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    <title>不思議空間「遠野」　－「遠野物語」をｗｅｂせよ！－:琴畑と妙見</title>
    <category domain="http://dostoev.exblog.jp/i298/">琴畑と妙見</category>
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    <description>遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求</description>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <dc:creator>dostoev</dc:creator>
    <dc:rights>2023</dc:rights>
    <pubDate>Sat, 18 Nov 2023 08:19:43 +0900</pubDate>
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      <title>不思議空間「遠野」　－「遠野物語」をｗｅｂせよ！－</title>
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      <title>琴畑と妙見(其の五)</title>
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      <description><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202311/18/75/f0075075_05530194.jpg" alt="_f0075075_05530194.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center>ここで、もう一度「琴畑」という地名を考えてみよう。菊池輝雄「山深き遠野の里の物語せよ」では琴畑の地名の語源説を「先祖は琴の名手で、慣れない畑仕事の合い間に琴を弾き、はるか故郷の加賀の国をしのんだ。」と記している。しかし琴という楽器は、畑仕事の合い間に奏でる楽器ではない。琴は出雲神話での「天の召琴(あまののりこと)」でわかるように、降神楽器であった。これにより、琴の別名は「神懸かり板」とも呼ばれたのは、「琴」そのものの意味が"特別な呪力を発揮する"であった。その琴の響きが神聖な空間を作り出すものと。そして「琴畑」の「畑」は「ハタ」と読む。「ハタ」は秦氏の「ハタ」でもあるが、八幡神社などの「幡(ハタ)」でもある。この「ハタ」とは、神の依り代であり、幡(ハタ)そのものが神としてみられていた。つまり「琴畑」を言い換えれば「神を降臨させる地」とでも言おうか。ただ、その神とは何かという事になろう。<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202311/18/75/f0075075_06244761.jpg" alt="_f0075075_06244761.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center>琴畑渓流を遡上し、広又沢方面へ行くと、白望山の登山口がある。「遠野物語」では、多くの怪奇譚が語られる山である。この白望山は、以前は朝倉山と呼ばれていた星見の山であった。それは、過去の記事を参照に「朝倉トイウモノ」。その、星見の朝倉山が、何故に白望山となったのか。ただ、星と白とは関係が深い。白を当初、白山信仰だけの関係で考えていたが、妙見信仰を調べるにしたがい、「白」は鉱山に関わっていたのがわかった。鉱石を「白(シラ)」という事からも、白望山という山名は鉱石を求めた人による命名であろう。「日本書紀纂疏」の記述「星堕ちて石となる」の「石」とは「鉱石」の事を云う。そして、その鉱山との縁の深い妙見信仰と関係する氏族が秦氏である。<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202311/18/75/f0075075_07223077.jpg" alt="_f0075075_07223077.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center>以前、琴畑での早池峯遥拝所の場所を聞いたのが、琴畑の奥に住む、俗に「熊吉(クマキッツアン)」と呼ばれる人物だった。その熊吉さんの名字は、現在は琴畑だが本来は「阿蘇」だと述べていた。それが正しいのかどうか、またはどこまで遡れるのかどうか。ところで阿蘇氏と聞くと九州と思いがちだが、土淵が諏訪明神の働きによって開発されたとの話から浮かび上がるのが、信濃国造の系譜に繋がる阿蘇氏の可能性もあるだろうか。<br />
<br />
<br />
