遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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「冥界との縁結び(其の十一)結」

「冥界との縁結び(其の十一)結」_f0075075_13040563.jpg
倉掘神社の"御利益"が縁結びであったのだが、文久年間(1861年~1864年)に普代村から縁結びで有名な卯子酉神社が勧請された。縁結びの御利益のある倉掘神社に、やはり縁結びで有名な鵜鳥神社が勧請され、それから神社名を卯子酉神社に変更したようだ。神社名を「鵜鳥神社」ではなく「卯子酉神社」にしたのは、それなりの拘りがあった為だろうと察する。ただし、この鵜鳥神社が勧請された文久年間は、1861年に大洪水が起き、それから大凶作と麻疹が流行り、遠野では多くの死者が出た、大変な時代であった。そんな時代に何故、普代村から縁結びの神を勧請し、神社名をも変えてしまったのか。恐らくだが、天保六年(1835年)に完成した堤防も決壊したと考えられる。遠野の歴史を顧みても、基本的には治水の歴史である。水を支配し、それをどう有効利用するか。その為には決壊した堤防を再び造らねばならなかっただろう。そんな時に、縁結びの神を勧請するというのは、考えられない。鵜鳥神社は、海上安全の神でもあるから水難除けにもなるのだろうが、海上から河川へというのも猿ヶ石川の治水を考えた場合、違和感を覚える。

ただ気になるのは「鵜鳥神社御縁起」の内容だ。源義経一行が、その地に辿り着いた時"朝夕紫雲のかかる西北の山を尋ねた"とある。その尋ねた山がそれと似た様な伝承が、やはり源義経一行が治承4年、武運を祈る為、村崎大明神を訪れたのだが、その時に源義経は藤花の紫色に染まった紫雲山にちなんで、社名を紫神社と改めたとの伝承を彷彿させる。この紫神社に祀られる神の本来は、松島大明神といい、安倍氏の祀っていた神でもあった。奥州藤原氏の祖である安倍氏の流れを汲むものであるから、源義経もまた紫神社へと参詣したと思うのだが、その系譜が鵜鳥神社へと受け継がれている気がする。その鵜鳥神社の本尊は、右手に白旗を持ち、左手に宝珠を持つ女神立木像であるという。「狐と瀬織津比咩」で書いたが、宝珠の系譜は塩盈珠・塩乾珠から来ており、鵜鳥神社の祭神に鵜萱葺不合命と玉依姫がいるように、海神祭祀が入り込んでいる。そして紫神社の松島大明神も、九州の安倍氏伝承の流れから與止日女と結び付く事からも、恐らくは「肥前風土記」に関係する與止日女神社の流れを汲んでいるのではなかろうか。

例えば「遠野物語拾遺33」も「肥前風土記」の流れを汲むものである。源義経の辿り着いた紫神社の創建は、大同元年であるようだが、東北の神社の歴史は大同年間から始まる。これは坂上田村麻呂が蝦夷国を平定して後、中央の文化が流れ込んで来た事から、神社の祭祀が始まった為でもある。その流れを察すれば、紫神社も鵜鳥神社も「肥前風土記」から発祥した與止日女神社の影響からの創建だろう。ただ、その與止日女だが、岩手県に多くの菊池氏が存在する事に関係するかどうかはわからぬが、九州菊池氏の主流である日下部氏が奉祭する母神に、蒲池比咩がいる。蒲池比咩(かまちひめ)は肥前国一宮である川上神社に祀られる與止日女(よどひめ)と習合していた。そして筑前糸島の桜井神社(與止日女宮)」で川上の與止日女は、瀬織津比咩と同神とされている。つまり與止日女とは、早池峯大神と同神であるという事になる。また、鵜鳥神社の御本尊が白旗を持つのだが、白旗は源氏を示すものであり、その根源は石清水八幡宮である。その石清水八幡宮は、その鎮座していた地名"白幡森"から白幡八幡宮と呼ばれていた。その白幡八幡宮の祭神は「淀姫神」となっている事からも、鵜鳥神社は與止日女と繋がるのだと考える。紫神社と鵜鳥神社の両神社に、源義経伝説が重なるのは偶然では無いだろう。その源義経伝説の背後には、奥州藤原氏の祖である安倍氏の信仰の導きが重なって来る。
「冥界との縁結び(其の十一)結」_f0075075_13035182.jpg
宮城県の紫神社と、普代村の鵜鳥神社。そして奇妙な事に、この卯子酉神社のある愛宕山や、目の前の猿ヶ石川にも源義経伝説が付随している。恐らく、同じ修験の流れで、遠く離れた宮城県と、岩手県沿岸の普代村、そして遠野が繋がっているのだと思う。更に言えば、同じ神の繋がりがあるのだと思えるのだ。しかし、その繋がりとは別に、縁結びの神が重なる様に勧請されたのかは、一つの呪術を完成させる為だと考える。その呪術とは、陰陽五行の循環である。

