遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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「天地玄黄(早池峯と岩手山)」

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紀元前の古代中国には、まだ四神の観念が発生する前に「天地玄黄(てんちげんこう)」という観念が広まっていた。四神という四方に拡がる水平軸の考えよりも単純な、天と地という垂直軸により成り立っているという観念。そして天とは玄であり、黒。これは陰陽五行において、北を表す。また地とは、黄で示すのだが、これは地面の更なる下の黄泉をも含むものとなる。つまり古代中国の天とは、北の事であった。厳密にいえば、北に聳える山。そして古代中国における玄武とは、水神を意味すると云う。

この観念を遠野世界に照らし合わせれば、それは早池峯山となろう。遠野で、人は死ぬと魂は早池峯へ昇ると伝えられるのは、遠野で一番天に近い山という事もあるのだが、恐らくこの古代中国の「天地玄黄」の観念が伝わっていたのだと思える。それは何故かといえば、例えば早池峯山頂には、開慶水と呼ばれる聖なる泉がある。その開慶水を、東禅寺の無尽和尚は願い、それが聞き届けられた。これは陰陽五行において、まず陰陽の陰が北に位置して、水を発生させた事に繋がる。この北とは北天であり、北に聳える山。つまり遠野世界においては、早池峯の山頂が北天となる。その頂で発生した水を「天地玄黄」に則り、地へと降ろす観念が、東禅寺の開慶水の伝説として語られたのであろう。水はまず、初めに天で湧き、地へと降りる。そして再び、地面から涌き出て、天へと返っていく。この地から涌き出る水の観念が、黄泉国の言葉となったようだ。そして恐らく、早池峯の麓である大出・小出は、本来水の涌き出る生出(おいで)という地名からの転訛であろうが、その地名の観念は、やはりこの”早池峯からの水が降りてくる地”の意味があったのではなかろうか。

人間の頭(あたま)とは、天の霊(あまのたま)から発生した言葉である。つまり、天から降って来た霊が坐した場所が、人間の頭。枝垂れ桜などの枝垂れ系の樹木が霊界と繋がっているという迷信は、これに関係する。霊は天から降って来て、枝垂れの枝を伝って、地へと深く潜って行く。そして再び、地から湧き出して枝垂れの枝を伝い、天へと戻って行く。また天から降った霊華(蓮華)を末娘が奪い、早池峯へと飛んで行ったとの伝説もまた、北天である早池峯から降った蓮華の花が、末娘を引き連れ再び早池峯へと返るのは、当然の事であった。
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岩手県で、一番高い山は岩手山である。しかし信仰の広さを早池峯と比べてしまうと、どうしても見劣ってしまう。それは何故なのかと考えた場合、それは岩手山が火山であり火を吹く山であるという事になるので゛はないか。何故なら、万物を焼き尽くしてしまう火神が鎮座する山だと認識されるからだろう。陰陽五行の陰陽で、陽より先に陰が水を北天で発生させたという考えは、万物を生み出すという観念が先立つからである。そういう意味から、水神が鎮座する早池峯に対する信仰が、岩手山よりも広がっているのは当然の事であろう。山神を信仰するのは、山の恵みを期待するからである。その山神の殆どは、女神と信じられている。

例えば「播磨国風土記」での美奈志川(水無川)で男神と女神が、水争いをする。男神は、水を北に流そうとするが、女神は南へと流そうとする対立の話がある。また穴師の里でも、女神は北から南へと川を流すのだが、男神がそれを邪魔している。何故に、女神は北から南へと川を流そうとしているのか。「肥前国風土記」では、佐嘉川は北の山より南に流れると紹介し、そこに女神がいるとしている。そう、常に女神のいる山は北に鎮座し、川を南へと流しているようだ。そして同じ「肥前國風土記」での、姫社の郷でも荒ぶる神の紹介の前に、山道川の源は北の山から南に流れていると紹介している。つまり、女神の坐す山は、北から南に川が流れている事を強調しているようにも思える。これは風水的にも、北に祖宗山となる高山が聳える地が理想とされる事とに対応する。岩手県の大迫の早池峯神社が何故、遠野の早池峯神社に向って建てられたのかを考えた場合、それは遠野の早池峯神社経由で拝む事によって”北に聳える早池峯”を意識するからだ。この紀元前の古代中国で発生した陰陽五行という観念は、脈々と伝わり、日本へも渡って来ている。そして先に紹介した「天地玄黄」も、天である北は常に上に位置しているという観念が、現代においても「北上(ほくじょう)」という言葉に生きている。「北上」「南下」とは、常に北が上に位置し、南が下に位置しているという事から語られる言葉である。そこで思うのは日本の古代、朝廷を中心とし北を重視した信仰が定着している中、蝦夷という民族が北を支配していたという事実があった。この北の脅威を取り除く為に、どうしたのか。それが恐らく、養老年間に蝦夷平定の為、熊野から最強の水神を運んできた事に関係するのではなかろうか。

北天に発生する水であり水神であるが、古代の蝦夷国には存在しなかった。そこで当時の朝廷は、その当時の祟り神でもあり、三韓征伐の先鋒にもなった天照大神の荒魂である瀬織津比咩という水神を、北の地に聳える山へと鎮座させた。それはまず室根山であったが、現在の祭神は違う神となっている。また別に、氷上山も早池峯と同じ女神である事がわかっている。氷上神社に祀られる祭神は現在、天照大神が祀られる形にはなっているが、本来は天照大神荒魂であったのだろう。ここで解せないのは、他の山々に祀られた筈の水神の名前が消され、その神名が生きているのが早池峯だけになっているのは、何故か。それは恐らく、岩手山との対比の為ではなかろうか。陰陽五行に則れば、まず陰陽が発生しなくてはならない。神道における祭神の原初は、彦神姫神の二柱の祭祀が普通であったのは、この陰陽の設定と重なる。左は火(日)を表し、右は水を表す。火と水を合せて、新たな命を生み出す原初的な観念からであった。その観念に照らし合わせた場合、岩手三山というものは、有り得ない。岩手三山の伝説は、男神が岩手山で、本妻が姫神山、妾が早池峯。いや、本妻と妾は逆であるなどとの伝説がある。しかし、水と火の二元を考えた場合、それに対応できるのは水神が祀られる早池峯と、火を吹く火山である岩手山だけとなる。