琴畑の集落は、ある意味白望山の麓でもある。琴畑が神を降臨させる地という意味であれば、その神とは白望山と関係が深い神であろう。大和岩雄「続・秦氏の研究」によれば、大分県南海郡の白谷の「白(シラ)」という意味は、穴・洞窟を意味すると。そして、同じ大分県海部郡の白山もまた、洞窟を意味している。また対馬の白岳は、山頂が二つに分かれ、南の山頂を男岩、北を女岩と呼び、その女岩には洞窟があり、女神が鎮座していると云われている。天照大神が天の岩戸に篭ったように、古来から岩屋などの洞窟に入るものは、女神と信じられてきた。伊邪那美も、洞窟を通って黄泉国へ行っているように、洞窟は女性のホトを意味する。つまり、「白(シラ)」が洞窟を意味するのであれば、白望山の神とは女神という事になる。その琴畑には、早池峯の遥拝所が二ヵ所。そして、琴畑渓流の白滝傍の白滝神社は早池峯の方向を向き、早池峯の女神が祀られていた。その早池峯は、白山と重ねられる女神であり、その白山を開山した泰澄は、秦氏である。始閣藤蔵が金を見つけたらお宮を建てると誓ったのは、早池峯の女神に対してであった。そして琴畑もまた、恐らく金を見つける為に移り住んだ秦の民であった可能性があるだろう。<br />
]]></description>
      <dc:subject>琴畑と妙見</dc:subject>
      <dc:creator>dostoev</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 18 Nov 2023 08:09:08 +0900</pubDate>
      <dc:date>2023-11-18T08:09:08+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>琴畑と妙見(其の四)</title>
      <link>http://dostoev.exblog.jp/33564502/</link>
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      <description><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/31/75/f0075075_18495882.jpg" alt="_f0075075_18495882.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center>菊池輝雄氏は「山深き遠野の里の物語せよ」において、「落ち武者伝説をもち」「加賀からおちのびて」とは述べているが、それを示す文献(古文書)を示していない事から、それは恐らく口伝だろうと思える。また菊池輝雄氏は、朱塗りの文化の無かった遠野に、マヨヒガ伝説を持ち込んだのは木地屋(木地師)であろうと説いている。また琴畑には長者屋敷が二か所あるという事に言及している。柳田國男もまた、琴畑の長者屋敷について「金山師の屋敷だろう。」と述べている。そして、菊池輝雄氏が指摘しているもので興味深いのが、琴畑の総本家が大向という屋号の家と"鷹巣"という屋号の家であると述べている。<br />
<br />
この鷹巣だが、「遠野物語拾遺17」の冒頭に「小友村字鷹巣の山奥では、」と記されており、金山で栄えた小友町にも鷹巣という地名がある。鷹は鍛冶の神でもあり、産金・冶金に深く関わる。その鷹をシンボルとしているのが、古代の豪族である秦氏である。大和岩雄「秦氏の研究」「河内・山城の鷹巣山。鷹尾山・鷹ヶ峰」の項で、「"鷹巣を名乗る氏族が秦氏系"であることからみても、秦氏が鷹をシンボルとしていることは明らかである。」と述べている。その鷹巣の屋号を持つ人物が、琴畑の総本家であるという。秦氏だが、現在の京都である平安京を造ったのは秦氏によるものとされている。その平安京が完成された後、秦氏は桓武天皇に追われた。その秦氏の一部が北陸へ逃げ延び、輪島塗の祖となっている。恐らく、菊池輝雄氏の述べている「落ち武者伝説」「加賀からおちのびて」は、平家ではなく秦氏を意図しての言葉とであったと思われる。その秦氏は全国に散らばり、幡・波多・旗・畑などが付く地名には秦氏が住み着いている場合が殆どである事からも、琴畑は秦氏が移り住んだ地であるだろう。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/31/75/f0075075_21490233.jpg" alt="_f0075075_21490233.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center>ところで前回、白山と早池峯が重なっている事を述べた。その白山という「白い山」の意味だが、鉱山を白山という例もある事からも、白山が単なる「白い山」では無いようである。若尾五雄「金属・鬼・人柱」において若尾氏は「白山の「白」は鉱石と関連があるのではないか…。」と述べている。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
