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  <title>不思議空間「遠野」　－「遠野物語」をｗｅｂせよ！－:遠野不思議（石碑）</title>
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  <tabline>遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求</tabline>
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    <title>遠野不思議　第九百三十七話「石高渡殺傷場の慰霊碑」</title>
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    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202301/18/75/f0075075_12551840.jpg" alt="_f0075075_12551840.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center>「復刻　遠野資料(遠野町の歴史・伝説・口伝)」に「石高渡の殺傷場」が紹介されている。そこには、下記のような事が書かれている。<br />
<br />
「遠野町南郊(来内街道)約二十町。来内川沿岸の嶮を石高渡といふ。気仙地方への一間道に当る。阿曽沼時代の刑場此処にあり。南部時代にも追払の如き此の地に於てせりと云ふ。宝暦年間建つる所の供養碑あり。」<br />
<br />
<br />
具体的に何の供養碑かとは書かれていないが、恐らく処刑された人々の供養碑という事だろう。<br />
]]></content>
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    <title>遠野不思議　第九百二十九話「近江弥右衛門の墓」</title>
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    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202207/16/75/f0075075_05135543.jpg" alt="_f0075075_05135543.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center>上郷町佐比内から森の下の開発は、近江弥右ェ門によって行われたと伝えられる。その詳細は「上郷聞書(地名編)」に記されている。弥右ェ門は近江国の生まれで、天正年間(1573～1592)に一家七人で行商しながら遠野を訪れ、間もなく上郷に居を定めて佐比内と森の下の開発を手掛けたそうである。ちなみに仙人峠の鉱山で落盤事故があり千人もの人が死に、その霊を弔うために建てたのが、森の下の慶雲寺であるとも伝えられる。<br />
<br />
居を定めて開発したというのは、上郷町の佐比内が魅力ある場所だったという事だろうか。農地も含め鉱山を開発した事からも、本来は山師であったろうか。近江国には、佐々木氏がいる。全国でも多い名字の佐々木氏のうち秋田県と岩手県に佐々木氏が半数以上いるというのは、近江弥右ェ門のように東北へ赴き開発を手掛けた者達の中に佐々木氏が多かった為だろうか。この近江弥右ェ門も本来は、佐々木氏だった可能性はないだろうか。<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202207/16/75/f0075075_05140985.jpg" alt="_f0075075_05140985.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center><br />
<br />
]]></content>
  </entry>
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    <title>遠野不思議　第九百十二話「遠野三山の碑」</title>
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    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202205/06/75/f0075075_19303423.jpg" alt="_f0075075_19303423.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center>六角牛山の麓で、ある石碑が目に付いた。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202205/06/75/f0075075_19302575.jpg" alt="_f0075075_19302575.jpg" class="IMAGE_MID" height="319" width="480" /></center>それは、この石碑であった。六角牛山の麓であるから真ん中には「六神石神社」と刻まれ、左右には「早池峯山」と「石神神社」と刻まれていた。早池峯山にこそ神社とは刻まれてはいないが、紛れもない遠野三山神社の石碑である。ありそうでなかった遠野三山神社の石碑を、今まで気付かなかったのは残念だが、遠野三山を遠望できる上郷の地であるから、こういう石碑も建てられたのかもしれない。<br />
]]></content>
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    <title>遠野不思議　第九百九話「高峠山大権現の碑」</title>
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    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202107/01/75/f0075075_18480273.jpg" alt="_f0075075_18480273.jpg" class="IMAGE_MID" height="480" width="375" /></center>旧・小峠の頂から宮守側に下った場所に、「高峠山大権現」の石碑があるという。宮守の郷土史家であった故・水原さんのデータには略図ながら、この石碑の場所が示されているが、その辺を三日間探し回ったが発見できなかった。草木が生い茂っているシーズンでもある為、次は冬枯れのシーズンか雪融けの春に、もう一度探してみたいと思う。また、宮守村郷土を語り合う会発行の「山の祈り」という本にも、この「高峠山大権現」の碑について書かれており「古老の話によると小峠から西風に通じる旧道にも同じような石碑があったとも言います。」と記されており、遠野側と宮守側に各々あったのがわする。石碑に刻まれている年代は、「天保十三　四月十日」であるようだ。この石碑については、別に考察を書こうと思う。]]></content>