岩手県の神社庁に伝わる早池峯縁起などを読んでみても、また遠野に伝わる伝説を読んでみても、北天の早池峯という存在意義を外して、盛岡側がその大元となるような伝説だけが残っているのは、中世以降に現在の岩手県一帯を支配した盛岡南部が、その伝説の背後に潜んでいるのを感じる。岩手三山伝説そのものは、南部藩となってから作られたものであろう。何故なら、本妻だ妾だと曖昧な伝説が広がってはいるものの、岩手三山の中ではやはり、早池峯の存在感だけが浮き上がっている。早池峯を頂点とした三山伝説が岩手県各地に点在している事からも、早池峯が特別な存在であるのが理解できる。姫神山が早池峯の親神のような伝説(烏帽子姫)などは、あくまでも早池峯の起源を有したいが為に作られたと思えてしまう。ともかく岩手県の三山伝説の原初は、火神である岩手山と水神である早池峯の陰陽の二つの山で信仰され、後から変更されたのではなかろうか。

by dostoev | 2019-07-12 16:33 | 民俗学雑記

怨念鬼(オネキ)

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生者や死者の想いが凝って出て歩く姿が、幻になって人の目に見えるのをこの地方ではオマクといっている。佐々木君の幼少の頃、土淵村の光岸寺という寺が火災に遭った。字山口の慶次郎大工が棟梁となって、その新築工事を進めていた時のことである。

ある日四、五十人の大工達が昼休みをしていると、そこへ十六、七の美しい娘が潜り戸を開けて入って来た。その姿は居合わせた皆の目にはっきりと見えた。この時慶次郎は、今のは俺の隣の家の小松だが、傷寒で苦しんでいて、 ここへ来る筈は無いが、それではとうとう死ぬのかと言った。はたしてこの娘はその翌日に死んだという。その場に居合わせて娘の姿を見た一人、古屋敷徳平という人の話である。


                         「遠野物語拾遺160」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
オマクの語源は定かでは無いが、オマクとは「遠野物語拾遺160」に書かれている様に「生者や死者の想いが凝って出て歩く姿が、幻になって人の目に見えるのをこの地方ではオマクといっている。」と、遠野では認識されているようだ。ただ佐々木喜善によれば、オマクの別名を「オネキ」と云うらしい。そのオネキに漢字をあてると「怨念鬼」という、「怨念(おんねん)の鬼(おに)」という恐ろしい言葉になるようだ。ただ佐々木喜善は、そういう恐ろしいものでは無く人の想いの凝り固まったもので、佐々木喜善本心としては「思念鬼(オネキ)」そして「思膜(オマク)」という漢字をあてたい気持ちであるようだ。

鬼という言葉は、日本人的に言えば角を生やした、地獄の住人で、しばしば人間界に現れて、悪さを成す存在の様に認識されていたようである。ただ中国から伝わった鬼は本来、幽霊のようなもので、怨念鬼という意味を簡潔に表現するなら怪談話に登場する亡霊と同じだろう。本来、祟り神とされ祀られた菅原道真もまた、怨みを募らせたとされる事からも、遠野物語的にはオマクでありオネキとなったのだと思える。霊とは本来見えないとも云われるが、それが凝り固まるから怨霊として発現するとの話を聞いた事がある。オマクの定義が、生者や死者の想いが凝るものならば、それは人への想いを断ち切れなかった姿となろうが、結局悪霊と表裏一体となる事からも、怨念鬼という言葉は、正しくもあるだろう。

「遠野物語小辞典」で「オマク」を紹介しているが、あくまで「遠野物語」に沿った解釈で、「これらの話でわかるように、オマクとは、執着を持った霊の全てをいうのではなく、生死の境にあるような状態の魂が遊離した場合をさすと考えられる。」と。オマクと似たようなものに、青森県の西津軽地方には、オマクと同様の現象をアマビトと云い、能登半島では人が死ぬ寸前に檀那寺へと参る霊的な姿を、死人坊と呼ばれるようだ。アマビトは、人間の頭の本来は「天の霊(アマノタマ)」から来ている事からも、霊的な人、つまり幽霊そのものと捉えて良いのか。ただ沿岸地域であるなら、アマは海を意味するので海人という意か。海は常世と繋がる、死者の漂う地でもある事からも、西津軽のアマビトは沿岸地域独特なイメージがあるように思える。また能登半島の死人坊は、そのまま亡者の列を思わせる。遠野の語源の話に「亡者の列」の話がある。飢饉で亡くなった者達が行列を組んで、遠い野の果てに吸い込まれていく様子から、遠野と名付けられたという話だ。これは「遠野物語拾遺166」に似たような話が紹介されている。能登半島の死人坊が檀那寺へと参るのも、救済を求めての事であろう。ところで葬式では、黒い喪服を着るのは、光を求めて彷徨う霊が、迷わないよう闇と同一の喪服着るのだとされている。もしも白い衣服を着て参列した場合、霊が間違って付いてくるからだと。日が沈んで闇が広がり、神々や霊たちの時間帯となる。昔の葬式は、夜になって行われたというが、現代では殆ど明るい日中に行われる。そこで必要なのは、闇の暗さなのだろう。その暗闇の役割が、喪服であるのだろう。話が逸脱してしまったが、オマクもオネキも要は、幽霊の事であり、それを信じる世界が遠野には定着していたという事である。そして、ある古老に言わせても、遠野のある地域の者達は、今でも幽霊がいると信じ、幽霊を目撃した話が後を絶たないのだと述べていた。これはつまり、吉本隆明の述べる「共同幻想」が現代でも続いているという事か。