白山の頂に「御宝蔵」というものがあり、別に「権現の金蔵」と呼ばれている。早池峯にも似たようなものがあり、小田越から登っての五合目には「御金蔵」と呼ばれるものがあるのは、早池峯そのものが疑似白山でもあるからだ。白山の「白」が鉱石と関係あるとされた場合、それは琴畑渓流を遡って到達する白望山の「白」もまた、同じ意味を持つのだろう。その白望山の金沢寄りには、金糞平と呼ばれるタタラ場があった。そもそも白山を開山した泰澄は、秦氏であった。秦氏であるからこそ、白山に拘るのは当然の事である。ところで琴畑ではなく、同じ土淵の山口から登る境木峠の旧道には、白山様と呼ばれる長者祈願の小高い岩山がある。これは、琴畑の長者屋敷と重なるもので、長者=金の発見という意味になろう。これはつまり、始閣藤蔵が早池峯に向かい「金を見つけたらお宮を建てる」と祈願したものと同じであろう。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/29/75/f0075075_06354776.jpg" alt="_f0075075_06354776.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center>秦氏の信仰は、白山信仰であり、稲荷信仰(伏見稲荷)であり、八幡信仰であり、愛宕信仰である。遠野には、これら秦氏の信仰していたものが数多く残っている。そしてこれらに加え、もう一つの信仰が妙見信仰である。「琴畑と妙見(其の三)」で慈覚大師円仁が海上で荒れ狂う嵐の中、妙見に祈願した事からも、海上であり水上の安全に妙見が信仰されていた。ただ、先に紹介したように遠野では、水上の安全を願って金毘羅を信仰しているのが殆どでありながら、琴畑には金毘羅の石碑が無い。しかし「遠野物語拾遺119話」でわかるように、琴畑川で木流しの仕事が行われていた。<br />
<br />
<br />
植野加代子「秦氏と妙見信仰」読むと、秦氏は機織り、鉱物、酒などを扱う氏族であり、木地師でもあった。そしてそれら物資を輸送する手段として船も扱っていた事からも、水上の安全を願って妙見をも信仰していたようである。「日本霊異記」から、大和川流域に於いて妙見菩薩が祀られている土地には秦氏の存在が確認されている。その妙見神は、白山の女神でもあり、早池峯の女神でもある事から、琴畑の入り口で祀られていた神が、琴畑川での安全を祈願された神であったろう。その一つが、白滝神社であった不動堂の早池峯信仰。もう一つが、琴畑の入り口であり北の早池峯を向いていた地蔵端の神。これらが、金毘羅の神に代わって琴畑の水上の安全を守ってきた妙見の神であるのだろう。<br />
]]></description>
      <dc:subject>琴畑と妙見</dc:subject>
      <dc:creator>dostoev</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 31 Oct 2023 22:36:12 +0900</pubDate>
      <dc:date>2023-10-31T22:36:12+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>琴畑と妙見(其の三)</title>
      <link>http://dostoev.exblog.jp/33557556/</link>
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      <description><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/29/75/f0075075_06365736.jpg" alt="_f0075075_06365736.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center>先に、菊池輝雄「山深き遠野の里の物語せよ」において、琴畑の不動堂を「この堂は加賀を向いているという。」との記述を紹介した。加賀とは加賀国であり、現在の石川県。恐らく磁石上では「西南」を向いているとなるのだろう。しかし実際に磁石で不動堂の方角を見ると、北を向いているのを確認できる。北を向いているというのは恐らく、早池峯を意識しての事だろう。ただ菊池輝雄氏の「加賀を向いている。」だが、その加賀国、現在の石川県には有名な白山がある。実は遠野の北に聳える早池峯は、白山を模したものでもある。そういう意味では「加賀を向く」=「白山を向く」=「早池峯を向く」という構図が成り立つのではあるが、果してその真意はいかに。<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/29/75/f0075075_06560786.jpg" alt="_f0075075_06560786.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center>土淵村字栃内の山奥、琴畑といふ部落の入り口に、地蔵端といふ山があって、昔からそこに地蔵の堂が立って居た。此村の大向といふ家の先祖の狩人が、或る日山に入って一匹の獲物も無くて帰りがけに、斯んな地蔵がおらの村に居るからだと謂って、鉄砲で撃って地蔵の片足を跛にした。其時から地蔵は京都に飛んで行って、今でも京都の何とかいふ寺に居る。<br />
<br />
