不思議空間「遠野」 -「遠野物語」をwebせよ!-:遠野各地の稲荷神社
2023-11-12T11:45:49+09:00
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遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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遠野不思議 第九百三十四話「金ヶ澤稲荷神社(村兵稲荷)」
http://dostoev.exblog.jp/32908989/
2022-12-26T15:06:00+09:00
2022-12-26T15:06:13+09:00
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遠野各地の稲荷神社
本来は金ヶ澤稲荷神社であり、村兵稲荷神社は愛称のようである。この神社の由来は、下記にアップした案内板に記されている。ところで、岩手県神社庁のサイトで金ヶ澤稲荷神社を確認したが、現地の案内板と記されている内容が若干違っていた。岩手県神社庁、遠野市「稲荷神社」
案内板と神社庁HPとの違いは、村上兵右衛門が建主となった年代が、神社庁HPでは「宝永年中(1704~1711)」となっているが、金ヶ澤稲荷神社現地の案内板には「文政年代(1818~1829)」となっている事。まあこれは神社庁側が、書き込む時に勘違いをしたものと思う。更に加えれば、神社庁HPでは、「京都から稲荷の御神体を背負い来り」と書かれている事。しかし、現地の案内板にはただ「勧請した。」だけが記されている。「まつざき歴史がたり」で金ヶ澤稲荷神社を確認すると、「村上氏由緒記」を元に記されていたが、やはり「京都から背負って」と記されていた。現地の案内板は、この「背負って」を省いてのものだったようだ。
ところで、この「背負う」で思い出すのは、「遠野物語拾遺136話」である。
遠野豪家村兵の家の先祖は貧しい人であった。ある時愛宕山下の鍋ヶ坂という処を通りかかると藪の中から、背負って行け、背負って行けと呼ぶ声がするので、立ち寄ってみると、一体の仏像であったから、背負って来てこれを愛宕山の上に祀った。それからこの家はめきめきと富貴になったと言い伝えている。
「遠野物語拾遺136」
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恐らくこの「背負う」という表現は、村上兵右衛門が神仏を大事にしていたという表現であったろうか。神仏を信じて大事にしたからこそ村上氏は、これだけ繁栄したという意味になるのかもしれない。
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遠野不思議 第九百八話「下屋稲荷神社」
http://dostoev.exblog.jp/32332124/
2021-06-24T08:44:00+09:00
2021-06-24T08:44:51+09:00
2021-06-24T08:44:51+09:00
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遠野各地の稲荷神社
「遠野町古蹟残映」によれば、遠野町鍋倉山城址の北東崖中腹にありと記されている。吉田政吉「新・遠野物語」に載っている地図を確認すると、現在の遠野市立博物館の辺りに位置している。
石の鳥居をくぐると、奥の右側に鉄製の階段があるのだが腐食している為か、危険なので立ち入り禁止となっている。この博物館裏の道は表参道であり、別に裏参道もあるので裏参道から行く方法もある。この稲荷神社の個人的な記憶というか子供の頃の記憶は、もっと上にあったような気がしていた。実は、以前もこの稲荷を探したことがあるのだが、見つける事が出来なかった。実は鍋倉山の中腹だと勝手に思っていた為、鍋倉山の石段を登ってから左側の裏道ばかり探していた。それで見つからなかったので、勝手にどこかに移転したものと思っていた。この下屋稲荷神社を撮影したのは午後の2時半くらいで、画像よりも実際はもっと薄暗く見える。
祭神は、倉稲魂命。御神体は無しとされるが、沢山の稲荷狐の人形が置かれている。今から300年近く前に遠野南部氏が京都より勧請し氏神にしたという記録がある。ただ京都となれば伏見稲荷かとなるが、そこまで詳しい記録は無い様だ。5月13日が祭日になっているようだが、今は行われていないようだ。この稲荷神社の表参道側は、かなり古くから立ち入り禁止となっている為、なんというか空気が淀んでいるというか、妙な圧を感じる境内の雰囲気になっている。
境内には、駒形大神の石碑があった。
また、人から聞いた情報によれば大工町にあった高善稲荷が合祀されたという話だが、境内には高橋善太郎寄贈の石の台があったのは、高善稲荷の合祀と関係あるものなのだろうか?
