遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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<   2018年 07月 ( 7 )   > この月の画像一覧

高千穂の神と早池峯の神

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ある、お婆ちゃんが亡くなった。そのお婆ちゃんは、昔から伝えられている事を守っていたお婆ちゃんだった。常々言っていたのは「高千穂の神様と、早池峯の神様は同じだよ。」と。昔、遠野人達と高千穂の人達との交流会があったと聞いた。その時、高千穂の方々もまた、高千穂の神様と早池峯の神様は同じだと聞いた事があると述べていたそうである。この話もまた学者には一笑に付されるであろうが、遠く離れた東北の遠野の地と、九州の高千穂の地で語り伝えられていた事を思えば、神話の里としての高千穂と遠野は古代において、何等かの繋がりがあったものと思える。今でこそ、遠野観光のキャッチフレーズに"民話の里"と広く宣伝されるが、もしかして今後"神話の里"としての遠野の立ち位置もありえるか。何故なら「遠野物語」読み調べていくと、文中には示されないが、早池峯の神に繋がる話が実は多い。そういう事からも「遠野物語」は民話では無く、神話に位置する気がする。高千穂の神とは一般的に高千穂皇神となるが、その高千穂皇神が早池峯の神である瀬織津比咩であるという事を今後、その詳細を紹介していかなくてはならないだろう。
by dostoev | 2018-07-22 11:53 | 瀬織津比咩雑記

宵宮の迎え

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7月17日は、早池峯神社の宵宮。夜の11時過ぎまで神楽が行われる。泊り客が、それを見る為に遠野駅を6時に出発するバスに乗って行った。しかし、そのバスの帰りは、神楽の終了するかなり前に出発する為、最後まで神楽を見る事が出来ない。そこで自分は客を迎えに行く為に、仕事を終えた夜の9時過ぎに、早池峯神社へと向かった。ただ迎えに行くだけでなく、参拝し神楽を観るのも目的の一つではある。まずは山門の神像が、お出迎え。
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山門をくぐると、宵宮の賑やかさを感じられた。
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神楽を観る前に、まずは参拝。普段は真っ暗な本殿内部に、明りが灯っている。
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到着した時に行われていた演目は「八岐大蛇」。
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いくつかの神楽が演じられる中、黒門の方へと行って見た。
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神楽を囲む賑わいから、ひっそりとする黒門の空間が対照的だった。
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雨露が、明りによってキラキラ輝いている。
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再び、神楽の方へと足を向けてみた。やはりバスが帰ってから、人が少なくなったのがわかる。
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天女舞
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最後の権現舞の終りに近い頃、一人の女性が立ち上がって踊り始めた。面白いなぁと思い、後に回って動画を撮影してみたが、その女性の踊りのピークは過ぎた後のようだった。この権現舞で、今年の早池峯神社の宵宮で演じらた神楽も、お終い。また来年となる。神楽の世代交代が進み、雰囲気は以前より良くなった気がする。

宿に帰った頃は、既に12時を過ぎていた。さすがにこの時間まで、バスを待機させるわけにはいかないのだろう。最後まで観たい人は、やはり車を準備するべきだろう。

by dostoev | 2018-07-18 18:11 | 御伽屋・幻想ガイド

お伊勢参りの禁忌

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太平の世となった江戸時代、遠野でもそうだったがお伊勢参りが盛んとなった。村々でお伊勢講が組まれ、村を代表してお伊勢参りへ行くのは男でもあった。それには、民間に流布した「三世相大全」にも影響されたようである。 その「三世相大全」には「祖先尊崇の観念から、男たるもの、一生に一度は伊勢参宮をせねばならぬ。」などと記されていたようである。遠野の民百姓だけでなく、当然南部藩の家臣たちもお伊勢参りへと参詣したようだ。

「遠野旧事記」によれば、南部直栄・南部義長の頃までは、家臣がお伊勢参りを願いあげると暇を貰ったそうである。ただその際、お伊勢参りのついでに他所へも足を延ばして巡って来る為、予定の帰国時期をはるかにオーバーして帰ってくる者が多かったようだ。その為か、鷹木道庸という老医師がお伊勢参りの為に、暇を願い出た時に南部義長は「先だって行った者の中に、上方に長く留まって来た者がいたので内々叱っておいた。参宮を口実に、自分の慰みの為に御奉公を疎かにするのは、神明の冥慮にも反する事。今後、伊勢参宮を願い出る者は、非番の日数の中で行うように。もしそれが出来ない様であれば、盛岡・遠野にも神明勧請のお宮があるのだから、そこへお参りしても願いは適うのでる。」と言い放ったようである。