一度村の者が伊勢参宮の序に、此寺へ尋ねて行って、其地蔵様に行逢って戻りたいと言ふと、大きな足音をさせて聴かせたといふ話もある。今の地蔵端の御堂は北向きに建てゝある。それは京都の方を見ないやうにといふ為だそうなが、そのわけはよく解らない。<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「遠野物語拾遺４９」<br />
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーところで、琴畑の入り口の地蔵端であるが、「遠野物語拾遺49」に記されているように「今の地蔵端の御堂は北向きに建てゝある。それは京都の方を見ないやうにといふ為だそうなが、そのわけはよく解らない。」とある。これからわかるように、琴畑部落は地蔵端と不動堂、両方の入り口のお堂が北を向いている。地蔵端に関しては、地元の古老によれば、早池峯の遥拝所でもあったとされ、不動堂は早池峯大神を祀っていた。つまり、琴畑部落はどちらの入り口も北に聳える早池峯を意識したものとなっている。入口とは村境であり、遠野であれば大抵、石碑が並んでいる位置に当る。<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/29/75/f0075075_07133944.jpg" alt="_f0075075_07133944.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center>琴畑部落内には、川沿いに一基の庚申塔が建っているのが目に付くくらいだ。他にも側にもう一基あったが、金毘羅ではなかった。この画像の庚申塔も、琴畑川を見守るように建っている。庚申塔は遠野にかなりの数があるのだが、その多くが猿ヶ石川沿いに建っているのが目に付く。これは恐らく、諸説様々な猿ヶ石川という名称そのものが本来、庚申を意識してのものではないかと考えている。<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/29/75/f0075075_07244241.jpg" alt="_f0075075_07244241.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center>遠野の早池峯信仰と遠野七観音信仰には、慈覚大師円仁の関りが語られる。慈覚大師が遠野に来たかどうかよりも、慈覚大師が属する天台宗が布教に遠野に寄ったという事だけは確かだろう。その慈覚大師円仁「入唐求法巡礼行記」巻第一の承和五年(838年)七月二日の条に、こう記されている。<br />
「漂流するの間、風は強くおおなみは猛る。船のまさに沈まんとするを怕れ、いかりを捨て物を投げうちて。口ずから観音・妙見を称えたてまつりて、こころより活路を求めたるに、猛風止みぬ」<br />
この記述から、観音と妙見が海上での命の救済する神仏として扱われている。ここでの観音は、十一面観音だろう。そして妙見は、早池峯の神でもある。早池峯大神の神名は「瀬織津比咩」と言い、伊勢神宮荒祭宮に松煮れる天照大神荒魂とされる。吉野裕子「隠された神々」によれば、早池峯大神を祀る荒祭宮とは、「太一」を象徴する宮であるとしている。つまり伊勢神宮そのものが、妙見神を重ねて信仰している神社という事になる。<br />
早池峯の妙見信仰は、いずれ「妙見と瀬織津比咩」というタイトルで書く予定なので、ここではこれ以上は突き進めずに、琴畑へと戻ろう。]]></description>
      <dc:subject>琴畑と妙見</dc:subject>
      <dc:creator>dostoev</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 29 Oct 2023 07:53:09 +0900</pubDate>
      <dc:date>2023-10-29T07:53:09+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>琴畑と妙見(其の二)</title>
      <link>http://dostoev.exblog.jp/33557057/</link>
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      <description><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/28/75/f0075075_08524812.jpg" alt="_f0075075_08524812.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center>土淵村の若者達が４人、５人、琴畑川へ木流しに行った時の事である。不動ノ滝の傍らにある不動堂に泊まっていたが、夜嵐が烈しかったので、堂の戸を堅く締切っておいたのに、夜明けになってみると、その中の一人が堂の外に投げ出されたまま、前後不覚で熟睡をしていた。宵に締めた戸はそのままであったから、これは神業であろうと言い合って恐れた。六、七年前の冬の事である。<br />
<br />
