遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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天女トイウモノ(其の一)

天女トイウモノ(其の一)_f0075075_23121930.jpg
菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」において菊池照雄氏は、館と沼の御前と天女伝説が何故か結び付いていると問題提起した。「遠野物語拾遺1」「遠野物語拾遺3」「遠野物語拾遺4」にも天女、もしくは天人児の話として紹介されている事から、遠野でも天女伝説は大切なものとして定着したものだろう。その最もたるものは、遠野三山神話になる。早池峯山、六角牛山、石上山の三山に、三女神が向かうのには歩いて行く表現もあるが、飛んで行くという表現もある。日本の古代では、天を山の上とも定めていた。その山の上に飛んで行く遠野三山の女神は、天女でもあった。蓮華を手にした女神は早池峯を手にする事がとされるが、蓮華を象徴するものは吉祥天女である。つまり、早池峯を手にした女神は吉祥天女でもあるという事。これは、北の守護神でもある毘沙門天に対比されるものでもある。その毘沙門天の妻は、吉祥天とされている事からも、早池峯山へと据え置かれた女神は、当時の朝廷の考えに則った女神である。早池峯の女神は瀬織津比咩という神名を持っているが、その古くは熊野から養老年間に蝦夷征伐の為に室根山へと運ばれて来た女神であるが、当時最強の女神という触れ込みであった様。

これは遠野だけでなく日本全国に拡がる天女の話ではあるが、日本に於いては「近江国風土記」「丹後国風土記」の天女伝説が元になるのであるのだろう。しかし、これら「風土記」の羽衣伝説もまた、何かをモチーフにして創作されたものと思わねばなるまい。例えば阿蘇の羽衣伝説を調べると、神武天皇の孫がその地を支配した時、その土地の娘を強奪して奪った、もしくは土地の地母神を奪った行為が、羽衣伝説になったものに思える。司東真雄「東北の古代探訪」によれば、大昔から蝦夷が神としていた山に上毛野国から来た上毛野氏が駒形神を祀った為に、蝦夷の反乱が起きたと記されている。神を祀る地に、別の神を祀るとは、その神や、神を祀る人々に対する冒涜になる。しかし、その土地の地母神を妻にするというのは、ある意味融和策であろうが、人質にとったものでもある事から、その土地の者達は手出しを出来なくなる。

天女の起源はインドに求められる様だが、古代中国での一般的は、天の川と重なる天女伝説となる。天の川といえば、天照大神と素戔男尊の誓約の場面は、天の安川を挟んでのものだった。天の安川とは、天の川であるとされる。更に素戔男尊が手にする十握劒を天照大神が手にして三つに折り、天眞名井の水で濯ぎ噛みに噛んで噴きだした狭霧から誕生したのが宗像三女神であった。「丹後風土記」で眞名井の池で水浴びしていたのが天女であるから、恐らく天眞名井の水の狭霧から誕生した宗像三女神が天女のモデルになったのではなかろうか。「丹後風土記」に登場する豊受大神だが、中世には天照大神よりも神格の高い女神とされた。江戸時代になってお伊勢参りが盛んになるが、それは伊勢神宮での豊受大神を祀る外宮参りであって、天照大神への参詣ではなかった。何故に豊受大神が天照大神を凌ぐ神格に昇格したかといえば、それは中世に創られた中世神話によるものであったよう。山本ひろ子「中世神話」を読む限り、豊受大神の存在そのものが、いろいろと利用されたものの様に感じてしまう。それ故に「丹後国風土記」もまた、豊受大神の神格の上昇に一役買っている気がしてならない。豊受大神は常陸国から丹後国に来たとの伝承もある事から、豊受大神を天女として考えるのは、ここでは差し控えたい。あくまで日本での天女の原型は、天照大神であり、宗像三女神であると思える。
天女トイウモノ(其の一)_f0075075_23125694.jpg
この前「妙見の女神」の記事を書いた時と同じ画像だが、妙見曼荼羅に描かれている七星閣には七人の女神が居り、そのうちの一人だけが下界に降りて来ている。七星閣は北斗七星を表しており、七人の女神は、その一つ一つの星に対応している。下界に降りた星の名は、「覚禅鈔」によれば「北斗七星之中一星下地。是文曲星。」でと記している事から文曲星という北斗七星を構成している一つの星である。文曲星は水精でもあるので、水を自在に操るともされる。それ故に、七星閣から地上に降りたった白いものは、水であり、滝を表しているのだろう。この文曲星の本地は、吉祥天であり十一面観音とされている。そして北を司る水精であり、泰山府君を配すとされている。この地上に降りる星として浮かび上がるのが、天台宗の秘法であった尊星王法である。これは聖武天皇時代、東北から金が発見されると託宣した琵琶湖近くの三井寺最高の秘法であると云う。

「近江国風土記」の羽衣伝説もだが、琵琶湖を中心とする豊かな水と、それを望む北斗七星が降りた伝説のある比叡山は、水と星の伝説に溢れる。その比叡山の麓で琵琶湖の辺である、かって天智天皇が都を築いた大津にあるのが、天台寺門宗の総本山が三井寺である。伝説の背後には、よく信仰が入り込む。ましてや聖武天皇は、深く仏教に帰依していたというが、その当時の仏教の主流は天台宗であった事からも、深く妙見信仰に結び付いていた。そして尊星王法も含む修法は、天皇が営ませる事を原則としていた為、妙見の信仰には政治的要素も入り込み、当時の為政者の意図が反映されていたものと思われる。中西用康「妙見信仰の史的考察」によれば、元明天皇・聖武天皇・孝謙天皇の即位の宣明には「近江大津の宮に御宇し天皇の改るまじき常の典と初の賜ひ定め賜へる法」と。つまり近江令の精神に従って政治を行えと云う旨が宣言されている。大津宮を築いたのは天智天皇で、その時に三井寺を創建する予定であったが、壬申の乱などで頓挫した。しかし天武天皇がそれを許可し園城寺の寺号を与えた。その後の天皇にも大津の精神が伝えられ、平安京を築いた桓武天皇は「近江大津の宮において制定された永遠不変の律令に従って万機を総攪する。」と宣言している。更に淳仁天皇の時代の即位の宣明には「北辰妙見菩薩呪」の一文が使用されている事からも、天皇の背後には常に天台宗がいた事が理解できる。