by dostoev | 2019-07-02 20:29 | 民俗学雑記

棚と天井の無い生活

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江戸時代、貧しかった遠野であろうが、容赦なく年貢を納めなければならなかった。徳川幕府が財政難であればあるほど、その余波が日本全国の藩に益々大きくなる津波の様に押し寄せていたようである。そんな時代に南部藩は、「棚税」なるものを取り決めたようである。農家が家の中に棚を作れば当然、作物ものせるだろうと。つまり余剰な作物をストックするのであるから、余裕があるとの判断であったようだ。これと似たようなものが、現代でも行われている。車を購入すれば、様々な税金と関わる事になる。最近になって、走れば走るほど、更に税金が加算されるようだ。これでは運送業者は、たまったものではない。またNHKも、似たような事を始めている。受信機能を持つ機器を持っているだけで、受信料を取るというもの。NHKを観なくても、受信料は取るという荒業は昔からだが、更にそれがネットにも波及しつつあるようだ。とにかく難癖をつけて、国民から徹底して受信料を取り続ける形態は、この江戸時代の南部藩にも通じるところがある。
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また、観光で遠野を訪れ、観光施設内にある、曲屋などの古い建物を見学した人は多いと思う。観光客が気付いたかどうかはわからないが、天井の無く、棟木が露出した建物がある。天井が無いのは手抜きではなく、昔を再現してのものであろう。先に棚税を紹介したが、天井も似たような考えからだった。天井があれば、天井裏が出来る。南部藩時代、年貢としての農作物を天井裏に隠していた事例がある事から、農家の家に天井を作る事を禁止した為であった。恐らく、一軒一軒の家を調べに行く時、いちいち天井裏を調べるのは面倒だという考えからの発案であったのだろう。ただしその為に、家の風通しは更に良くなり、真冬はずいぶん寒かったと思える。ともかく、年貢を納める為に、農民は全て”あららさまにしろ”との命令であったのだろう。ただ遠野は実際に、気温は低く、作物の実りが悪い地でもあった為、余剰な農作物が家に残るという事は、余り無かっただろうと思える。せっかく作った棚があっても、のせるものが無い。どうせ棚税がかかるならば、作る必要は無いと考えた人が殆どであっただろう。ただ、天井は欲しかったと思うのだ…。

by dostoev | 2019-06-30 15:53 | 民俗学雑記

座敷ワラシ人形について。

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平成になった頃、まだ座敷ワラシ人形が世間に広まる以前、常連のお客が「座敷ワラシ人形が欲しい。」と言って、正月に泊った事がある。1月3日の事だったろうか、ともかく座敷ワラシ人形を求めて客を連れて早池峯神社へと行ってきた。早池峯神社へと電話で確認したところ、去年の売れ残りが二体残っているのだと。そのどちらかを購入する為に、早池峯神社へと。座敷ワラシ人形が、注目され出したのは、やはりバブル崩壊からであろうか。不景気風が吹きまくる中、藁をもすがる想いで、富をもたらすとも云われる座敷ワラシ人形に飛びつくのは当然の事であったか。

現在、座敷ワラシ人形は、申込みが殺到している為に、まず手に入らない。また、今まで制作していた人形師が、もう人形を作る事が出来なくなったのも重なり、座敷ワラシ人形を求める狂想曲は、いつまで続くのであろうか。

ところで、土曜日に客を連れて早池峯神社へ行き、社務所で御朱印を戴いた時、ふと床の間を見た。そこに座敷ワラシ人形が坐しており、その手前に御神酒が置かれていた。初めに書いた様に平成になった頃、座敷ワラシ人形二体のどちらかを求めて行った時、宮司さんの言葉が思い出された。「毎日、御神酒か御水をあげてください。」と。それを聞き、自分には無理だなと思ってしまった。家には猫がいるが、遊び回って来た猫が帰って来ると「ニャア!(めし!)」と鳴くので、猫に餌をやるのを忘れていても、語りかける猫の要求通りに餌を与える事ができる。しかし、人形は話してくれない。仕事などで忙しい時は、御神酒を捧げるのを忘れてしまいそうだと思った。神社の神職さん達は、言葉を発しない神々に対して、それを毎日の日課としてお勤めしているのは、仕事のせいなのか、神に仕える者が神と一体になっている為なのか。ともかく、自分には出来ない事だと思ってしまった。もしも自分が座敷ワラシ人形を手にしてしたとしても、不作法が続いて座敷ワラシ人形から、魂は逃げ出してしまうだとうと感じてしまう。そうなった後に、悲惨な生活が待っているのなら、初めから座敷ワラシ人形求めない方が良かったと思うのだろう。とにかく自分は、座敷ワラシ人形を手に入れるのが、心のどこかで怖いのだと感じているようだ。