<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「遠野物語拾遺１１９」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/28/75/f0075075_16073713.jpg" alt="_f0075075_16073713.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center>この「遠野物語拾遺119」を読めば、この琴畑川において木流しの仕事が行われていたのがわかる。ところで、この木流しの仕事だが、川を利用して木材を運ぶ仕事の為それなりに危険を伴う。そこで江戸時代の遠野では金毘羅参りへ行き、そして水上の安全を願って川沿いに金毘羅の石碑を建てている。<br />
<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/28/75/f0075075_16120827.jpg" alt="_f0075075_16120827.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center>土淵を見ると、やはり小烏瀬川沿いに金毘羅の石碑が建っているのがわかる。しかし、琴畑の周辺には金毘羅の石碑がまったく無いのに気付く。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/28/75/f0075075_16134150.jpg" alt="_f0075075_16134150.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center>せいぜい、小烏瀬川と琴畑川の合流点である一の渡に、金毘羅の石碑が一基だけ建っている。だが、ここから琴畑部落までにある石碑といえば、鍋割の道路沿いに庚申の石碑が一基。あとは、琴畑部落内の川沿いに、やはり庚申の石碑が一基。柳田國男「路傍の石塔の多きこと諸国その比を知らず。」と云われるように、遠野には石碑・石塔が多い。しかし琴畑部落周辺に、石碑を殆ど見る事は無い。石碑群が置かれるのは大抵の場合、村外れの境界となる。つまり冒頭の地蔵端と、もう一つは白滝の不動堂が恐らく琴畑部落の境界であり、遠野の習俗的にはそこに石碑が置かれる筈である。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/28/75/f0075075_16230463.jpg" alt="_f0075075_16230463.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center>地蔵端の小高い山は、琴畑川を見下ろすように屹立している。恐らく、その頂に祀られていた神仏は、琴畑川の安全をも願って祀られていた可能性はある。ただ現在は、祀られていた社の残骸だけがある。<br />
<br />
<br />
信仰が廃れる場合の殆どは、別当の死による管理者の不在。そしてもう一つは、国から邪宗扱いされ自然消滅した場合だ。例えば明治時代になり、三峯信仰や妙見信仰は邪宗扱いされた為に公的な神社は廃社となった場合がある。遠野にも三峯神社跡地というものが存在するが、かつては社があり、賑わった時もあったようだ。過去に昭和一桁生まれの古老から「三峯は邪教だ。」との言葉を聞いた事がある。そういう認識が明治時代、人々の意識に刻まれていたようだ。<br />
]]></description>
      <dc:subject>琴畑と妙見</dc:subject>
      <dc:creator>dostoev</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 28 Oct 2023 16:39:03 +0900</pubDate>
      <dc:date>2023-10-28T16:39:03+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>琴畑と妙見(其の一)</title>
      <link>http://dostoev.exblog.jp/33555546/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://dostoev.exblog.jp/33555546/</guid>
      <description><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/26/75/f0075075_16354346.jpg" alt="_f0075075_16354346.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center>菊池輝雄「山深き遠野の里の物語せよ」において、菊池輝雄氏は「土淵村琴畑の落人伝説」について述べている。<br />
<br />
「十件ほどの家はすべて琴畑姓だ。落ち武者伝説をもち、加賀からおちのびてここに住みついた平家の流れと称して、明治頃までぼろぼろになった幟があった。先祖は琴の名手で、慣れない畑仕事の合い間に琴を弾き、はるか故郷の加賀の国をしのんだ。地名はこれに由来するという伝承をもっている。」<br />
<br />