三井寺による尊星王法は、龍に乗った女神の姿で表されている。その竜は、北辰であり、北斗七星の姿であると。それがしばしば"九頭竜となって地上に降臨し"、三井の尊星水を守護したという。この龍に乗った女神は、三井法流では吉祥天女とされている。これはつまり、北斗七星での文曲星という事である。ところで九頭龍だが、九頭一尾の鬼と記された嘉祥二年の開創は、天台宗である比叡山の僧による書「阿娑縛抄」によるものだが、その200年後に戸隠山の僧による「顕光寺流記」によれば、比叡山の学問行者の前に「九頭一尾大龍」が出現していたという事らしい。それを別に「九頭竜権現」とも云う事から仏教と結び付いていたようだ。この九頭竜が何故、北斗七星の変化であるのか伝わっていなかったのは、あくまで当時の秘法であった為だろうか。その九頭龍は、白山にも出現しており泰澄が白山の池に祈ると九頭龍が現れ、真の姿を現わして欲しいと祈ると十一面観音が現れたという。また「彦山流記」でも、阿蘇の池に九頭龍が現れ、そして十一面観音が現れている。九頭竜を祀る戸隠神社は、天照大神の隠れた天岩戸の岩戸を天手力男神の手によって、九頭龍は隠されてしまったが、それは何故なのか。この戸隠神社と同じ事が起きているのが長谷寺である。長谷寺に奥の院と称する瀧蔵神社というものがある。古来より信仰が深い神社で「長谷寺へ参詣しても当社(瀧蔵神社)へ参詣しなければ御利益は半減する。」と云われているのだが、そこにも九頭竜が祀られ、それを閉じ込めるかの様に天手力雄神もまた祀られている。それは天照大神の命を受けて、天手力雄神が来た事になっているが、それは戸隠神社と同じ理由の様であった。ここで解せないのは、何故に北斗七星の化身である九頭竜が封印されたのか。また九頭竜本来の姿である北斗七星の姿を隠し続けなければならなかったのかという事。更に、この尊星王法とは、太白金星をもモデルにしていると云う。金星で思い出すのは、香香背男であり、天津甕星という悪神とされた星神である。この香香背男は隠岐においては、龍神であり水神として信仰されていた。また二荒山を開山した勝道上人は、金星を求めたという。妙見菩薩が両手に日月を手にしているのは、日と月を合せるのは明であり、金星を意味すると。しかしそれならば、何故神話の上で金星を表す香香背男であり天津甕星が悪神とされたのか理解出来ない。恐らく大切な神でありながらも、表に出せなかった理由があるのだろうと察する。

このように天女の話で始まったのだが、恐らく簡単に天女だけの話で済まされなくなってしまったようだ。ともかく日本における原初の天女の形は、天の安川で対峙した天照大神であったろう。今となっては、それが本当の天照大神であったかさえも疑問となる。何故なら、「日本書紀」などの記述から、天照大神が武装して前面に立つ筈もない。ましてや天の川に立つ天照大神は、その性質から有り得ない話となる。次は、その天照大神と天女を絡めての話としよう。

by dostoev | 2018-01-31 23:06 | 「トイウモノ」考

眼が潰れる

眼が潰れる_f0075075_22164468.jpg
遠野市小友町の長野には、菊池の姓を持つ家が30、40件はあると云う。その菊池の大本家に、見ると目が潰れる、もしくは祟られるモノがあると伝わる。眼が潰れる、もしくは見えなくなると伝わるものに「遠野物語拾遺141」で紹介される宮家の開けぬ箱というものがある。

宮家には開けぬ箱というものがあった。開けると眼が潰れるという先祖以来の厳しい戒めがあったが、今の代の主人はおれは眼がつぶれてもよいからと言って、三重になっている箱を段々に開いて見た。そうすると中にはただ市松紋様のようなかたのある布片が、一枚入っていただけであったそうな。

                       「遠野物語拾遺141」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
また他に別に汀家に伝わる「開けぬ箱」というのがある。これは、中に阿曽沼家の家紋を纏う者が、南部家の家紋を斬るという絵柄が入った紙が一枚入っていただけであったという。当然それが南部時代に開けられ広まれば、御家取り潰しとなったのだろう。その為の禁忌として「眼が潰れる」などと伝えたのかもしれない。恐らく宮家もまた、阿曽沼氏に仕える身であった事から、汀家と同じ様なものではなかっただろうか。そして、この宮家も汀家も、どちらも遠野町に属している。ところが小友町の長野の菊池家に伝わるものは、それらしい雰囲気を醸していない。だいたい箱に入っているモノなのか、どうかさえわかっていない。実際に、この菊池の大本家は昔、それを見た為か、相当に栄えた家であったが、それに祟られ死に絶えてしまったと云う。その菊池の大本家が祀る神社に、堂場沢稲荷がある。現在は、その別家が別当をしているそうである。堂場沢稲荷は、急坂を20分程度登って行く小高い山にある。その社を開けて中を見ると、片目の狐像があるので、ゾッとする。