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    <title>遠野不思議　第八百九十四話「火渡の石碑群」</title>
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    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202006/22/75/f0075075_05574171.jpg" alt="_f0075075_05574171.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center>遠野遺産に認定されている、火渡の石碑群。こうした石碑群は、遠野のあちこちにあるのだが、背景が田園風景となり、非常に景観が良いという事で、遠野遺産となったようだ。元々は、点在していた石碑をまとめたもの。場所は、附馬牛方面に向かい、遠野ふるさと村を少し過ぎたところにある。<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202006/22/75/f0075075_05573666.jpg" alt="_f0075075_05573666.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center>遠野遺産１７号と記されている。<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202006/22/75/f0075075_05574714.jpg" alt="_f0075075_05574714.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center>色も形も大きさも、様々な石碑が横並びとなっている。]]></content>
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    <title>遠野不思議　第八百六十三話「遊井名田三差路碑群」</title>
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    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201707/22/75/f0075075_144890.jpg" alt="_f0075075_144890.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center><br />
猿ヶ石川沿いにある、遊井名田碑群は画像だけでなく、反対側にも碑群がある。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201707/22/75/f0075075_1452383.jpg" alt="_f0075075_1452383.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center><br />
そして、その大半が庚申塔となる。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201707/22/75/f0075075_14693.jpg" alt="_f0075075_14693.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center><br />
三差路とは、つまり辻である。昔から辻は異界との境界と云われ、その辻にはこうして石碑などが置かれている。ところで、ここの石碑群の大半が庚申塔なわけだが、まだ裏付けは取れていないが、何故か猿ヶ石川沿いに庚申塔が多いのは、猿ヶ石川という河川名と関係があるのではないかとも考えてしまう。正確ではないが猿ヶ石川の源流は又一の滝からと考えられていたのは昔からの事であるが、その又一の滝の本来は"太一の滝(たいちのたき)"から来ているとすれば、北辰の流れを汲むのが、この猿ヶ石川であるから、庚申塔が多いのも理解できるのだが、まだ裏付けに乏しいのが現状でもある。]]></content>
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    <title>遠野不思議　第七百二十六話「三笠山の碑」</title>
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    <issued>2013-05-21T16:59:00+09:00</issued>
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    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201305/21/75/f0075075_16415279.jpg" alt="_f0075075_16415279.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center><br />
昭和２２年のカスリーン台風。そして昭和２３年のアイオン台風により、猿ヶ石川が氾濫し、遠野では２００人以上の死者が出たという。その後に、猿ヶ石川の氾濫を押さえる為に根の深い保水力のある桜の木を鎮魂の意味も込めて植えたという。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201305/21/75/f0075075_16502969.jpg" alt="_f0075075_16502969.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center><br />
そして綾織の三大霊山の一つ、笠通山の頂に三笠山の石碑を置いたのだと。ただ現在、その意味を古老に問うても、その意味を知る人はいなかった。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201305/21/75/f0075075_16534776.jpg" alt="_f0075075_16534776.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center><br />