by dostoev | 2019-06-18 19:39 | 民俗学雑記

蛇退治

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大蛇を退治する。古くは「古事記」の素戔男尊の八岐大蛇退治に始まるが、民間では「蛇は陰湿なので祟る。」という意識が流布している。祟る生き物として他に、狐だったり猫も登場するが、どれも陰に属する生き物である。陰陽五行で陰に属するのは、女となる。その女と、蛇であり狐であり猫は、しばしば重ねられ、昔話などにも登場する。異類婚の話の大抵は、男が人間で、女が実は人間では無く、狐だったり、蛇だったりする。そして男は、女の提示した禁忌を破り、女は正体を現す。これは男はいつも約束を破る存在という認識と、女はいつも正体を隠しているという認識から作られた話も多いが、その原型は「古事記」での、伊弉諾と伊弉弥の話に帰結するだろう。ただ蛇の古くは、大物主という男神の正体が蛇であった場合があるが、後世においての蛇はほぼ女性と重ねられて語られる場合が殆どである。また猫もまた化け猫という妖怪が伝えられるが、これもまた男では無く女となる。これらの意識下には男尊女卑が見え隠れはするが、原初が殆ど日本神話へと行き着く事から、人間で非ざる者の存在は、全て神へと繋がるもの、そしてその神と繋がる巫女への意識が強いと考えて良いのではなかろうか。だからしばしば、祟る存在に神に近い巫女である女があてがわれる。
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来内地域の白龍社は、白蛇を殺してという漠然とした話を地域の古老から聞いたのだが、当初はそんなに古い話ではないのか…などと思っていた。蛇を殺した祟りというのは、昭和時代にも聞いた事がある。ある集落の爺様が、畑に現れた蛇を鍬で殺した日から、高熱を出して寝込んだ話がある。また大正時代には、蛇を殺した祟りによって蛇の鱗のようなケロイドに苦しんだ女性の話。その女性を苦しめた蛇が画像の蛇體大明神として、後に神へと昇格している。この祟った蛇を調伏したのは、日蓮宗の僧となるが、近代での日蓮宗は、こういった憑物祓いなどをよくしている。
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遠野で大蛇退治となると、やはり土淵の話となる。画像の大蛇の舌出岩は、ある僧に調伏された大蛇が、舌を出したまま石になってしまったもの。これ以外に、胴体の石と、尾の石がある。この大蛇の頭の石のところに小さな社があるが、棟札から尾の石のところに祀られている神社と繋がっているのがわかる。その神社が、白龍神社である。つまり退治されたのは、白蛇であり白龍であったという事。ただ大蛇の胴体の石の所には、社はなかった。「日本災害史」によれば、暴れる大蛇(龍)を抑えるには、頭と尾の二ヵ所を抑えるとあり、そういう意味から胴体の石は省かれ、大蛇の舌出岩と尾石の二ヵ所で社をもって祀っているのは理解できるのだ。この大蛇の石がある土渕は、明神の働きかけで開発されたと云われているが、その明神とは恐らくこの白龍神社に祀られている白龍であり大蛇であったろう。数年前、この土淵に台風が襲いかかった。その中で被害の酷かった場所に、この大蛇の舌出岩と胴体の岩と尾の岩が重なっていた事からも、大蛇とは小烏瀬川の氾濫の歴史と重なるのは明白であった。元々神とは祟る存在であり、その祟りとは自然災害の事を言った。蛇行する河川は、しばしば大蛇と例えられた。それが暴れると、川の氾濫と重ねられ、人々は神を恐れ、そして祟らぬ様にと崇め祀ってきた歴史は、日本全体に広がる。その大蛇を退治する人物の殆どが、仏教側の僧となるのは、神道における神を仏教の力によって制御したという、仏教の優位性を広める為の伝説であったかもしれない。例えば、上田秋成「青頭巾」では、その仏教内でも曹洞宗が真言宗の上に立つ宗派であるという事を広める様な話でもあった。仏教界も、印象的な縁起を創ったりし信者を増やそうとやっきになっていた。当然そういう中から、その土地の龍蛇などの地主神などを封じる様な話を創り、優位に立とうとしていたようだ。
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改めて、来内地区の白龍神社を見てみると、やはり来内川沿いに建てられているのが理解できる。地図上で見ると、山型の地形のほぼ頂点にくるのが伊豆神社であり、画像では赤丸で示してある山型の二つの底辺に位置するのが、二つの白龍神社である。土淵の大蛇が小烏瀬川と重なる事を思えば、この来内地区の二つの白龍神社と伊豆神社は、来内川を白蛇であり白龍と重ねられて祀られたのではないかという考えが想定される。ここでもう一度、来内地区に伝わる三匹の蛇の伝説をみてみよう。

来内に六陸田という地があり、ここは太古は池であった。この池に、お早、お六、お石という三匹の蛇がいた。この蛇たちは水神でもあったから、遠野三山の水源で神になろうと、この六陸田の地から一直線に天ヶ森へ経て、長峰七日路に水無しという水の無い峰を越え、現在の神遺峠の神分の社に来て泊まった。蛇たちは、天から蓮華の花が降ってきた者が、早池峰の主になる事にしようと話し合って、眠りに就いた。明け方近く、それは姉の胸に降ってきた。ところが、末の妹の蛇は、寝ずに待ちうけていてすぐに起き上がり、それをそっと自分の胸に置いて、寝たふりをした。みんなが目を覚ました時、末の娘の蛇は、約束通り、天の神が私を早池峰の女神に選びましたと言って、早池峰に飛び去った。姉は怒って早池峰と背中合わせの、一番低い石上山の、中の姉は六角牛の女神になった。この為、遠野三山は、女が登れば妬み、男の登るのを喜んだので、女人禁制の山になったという。

来内地区の六陸田という地が太古は池であったという記述は、来内地区の地形によるものだろう。極端に折れ曲がった来内川が氾濫すれば、しばしば来内地区は池になったものと想像できる。そしてこの来内地区に伝わる話は、遠野三山の女神の本来は、蛇であるという事を伝えている。つまり祟るのは神であり、その神は男神という女性である女神という認識が広がって、人間の女性と重ねられたかもしれない。各風土記には、山を流れる水の関する事で男神と女神の争いの話があるが、勝利するのはすべて女神で、その結果として男神は山から追い出される。川の源流は山にある事からも、山を支配するのは女神であり、それが蛇神へと結び付けられる。実際に、早池峯に祀られる神は水神であり女神である事からも、その水と重ねられる蛇であり龍と重なるのは当然の事であった。

先に述べた、一つの白龍神社に伝わる話に、白蛇を殺したから祀った…という漠然とした話の真実は、恐らく蛇を調伏したのは仏教の坊主であり、その蛇は山の水神で女神であった可能性はあるだろう。実際は、護岸工事により川の氾濫を抑え込んだものに、後から仏教の優位性を伝える為に大蛇退治の話を重ねたものが後世になり、その話がおぼろげとなっての「白蛇を殺したので祀った。」という古老の話に結び付いたのかとも思えるのだ。

by dostoev | 2019-05-16 06:46 | 民俗学雑記

南部氏も恐れた早池峯大神の神威

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以前「早池峯山と火葬の話」という早池峯の神が火葬を忌み嫌うという内容の記事を書いたが、これは吉田政吉「新遠野物語」に紹介されていたもので、どちらかというと怪異のフィクションに近いものであった。「遠野旧事記」には、元禄の中頃まで死者が出た場合、十月から二月まで火葬が行われていたという。しかし早池峯山が開いている三月の中旬から、山閉じの九月の中旬までの間、火葬の煙を早池峯の神が忌み嫌う為、参詣人の身が穢れるのを恐れて火葬を禁じていたそうな。

早池峯の神は水神であり穢祓の女神でもある。しかし火葬をした場合に参詣人の身が穢れるというのは、穢祓の神威を停止するだけでなく逆に、その穢れを振り撒くという事だろうか。厄災が振り撒かれるが、蘇民将来の札を貼っている家には厄災が降りかからないという牛頭天王の伝承と繋がる可能性を持つ話ではあると思う。自分は、天安河原で素戔男尊と対峙したのは天照大神の荒魂だと考えている。その天照大神の荒魂とは、早池峯の穢祓の女神でもある。遠野全体に、厄災を振り撒く牛頭天王(素戔男尊)と穢祓の女神である早池峯大神が一緒に祀られている社をいくつか目にしている。延長年中に早池峯山頂の本宮と后宮が修理されたという記録から、それ以前から本宮には恐らく男神が祀られ、后宮には現在の祭神である早池峯の姫神が祀られていたのだろう。その男神が祀られていた事実を考えれば、その男神とは素戔男尊の可能性があるのかもしれない。厄災神と穢祓の女神の夫婦神…いや実際は、男神として天照大神が祀られ、女神として天照大神の荒魂として伊勢神宮の荒祭宮に祀られる早池峯大神である瀬織津比咩であるか。