眼が潰れる_f0075075_22165244.jpg
そして社の外には不思議な岩がある。一つは奇妙な形の石があるが、それは鹿除けの石とされ、別名「シシボ稲荷石」とも云われる。
眼が潰れる_f0075075_22170041.jpg
この岩穴は不思議な岩穴とも呼ばれ、なんでも、そこに物を投げ入れると、戻ってくるとか、穴に向かって呼びかけると返事が返ってくるなどと云われている。これは以前、諏訪での「御室神事」に関係するもので、蛇と繋がりの深いものではないかと考えた。そしてもう一つ加えれば、もしかして竜宮の入り口を意図した岩では無いかという事。山中他界という言葉があるが、竜宮の入り口が山中にある話は、全国にある。

これら奇妙な石も含めて管理している小友町の菊池家は恐らく、採掘・治金に長けた一族であったのだろうか。稲荷信仰もまた鋳也(イナリ)という蹈鞴系に信仰されるものである事から、あるモノを見ると目が潰れるという伝承は、宮家や汀家のものとは違い、一つ目伝承に重なるものではなかろうか。

貞任山には昔一つ眼に一本足の怪物がいた。旗屋の縫という狩人が行って
これを退治した。その頃はこの山の付近が一面の深い林であったが、後に
鉱山が盛んになってその木は大方伐られてしまった。

                        「遠野物語拾遺96」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「遠野物語拾遺96」の舞台になった貞任山へは、堂場沢伝いに歩けば、辿り着く事が出来る。もしかしてだが、「遠野物語拾遺96」に登場する一つ眼一本足の怪物と、この堂場沢金山などを管理した菊池氏とは、「見ると目が潰れる、祟られる。」の伝承も含め、何等かの繋がりがあるのではなかろうか。大本家が"それ"を見た事による祟りによって栄えた家が死に絶えたという事であるが、恐らくこれは金山の衰退によるものだろうと思われる。貞任山の南に男火山と女火山が聳えているが、この三山で野タタラが行われていたとも聞く。古いタタラ勢力と、新しいタタラ勢力の戦いが「遠野物語拾遺96」であった可能性もあるが、いずれにせよ金の埋蔵が枯渇すれば、全ては無くなってしまう。採掘によって繁栄した菊池家の大本家が死に絶えたのは、そういう流れであったのだろう。眼が潰れるとは、金の埋蔵の枯渇を意味したのではなかろうか。

by dostoev | 2018-01-28 11:07 | 民俗学雑記

馬を火に馴らす

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「ルミナリアス」という、炎の中を馬で駆け抜けるスペイン伝統行事がある。これは動物を清めるのが目的だとされる。これと似た様なものに、盛岡では「樺火」と云われる行事があったようだ。伊能嘉矩「盛岡樺火」によれば、旧暦の7月14日、15日に樺の皮を三尺くらいに巻き、高さは一間以上のものを、町の家々の門で燃やし、その中を諸士が馬に乗って駆け通る行事であったと。これはルミナリアスとは少し違い、馬を火に馴れさせる習練としての行事であったそうな。何故に樺の皮なのかは理由がわからぬが、当時「樺火の火は火事と為らず」と伝えられていたよう。また盆の行事でもあった為「魂祭の手向けの火」とも云われたようだ。ただしあくまで馬で駆けたのは武士がいた時代までで、明治以降は普通の送り火だけの盆行事であったよう。盛岡の南部藩でも行った事からも、遠野でも行われていたようだ。ただし遠野では樺の皮ではなく、松や楢などの薪を積んで火を点け、その間をやはり馬で駆ける「盆乗り」と呼ばれるものが行われていたらしい。

ところで何故に樺の皮であったのかは、わからないようだ。ただ伊能嘉矩は「古事記」において天岩戸から天照大神を出す算段で、鹿の骨を天波波迦(樺)で焼いた事から、樺による火は神事の火であるから神聖なものとして考えている。しかしそれでは、樺の皮を燃やしても火事にならないという根拠にはならないのではないか。恐らく、木花咲耶姫の火中出産に関わるのではなかろうか。昨夜は桜の女神とも云われる。その木花咲耶姫は瓊々杵尊と結ばれるのだが、一夜で身籠った為、瓊々杵尊から疑いをかけられる。そこで疑いを晴らす為、産室に火を放ち、火にも燃えず無事に3人の子を出産した事から、その「火中出産」に、南部藩の樺火行事は関係するのではなかろうか。しかし、もしもこの行事が復活するなら、見てみたいものである。