また本殿の下に小さな赤い鳥居があり、岩穴があった。その間に鉄製の檻があるのだが、ここの詳細は別記事に書く事にしようと思う。
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遠野不思議 第九百二話「繋稲荷神社」
http://dostoev.exblog.jp/32276984/
2021-05-14T18:13:00+09:00
2021-05-14T18:13:45+09:00
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遠野各地の稲荷神社
上郷町繋地域の稲荷神社で元禄十六年(1703年)に、遠野南部家臣福田氏が勧請したと伝わる。「上郷聞書」には、稲荷神は南部氏家臣福田氏の内神と記されている。この福田氏、赤羽根稲荷神社にも関係が深いようで稲荷が内神というのは間違いないのだろう。ただ気になるのは、赤羽根稲荷神社は京都の稲荷山の愛染寺からの勧請とあるが、この京都稲荷山愛染寺は廃寺となっているが、その理由の一つに邪教として有名となった荼吉尼天を信仰していた事もある。もしかしてだが、南部氏福田氏の信仰する内神とは荼吉尼天の可能性は、否定できないだろう。
この稲荷が祀られる繋地区だが、「上郷聞書」を読む限り川の氾濫の歴史が長く続いていた地区でもあるようだ。そこに何故稲荷を祀ったのかは定かでは無いが、あくまでこの地の福田氏の取り決めであったのだろう。ただ不地震地帯の石神稲荷もそうだが、この繋稲荷もまた自然石に覆われた地であるという事。そう考えれば、川の氾濫にも不変の聖地としての繋稲荷と信仰されたのだろうか。
境内には印象的な微笑狐像が並んで立っていた。
全体的に掃除が行き届いているとは思わないが、とても清浄感がある境内だと思う。
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遠野不思議 第八百六十二話「迷岡稲荷社」
http://dostoev.exblog.jp/27991002/
2017-07-22T04:45:50+09:00
2017-07-22T04:45:51+09:00
2017-07-22T04:45:51+09:00
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遠野各地の稲荷神社
迷岡地区にある、田んぼの脇の小さな社。祭神は宇迦御魂命。
その社を覗くと、そこには翁と媼。そして、小さな子供がいた。手前には、それを護る様に左右に配置された狐。この小さな社の内部には、あたたかな情景が広がっていた。]]>
遠野不思議 第七百九十五話「三照稲荷大明神(小林)」
http://dostoev.exblog.jp/20992831/
2013-11-30T11:36:23+09:00
2013-11-30T11:36:48+09:00
2013-11-30T11:36:48+09:00
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遠野各地の稲荷神社
真新しい社で、最近新しく建てられたものだろう。
中には古びた狐象があった。
そして、その奥には神像の石のプレートが光に浮かび上がっている。稲荷信仰に三光信仰と云う「太陽・月・星」を信仰するものが付随するが、この稲荷の三照とは、恐らく三光の事ではなかろうか。]]>
遠野不思議 第七百四十五話「狐穴神社」
http://dostoev.exblog.jp/19864888/
2013-06-21T06:29:00+09:00
2019-03-18T07:13:08+09:00
2013-06-21T06:29:41+09:00
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遠野各地の稲荷神社
岩穴に祀られたお稲荷様。こういう岩穴に狐を祀る風習はどこにでもみられ、いろいろな稲荷神社傍にある岩の隙間に、本殿とは別にお稲荷様が祀られている。ただここは、本殿は無く、この岩穴のお稲荷様だけである。
二本の杉の間には雑草で見えないが素朴な石段が組まれており、この杉の間を登って狐穴に行く。二本の杉は、鳥居の代りであろうか?]]>
遠野不思議 第七百四十話「夜泣稲荷)」