話が横光に反れてしまったが、火葬を忌み嫌うのは早池峯大神だけではなく、火葬に対する俗信も広まっていたからのようだ。それは「火葬の時の煙の"気"が井戸に入れば、井戸水が穢れる。」というものであった。それ故に人々は火葬があると聞けば、火葬場からいかに離れていようと、井戸に蓋をしたのだという。今の時代よりも、更に水の大切さを切実に感じる時代、水を守る意識の高さからの話である。そして火葬は、通年通して行われなくなったのだと。

しかし南部家では、代々火葬を行ってきたものであったが、遠野を統治してから火葬を止めざる負えなかったというのは、どういう心境であっただろうか。早池峯妙泉寺には、南部氏以前に統治していた阿曽沼氏からの書が伝わっているという。それは、"早池峯への寄進を引き継いでくれ"というものであった。それを引き継ぎ南部直栄は、更に玄米と共に七十石を寄進したそうである。これらから、いかに早池峯大神が、阿曽沼氏からも南部氏からも恐れられていたかわかるというもの。まあこれは、南部氏の本拠である八戸の櫛引八幡に、早池峯大神が大きく関わっていた事に由来するのであろうが、その南部氏が代々伝わる家の火葬習俗を諦めたのは、それだけ早池峯大神の神威であり、その祟りが恐ろしかったのだろうと思えるのだ。

by dostoev | 2019-01-04 20:50 | 民俗学雑記

御白様・神闇様・奥内様

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柳田國男「遠野物語」によって紹介されたオシラサマは本来、小正月の時だけに語られる話であったものが、今では語り部のレパートリーに組み込まれるなどして、あまりにも有名になった。「オシラサマ」という呼称にあてる漢字は、今のところ無い。遠野の民は、文字ではなく話を通じてオシラサマを認識してきたからだ。ただし「オシラサマ」の「シラ」に漢字をあてるとしたならば、やはり「白」なのだろう。別に「お知らせする神」という認識から「知」という漢字も有りだろうが、オシラサマに関する全般を調べると、やはり「白」が適切であると思う。そのオシラサマは養蚕の神としても知られる。養蚕の主役は蚕だが、この蚕の正式名は「天の日の虫」という事で、太陽と関係するようである。事実、ある家の烏帽子を被った男神であろうオシラサマの後には、太陽神と認識されている「天照大神」と記されていたそうである。そして同じオシラサマの女神の方には、何も記されていなかった。これを、どう捉えるかである。
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ところで、このオシラサマとは別にカクラサマという神様がいる。佐々木喜善はカクラサマを評して「この神はオシラ神とは、全く反対の性質を持ち給ふが如し。形態に於いても霊験に於いても二神は遂に全く相違す。」と述べている。オシラサマの「シラ」を「白」とした場合、「白々」の意味には、だんだんと夜が明ける様を表す事から、太陽を内包する言葉でもある。そしてカクラサマの「カクラ」だが、"カクラ神社"なるものが遠野にはいくつも点在して祀られている。その「カクラ」にあてられる漢字は「神倉・神楽・角羅・賀久羅・神座」などである。秋田県に雪で造られる「カマクラ」があるが、このカマクラの語源はどうも「カマ(覆う)クラ(影)」の意でもあるようだ。佐々木喜善が指摘している様に、オシラサマと正反対の性質を持つカクラサマであるなら、オシラサマが太陽をも意味する神であるなら、それと対比される影はまさにカクラサマの性質にも思われる。「クラ」は「影」の意ではあるが別に「闇」という漢字も当てる事が出来る。これは貴船神社の祭神である高龗神・闇龗神で理解できるだろう。貴船神社の闇龗神は、「谷」の意味を有する。その谷である闇龗神に相対するのが、山である高龗神となる。古代、山の頂は天とされた。天に帰る天女の行きつく先は、山の頂でもあった。つまり太陽神である天照大神が坐す高天原は、天空でもあり山の頂でもあった。そして谷は民の暮す平地では無く、さらに窪んだ地である。琵琶湖の桜谷が黄泉国の入り口であったように「谷」にはもっと奥深い意味が隠されている。太陽を意味を内包する「白」がオシラサマに含まれるのだが、それに相対する性質を持つカクラサマは、まさに「白」に相対する「闇」ではなかったか。カクラサマにあてる漢字は様々あるのだが、本来は「神闇様」ではなかろうか。確かにカクラサマは、オシラサマに全く相違する神であるように思われる。