風の神の大元と云われているのは、奈良県に鎮座している龍田大社である。祭神は、級長津彦命と級長戸辺命。実は近江国には三大神社が鎮座し、風の神である級長津彦命と級長津姫命が祀られており、これは別名息長宿禰王、高額比賣とも呼ばれ、二人の間にこの地で生まれた女子が息長帯比賣命、つまり神功皇后であった。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201305/21/75/f0075075_1652154.jpg" alt="_f0075075_1652154.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center><br />
また他に伊勢神宮の内宮・外宮に、それぞれこの両神が祀られている。伊勢神宮においての外宮は「風の宮」、内宮は「風日祈宮」と呼ぶそうである。そして５月に行われる風日祈祭は「御笠の神事」と呼ばれている。<br />
<br />
遠野の笠通山に三笠山と刻まれた石が奉納されたのだが、これは恐らく「御笠(みかさ)」であったのだろう。「御笠」は「三笠」でもある。そして風害とは一般的に、今で言うところの台風の事を言う。つまり、アイオン台風の後に、笠通山に「三笠山」の石を奉納したのは伊勢神宮で風を押さえる神事である「御笠神事」を意識してのものであったのだろうか。<br />
<br />
ところが「遠野市史(第四巻)」の年表を確認すると、昭和23年(1948年)、「三笠宮殿下、水害復旧激励に御来県・遠野町にも御来町」と記されている。ただし、それに伴って「三笠山碑」を笠通山山頂に…という記録は載ってなかった。可能性として、この三笠宮殿下を意識しての「三笠山碑」であった可能性も否定できないだろう。<br />
]]></content>
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    <title>遠野不思議　第七百二十一話「石上山の山神様」</title>
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    <issued>2013-05-10T16:46:48+09:00</issued>
    <modified>2013-05-10T16:46:56+09:00</modified>
    <created>2013-05-10T16:46:56+09:00</created>
    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201305/10/75/f0075075_16422142.jpg" alt="_f0075075_16422142.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center><br />
石上山の神官宅の裏手に、こんもりとした山があり、そこに階段が築かれている。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201305/10/75/f0075075_16411980.jpg" alt="_f0075075_16411980.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center><br />
上には鳥居があり、そこには山神の石碑が建てられている。方向は石上山に向けられており、石上山の山神を祀る場所であろう。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201305/10/75/f0075075_16443679.jpg" alt="_f0075075_16443679.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center><br />
その隣には金毘羅の石碑が建てられており、下には川が流れている事から、その川を見守る為に建てられたのだろう。<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>遠野不思議　第七百十九話「倒れる石碑」</title>
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    <issued>2013-04-25T14:41:28+09:00</issued>
    <modified>2013-04-25T14:41:37+09:00</modified>
    <created>2013-04-25T14:41:37+09:00</created>
    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201304/25/75/f0075075_14312975.jpg" alt="_f0075075_14312975.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center><br />
某さんの、毎朝の散歩コースにポツンと「南無阿弥陀仏」と刻まれた石碑が立っているそうな。それがたまに倒れているので、某さんは倒れている石碑を元通りにしてあげるそうである。しかしそれから毎朝倒れているので、何故倒れるのかよく解らなかったという。その後、あまり倒れているのも見なくになったというが、それでもたまに倒れている事があるらしい。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201304/25/75/f0075075_1434392.jpg" alt="_f0075075_1434392.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center><br />
その石碑を確認すると、確かに「南無阿弥陀仏」と刻まれている。そして軽く触れてみて、強い力を加えれば倒れそうだが、雨風程度で倒れる感じではない。台風などの暴風雨なは話は別だが。とにかく自分が確認した時には倒れていないが、たまに倒れている事があるらしいので、見つけた方は元通りにしてあげてくだされ。]]></content>
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    <title>遠野不思議　第七百十一話「釜鳴神之碑」</title>
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    <issued>2012-12-18T20:53:33+09:00</issued>