片葉の葦に、願いを書いた紙を結ぶ事で縁が結ばれた、というのが倉掘神社時代当初の縁結びの呪いであったようだ。いつからなのか、赤い布切れを使用するようになった。赤は、血の色、炎の色でもある。陰陽五行とすれば火気を意味し、方角は南であり、季節は夏。また古代から丹の色として、広く伝わっていた。また陰陽五行発祥の中国では、赤色はめでたい色として現代でも広く親しまれている。しかし、陰陽五行が伝わった日本では、赤色は必ずしもめでたい色だけではない。これは日本独自の解釈で起こったと云われるが、赤い色は「新生」を意味する。この新生の意味には、死んで生れ変る事も含む為、死の匂いが立ち籠るのであった。例えば、赤い鳥や赤い色は、死に関わりを持つと知られるのは、やはり血をイメージする為だろうか。例えば、名前を赤い文字で書いてはならないなどがある。また柳田國男「野鳥雑記」には、赤色を有する鳥が不吉を連想させる様々な事が書かれている。その吉凶を意味する赤い布切れを結ぶ事で、縁が結ばれるとされるのが、現在の卯子酉神社の呪術となっている。「結ぶ」は、息子や娘、または苔生すと同じ意味を持ち、万物を生み出す、もしくは成長させる意がある。そういう意味から"縁結び"とは、相手との関係を成長させる意味からも、血の契りとしての赤色が使用されるのは理解できる。