そして、もう一つ気になる事がある。伊能嘉矩「遠野くさぐさ」において、遠野におけるカクラサマの伝承を紹介している。「野外に於ける一種の神にカクラサマと呼ぶあり。木造の半身像にて、多くは荒削りに形つくられ、男女二体より成り。是り太古八百万の神々の中にて剰れる神にまし此神より除外されたまひしなりと。」と伝えられているようだ。それでは「除外された神」とは、どういう神であろうか?思い出すのは、高天原から移封され、最後には根の国・黄泉国の神となる素戔男尊が思い浮かばれる。もしくは、武甕槌と経津主神でも倒せず、代わりに派遣された建葉槌命によって倒された香香背男(天津甕星)もまた除外された神と考えるべきか。さらに「古事記」に記載されない瀬織津比咩のような神もまた、除外された神と考えてよいのかもしれない。カクラ神社は、殆どが村境に建てられている。村境とは道祖神や各々石碑などが建てられる、あの世とこの世の境界ともされる場所である事からも、カクラサマが黄泉国に寄った神である事が何となく理解できる。オシラサマが男女二体による神像であるとされ、実際にオシラサマは男女二体、もしくは馬像なども含めて三体となり祀られている。しかし、それではカクラサマがオシラサマと対になる神であるのには不自然ではないか。そのカクラサマもまた、男女二体として別に祀られているのは、やはり不自然。オシラサマとカクラサマが形態や霊験において全く相違する神であるというのは、火と水、男と女の様に、陰陽五行に則った形である。それ故に、オシラサマの知られている祭祀方法が、カクラサマを排除した祭祀方法となっているのは、どこか解せない。もしかして伊能嘉矩の紹介している様に本来、オシラサマの対であったカクラサマが家神から除外された為に、現在伝わるオシラサマの祭祀方法になったのではとも考えられる。
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そして、気になるのはオクナイサマだ。学者の研究によれば、オシラサマもオクナイサマも同じものとされている。ただオクナイサマの神体が掛軸だったり木彫りの人形だったりと、オシラサマに比べて形態の変化に富んでいる事くらいか。ところで遠野ではオクナイサマは「屋内様」では?と認識されている。これが山形県へ行くと、「御宮内様」であろうとされている。カクラサマの「クラ」が影の意であるのは、古代縄文人の言葉によるものであった。そしてオクナイサマであるが、「ナイ」という言葉は、例えば遠野市では栃内・佐比内・来内など、いくつも「内(ナイ)」の付く地名がある。「ナイ」とはアイヌ語で「谷」を意味するのだとされている。これは、先にカクラサマの「クラ」は闇龗神の「闇」であり「谷」を意味するというものに繋がってくる。伊能嘉矩は、オシラサマと対になるのはカクラサマであり、カクラサマが屋外に祀られる事に対比し、屋内で祀られるオシラサマを「オクナイサマ(屋内様)」と呼んでいるのだろうとしている。ただ「ナイ」というと、古くは「なゐ」という音は、地震を意味していた。しかし正確には「なゐ」は大地を意味し、大地が揺れる地震を「なゐふる」としていたものが、省略され、いつしか「なゐ」だけが地震を意味する語となったようである。その「なゐ」という語は「日本書紀」にも記されている為、「なゐ」=「地震」というのはかなり古い時代まで遡る。つまり「ナイ」が大地を意味する語として呼ばれていた時代は、途方もなく古い時代という事になる。

「ナイ」が「谷」であるなら、それは窪んだ大地と考えて良いのかもしれない。屋内の奥座敷に祀られるオクナイサマは、正確には「奥内様」であろうか。「奥内」が、奥の窪んだ大地、つまり沢の流れる谷であるならば水をも内包する。それに対比するかのように、家屋内で日(火)を扱う場所がある。竈がある台所である。陰陽五行で、日・火は陽であり、男を意図し、水は陰であり女を意図する。家屋の台所にある竈神は火男=ヒョットコとしても有名となり、そのヒョットコに対比されるものにオカメがいる。このオカメが登場するのは近代になり里神楽で登場したのが初めてとされるが、カメの「カ」は甕からきている。もしくは、亀に似ているからともされる。どちらも水に通じる語であるが、本来は蛇神を意味する龗(オカミ)が原型ではなかったろうか。「オカ」そのものは「陸・岡」の意を含み大地にも通じるが、「オカ」の原初は「オ」は「峯」であり「カ」は「棲家」が結合して出来た言葉であるようだ。また、亀といえば四神の北を守護する玄武という亀の神獣がいる。陰陽五行において、北を護るのは亀であり、水を意味している。そして色は黒色であり、「遠野物語拾遺44」「遠野物語拾遺46」に登場する黒蛇大明神が、実は早池峯大神であったのも、陰陽五行において黒蛇が北を意図した蛇神であった事を意味している。古代日本で、峰に棲む神とは蛇神でもあった。どちらにせよ「オカメ」も「オカミ」も蛇神であり水神に通じる語である。つまり家屋には、男神である火神と女神であり蛇神である水神の棲家が意図的に作られていたのではなかろうか。

オシラサマとカクラサマが本来、対となる男女神であったのならば、その本来の形を繋げる役目がオクナイサマではなかったか。オクナイサマはオシラサマであるとはされているが、オクナイサマそのものの語に、オシラサマとカクラサマを繋げる意図をどこかで感じてしまうのだ。「古事記」には、古代の縄文人が使用していた語によって理解出来た文がある事から、「古事記」そのものが大和言葉と縄文語の融合によって記された書であったのだろう。「ナイ」という語もまた縄文語でも捉える事が出来、「オカ」という語を含めて、遠野では全て文字では無く、口承によって伝わって来た事からも、あらゆる語が混雑していたのではなかろうか。オシラサマ・カクラサマ・オクナイサマは、未だに分からない事が多い。あくまで「恐らく、こうであったろう。」という漠然としたものでしか理解できていないのが現状である。新年早々、戯言・妄想の記事ではあったが、今後もこういう戯言・妄想のような記事も書いていきたいと考えている。何故なら、本当の意味を探るには、いろいろな視点もまた必要となる。少々突飛な視点であったも、何かのきっかけになれば良いだろうと考えるからだ。

by dostoev | 2019-01-03 19:24 | 民俗学雑記

子供達の中に…。

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座敷ワラシの説の一つに、生前、他の子供達と遊ぶ事無く死んでしまった子供の霊というのがある。子供の仕事とは、遊びである。同じくらいの子供が集まって遊ぶのが楽しいというのは、今も昔も変らないのだろう。だから子供達の集まっている中に、座敷ワラシと呼ばれるものが寄って来るのは当然の事なのかもしれない。座敷ワラシ譚に、子供達が遊んでいる中に、いつの間にか一人増えている。でも誰が増えたのかわからないというものがある。自分も小さい頃、近所の広場へ行くと、幼稚園から小学校6年生くらいの幅のある年代の子供達が集まって遊んでいた。そして誰彼問わず、その中に自然に入って、遊ぶ事が出来た時代だった。そんな中に、知らない子が1人加わっても、誰も気にしない。昔は子供の遊び仲間に、垣根の無い時代だった。

話は変わるが、自分の宿に子供達の団体が泊った。自分は朝の四時頃に起きて、朝食の準備をしている最中だった。一階のフロアにいると上から「ミシッ、ミシッ…。」と、誰かが歩いている音がする。上は畳敷きの大部屋になっており、子供達が13人雑魚寝している部屋であった。『早いなぁ、もう起きたのか…。』と思ったが、何となく奇妙にも感じた。何故なら子供ってのは大抵、寝てしまえば朝までグッスリ寝るものだと勝手に思っていたせいもある。起床は六時と聞いているので、朝の四時に起きていても時間を持てあますだけだろう。全員起きていれば別だが、一人で起きていても仕方ない筈だ。

朝の七時、朝食の時間となったので子供達が降りて来た。味噌汁を配り終わって、その事を聞いてみた。

「朝の四時頃に、誰か起きていた?」

すると3人程の子供が「は~い。」と手を挙げた。ああ、やはり起きていたのかと思ったら、ある子供がこう言った。

「三時頃から誰かが部屋の中を歩いているので、起こされちゃった。」

三時頃に起きてた子供がいた?そんな夜中に起きて、暗い部屋の中を歩き回る子供がいるのだろうか?