<br />
例えば、遠野から笛吹峠を越えて、今は釜石市に属する早栃の話に「遠野物語拾遺18(実を結ばない小柿)」の話があるが、これも平家の落人を意図しての話だ。また同じ釜石市の嬉石という地の語源も、平家の落人が安住の地を見つけて「嬉しい」と述べた事が、いつしか「嬉石」と変化し地名になったとの話もある。実は、遠野から沿岸域にかけての山には、平家だけでなく安倍氏や藤原氏などを含む落人伝説がいくつもある。東和町の兜跋毘沙門天像が猿ヶ石川を睨むように設置されたのは、猿ヶ石川上流に住む部族に対し睨みを効かせる為であったとされるが、逆に言えば猿ヶ石川上流より東は山が深い為なのか、蝦夷征伐の朝廷軍は来なかったともいえる。それ故に、朝廷の力の及ばなかった遠野から沿岸域へ逃げてきた一族が多かったと思える。特に遠野には鬼退治(朝廷にとっての)の話が無い事から、朝廷の力の及ばぬ代表的な地であったのかもしれない。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/27/75/f0075075_20191282.jpg" alt="_f0075075_20191282.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center>菊池輝雄氏は次に、琴畑渓流の不動堂について述べている。この琴畑の不動堂だが、「遠野物語拾遺119話」に「神業」の話で登場している。その不動堂に関して菊池輝雄氏は、「…この堂は加賀を向いているという。本尊は、いつの頃か野火にあって焼失した。この時お不動様が中空をとび去るのを、部落の人たちが見ていて大騒ぎになった。」ところが現在の不動堂は、北を向いている。恐らく、元々早池峯大神が祀られていた事からも、早池峯神社を意識して北を向けているのだろう。菊池輝雄氏の言うとおりに加賀の方向となると、上の画像の逆となってしまう。そして中空を飛び去るとの記述だが、「遠野物語拾遺49話」に京都へ飛んで行った地蔵の話が紹介されている。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/27/75/f0075075_20194122.jpg" alt="_f0075075_20194122.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center>その「遠野物語拾遺49話」には、琴畑の入り口の山である地蔵端の事が書かれている。恐らく菊池輝雄氏は、この地蔵端と不動堂を勘違いして述べたものと思われる。ただ、山から降りてきた場合は、不動堂は確かに入り口でもあるのだが。<br />
ところで、この画像の地蔵端と呼ばれる小高い山は、「遠野物語72話」においても琴畑の入り口の、カクラサマを祀る塚として紹介されている。<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/27/75/f0075075_21045599.jpg" alt="_f0075075_21045599.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center>現在、地蔵端の頂には社の残骸だけが残っている。果たして、この社には地蔵がいたのかカクラサマが祀られていたのか、はたまたお不動様であったのか。この琴畑の地で現在も祀られているのは、白滝傍の社だけである。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202310/27/75/f0075075_21135409.jpg" alt="_f0075075_21135409.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center>社の内部には不動明王が鎮座しているが、元々は白滝神社としてあったものに、後から不動明王像が持ち込まれた。その経緯は明治時代になり神仏分離が行われる事になり、大出の早池峯妙泉寺は早池峯神社としてやっていく事になった為に、仏教色を排除しなければならなかった。その為に、山門の仁王像は土淵の常堅寺へ。そして不動三尊と呼ばれた三体の不動明王像があったが、一つは遠野町の大慈寺へ。一つは、青笹町の喜清院へ。そしてもう一つはその当時、琴畑部落の人々が大出の早池峯妙泉寺まで赴いて、現在琴畑の不動堂に祀られている不動明王像を引き取りに行ったそうである。それは、琴畑の白滝は、白滝神社として元々早池峯大神が祀られていたからだった。<br />
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      <dc:subject>琴畑と妙見</dc:subject>
      <dc:creator>dostoev</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 27 Oct 2023 21:16:15 +0900</pubDate>
      <dc:date>2023-10-27T21:16:15+09:00</dc:date>
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