卯・子・酉は陰陽五行で言えば、それぞれ木・水・木である。五行とは、火・水・木・金・土であるから、火と土があれば五行循環がかなう。その火は、恐らく赤い布切れがそうであろう。倉掘神社であり、後に卯子酉神社となったのだが、その縁結びはあくまでも表面的な御利益に過ぎないと考えている。先に述べた様に、鵜鳥神社が勧請され、卯子酉神社になったのは、あくまで大洪水がきっかけであったと考えるからだ。陰陽五行で、水を剋するのは土だ。その土の強化の為に、鵜鳥神社が勧請された筈である。
「冥界との縁結び(其の十一)結」_f0075075_13032005.jpg
倉掘神社を調べていて、「クラ」は柳田國男に言わせると神の降りる場であり、籠る場でもある。掘るは、そのまま穴を掘るであるから「倉掘」は「穴を掘って神を埋める」意では無いかと考えていた。「クラ」をさらに調べると、総体的に「女陰」の意を持っている事が解った。遠野にもいくつかあるが、胎内巡りの岩などは、年に一度その岩穴を潜り、生れ変る、もしくは若返る意図を以て信仰されていた。赤い色に「新生」の意味がある様に「クラ」そのものにも「新生」と同じ意があった。そして「総合日本民俗語彙」「倉掘(クラホリ)」について記されていた。それは「墓掘り」の意であった。恐らくだが、当初の倉掘神社という神社名では「墓掘り」という意がある為に、文久年間に鵜鳥神を勧請し、神社名を「卯子酉神社」と改め、本来の「墓掘り」という意味を隠したと考える。そうでなければ、元々創建された倉掘神社の名を消して、後から勧請された神社名を採用する筈もない。本来は「鵜鳥神社」であるのだが、「卯子酉神社」としたのは、やはり陰陽五行を意識してのものだと思えるのだ。とにかく、倉掘神社が建立された時、水を剋する為、誰かが人柱として犠牲になったという考えは、かなり信憑性が高いのではないか。何故に人柱なのかと考えても、やはり人の死とは、陰陽五行で「土」となるからだ。そして「土剋水」、水を剋するのは土であるからだ。堤防も土で固められた壁の様なもの。それは、水を剋する為だった。更なる強化は、そう"土左衛門"とも云われる人間の死体が必要となる。
「冥界との縁結び(其の十一)結」_f0075075_21353864.jpg
タタラ筋が信仰する金屋子神は、死体を好むと云われる。その理由は、「土生金」つまり土は、金を産み出すからだ。金屋子神の神木であり神体は、桂と云われる。その桂には土が二つある事からも、金を産みたいタタラ筋にとって縁起の良い樹木が桂の木であった。前に紹介した陸前高田の横田町の舞出神社の御神木が、枝垂れ桂であった。舞出神社の祭神は瀬織津比咩であるのだが、盛岡の瀧源寺にも枝垂れ桂が御神木となっており、祭神は同じ瀬織津比咩である。これは恐らく、金屋子神とは逆の意味で、水神である瀬織津比咩の暴走を御する為に、土二つの桂を神木としているのではなかろうか。かつて、宮家の当主から、卯子酉神社内に、桂の木があった筈だと聞いた事がある。桂が土気の強い樹木であるなら、水を剋するには有効な樹木であると考える筈であるから、水害を避ける為には、あったとしてもおかしくはないだろう。また別に、遠野にはいくつか天然記念物となっている桂の木があるが、そこには蛇の伝承が残っている。それもまた、水神である竜蛇神を剋する為の手段として植えられた桂の木ではなかっただろうか。
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卯子酉神社の神社名が、陰陽五行を強く意識した神社であり、尚且つ水害を避ける為の意図があるならば、必要なのは土への帰結である。人柱は最後は死体となり土となるので、水を剋するという意図があった。その陰陽五行を最大に発揮する為に、鵜鳥神の勧請であるならば、やはり土へと導く呪術が施されているのだと考える。卯子酉は、それぞれ木・水・金であった。足りないのは火と土。つまり「火生土」の呪法が、赤い布切れを結ぶものだと思える。その結ぶ相手が、既に土となった存在。それは人柱となった女性の活性化ではなかったか。片葉の葦は、「かたわ者」の意も含む事は、今まで書いてきた。かたわ者には、連れ合いのいない未婚の者をも含む。「倉掘」は「墓穴を掘る」意であるから、倉掘神社の建立時に若い娘が人柱の犠牲になり、その暗号が「倉掘」であったのだろう。生前婚姻の出来なかった者は、あの世で結ばれる為には、誰か相手を探さなくてはならない。それには、人柱となった娘の為に、縁を結んでやる必要がある。だから男だけが縁を結ぶ方法「左手だけで赤い布切れを結ぶ事が出来れば、縁が結ばれる。」という伝承を残した。女性であれば、右手だけとなるのだが、それを省いたというのは意図的なものだろう。卯子酉神社の伝説に「信心の者には、淵の主が姿を現した」と伝わるのは、淵の主とは非業の死をむかえた者であるから、それは人柱になった娘であるのだろう。姿を現したというのは、人柱の娘との相性が合った、もしくは波長が合ったと考えるべきだろうか。「遠野物語」&「遠野物語拾遺」にも、いくつか人柱、もしくは水害の犠牲になった娘が、白い石の上に立っているのを目撃されている話が紹介されているが、それと同じものが、この"淵の主の出現"であろう。現世の縁を願う者が、未だに多く、卯子酉神社を訪れている。その多くは女性であるようだが、あくまでも縁結びの呪法は、男性だけに作用するものである。まさに知らずに現世の縁結びを期待し卯子酉神社に訪れた男性が、人柱となった女性との縁が結ばれるとは、知る由もないだろう。人柱の効果は、雄蝶・雌蝶揃ってこそのもの。独身のまま死んでいったであろう女性が、冥界で結ばれる為に施した、血と滾る炎を意味する赤い布切れによる縁結びの呪術。卯子酉神社の縁結びとは、まさに"冥界との縁結び"であると思うのだ。

「万葉集 巻十七 3941」に、下記の様な歌があった。歌の意味は「鶯が寂しく鳴く崖の底の谷、その深く暗い谷に身を投げこんで焼け死ぬほど苦しくても、あなたをひたすらお待ちしています。」生きている女性の激しい恋心を詠ったものだが、この卯子酉神社に埋められているだろう女性の心情にも感じて、敢えてこの歌を添えようと思う。