「朝の三時頃に起きていた子は誰?」

と聞くと、反応が無い。子供達は周りをキョロキョロ見渡しているようで、暗に『あいつ誰だよ』と確認している様であった。結局、該当者無し。では、誰だったのか。もしかして、恥ずかしくて名乗り出なかったという事もあろうか。ただこういう場合、遠野であるから座敷ワラシ?となるのだろう。とにかく普通に考えて、朝の三時に起きてうろつく子供というのは、あまり居ないだろう。冒頭にも書いた様に、座敷ワラシというものは子供達の集まっている場所に現れるという。そういう意味からも、遊んで欲しいからと、夜中の三時頃から寝ている子供達に悪戯して歩き回っていた座敷ワラシであったのかもしれない。実は過去に、この大部屋で座敷ワラシらしき話を聞いた事がある。ひとつは、パジャマではなく昔の子供がよく着た寝間着の様なものを来ている小さな子供が、この大部屋から出入りしているのを見たという人の話。もうひとつは、毎月泊ってくれる仕事関係者が、この大部屋で寝た時の事。その客が夜中に目覚めた時に、寝ている大部屋に小さな子供がいたと聞いた。この過去の目撃譚からも、今回の3時頃から歩き回っていた子供とは、もしかして…と思った次第だった。

by dostoev | 2018-08-13 05:28 | 民俗学雑記

お伊勢参りの禁忌

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太平の世となった江戸時代、遠野でもそうだったがお伊勢参りが盛んとなった。村々でお伊勢講が組まれ、村を代表してお伊勢参りへ行くのは男でもあった。それには、民間に流布した「三世相大全」にも影響されたようである。 その「三世相大全」には「祖先尊崇の観念から、男たるもの、一生に一度は伊勢参宮をせねばならぬ。」などと記されていたようである。遠野の民百姓だけでなく、当然南部藩の家臣たちもお伊勢参りへと参詣したようだ。

「遠野旧事記」によれば、南部直栄・南部義長の頃までは、家臣がお伊勢参りを願いあげると暇を貰ったそうである。ただその際、お伊勢参りのついでに他所へも足を延ばして巡って来る為、予定の帰国時期をはるかにオーバーして帰ってくる者が多かったようだ。その為か、鷹木道庸という老医師がお伊勢参りの為に、暇を願い出た時に南部義長は「先だって行った者の中に、上方に長く留まって来た者がいたので内々叱っておいた。参宮を口実に、自分の慰みの為に御奉公を疎かにするのは、神明の冥慮にも反する事。今後、伊勢参宮を願い出る者は、非番の日数の中で行うように。もしそれが出来ない様であれば、盛岡・遠野にも神明勧請のお宮があるのだから、そこへお参りしても願いは適うのでる。」と言い放ったようである。

「男たるもの、一生に一度は…。」と嬉しい名目を得た男連中は、お伊勢参りのついでに女遊びをする者達が多かったようである。それを察してなのか、下記の様な御達しが流布したのだった。

「伊勢両宮は恐惶も吾朝の宗廟にして、平人軽々しく参宮すべき宮居にあらず。もし参宮せんと思はば身を清浄にして、道中にて、仮にも穢れたる事を成すべからず。」

お伊勢参りへは全国から参宮客が集まる為に、かなりの賑わいをみせたようである。そしてその殆どが男連中であった為に、それを狙った女達も多かった。喜多村信節による江戸風俗を知る随筆「嬉遊笑覧」には、こう記されている。「ことし文政十三年、おかげで参りはやり、従来にて釣台に人をのせて通りしは、男女交接して離れざる者を担ぎ行くなりと専ら風聞あり。」とある。所謂"膣痙攣"の出来事であるが、これから更に風聞が広がりを見せ、伊勢参りをしている最中に男も、留守を預かる妻も、不義をすると神罰により"身体が離れなくなる"と信じられたようだ。しかしそれでも男達は、宿を共にした傀儡女などの遊び女と夜を共にする。恐らく、傀儡女達は神に仕える事から、男と交わるのを神婚としてきた。男もまた、これは不実ではなく神と一体になる神事であると、屁理屈を正当化して納得していたようである。
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附馬牛村から伊勢参宮に立つ者があると、その年は凶作であるといい、
これをはなはだ忌む。大正二年にもそ事があったが、果して凶作であ
ったという。また松崎村から正月の田植踊が出ると、餓死(凶作)が
あるといって嫌う。

                     「遠野物語拾遺148」

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この「遠野物語拾遺148」はもしかして、附馬牛村の男共が毎年不実を繰り返した為の神罰であったか(笑)



by dostoev | 2018-07-09 18:01 | 民俗学雑記

又兵衛の矛(其の三)

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画像は里中満智子「ギリシア神話」から三叉槍を持つポセイドン。

又兵衛人形と杖の井の伝承を掛け合わせて浮かび上がるのは、ギリシア神話のポセイドンの三叉の鎗ではないだろうか?ポセイドンは海の神であり、地震の神でもある。E・ナック「古代ギリシア」によれば、三叉の槍により地面を引き裂くと水が噴出する事から、ポセイドンは泉と川の神でもあったという。これと同じものは「又兵衛の矛(其の一)」で紹介したように”杖の井”の伝承であろう。これには何故か弘法大師が数多く登場し、同じように地面に杖を突き刺すと水が涌いたなどの伝承が全国に拡がる。樹木は地下との交流アイテムであるとされるが、日本での地下とは根の国・底の国であり黄泉国を意味するのだが、ポセイドンの形容に「大地を抱く者」「大地を揺する者」があるが、三叉槍によって地面を突き刺し水を湧かせる事から大地の奥底に関係する神として知られ、冥界の神ハデスと同一視されていたようだ。「ギリシア神話」では、天をゼウスが、地下である冥界をハデス。そして海をポセイドンが支配した事にされているが、ポセイドンそのものはゼウスやハデスよりも古くから信仰されていた神であったようだ。これが日本神話になれば、太陽であり天が天照大神となり、月が月読命で海原が素戔男尊という事になっている。しかし、海原を支配している筈の素戔男尊は、根の国をも支配してしまった。思うのだが、太陽の光の届かない夜は、ある意味冥界にも等しいのかもしれない。その月の輝く夜を支配したとされる月読命だが、「古事記」「日本書紀」で大気都比売神と保食神という神のストーリーに素戔男尊と入れ替わり、関わって来る。これはポセイドンとハデスが同一視されていたように月読命と素戔男尊が同一視して良いほどの、怪しい入れ替わりであると思われる。