「男たるもの、一生に一度は…。」と嬉しい名目を得た男連中は、お伊勢参りのついでに女遊びをする者達が多かったようである。それを察してなのか、下記の様な御達しが流布したのだった。

「伊勢両宮は恐惶も吾朝の宗廟にして、平人軽々しく参宮すべき宮居にあらず。もし参宮せんと思はば身を清浄にして、道中にて、仮にも穢れたる事を成すべからず。」

お伊勢参りへは全国から参宮客が集まる為に、かなりの賑わいをみせたようである。そしてその殆どが男連中であった為に、それを狙った女達も多かった。喜多村信節による江戸風俗を知る随筆「嬉遊笑覧」には、こう記されている。「ことし文政十三年、おかげで参りはやり、従来にて釣台に人をのせて通りしは、男女交接して離れざる者を担ぎ行くなりと専ら風聞あり。」とある。所謂"膣痙攣"の出来事であるが、これから更に風聞が広がりを見せ、伊勢参りをしている最中に男も、留守を預かる妻も、不義をすると神罰により"身体が離れなくなる"と信じられたようだ。しかしそれでも男達は、宿を共にした傀儡女などの遊び女と夜を共にする。恐らく、傀儡女達は神に仕える事から、男と交わるのを神婚としてきた。男もまた、これは不実ではなく神と一体になる神事であると、屁理屈を正当化して納得していたようである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
附馬牛村から伊勢参宮に立つ者があると、その年は凶作であるといい、
これをはなはだ忌む。大正二年にもそ事があったが、果して凶作であ
ったという。また松崎村から正月の田植踊が出ると、餓死(凶作)が
あるといって嫌う。

                     「遠野物語拾遺148」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「遠野物語拾遺148」はもしかして、附馬牛村の男共が毎年不実を繰り返した為の神罰であったか(笑)



by dostoev | 2018-07-09 18:01 | 民俗学雑記

黒い人影

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以前「ノリコシ」という妖怪に関する記事を書いた事がある。ノリコシは、黒い影の様なものであるとされる。画像は、今から10年以上前に自分が体験した夜中の子供の様な黒い影。山田野理夫「東北怪談の旅」によれば、ノリコシは岩手県和賀地方の妖怪とされ、花巻温泉の旅館に、初めは小さな子供のような影が現れた話が記されている。となれば自分の遭遇したのも、ノリコシの影か?などとも思えるのである。
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話は変わるが、去年の事だった。ある時、飛び込みの客が訪れた。その客といろいろと話していると、実は他の宿から引っ越して来たとの事。その理由は、その宿では頻繁に幽霊の様なものが出るので、気味が悪いからと自分の宿に移って来たとの事である。その客が地元の知人に聞いたところ「あそこは昔、葬場だったから、出てもおかしくはない。」と言われたそうである。自分は、そこが"葬場"であったという事を知らなかった。知人の年配の方に聞いたところ、やはり火葬場であったようだ。「遠野町古蹟残映」のを確認すると「感応院通り」の項に「遠野南部氏中興の祖直栄公火葬の地である。利戡公の時、宝永二年春(1705)三間四面の観音堂を作ったのに始まり、享保年中(1716~1735)に、黄檗宗放光山感応院を建立した。初代廓心(感応庵)、二代仙厳(感応院)、三代石雲と続いた。」と記されている。遠野の町が鍋倉城下に移転したのが17世紀前半であったから、約100年後の18世紀前半にかけて観音堂から始まった感応院であったようだ。現在は、遠野駅前周辺として認知されているが、18世紀初頭は、まだ未開発の地であった。その未開の地に建立されたのが感応院であり、その敷地を今の遠野駅を中心として、かなりの広範囲に渡っていた。

客から、その幽霊らしきの詳細を聞いてみると、なんでも"黒い人影"のようなものが部屋に侵入してくるのだという。同僚二人で泊った時、ある晩酔いつぶれた同僚が気になって同僚の部屋に入ったところ、黒い人影のようなものが、その同僚顔を覗き込むように居たという。聞き逃したが、その影が子供の様であったのかは不明である。ところで今年、自分の宿で遠野高校サッカー部の生徒を下宿生として数名受け入れた。その中の一人の生徒が先月、寝ている時に黒い人影に起こされた体験談を聞いた。本人は、もしかして夢だったかもしれないとは言っているが、黒い人影で思い出したのが冒頭の人影の画像である。自分が見た人影と、去年泊りに来た客の見た人影、さらに下宿の生徒の見た人影が、もしも共通するものであるならば、全ては感応院を通じて繋がる人影であるのだろうか?