鶯の鳴く暗谷にうちはめて焼けば死ぬとも君をし待たむ
「冥界との縁結び(其の十一)結」_f0075075_13245466.jpg
戦後の復興の流れから昭和40年代に、遠野市は「遠野物語」を中心にして観光地化を推進してきた。その中の一つに、この卯子酉神社にスポットを当て、縁結びの御利益を宣伝してきたわけだが、今まで調べてきたように「男は左手だけで赤い布切れを結ぶ事が出来れば縁が結ばれる。」「女は右手だけで赤い布切れを結ぶ事が出来れば縁が結ばれる。」という呪いのうち、"女性の右手だけで…"が抜け落ちて伝わっていた。観光地化されてから現在に至るまで、卯子酉神社に縁を期待して訪れた人の殆どが、女性であったと聞く。つまり現在の卯子酉神社は、女性の報われない想いの溜まり場として存在している事になるのか。今でも境内に、想いを込めて結ばれた沢山の赤い布切が風に揺られ、まるで片葉の葦のようにひらめいている。

by dostoev | 2019-11-25 22:26 | 冥界との縁結び

「冥界との縁結び(其の十)」

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卯子酉神社の前身、倉掘神社時代に、縁結びの祈願が行われていた。その方法は、片葉の葦に願いを書いた紙を結ぶというもの。それが倉掘神社から卯子酉神社になり、赤い布切れに変っている。更に加えれば、後に勧請された卯子酉神社自体が、縁結びの御利益のある神社であった。つまり、元々の倉掘神社の縁結びの祈願を強化したものとも思えてしまう。ただし、卯子酉神社が勧請された年代は、水害から広がる飢饉と疫病から、多くの死者が出ている年代であり、何故縁結びの卯子酉神社を勧請したのかという疑問が湧きあがる。その疑問は恐らく、川の脅威を鎮める為が本来で、縁結びはそれに付随するものであったろう。

とにかく、卯子酉神社の地は、特異な場所である。町外れの辻を有する地であるのは、あの世の入り口と思われていた可能性が高い。そして卯子酉神社の地は、あくまで愛宕山とセットであると考えるべきだろう。遠野の愛宕山に鎮座する愛宕神社の本山は京都の愛宕山であるが、開祖は修験の祖と呼ばれる役小角と、白山の開祖である泰澄である。役小角は別に、賀茂役君とも呼ばれる様に、賀茂氏の出である。賀茂氏といえば上賀茂神社が知られるが、さらに上賀茂神社の北にある貴船神社をも支配していた。賀茂氏がいかにして水を統治したかというと、それは火があってこそであった。その火の象徴は雷であり、上賀茂神社の別名が賀茂別雷神社であるのが、それを表している。役小角と並ぶ愛宕神社の開祖の泰澄は、その後に白山を開山する。白山は、水の信仰の山である。恐らく、火である愛宕神社を創建したのは、賀茂役君の影響を受け、水である白山を統治する為ではなかっただろうか。
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卯子酉神社内に、愛宕社があるのいうのは無視できないものであろう。愛宕山には、倉掘氏が住んでいた。その麓に、卯子酉神社がある。以前に、倉堀の語源を考えた事を書いた。倉(くら)という言葉には、「神が籠る場所」という意味がある。また「暗い」という意味にも通じる場所でもある。また堀は、"掘る"という動詞から始まり、城などの「堀」に繋がる言葉だが、「掘る」とは「地面に穴をあける。」「掘って埋める。」「掘って取り出す。」という意味である。簡単に言葉を組み合わせれば「穴を掘って神を埋める」という意にもなる。そして、これらに付け加えれば、「倉」は「闇」でもあり、貴船神社の「闇龗神」にも通じるだろう。貴船神社の祭神である高龗神と闇龗神は、高いと低い、山と谷に通じるものがある。愛宕山を高みとすれば、卯子酉神社の地は、それに対比される低い地でもある。つまり、卯子酉神社に祀られるとすれば、高龗神に対する闇龗神であろう。その闇龗神の「闇(くら)」が付与され変換されたものが、"「倉(くら)」掘神社"であるのだと考える。そうでなければ、意味深な「クラ」を神社名に採用した意図を見出せない。

賀茂氏が関係する愛宕も貴船も、呪詛の場であった。もちろん御利益も与えるのだが、古来から呪詛の場として有名になったのが、愛宕と貴船であった。その愛宕と貴船の性格を受け継いでいると思われるのが、遠野の愛宕と、その麓の卯子酉神社である。「遠野物語拾遺139」によれば、倉掘氏が愛宕山に住んでいたとされるが、恐らく倉掘と名乗ったのは、倉掘神社を創建させてからだと思う。「遠野物語拾遺139」には、「倉掘家の先祖が住んでいた」と記されている事からも、倉掘以前は、別の姓を名乗っていたのかもしれない。