またポセイドンに対しての生贄として馬を捧げる信仰があったのだが、古代日本においても、丹生川上神社に生きた馬を生贄として捧げた事から、水神に対する信仰がギリシアと日本とで重なってくる。また藤縄謙三「ギリシア神話の世界観(ポセイドン神の成立)」によれば、ポセイドンの名前は「大地」と「夫」の結合語で「地母神の夫」という名前であると云う。杖を大地に突き刺すのが大地との交流であり、聖婚を意味する様である。それはつまり、水源を示すものであり、地母神の場所を示すものと考えて良いのではないか。昔観た映画「人食い残酷大陸」においても、男がペニスを立て、大地に穴を掘って腰を振るのも大地との聖婚であり、豊穣祈願の神事であった。考えてみれば、鮭は女神を慕って溯上するものと考えられている。また「肥前国風土記」「遠野物語拾遺33」の話も女神を慕って鮫や鰐が溯上するのも同じ。水源が女神の位置を示すものであるならば、それに鮭などが群がるのも女神との聖婚を求めてのものかもしれない。
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又兵衛祭の祭壇を見て、やはり重要なのは、又兵衛人形だろう。この祭において又兵衛人形は、そのまま突き刺すのではなく、まず穴を掘ると川側なので水が湧き出す。その水の湧き出した場所に、又兵衛人形を差し込むのだが、本来はそのまま突き刺していたのではなかろうか。不安定な為、確実に又兵衛人形を刺し飾るのは、穴を掘った方が無難だったからではないか。穴を掘って水が湧くというのも川側だからだけでは済まされなく、やはり水源を意図する必要からではなかっただろうか。そして気になるのは、”犯罪者”である又兵衛を槍で突くのが三本の槍によるものであるという事。
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石上山の麓に、沼平という地名があり、そこはかって大きな沼であったという。その沼には大蛇が棲んでおり、いつも暴れるので村人は、恐れていたそうな。その話を聞いた東禅寺の無尽和尚が大蛇退治をし、その大蛇を供養したのだと。大蛇は沼の傍らに埋め、その上に柳の木の枝を逆さにして弔ったという。死人のあった時、その墓場に柳の枝を逆さに立てて拝むと、死人は極楽往生が出来るとという事である。無尽和尚は、大蛇の極楽往生を願ったのだろう。今でも沼平には、逆さに立てた柳の枝に根が生えて育ったと云われる古木が残存している。

                           「上閉伊今昔物語」

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遠野にもいくつかあり、また全国にも弘法大師などが植えた逆さの樹木伝説がある。樹木を逆さに植えるという事は、樹木の根を上にするという事。先に紹介したように、樹木の根は地面の下に拡がるものであるから、樹木とは現世と根の国であり、黄泉国との入り口でもある。その樹木を逆さにすれば、根が広がる形である。又兵衛人形は、樹木を逆さにした形を意味しているのではないか。
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程洞神社に、二又に分かれた杉の木がある。その間に小さな社を置いて祀っている。二又とは女性の股を意味し、その間は子供の生まれる場所で聖なる場所の意味もある。それは、形を変えて信仰されている。例えば四畳半の半畳を真中にしてはいけないという禁忌がある。これは昔、切腹する場が四畳半で半畳を真中にしたからだとされるが、その真意は真中は霊界と繋がると云う迷信からの発生の様だ。これは八畳間の真中でも、同じような禁忌がある。また現代でも未だに行き続ける迷信に、三人で記念写真を撮ると真中の人物は早死にするとか、悪い事が起きると云われる。これもまた二又の真中が何かを発生させる場所であり、それが悪い方向へと考えられた為の様だ。とにかく二股の真中は、何かが発生する聖なる場所であるのだが、これが恐らく樹木を逆さに植えたという伝承に結び付いているものと思える。つまり、樹木を逆さに植えたという伝承も、地面に杖を突き刺して水が涌いたという伝承も、同根から分離したものであろう。又兵衛祭における又兵衛人形もまた、その亜流であると考えて良いのではなかろうか。ただしその原型は、どうもポセイドン信仰に行き着きそうである。

以前書いた「遠野物語拾遺20」の話は、まるで北欧神話「バルドル」の話と同じであった。ギリシア神話や北欧神話がどういう経路で日本に辿り着いたのか、それを紐解く資料に乏しいので、そこまではやろうとは思わない。ただ言えるのは、全くの影響無しに日本神話が作られたものととは考え辛いという事。別に、伊弉諾の黄泉国からの帰還も、「ギリシア神話」でのオルフェウスの話に酷似している事は、あまりにも有名な話である。また別に熊野の鴉の牛王神(ゴオウジン)が、もしかして北欧神話のオーディンではないかと噂されるのも、完全に否定できるまでの根拠に乏しいからである。時代を考えみても、明らかに日本神話より北欧神話やギリシア神話の方が、遥に昔の話である事から、現代では模倣と云われてもおかしくはない。また、遠野のデンデラ野の語源が未だに不明であるが、古代エジプトのハトホル神殿はデンデラという地に鎮座しおり、デンデラは魂の復活の意味があるという事から、もしかして遠野のデンデラ野の源流もエジプトに!?となりそうな気配もある。しかしどう考えても荒唐無稽にも思えるが、完全否定できないのもまた事実ではある。ただ、古代日本に大陸から、あらゆる人々が日本に渡り集り、また遣唐使や遣隋使などからも日本人が大陸に渡り、様々な知識や伝承を持ち帰っているのも確かである。又兵衛人形は、「杖の井」「逆さに植える樹木譚」の亜流であると思えるが、やはりその原型はポセイドンの三叉鎗から来ているものであると考えた方が自然ではなかろうか。

by dostoev | 2018-04-15 21:17 | 民俗学雑記