遠野駅の脇に、通称"親不孝通り"と呼ばれる飲み屋街がある。その親不孝通りで昭和54年、不審火が相次いだ。これは放火犯の仕業であったが、この界隈では「祟りだ。」という声を、いくつか聞いた事がある。なんでも昔、感応院の墓地であったのだが、その墓地が移転される時に供養をされないまま建物が建てられた為の祟りであるという意識があったようである。今でこそ聞かないが、昭和の時代にはどこか霊に対する不安が感応院の跡地全体に広まっていた様である。そういった空間での黒い人影の話は、どうしても感応院を意識してしまうのは当然であるのだろう。黒い人影が夢なのか幻想なのか、はたまた実在して夜中に浮遊しているものなのかは、わからない。今後に再び目撃例があったとしたら、やはりその土地の何かを意識してしまうのだろう。その何かとは、やはり供養されていない者の魂であろうか…。

by dostoev | 2018-07-06 16:17 | 遠野怪奇場所

遠野不思議 第八百七十八話「イソヒヨドリ」

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たまに家の敷地内で、見た事のない青い鳥をみかけるようになっていた。そんなある日の事だった…。
屋上で、家の猫が何かやらかしたのか…その青い鳥のつがいから攻撃されていた。見ていても、その鳥は家の猫に捕まる様子は見受けられない。そこでカメラを取りに一旦戻った。綺麗な青い鳥は、恐らく雄なのだろう。雌の方を見ると、どうもヒヨドリのようだ。しかし、今まで青い鳥のヒヨドリなど見た事が無かった。後でこの動画を専門の方に観ていただいたところ「この鳴声は、イソヒヨドリの警戒音ですね。」と。イソヒヨドリ…という名前は初耳だった。図鑑を見ると、確かに同じであった。聞くと、「殆どが沿岸地域の岩場や建物に巣をつくるんですが、2011年の津波から巣が流され、内陸に移動した個体が多いようです。」

知らなかった…イソヒヨドリも、震災の被災者(鳥)だったのか。恐らく、この建物のどこかに巣を作り、家の猫がちょっかいを出して襲われたのだろうと思った。

by dostoev | 2018-07-05 18:38 | 遠野の野鳥

夜の参拝

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御年輩の女性に、早池峯神社に連れて行って欲しいと頼まれた。ただ日中は都合が悪いので、夜はどうですか?と尋ねた。夜の神社は怖いので、行った事は無いと答える。確かに丑の刻参りなど、夜の神社への参拝は、何やら恐ろしいイメージとも重なる。しかし「古事記」などを読んでも、神霊を呼び出すなど、神の活動する時間帯は日が没してからだ。つまり夜の参拝とは、神との距離が縮まる時間帯でもある。そうなどして説明し、夜の早池峯神社参拝へと行くことになった。
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山門から本殿へと向かう参道は真っ暗闇。懐中電灯持参でないと、大抵の人は怖がるだろう。灯りを付けても、闇と自分の影が蠢めいて不気味な雰囲気を醸し出す。
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それでも一人では無いし、祀られている神様も分かっている事から、不思議と怖い感じはしないそうである。
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早池峯神社の空気が好きと答える方が、意外に多い。それ故に、夜でも怖くないようだ。自分の影と共に歩く早池峯神社参道は、おつなものであるようだ。

by dostoev | 2018-07-04 05:43 | 御伽屋・幻想ガイド | Comments(0)