    <modified>2012-12-18T20:54:29+09:00</modified>
    <created>2012-12-18T20:54:29+09:00</created>
    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201212/18/75/f0075075_20514031.jpg" alt="_f0075075_20514031.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center><br />
柳玄寺は釜鳴神様の別当でもあった菊池作平の菩提寺で、ここに鳴釜神様の碑が建てられている。そこには「遠野物語拾遺９３」の内容と共に、下記の事が刻まれている。 <br />
<br />
<br />
この民話の源は、興運院耕嶽紹降禅居士菊池作平(明治三十年享年七十五歳没) <br />
の時のことである。作平の祖父は綾織村蓮澤の出身で、遠野町六日町で八百屋 <br />
を営んだ。父親三蔵の跡を継いだ作平は、早くより一日市町で米屋を営み幕末 <br />
には遠野南部藩の御用米を扱い明治には遠野郷産米を集荷し、海岸部にも販売 <br />
し、店頭は荷駄の馬で賑ったという。この繁栄を釜鳴神様は温かく見守ったこ <br />
とであろう。爾来この家は「作平まえ」と呼ばれた。この家は一日市町から砂 <br />
場町にぬける道路の来内川北側部分と、その西隣に跨っていた。 <br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201212/18/75/f0075075_20531057.jpg" alt="_f0075075_20531057.jpg" class="IMAGE_MID" height="720" width="480" /></center>]]></content>
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    <title>遠野不思議　第六百八十話「朝日巫女の古碑」</title>
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    <issued>2012-07-01T20:19:00+09:00</issued>
    <modified>2019-10-13T18:09:12+09:00</modified>
    <created>2012-07-01T20:19:06+09:00</created>
    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201207/01/75/f0075075_209089.jpg" alt="_f0075075_209089.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center><br />
上郷町岩崎に、花崗岩で出来た朝日巫女の古碑がある。現在は、刻まれた文字もすっかり摩耗し、知らぬ人にとっては単なる石の塊にしか見えない。これを祀る細川家では、お盆や正月に必ずここを参る習慣があるという。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201207/01/75/f0075075_201595.jpg" alt="_f0075075_201595.jpg" class="IMAGE_MID" height="375" width="500" /></center><br />
また、この古碑がある同じ山林には別に朝日巫女の墓と云われるものがあり、毎年お盆には参るそうだ。つまり墓とは別に、この古碑は磐座の上に置かれている事から、神として祀られている朝日巫女であるのだろう。]]></content>
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    <title>遠野不思議　第六百七十九話「猫沸」</title>
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    <issued>2012-07-01T13:39:00+09:00</issued>
    <modified>2012-07-01T19:12:29+09:00</modified>
    <created>2012-07-01T13:38:38+09:00</created>
    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201207/01/75/f0075075_13262882.jpg" alt="_f0075075_13262882.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center><br />
上郷町の早瀬川の辺に建っている石碑を見ていた。そこには古峯山や庚申の石碑が建っていたが、その中に１つだけ小さな石碑があった。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201207/01/75/f0075075_19124987.jpg" alt="_f0075075_19124987.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center><br />
見ると「猫」とある。しかし下の文字が苔で隠れてわからないので、申し訳ないが無理に苔をはがし取って見た。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201207/01/75/f0075075_13283653.jpg" alt="_f0075075_13283653.jpg" class="IMAGE_MID" height="320" width="480" /></center><br />
一瞬『猫佛?』と読んでしまったが、よくよく見ると「猫沸」とある。帰ってから「沸」を調べてみたら、「沸(にえ)」とも読む事がわかった。「沸(にえ)」とは「日本刀の刃と地肌との境に現れる、銀砂をまいたように輝いて見えるもの。」という説明があった。猫と金属の繋がりを感じる石碑であるが、実際は「沸(にえ)」では無く「沸(わく・ふつ)」なのかもしれない。ただし「にえ」という言葉には「神に捧げるもの」の意がある。果たして、この「猫沸」という謎の石碑の意味はなんであろうか?<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201207/01/75/f0075075_188466.jpg" alt="_f0075075_188466.jpg" class="IMAGE_MID" height="487" width="500" /></center>]]></content>