by dostoev | 2018-01-26 20:19 | 民俗学雑記

真冬の野良猫

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朝、裏口に出ると、一匹の野良猫が日向ぼっこをしていた。昨日から真冬日が続くようになった遠野は、かなり寒い。その寒さは、野良猫にも影響を及ぼしているようだ。以前は、旧北京亭跡地に野良猫などが居つくようになっていたのだが、遠野市役所の新庁舎建設で、その一画の建物が全て解体されてからが、野良猫たちの苦難の日が始まったのだろう。侵入出来る建物が無くなれば、野良猫たちはどこで寒さをを過ごすのか。少し前まで見えていた野良猫が見えなくなったのも、恐らく遠野の冬を越せなくなり、死んだものと思われる。しかしそれでも、新たな野良猫は出て来るもので、今朝見た野良猫も、今まで見た事が無かった野良猫だった。とにかく、寒さを凌げる場所を探して、家裏に辿り着いたのだろう。確かに外ではあるが、屋根がある為に雪の影響は少ない。風除けになる場所もある。近付いても、警戒はしつつも、その場所から立ち退きたくない様に見えた。そこで、家の猫があまり食べないキャットフードを与えてみると、むしゃぶりつくように食べ始めた。ここまで食べてくれると、見ている方も気持ち良いものだ。
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実はこの前、家の猫がそそうをしてしまった布団がある。廃棄処分の予定だったので、この家裏に置いていた。もしも中に入って暖を取るならばと、要らないダンボールに、やはり廃棄処分用の布切れを沢山入れて置き、その上から廃棄処分用の布団を被せて置いてみた。少し間を置いて見に行くと、廃棄処分用猫用布団で、ぐっすり寝ていた。
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近付いて見ると、軽く薄目を開けてこちらを見たが、逃げる様子は無い。危害を加える人間では無いと認知したのだろう。近所にも、今は誰も住まなくなった家がある。誰かから、その家に野良猫が入り込んでいるようだと聞いた。そういう家が希少になれば、そこに野良猫が集中するのだろう。そこで力関係が出来上がれば、その人の住まなくなった廃屋にも居られなくなる猫も出て来るのだろうか。この猫も、そういう一匹なのかもしれない。とにかく無事に冬を過ごせれば、また別の安住の場所を見つける事が出来るかもしれない。
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by dostoev | 2018-01-25 12:01 | 民宿御伽屋情報

夜、氷の洞窟へ行ってきた

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夜になってから、毎冬恒例の氷の洞窟へと行って見た。里は雪が降っていなかったが、山の方に行くと、雪が降って来たし、風も強い。
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取り敢えず、観音窟を見てみると、ある程度の氷柱は出来ていた。ピークはまだまだ先だろう。
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氷筍の大きさはそうでもなかったが、例年より数が増えている気がした。
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しかし氷筍とはよく言ったものだ。確かに地面からニョキニョキ生えている、筍ように見える。
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全体的に乾燥しているが、こうして濡れた部分だけが氷になっている。
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帰り道、荒神様へ寄ってみた。取り敢えず、撮影してみたが、車のウィンカーのライトが反映して赤っぽくみえる。
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仕方ないので、人気も交通量も殆ど無いので、ウィンカーを消して撮影。月が、落ちる寸前だった。

by dostoev | 2018-01-24 05:31 | 遠野体験記

閻魔大王と北斗七星

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遠野の九重沢にあった、天台宗寺院であった積善寺の古跡として現存しているのが、会下の十王堂。天台宗と十王堂の組み合わせが、何故かピンときていなかった。積善寺の没落、廃寺となった原因は隠れキリシタンを匿った為だとされている。その為に、もしかして十王堂に隠れキリシタンの足跡が残っているかとも考え、十王堂の十とはもしかして十字架のクロスを意味しているのか?などと憶測を巡らせていた。ところが閻魔大王を調べていると、妙見信仰と結び付いているのがわかった。星の宗教であった天台宗であるから、閻魔大王が妙見との繋がりが深いのならば、会下の十王堂の存在は、当然の事であったのだろう。
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高野山に伝わる、閻魔大王の曼荼羅があった。「北斗法」の中には、こう記されている。「北斗炎魔天。互散念誦加真言。二天同體故也。」これによれば、閻魔大王と北斗七星は同体であるとされている。さらに「炎魔大王即星也。泰山府君同之。」と記されているのは、閻魔大王も泰山府君も星であるのだと。泰山府君は「妙見の女神」でも書いたが、早池峯の信仰に重なるものである。その早池峰に関するような記述が、この「北斗法」に記されていた。
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画像は、早池峯神楽の鳥舞で使用されている鶏冠。天岩戸舞の前で演じられる鳥舞という事から、夜明けを象徴していると思われている。しかし、天照大神そのものが太陽なのかという問題もままある。折口信夫は、伊勢神宮の荒祭宮に祀られる神は、天照大神が巫女として仕えていた本来の神であると説いている。その荒祭宮に祀られる神こそが、早池峯に祀られる神でもあった。となれば、天岩戸そのものを考え直す必要があるのだろう。果たして岩戸に籠っていたのは、太陽神であったのか?二荒山の神は、蛇神であるとされるが、その棲家は中禅寺湖で、その神は滝尾神社に祀られる女神であった。その滝尾神社の女神は、鶏を忌み嫌う神であるとしている。その鶏だが、伊勢神宮では神使になっているのは、夜明けを告げるのが鶏である事から、天照大神を岩戸から出す為に働いた鳥が鶏であるという認識が強い。その鶏は、天台宗や真言宗での扱いが違っていた。

「中尊志神伝。人魂魄也。但頂鶏戴事。僧正本命曜之金曜也。」

中尊が人の魂魄であり、中尊の頭部の鶏冠は僧正の本命曜が金曜星であるとしている。奥州藤原氏の築いた中尊寺の名は、ここからきている。金鶏山に黄金の雌雄の鶏を埋めたという伝説は、この星の信仰に基づくようだ。早池峰神楽における雌雄の鶏舞は、この平泉の信仰にリンクするものではなかろうか。また鶏冠は金曜星であるとするが、その姿は「梵天火羅図」によれば「形如女人。頭戴酉冠。白練衣弾弦」と記されているが、要は西方太白君の事を言っているのだろう。「妙見の女神」にも書いたが、早池峯の女神の性質と重なる文曲星を示すものだろう。弦を弾くとは琵琶を弾くであり、吉祥天と重なる姿である。つまり鶏そのものが、金星を意味するのであろう。二荒山で勝道上人は金星を求めた。天台宗では、日と月を合せたものが明星であり、金星であると。その金星を忌む二荒山の滝尾神社に祀られている神は、宗像三女神の田心姫とされているが、その金星を忌むという事は、本来の祭神では無いという謎解きではなかろうか。