遠野高校の河童の手

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淵とは、淀みである。河童淵に浮かぶ落葉を見ていると、流れるわけでなく同じ場所を、繰り返し漂っている。ある意味、渦を巻いているのだが、こうしてじっと見ていると水底にいくつもの二つの目のようなものが輝いているようにも感じて来る。川の流れは見た目よりも早く恐ろしいものだが、淀みにはどこか気持ちを不安にさらる要素が含まれている気がする。その不安要素の一つに、河童がいまでも人間を水底に引きずり込もうとしている意識が働いているのかもしれない。
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淀みといえば、トイレであり厠などの便槽もまた淀みであるか。厠や井戸など、地面に穴が空いているのは霊界と繋がっていると古くから信じられてきた。その厠の便槽は、まさしく淀みの極みでは無いだろうか。昔から、厠から手が出てくる怪談話が数多く伝わるが、その中に厠で用を足している女性の尻を撫でる手というのは、殆どが河童の仕業とされている。多く見受けられる河童譚に、尻を撫でる手を切り取られ、後から人間に化けた河童が手を返して欲しいと詫びて、返して貰ったお礼に秘薬を伝授するという話がある。遠野地方においては、小友町の河童淵で、やはりお詫びに秘薬を伝えた話がある。ところで遠野地方に於いて、厠でありトイレから手が出てくるという話を、あまり聞いた事は無い。知っている限り、それは一ヶ所だけである。
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昭和54年の日中、遠野高校の弓道場看的所と裏表になっているトイレを使用としたKさんが大きな悲鳴をあげた。本人は怯えながら、トイレの便槽から手が出て来たのだと言う。その当時、遠野高校の弓道部のコーチをしていた御年輩の方は「またか…。」と述べた。過去にも、何度かそういう事があったらしい。

古い時代、現在の遠野の街は、人が住める状態ではなかった。安倍氏時代は、今の鍋倉山に馬を飼い、尾瀬の湿原のようであった今の遠野の街は、馬の格好の水飲み場であったという伝承がある。しかしいつしか遠野の街を流れる二股に分かれた早瀬川の片方を塞き止め、土地を乾燥させ、松崎にあった横田城と城下町を移転させたのが、17世紀の後半であった。遠野盆地は全ての山々が水源を有する山で、まさに水満ちる遠野盆地であったようだ。それ故に早瀬川の片方を塞き止めたくらいで、その溢れる水が全て無くなるわけではない。現在の遠野と比較すれば、かなりの水があちこちに溢れかえっていたようである。

南部氏の藩政時代、今の遠野高校の弓道場の辺りは、馬見所であり厩があった。その馬の飼育に適していたように、水も豊富にあったようだ。遠野高校の手前に合同庁舎があるが、そこの境に稲荷社と共に、一つの沢が流れていた。そこでは沢蟹が生息する綺麗な沢であった。今でこそ涸れているが、昔はかなりの水量を誇り、山際を流れ、その南部藩時代の馬見所と厩の辺りに流れていたらしい。いやそれ以外にも細かな沢水が流れ、一つの淵を形成していたのではないかと思える。

実は、さきほどの昭和54年の事件の頃、遠野高校で一人の女子生徒の制服が無くなった。盗難か?と疑われ、生徒の授業時間に手の空いた教員が遠野高校の敷地内をくまなく探した。その時、弓道場の裏山の藪から、大量の酒瓶が見つかった。疑いの目が、当時の弓道部男子に目が向けられたのは、別に弓道部男子のロッカーから灰皿とタバコの吸い殻が見つかったせいでもあった。自分も弓道部であったが、タバコを吸っていたのは別の部員であった。しかし、今だから言えるが、弓道場の裏山に酒瓶を投棄したのは自分の仕業だった。反省の意味も込めて、裏山の酒瓶回収をしたのだったが、その時にその裏山の藪の中に小さな水神の碑があったのを覚えている。今思えば、水神の碑があったという事は、水に関する神が祀られていたか、もしくはそれに関する事象があったという事だろう。これを遠野高校の弓道場のトイレの手と組み合わせて考えてみると、もしかしてその弓道場のトイレは昔、河童淵であったのかもしれない。「遠野物語」には厩に忍び込む河童の話が載っているが、その厩は河童の棲む川側にある為でもあった。もしかして弓道場のトイレは以前、その河童の棲む淵であったのかもしれない。それ以外でも幽霊話があったのは、先に述べた様に厠であり淵は、霊界の入り口であるからなのかもしれない。以前、埼玉県春日部の人から、河童の棲む池が土地開発により埋め立てられ、その池跡に建った家に住む人には様々な異変が起きるとの事を聞いた事がある。その裏付けも、春日部市の複数人から取ってはいる。それと同じ様な事が、遠野高校弓道部裏のトイレでも起きたのであろうか?
今でも遠野高校の弓道場裏手に、そのトイレがあるかどうかはわからない。ただ古い時代の名残のトイレであるから、あったとしても利用されていないのではなかろうか。とにかくここで言える一つの可能性は、遠野高校弓道場裏手は、河童淵であったのではなかろうかという事である。

by dostoev | 2018-07-03 13:25 | 民俗学雑記