倉掘神社が貴船神社に対比される神社の様な事を書いたが、貴船神社も縁結び、もしくは縁切りで有名な神社である。卯子酉神社の縁結びは、倉掘神社時代から行われていたのは周知の事実である。しかし、その縁結びが、有り得ないと考えるのである。倉掘神社の創建は、阿曽沼時代と思われる。それは、同族である宮氏が阿曽沼氏との関係を述べている希薄な根拠ではある。「遠野物語拾遺138」によれば、まだ遠野郷は一円に広い湖水で、その頃はこの鶯崎に二戸愛宕山に一戸、その他若干の穴居の人がいだかりあったともいっている。と記されている様に、人が殆ど住んでいない状態であったよう。人の住んでいない地に、何故に"縁結び"を御利益とする神社を創建したのか?という謎が付き纏う。実際、遠野の町が現在地に移された後、縁結びの神として広まったのは、多賀神社であった。恐らく、縁結びではなく、水を鎮める為に建立されたのが、倉掘神社であったろう。その水を鎮める為に、人柱が行われたものと考える。それは「倉掘」の意味が「穴を掘って神を埋める」意と解釈できるからだ。倉掘神社であり、卯子酉神社は淵の傍らにあり、そこには淵の主がいた。広義的に淵の主とは、その地で非業の死を遂げた者である。古代の日本は、御霊信仰が広がっていた。非業の死を遂げた者の祟りを恐れ、神として祀る事だ。以前も紹介したが、小松和彦「異人論」では、その村で殺された異人の祟りを恐れ、神として祀るのだが、それは村人達が殺したと伝えるのではなく、貧しい村を救ってくれたと、事実を歪曲して後世に伝えるものが多いと。しかし殺した事実を完全否定するわけではなく、それを何かに残しておく。それは、歌であったり、わらべ歌であったり、様々であったよう。何故そうしたのかといえば、やはり御霊の祟りを恐れてのものだった。それを倉掘神社に当て嵌めた場合、やはり"倉掘"という神社名こそが、その御霊を恐れ、後世に伝える為の"事実の暗号"であったのだと考えるのだ。
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死人の棺の中には六道銭をいっしょに入れる。これは三途の河の渡銭にする為だといわれる。また生れ変って来る時の用意に、親類縁者の者達も各々棺に銭を入れてやるが、その時には実際よりもなるべく金額を多く言う様にする。たとえば一銭銅貨を入れるとすれば、一千円けるから今度生れ変る時には大金持ちになってがいなどと言う。また米麦豆等の穀物の類も同じ様な意味で入れてやるものである。先年佐々木君の祖母の死んだ時も、よい婆様だった。生れ変る時にはうんと土産を持って来なさいと、家の者や村の人達までが、かなり沢山な金銭や穀類を棺に入れてやったと言うことである。

                          「遠野物語拾遺263」

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遠野には「遠野物語拾遺263」の様な風習が残っている。これは山形県に伝わるムカサリ絵馬にも通じるものであり、その根底には、同じような感情が潜んでいるものと思われる。それは、現世での境遇に足りないものを、あの世で実現して欲しいとの想いであろう。その足りないものとは「遠野物語拾遺263」で書かれている様に、貧乏であったなら大金持ちに成れる様にであり、子供のいない女性であれば、子宝に恵まれる様にであり、未婚の者であるならば、結婚出来る様にである。二日町の駒形神社には、女性との縁が無かった未婚の男が祀られているのは、「遠野物語拾遺263」の風習を個人の世界観で留めずに、更に神に昇華させて、万人に広める為でもある。平安時代に神社は、御利益を与える場として認識され広まった。しかしその背景には、多くの人が訪れる事により、その場を踏み固め鎮める意をもった神社もあった。卯子酉神社の地は、人里から離れ、うら寂しい恐ろしいイメージの地に鎮座していた。そこに人を集める為には、御利益が必要であったろう。それが縁結びの伝説になったものと思える。