話が飛んでしまったが、星の曼荼羅に閻魔大王が結び付いたのは、やはり人の魂魄は山に昇るという山岳信仰と結び付いたからであろう。古代中国でも、北斗七星は人の生死を司る神とされている事から、閻魔大王に結び付くのは当然の事であったのだろう。遠野の積善寺の入り口に、何故に会下の十王堂があったのかを考えた場合、人の魂魄が集まり、その生死と罪と罰を改める必要があったからだろう。そしてその奥には、太平山に祀られる天照大神と、その向かい側の九重山に祀られる不動明王へと向かう。この形式は、東和町の滝神社に見られるものと同じである。恐らく、九重沢の不動明王は早池峯の女神と重ねられ、そこが人々の魂魄の辿り着く場所ともされたのだと考える。

by dostoev | 2018-01-23 18:45 | 民俗学雑記

ツキが憑く

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応永十八年、遠野南部氏の祖光経、宗家の為秋田出陣の際、宗家守行之を労とし、嘗て守行の父政行が足利氏より授けられし伝蔵の薙刀一振を与へらる。光経乃ち提げて役に赴き、軍中に在りて斎戒の清室を構え、勝を月山に祈願しゝ時には此の薙刀を清室に安置しける。既にして戦勝ちて凱旋し、其の子長安の代永享八年、報賽の為八戸の下城村に月山を勧請するや、其の例祭(六月十五日)の代参には前例に倣ひ、之を携帯するを常とし、寛永年代遠野へ転領せる以後は、早池峯新山の祭礼(六月十八日)に代参の士之を携ふることゝなりしとぞ。薙刀は今尚ほ南部男爵の重什たり。

                 伊能嘉矩「遠野南部家重什の薙刀」
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南部氏は、秋田での戦の勝利を月山に祈願したとあるが、これが南部氏の家紋の由来譚の一つとなっている。ところで何故に月山へと祈願したのか、その理由は記されていない。家紋の由緒譚によれば、神に祈ると月山から双鶴が舞い降りれば戦に勝利するという夢が正夢となったのだが、その神とは月山の神であったのか。その後南部氏は八戸に月山の神を勧請したという事になっている事からも、月山の神を崇めたのだろう。
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「ツイている」というのは「付いている」と記すのだが、つまりその当人に、何かが憑いた事を意味する。それが勝利の女神である場合も含め、通常の力以上を発揮した場合に「ツイている。」を使用する事が多い。「ツク」は「突く」「付く」「憑く」「就く」「着く」などがあるが、月もまた月読尊(つくよみのみこと)という神名がある事から「つく(月)」とも読む。この月の語源も様々あり、太陽に次いでの輝きである事から「次」の義。新月などは、月の輝きが消える事から、輝きが尽きるから「尽き」という意もあるようだ。ただ「ツ」には丸い意が含まれ「キ」には、清らかな意がある事から、優しい光を放つ月は、確かに丸い清らかな光りを放つ存在であると、誰もが認識するのではなかろうか。しかし、月は丸いばかりではなく、満ち欠けがあっての月であるから、「ツ」が「丸い意」というのは、そのまま受け入れる事も出来ない。ただ古来から「ツツ(筒)」は星の意ともされ、星を絵で表す場合は、小さな丸で表す事からも、確かに「ツ」には丸い意が含まれているのだろう。この星の「ツツ(筒)」だが、四角い"紙を丸めて"上から見れば、丸い穴が空いているように見える。これ等などから古代人は夜空の星を、紙に穴が空いている様に感じたようだ。
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槻折山 品太の天皇、此の山にも狩したまひ、槻弓を以ちて、走る猪を射たまふに、即ち、其の弓折れき。故、槻折山といふ。「播磨国風土記」
槻(ツキ)は、ケヤキの古名で、弾力性がある事から昔は、このケヤキの木から弓を作ったようだ。「万葉集」には、いくつか槻と月を重ねて詠んでいる歌がある事から、槻は月の依代の樹木であったようだ。
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津軽の蝦夷に諜げて、許多く猪鹿弓・猪鹿矢を石城に連ね張りて、官兵と射ければ、日本武尊、槻弓・槻矢を執り執らして、七発発ち、八発発ちたまへば、即ち、七発の矢は雷如す鳴り響みて、蝦夷の徒を追ひ退け、八発の矢は八たりの土知朱を射貫きて、立にころしき。其の土知朱を射ける征箭は、悉に芽生ひて槻の木と成りき。其の地を八槻の郷と云ふ。「陸奥国風土記」

月は、満ち欠けによって、その姿が変化する。満ちた満月は、妊娠をイメージさせ兎とも繋がる。しかし、三日月などの細い月は、弓をイメージさせる。今ではグラスファイバー製の弓が増えたが、古くは竹製の弓が一般的だった。しかし、日本武尊の使用した弓と矢は、槻製であったよう。いしつか軽くて扱いやすいからと、竹製の弓に移行したと思うのだが、槻も竹も、どちらも月に縁がある。その月は、武力の象徴にもなる。奇しくもギリシア神話に登場する、月の女神アルテミスもまた、弓と矢を携える武神としても有名である。