http://dostoev.exblog.jp/19779576/
2013-06-09T14:23:54+09:00
2013-06-09T14:23:58+09:00
2013-06-09T14:23:58+09:00
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遠野各地の稲荷神社
「夜泣き神様」という愛称で呼ばれた神社がある。赤ん坊が夜泣きする時は、夜中でも拝みに行くと、不思議に夜泣きが止まったという事である。
それがいつしか「夜泣稲荷大明神」という棟札が置かれるようになり、いつしか「夜泣き神様」は「夜泣き稲荷」と呼ばれる様になったという事であるが、何かの神社が後から稲荷神社に合祀されたのであろうか?]]>
遠野不思議 第七百五話「高室稲荷神社」
http://dostoev.exblog.jp/18156602/
2012-11-11T19:06:15+09:00
2012-11-11T19:06:22+09:00
2012-11-11T19:06:22+09:00
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遠野各地の稲荷神社
水光園敷地内の小高い頂に鎮座する高室稲荷。入り口から、社までの鳥居の数は、遠野で一番じゃないだろうか?
潜った鳥居の途中から、社を撮影。
社は至ってシンプルで、比較的新しいようだ。創建は、いつなのだろう?
社の傍らに大正十三年「三方荒神金神」という石碑があった。「金神」は方位神で、恐ろしい神だというが、土淵の郷土史では「金神」を「金属関連の神である。」と解釈しているが、それはどういう事だろう?また「三方荒神」も通常は「三宝荒神」であるが、方位神である金神と結びついた為の「三方」であろうか?いずれにせよ、大正13年の銘があるので、それ以前からここで祀られていたものであろう。]]>
遠野不思議 第七百三話「大将稲荷」
http://dostoev.exblog.jp/18137960/
2012-11-05T19:47:00+09:00
2012-11-06T07:21:10+09:00
2012-11-05T19:47:07+09:00
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遠野各地の稲荷神社
飯豊にある大将洞に鎮座する、大将稲荷。実は、遠野で一番歴史の古い稲荷ではないかという話もある。この飯豊は六角牛山の麓にあり、昔は交通の要所であったようだ。土淵町そのものに神明神社があったように、また遠野で一番古い寺である常堅寺あるように歴史的にも文化的にも、遠野の中心であったようだ。それはひとえに、安倍氏の存在があるだろう。その安倍氏に関する伝承が一番多いのも土淵町となる。ただし飯豊と六角牛山に関する伝承の殆どは、安倍氏の時代より後の南北朝時代だ。この大将洞に並び君洞があり、それが皇族と結びつくという伝承がかなりあるのだが、地域の古老に聞くと「君洞」は実際には「金洞」であるという。事実は明らかではないが、大将洞には鉱山開発した山伏の息吹を感じてしまう。それは「稲荷」は「鋳成」とも云われ、やはり採掘や治金に関係したとも云われるからだ。
画像は、伏見稲荷の神符であり、稲荷の一般的な神符となる。この神符を見ると、水性の黒に土性の狐の結び付きで、水を制する「土剋水」。金性の白に土性の狐が結び付き金属を生み出す「土生金」となっているのがわかる。また左側の蛇は伏見稲荷で有名な願いが叶う"験の杉"の枝を咥え、右側の蛇は雷を現している鍵を咥えている。ここに、土と水と火と金属を抑えている神符となっているのがわかる。
また大将洞にはやはり古くから不動明王祀っているが、稲荷神社の祭神である宇迦御魂命の「宇迦」または「宇賀」は梵語で「白蛇」を意味する言葉だ。水または滝は竜神と結び付き、その補佐としての不動明王も大将洞に祀られている事から、この大将洞はある意味、早池峰山における伊豆神社の様なものではなかったか?伊豆神社から早池峰願を掛けた始閣藤蔵は、"金"が採れたら宮を建てると早池峰に願った。この飯豊の大将洞も可能性として、六角牛山に祈願した地ではなかろうか。「大将」というと戦におれる存在にも感じるが「大生」であれば「大きく生まれる」の意となり、六角牛山に祈願して"金"の採掘を祈願したものとも考えられる。それは隣接する「君洞」が本来は「金洞」であるのと並行して考えるとそうなってしまう。何故なら稲荷そのものは水と火の融合を意味し、五穀豊穣を表すと共に「モノの発生・誕生」をも意味するからだ。更に飯豊には「大同」という屋号がある事から古くから開かれた地域の可能性と共に、早池峰神社や六神石神社の創建年代「大同」に重なる事から、やはり六角牛山との関わりが深いのではなかろうか。