愛宕山に住んでいた倉掘氏は、麓を猿ヶ石川の脅威に曝されていたものと推察する。愛宕山から麓に安全に降りる為には、水を制御しなくてはならない。その為に行ったのが、倉掘神社の創建であったと考える。倉掘は、その名の意味するように「神を埋める」意がある。古来、弟橘媛が自ら水神の犠牲になったように、神への犠牲は女であった。天武天皇時代、女は髪を束ねなくても良いとの勅諚が下された。これは、女の髪は霊力の迸るものであり、それを束ねてしまうと、その能力が半減する。その能力とは何かといえば、それは神との交信であった。邪馬台国の卑弥呼がそうであったように、神との交信が出来ると思われていたのは、女性であった。倉掘氏は倉掘神社を創建するにあたった当初、淵の神ではなく、川の神、猿ヶ石川の源流神に誓ったのだと思われる。そして人柱として、未婚の女性をどこからか調達し、卯子酉神社の地に埋めたものと思われる。思い出されるのは、陸前高田、横田村の舞出神社に伝わる言葉だ。

「水神の怒りがあるから堤防が切れるのだ。神の怒りを解く為には、村の少女を生贄に捧げなければならない。」

弟橘媛の時代から、かなりの時代が経っているが、神の怒りを鎮めるにはやはり女性でなければならないものだと伝わっている事を、改めて認識してしまう言葉でもある。しかし、簡単に人柱の犠牲となる女性は、そうそういないものだ。「遠野物語拾遺」にもいくつかの娘を人柱にした話が紹介されているが、それは下女であったり、乞食の娘だったり、一般的に身分の低い娘達であった。男尊女卑という言葉があるように、昔の女性の立場は弱かった。家に娘が生れても喜ばれず、ある一定の年になると、外に出されたり、売り飛ばされた場合もある。明治生まれの自分の婆様も、要らない娘として久慈に生まれ、遠野に売り飛ばされた。宮古市なども栄えていたのだが、売り飛ばされた地から余り近いと、すぐに逃げられてしまう為、なるべく逃げ帰れない、遠い地に売り飛ばすのが相場となっていたようだ。だから家の婆様は、久慈市からかなり遠い地である、遠野市に売り飛ばされたのだった。

ともかく倉掘神社は、そういう未婚の不遇の娘を手に入れたのだと思うのだ。そして人柱にした後、その祟りを恐れ、いや初めからそういう約束があったのかもしれないが、あの世で相手と結ばれるように施した可能性は高い。遠野の卯子酉神社に伝わるのは「左手で赤い布切れを結ぶ事が出来れば、縁が結ばれる」というものである。この左手を使用するものは、男が女性を求める呪術であり、これを意図的に流布したというのは、男女関係無く、大勢の人達がこの地に来てもらい、その地を踏み固めて欲しいと願ってのものだろう。そして左手だが、女性がそれをしても発動しない。女性は、右手によって赤い布切れを結ばなければならないからだ。つまり、男が縁結びの祈願をしにくるのを狙ってのものだろう。特定の相手を願っての祈願もあるだろうが、独身の男性が純粋に「今年中に彼女が出来ますように。」という願いに反応するものと思われる。
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遠野の町の愛宕山の下に、卯子酉様の祠がある。その傍の小池には片葉の蘆を生ずる。昔はここが大きな淵であって、その淵の主に願を掛けると、不思議に男女の縁が結ばれた。また信心の者には、時々淵の主が姿を見せたともいっている。

                        「遠野物語拾遺35」

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先に書いた様に、淵の主とはその地で非業の死を遂げた者の場合が強い。この「遠野物語拾遺35」の話では、「信心の者には、時々淵の主が姿を見せた」と記されている。つまりそれは、淵の主と波長が合った者と思って良いのではないか。男女の相性は様々で、誰でもよいわけではない。その相性を見分ける為に、占いという分野も世間に広まった歴史を考えみても、淵の主が姿を見せる要素が、その信心の者にあったという事だろう。ただ淵の主が姿を見せた後、どうなったのかは伝わっていない。あくまで含みを持たせた表現に留まっているのが気になる。

この地に伝わる片葉の葦の伝説は全国的に、片目・片脚など、体の一部が欠損している"かたわ者"であり、それは恐らく製鉄に携わったものに関係するとの説もあるが、茨城県に伝わるいくつかの伝説を読むと、単に結婚出来ないかたわ者に対する場合も存在する。この卯子酉神社の地に伝わる片葉の葦は、婚姻出来なかったかたわ者の可能性が高いだろう。未婚のまま人柱にされ、現世で出来なかった未練が婚姻であるならば、左手で結ぶ縁結びの呪術は、そのかたわ者があの世で結ばれる為の呪術であるだろう。

今回で"結"の予定であったが、予定より長くなってしまった為、次の卯子酉神社が勧請されてからの縁結びの考察を書き、結とする事としよう。

by dostoev | 2019-11-19 20:28 | 冥界との縁結び