「古事記」の序文に文字遣いに関する一文がある。「姓に於きて日下(にちげ)を玖沙訶(くさか)と謂ひ、名に於きて帯の字を多羅斯と謂ふ。」これはどちらも月に関するものである。日下(クサカ)は月坂の意で、月を意味するが、帯(タラシ)は満ち足りた月を意味する。タラシが付く名で有名な人物は、息長帯比売命である神功皇后だろう。そして、その息子である応神天皇は、名前を誉田別と書くのだが「日本書紀(仲哀記)」では、大鞆和気命、又の名を品陀和気命としている。応神天皇は、生れた時から腕にししむらがあり、形は鞆(ホムタ)のようであったとされる。それが名前に反映するのだが、その鞆とは弓を射る時に左手に付けるもので、毬状の形をしている。ホムとは膨らんだ状態を意味し、タは、タリのタ。つまり、月を意味する事から、神功皇后の息子である応神天皇は満月の意でもある。三韓征伐を為した神功皇后は、女帝でありながら武に対する意識が強かった。恐らくこれは、武神を崇めていたものと思える。神功皇后が、仲哀天皇を祟っている神名を呼んだ時に、真っ先に登場した神が"撞賢木厳之御魂天疎向津媛命"であった。天疎向(あまさかるむかう)とは、月が天空を西に去って行く様を表す事からも、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は、月神でもある。その撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は、軍船の舳先に立ち三韓征伐に向っている事から、月神であり軍神でもある。そしてその神が"憑いた"神功皇后もまた、巫女でありながら戦に勝利した。穏やかな月は、時として荒々しい軍神に変るのは、満ち欠けにより形が変わる月の多面性によるものだろう。ともかく神功皇后は、月神である武神が憑いた為に、戦に勝利した。「ツク」とは勝利の女神であり、その原型は月の女神であるのだろう。それ故、それを知っていたからこそ南部氏は、その"ツキ"を信じて、月山の神に戦の勝利を祈願したのだろう。

by dostoev | 2018-01-22 21:52 | 民俗学雑記

幽霊の通り道

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以前「妖怪の通り道」という記事を書いた事がある。その時は、あくまで妖怪としてのものだが、考えてみれば妖怪と幽霊の明確な違いがよくわからない。今回聞いた話も、幽霊話のようだが、妖怪話にも感じる。とにかく、ある人物から幽霊らしき話を聞いた。ある建物に泊るたび、何度も幽霊らしきに遭遇するのだと云う。その話を、歳が一回り上の知人に話したところ、やはりその建物で、全く関係無い5人から幽霊らしきに遭遇した話を聞いたそうである。その5人の、細かな内容はわからない。わたしが聞いた話は、同僚二人で、その建物に泊り、夜は二人で飲みに行ったそうな。同僚は、かなり酒を飲んだので、どうにかその建物の部屋まで運んだそうである。ベットに寝かせ、自分はトイレに行ったそうである。トイレから戻ると、黒い影の様なものが、ベットに寝ている同僚の顔を覗き込むように見ていたそうな。「うわっ…。」と声を発すると、その黒い影の様なものは消えていったという。黒い影で思い出すのが、「遠野物語拾遺163」である。
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先年土淵村の村内に葬式があった夜のことである。権蔵という男が村の者と
四、五人連れで念仏に行く途中、急にあっと言って道から小川を飛び越えた。
どうしたのかと皆が尋ねると、俺は今黒いものに突きのめされた。一体あれ
は誰だと言ったが、他の者の眼には何も見えなかったということである。

                         「遠野物語拾遺163」

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この「遠野物語拾遺163」に登場する黒い影の正体ははっきりしないが、どうも葬式の夜であった事が関係するようである。ただ「遠野物語拾遺163」の黒い影は実体があるらしく、突きのめされたという記述から、触れる事の出来る存在のようである。幽霊は一般的に霊体であるから、触れる事は出来ないとされる。ただ昔観た映画「ヘルハウス」では、念の強さによって生者を妨げる、つまり念動力を使える霊体であった。思えば、幽霊と云うモノは、この世に恨みや未練を残すから幽霊になるのだとも云われ事から、常人よりも念が強い存在であるのかとも思える。例えば「遠野物語拾遺163」の黒い影が、念の力で突きのめしたのであれば、それはそれで在り得そうではある。

ところで、その建物に現れた黒い影であるが、この話を別の人物に話したところ「あそこは昔、葬場だったから…。」という事を話したそうである。葬場は、火葬場か葬儀場かとも思ったが、どうやら古い時代は墓地であったようだ。今の遠野の町は、17世紀に出来た町であった。南の鍋倉山に城が築かれ、西側、北側、東側に寺院があり、町自体が寺院と墓地に囲まれたような町であった。以前にも書いたが、かみさんが子供の頃に住んでいた新町の家では、頻繁に幽霊が出たという事である。近くの和尚さんに聞いたところ、その家は"幽霊の通り道"になっていると言われたそうである。通り道という事は、そこに何等かの始点と終点が存在するという事であろうか。

人が死んで、極楽浄土に行くと思えば、死んだ家で葬儀を済ませ、墓場までが一つの道筋になる。また人は死んだら山へと昇るという山岳信仰に則れば、家から山への方向が、その道筋になろうか。例えば、土淵町には貞任高原の方面に、地獄山と呼ばれる山がある。そこには石が積まれ、賽の河原となっていた。ただしそこは、子供の魂が昇る山とされたようだ。医療が発達していなかった昔は、ちょっとした病気や怪我で、子供はすぐに死んだ。死んだ子供は、供養され墓地に埋葬されるのだが、魂は山へ昇ると信じられていた為、土淵の地獄山には、ランドセルや風車など、子供の遺品が置かれた。つまり死んだ家が始点とすれば、終点は墓地、もしくは山という事になる。また、小友町では人が死ぬとデンデラ野へと運び、狼煙を挙げて寺地山に連絡し、読経するという事だが、この場合は始点がデンデラ野という事になる。