そういう意味も含め大将洞は、背後に六角牛山が聳える立地から考察してみても六角牛山に"金"の採掘祈願をした場所では無かったろうか。飯豊が梟を意味する伊比止与(イヒドヨ)に繋がるのならば、烏と並び神の声を発する梟の元に神に祈願した地「飯豊(イヒドヨ)」から金が発生する「大生(タイショウ)」へと繋がるのである。]]>
遠野不思議 第六百九十五話「踊鹿稲荷神社」
http://dostoev.exblog.jp/18049202/
2012-10-09T08:06:00+09:00
2012-10-09T08:09:43+09:00
2012-10-09T08:06:34+09:00
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遠野各地の稲荷神社
踊鹿は以前、驚岡とも記していた。悪戯狐が出る、うら寂しいところであったよう。そこに鎮座する稲荷は、いつからであろうか?建立時期が、よくわからない。
「ものがたり青笹」には、この踊鹿の狐の話が紹介されている。
「栗橋村に、駄賃付けをしている男がいた。いつも青笹の飯豊に泊って遠野の町に
行っていた。ある日の朝早く、男は踊鹿の辺りを歩いていると、狐が何やら穴を
掘っているのに出くわした。そこで男は、狐を驚かせてやろうと傍にあった柴を
狐めがけて投げたところ、見事に命中したと。その後、男は遠野の町で用を足し
た帰り道、再び踊鹿に差し掛かったところ、突然辺りが真っ暗闇になったという。
男は暫くおろおろと歩いたそうだが、暗闇に不安になり「助けてけろ!」と叫ん
だところ「どうした?ここは新堤だぞ?」という通りがかりの人物の声に、ふと
改めて辺りを見渡すと、いつの間にか明るくなっていたという事である。これも
狐の仕返しだったか…。」
遠野の昔、村外れの殆どが狐の関所であった。今程に人も住んではおらず、家屋も少なかった時代、村外れの森とは、人々にとって恐ろしい狐、もしくは悪戯な狐が多く棲んでいたのだろう。狐と稲荷の結び付きが顕著になったのは江戸時代であるから、この稲荷神社の創建も江戸以降の、あまり古くない時代であろう。
北に向かって西である左の方の階段を登れば稲荷の社があるのだが、東である右側にも階段があり、そこを登ると画像の石灯籠がぽつんと一つだけある。これは何を意味するのか、よくわからない。ただ思い出したのが、以前紹介した泉鏡花の俳句だ。
「五月夜や尾を出しそうな石どうろ」
まさに泉鏡花の俳句を現実のものにしそうな、踊鹿稲荷の石灯籠ではないか(^^;
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遠野不思議 第四百七十八話「欠上稲荷」
http://dostoev.exblog.jp/6972018/
2007-12-02T10:00:00+09:00
2007-12-02T10:03:07+09:00
2007-12-02T10:00:45+09:00
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遠野各地の稲荷神社
遠野の東、郊外にあり倉稲魂命を祀る。文禄年間に葛西氏の遺臣欠下左座衛門
が当地に赴き、阿曽沼氏に仕え請いて、旧領石巻日和山に鎮座するものを勧請
したものである。祭日は6月15日となる。
遠野の町では、欠上稲荷に赤い灯が灯ると、火事が起こると用心したという話が
ある。
見晴らしは良く、遠野の町を一望できる。
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遠野不思議 第四百五十七話「三毛の稲荷(妖怪キャシャ)」
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2007-11-04T23:39:00+09:00
