くの死者が出た記録がある。ただ、それ以前に麻疹の記録は無い。考えられるのは、麻疹もコレラもまとめて流行病というくくりであったのだろうか。ただし民間療法で簡単に撃退できる病でも無い事から、遠野において、コレラは到達しなかったと考えて良いのだろう。ただ麻疹の記録が、江戸で大流行した安政五年のコレラの四年後と考えれば、もしかして殺生石の伝説と重なるのではなかろうか。

正体不明の悪病を管狐がもたらしたと伝わった安政五年から四年後、遠野に大流行した麻疹がやはり、管狐がもたらしたものだと考えれば納得する。妖怪や物の怪の発生は、事件や事象があり、後から物の怪の仕業にされるというのが大抵である。何故、殺生石が欠上稲荷の側にあったのかと考えた場合、狐を祀る神社は、その狐の霊を鎮める、もしくは調伏するのに長けていると考えるのが普通であろう。時代的には日蓮宗が、狐憑きなどのお祓いをしていたようだが、それでは遠野で一番古く霊験あらたかとされていた稲荷神社の立つ瀬がない。あくまで想像の域になるが、文久二年(1862年)麻疹という未知の疫病をもたらした悪狐を調伏する為に殺生石伝説を利用したと考えるのが妥当ではなかろうか。そうでなければ、遠野に殺生石がある筈が無いからだ。

by dostoev | 2019-12-09 21:56 | 民俗学雑記