遠野には、いくつかのデンデラ野があるが、それと共にダンノハナがセットである。土淵のダンノハナは共同墓地になっているが、ある意味デンデラ野からダンノハナへの方向が、幽霊の通り道という事だろうか。「遠野物語拾遺162」に薬師神社の帰り、霊体のようなものに遭遇した話があるが、山口部落における薬師神社は、南の外れにある。そしてデンデラ野は西で、ダンノハナは東にあるのだが、薬師神社から家に向かうという事は、北に向かうという事になる。つまり、デンデラ野とダンノハナの道筋に交差する事になろうか。「遠野物語拾遺162」「遠野物語拾遺163」は、とても似通った話である。ある意味、どちらも夜に幽霊の通り道に足を踏み入れ、霊体と遭遇した話にもとる事が出来る。

幽霊の通り道は、信仰の形態によっても変わるのだろう。キリスト教圏では、生死を彷徨うと天国への階段が見えた話を聞くが、日本やインドでは川が見える。魂の行き葉は、その宗教によって変化するのはわかる。しかしあくまでこれは、机上の空論である。では実際に見える霊体を、どう表現して良いのだろうか。近年では、幽霊は電磁波によって発生すると言われる。ノーベル物理学賞を受賞した、ブライアン・ジョセフソンは科学で心霊現象をとらえる研究に没頭したが、結果を得られていない。ブライアン・ジョセフソンの研究の一部を借りて言うならば、心霊現象は音楽みたいなものである。ある音楽は、ある人を魅了するが、ある人は魅了しない。ある音楽は、音源を始点として、その音に魅了された人物の耳から脳を終点として結ばれる。ところが人によっては、その音楽が騒音にかる場合もある。つまり音楽は、天使にも悪魔にも、その姿を変えるものだ。万人を魅了する音楽が無い事と、幽霊を見る事が出来る人と出来ない人が存在する事に、どれだけの差があるのだろうか。

大抵の人は、幽霊を目撃している可能性がある。ただ「今、何か見た様な…。」と、それを追及する事無く終わる為に、いつの間にかおぼろげな過去の出来事になり、いつしか忘れてしまうからだ。遠目に見た場合と、間近に見た場合の印象の違いは歴然だ。幽霊の顔をドアップで見てしまった場合、それは一生のトラウマになるのだろう。しかし、そこまで自己主張する幽霊がいる場合は、その人なりが、余程の恨みを買っている場合だろうか。しかし今回の幽霊の話は、あまりにもリアルではある。とにかく原因が、どうも幽霊の通り道での出来事の様ではある。黒い影の霊体に顔を覗かれていたのは、その人物が自分の通り道を塞ぐように寝ていた為であろうか。普段はおとなしい幽霊でも、その機嫌を損ねると、幽霊そのものも自己主張してくるのかもしれない。

by dostoev | 2018-01-21 18:49 | 民俗学雑記

泥棒への呪詛人形

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凡そ僻陬の村落地方にては、往時官司の巡検も及ばぬ勝なりける頃、若家に盗人などの侵入して、逃げ去りける時、一体の藁人形(長二尺内外)を作り、索にて其両手を背後に縛し、之を呪詛せるまゝ、村外れに立て置く風あり、此呪詛によりて、盗人は必ず捕縛せらるゝか、又歩みに艱む足の疾患に罹るべしと迷信す。維新以前に比すれば、漸次に其の風薄らげりといふも、今尚ほ往々目撃することあり。

                       伊能嘉矩「盗人祭の人形」
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こういう人形があったとは、知らなかった。基本的には、呪いの藁人形だろう。呪いの藁人形は、その呪う相手の髪の毛などを藁人形の内部に仕込んで、殺したい場合は、心臓の辺りに五寸釘を打ち込む。又は、その相手の足や腕などに針などを刺して、相手に苦痛を与える方法などは、漫画や映画などでは見て来た。ただこの人形の場合、髪の毛などを仕込むのではなく、そのまま捕まって欲しいという願望を形に表すというもの。それに伴い病気になる様、呪いを施しているのだが、村外れに置くという事から、やはり異界の者に託す呪詛なのだろう。村外れに石碑が多く立つのは、それが村との境界であるのだが、それは異界との境界でもある。余所者や異人は、村外から訪れ、また去って行く。それを監視する役割として、石碑は存在する。大抵は、厄災が入らぬという防御の為でもあるが、この場合は出てしまった悪者に対する、攻撃としての呪詛という事か。

遠野では平成の世に、鱒沢の山中の杉林に呪いの藁人形が打ち付けられているのが発見された事があるが、それ以外には殆ど効いた事が無い。「遠野物語拾遺71」で紹介されているように、村などで盗みが発覚した場合、三峯様を衣川から借りて来て、泥棒探しをする話がある。ただし三峯様は、村内の人間に限るので、盗人呪詛人形は、あくまで村から逃げた余所者に対して、災いを与える方法なのだろう。