2011-11-19T11:05:54+09:00
2007-11-04T23:39:08+09:00
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遠野各地の稲荷神社
ここの稲荷の名は、稲荷シヤとも、稲荷キャシャとも密かに呼ばれている。実は、このお稲荷様は三毛であり、人をよく騙すというのた…。
三毛のキツネとは、聞いたことが無いが、実はこの近辺には妖怪キャシャの伝説もまたある。女好きには女に化け、酒好きには酒に化け、力自慢の者には、力士に化けて現れるというのだ。
どうも化けるという共通性から、稲荷とキシャが混同され合体されたのが、この稲荷社のようだ。ただし、初めに伝説ありきで、後で稲荷社が建てられたと云う。ここも、地域の人々は怖れて寄り付かない場所であったそうな。]]>
遠野不思議 第三百九十話「爪喰稲荷神社」
http://dostoev.exblog.jp/5531851/
2007-06-04T06:00:39+09:00
2007-06-04T06:00:39+09:00
2007-06-04T06:00:39+09:00
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遠野各地の稲荷神社
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遠野不思議 第三百七十三話「小倉稲荷神社」
http://dostoev.exblog.jp/5447240/
2007-05-23T21:37:00+09:00
2023-11-12T11:45:49+09:00
2007-05-23T21:37:15+09:00
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遠野各地の稲荷神社
建立された時期は不明らしいが、この辺では一番古い神社だと云う。神殿は古くなった為、明治時代に再建したそうだ。この小倉の地は附馬牛の中心であったらしく、明治12年戸長役場を置いた時、当時の松崎村、駒木村、安居台村、上附馬牛村、下附馬牛村、東禅寺村、六ヶ村の戸長役場が小倉部落に設けられ、明治22年まで村政は戸長の統率の下に行われた事からも、古い時代から有力な一族が住んでいて、この小倉稲荷を勧請したのかもしれない。小倉武男「仙人峠を越えて 陸中釜石小倉一族の譜」によれば、附馬牛の中滝部落の元祖は、稗貫郡大迫町内川目村の黒森から来た小倉作右衛門という人物であるという。その大迫町の外川目には小倉掛という部落もあったそうである。要は小倉武男「仙人峠を越えて 陸中釜石小倉一族の譜」の本の内容は、その小倉一族の軌跡を手繰り、辿っての本である。
武将としての小倉氏は清和源氏満季流で、承暦年代(1077年~1080年)に小倉景実が愛知郡小椋庄に小倉城を築いたのが始まりとされる。しかし、大和岩雄「続・秦氏の研究」によれば、近江国の小椋谷は木地屋(中世の轆轤師)の発生の地となっている。この小椋谷に早くから渡来した一族が、秦氏であった。また「小倉」の「倉」だが、千城央「エミシとヤマト」によると、「倉」は産鉄に関係していたとの事。小倉が木地屋の轆轤師であり産鉄に関係しているのであれば、やはりかなり古い時代に住みついた可能性はある。それが秦氏関係であれば、秦氏の祀る神に伏見稲荷があるが、その稲荷社の名が「小倉稲荷」であるならば、稲荷は「鋳成(イナリ)」ともされるように産鉄に関係し、元々は近江国の小椋谷から移り住んできた一族が小倉氏であった可能性があるだろう。
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遠野不思議 第三百五十五話「沼沢の稲荷神社」
http://dostoev.exblog.jp/5219282/
2007-04-24T07:59:38+09:00
2007-04-24T07:59:38+09:00
2007-04-24T07:59:38+09:00
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遠野各地の稲荷神社
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