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    <title>遠野不思議　第六百七十二話「水神の碑」</title>
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    <issued>2011-12-04T06:22:00+09:00</issued>
    <modified>2011-12-04T06:40:16+09:00</modified>
    <created>2011-12-04T06:22:12+09:00</created>
    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201112/04/75/f0075075_635291.jpg" alt="_f0075075_635291.jpg" class="IMAGE_MID" height="750" width="500" /></center><br />
天保十四年、遠野の猿ヶ石川の氾濫の防御の為に、水神の碑が祀られ建てられた。またその時に松が沢山植えられた為に、愛宕神社の麓である猿ヶ石川沿いは松原と今でも呼ばれている。その松原の地である愛宕橋の入り口脇に、画像の水神の碑が建てられているのだが、何故に「水波能売命」を祀ったかというのも、元々この倉堀神社に「水波能売命」が祀られていたのに呼応した為であったようだ。<br />
<br />
また小烏瀬川にも大蛇退治の伝説が伝わっており、退治した大蛇の頭は石化し、その尻尾は大樽の地に祀られたが、そこにも水波能売命が祀られている。氾濫する暴れ川が竜蛇神に見立てられてのものであったのだろう。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201112/04/75/f0075075_64680.jpg" alt="_f0075075_64680.jpg" class="IMAGE_MID" height="750" width="500" /></center><br />
この水神の碑を建てた四戸長作は、機転の利く人物であったようで、土木作業をしている時に、夥しい石に辟易し人夫を使って片付けようにも、怠惰な人夫はなかなか動こうとしない。ある場所に大きな窪地があったので、そこに木を一本立てて、餅などを懸賞として人夫を競い合わせて、忽ちに石を窪地に埋め込んで片付けたとの逸話が伝わる。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201112/04/75/f0075075_642051.jpg" alt="_f0075075_642051.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center>]]></content>
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    <title>遠野不思議　第六百六十四話「三吉大神碑」</title>
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    <issued>2010-05-09T12:22:00+09:00</issued>
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    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201005/09/75/f0075075_11483490.jpg" alt="_f0075075_11483490.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center><br />
この三吉大神の石碑は秋田県出身の佐藤氏により、蓬田橋付近に建てられたが、現在は給食センターの辺りに移転さている。蓬田橋付近には蓬田遺跡というものがあり、所謂”聖地”であり、その聖地の水に関するものに三吉大神が関連するらしい。実は三吉大神がここに建てられたのは、遠野にも縁が深いとされているからだ。三吉大神を調べてみると、菅江真澄の「月の出羽道」には「比咩賀美箇嵩。此御嶽は瀬織津姫を祀ると云ひ、また𣑥幡千々姫を齋と云ひ…。」とある。この比咩賀美箇嵩とは現在太平山と呼ばれ、登山客に人気の山のようだ。比咩賀美箇嵩…現在の太平山の山頂には太平山三吉神社奥宮があり、途中には御滝神社と御手洗神社があって、どちらにも火産霊神と祓戸神が祀られている。祓戸神とは瀬織津比咩の異名であるから、要は瀬織津比咩が祀られているとい事だ。つまり早池峰大神と呼ばれる瀬織津比咩が三吉大神と同じであるから、遠野にも縁が深い為に蓬田橋という川辺に三吉大神碑が建てられたのたろう。]]></content>
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    <title>遠野不思議　第六百五十八話「抗の供養碑」</title>
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    <issued>2009-08-23T15:36:31+09:00</issued>
    <modified>2009-08-23T15:36:29+09:00</modified>
    <created>2009-08-23T15:36:29+09:00</created>
    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>遠野不思議（石碑）</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/200908/23/75/f0075075_15305982.jpg" alt="_f0075075_15305982.jpg" class="IMAGE_MID" height="667" width="500" /></center><br />
来内村の砂子沢にあった家に、強盗が押し入り、家内全てを惨殺したという。<br />
そしてその家を根城として、他の来内の部落を荒らした強盗がいた。その強盗<br />
を部落の人々は皆で力を合わせてその強盗を退治したのだと。しかし、御霊信<br />
仰から、祟りを恐れて奇妙な自然石を供養碑として置き、今に至るという。]]></content>
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