by dostoev | 2018-01-20 20:49 | 民俗学雑記

妙見の女神

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妙見神とは、星の神だろうという認識があった。しかし九州地域においての妙見神は、水神として認識されていた。この認識の違いはどこから来ているのかと、疑問に思っていた。ただ調べていくと、坂上田村麻呂の東征以来、東北の地を布教したのは慈覚大師円仁を中心とする天台宗の僧であった。天台宗は星の宗教とも云われる様に、北極星や北斗七星に重きを置いていた。ある意味、星と共に北という方位をも重視していた。天台宗の秘法に、尊星王法というものがある。画像は、その尊星王法の曼荼羅。この尊星王法は龍の上に立つ菩薩形で、吉祥天如ともされている。また日月が配されているのは、明星を意味しており、そのモデルは太白金星であるというが、これはそもそも本来の妙見神の中の、一つの神を取り上げたもののようである。
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天台宗は北を重視したという事を簡単に書いたが、紀元前の時より、銅鏡により多く刻まれる言葉があった。それは「朱鳥と玄武は陰陽を順う」という言葉であった。朱鳥は南を意味し、玄武は北を意味していた。古代中国の皇帝の玉座は南に置かれ、北と向き合う形になっていた。皇帝は男であり、陽であった。奇門遁甲に長けていたと云われる天武天皇は、元号を朱鳥と定めた。この朱鳥という元号は、自らが古代中国と同じ皇帝の玉座に坐すという意志の表れと共に、北を重視し陰陽を調えようとした政策の一環ではなかったか。その流れが、天武天皇から始まった様にも思えるのだ。ただし妙見への信仰は、それ以前から始まっている。
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妙見宮として一番古いのは、熊本県の八代妙見宮とされる。この八代妙見宮の女神は、画像の様に大亀に乗った形で表されている。ただ妙見宮の古さに関しては、宗像は大島の妙見宮の方が古いともされるが、それを九州の神社庁に聞いてもわからないとする事から、その真意は定かではない。ところで多田和昭「星曼荼羅の研究」を読むと、大亀に乗った女神の形は、北の玄武を意識したもので、かなり道教色が強いものであると云う。「阿娑縛抄」によれば、妙見神の形は「凡此尊形像不同也。」と記されている。それは、鏡によって変化するものであると。

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大亀の上に鏡を立て、その一面に龍に乗る像と蓮華に坐す像になるともされている。今では日本全国の神社の御神体として鏡が、数多く祀られている。しかしそれは、明治時代になって、天照大神=大日如来を中心とした神国を意図した政府の意向があったようだ。大日本とは、大日如来の本国という意味から、その太陽神の依代である鏡が御神体とされたようだ。ところで鏡とは本来、太陽では無く月の依代であったようだ。鏡の原初は、水鏡から始まったものだが、その水と縁の深い月が結び付いた。自分自身と、その自分が投影された分身が鏡の中に存在する。これが恐らく、和魂と荒魂の概念の始まりであろう。ローマ神話においても、優しいダイアナと荒ぶるヘカテという両面の女神がいるのは、月と鏡が結び付いたせいでもある。伊勢神宮における和魂とは天照大神の事であるが、その天照大神荒魂は、早池峯の女神でもある瀬織津比咩となる。

話が飛んでしまったが、蓮華と縁が深い神は吉祥天となる。遠野の三女神のうちの末の娘は、その蓮華を奪って早池峯の女神になったとされる。その蓮華と縁の深い吉祥天の夫は、北を鎮護する毘沙門天であり、坂上田村麻呂の化身ともされている。蝦夷の地へ毘沙門天と吉祥天を配する考えは、宗教的である。その宗教の信仰をもたらし布教したのは天台宗であるから、早池峯の女神の謎は、やはり天台宗の教義から成り立っていると考えるのが普通であろう。その吉祥天に関してだが、その吉祥天を含み、水神であり太白金星の神であり、その本地を十一面観音とする妙見神が存在した。
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画像は、「終南山名曼荼羅」妙見曼荼羅の一つであるが、上に朱塗りの建物内に六人の女神がいる。実はこの建物は、七星閣であり、北斗七星の擬人化であり、七人の女神がいる。しかし何故にこの七星閣には六人の女神だけしかいないのかというと、一人の女神は、下に降りたって人間と接している。この女神が地上に降りたっている表現に描かれている白い雲の様な水の様なものは、定かではないとされている。この「終南山名曼荼羅」で、地上に降りたった女神について「覚禅鈔」によれば「北斗七星之中一星下地。是文曲星。」であるとしている。文曲星は水精でもあるので、水を自在に操るともされる。それ故に、七星閣から地上に降りたった白いものは、水であり、滝を示しているのだろう。この文曲星の本地は、吉祥天であり十一面観音とされている。そして北を司る水精であり、泰山府君を配すとされている。泰山府君とは、中国の五岳の一つであり、太山(泰山)を神格化したものであり、中国では人が死ぬと泰山に帰るとされる事から、泰山の神は生死を司る冥界の神ともされた。遠野でもまた、人が死ぬとその魂は早池峯を昇るとされている。その泰山の信仰が、そのまま早池峯にかかって伝えられたのだろうと思える。
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岩手県の室根山に熊野から瀬織津比咩が運ばれたのが、養老年間となる。その時の瀬織津比咩は、蝦夷を平らげる為の軍神としてのものであったよう。天照大神荒魂は「日本書紀(神功皇后記)」において、仲哀天皇を祟った神として呼ばれた。恐らく神功皇后もまた、この荒魂を信仰していた為に、自らが武装して三韓征伐に出撃したのだと思える。この荒魂は崇神天皇時代から、周辺の平定をする為に彷徨った軍神であり、最後に滝宮に祀られた荒魂であった。もっと古くは、天の安川で素戔男尊と対峙した武装した天照大神が、天照大神荒魂であったのだろう。これについては、別の機会に記す事にする。その軍神であった天照大神荒魂である瀬織津比咩に、後から天台宗が妙見の文曲星を被せて祀ったものだと思えるのだ。何故ならこの文曲星の性質は、今に伝わる早池峯の女神である瀬織津比咩そのものではないか。

by dostoev | 2018-01-19 19:04 | 瀬織津比咩雑記