遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
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カテゴリ:「トイウモノ」考( 49 )

河内明神トイウモノ

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以前、簡単に土淵町の河内明神について、書いた事がある。土淵の郷土史によれば、土淵全体が「河内明神」と「諏訪明神」によって開発されたのではないか?と、考えられているようだ。「諏訪明神」は、有名な長野県の諏訪。ところが「河内明神」の発祥がわからなかった。その為に東北全般に及ぶ羽黒修験の影響を意識し、その東北で、いくつもの河内神社がある山形県を参考にしたのだったが、その大元は違ったようだ。

実は、この遠野の「河内明神」を、どう読むのかわからなかった。遠野には、河内という姓があり、その殆どを「かわうち」と呼んでいる。ただ国として河内(かわち)国がかってあったが、その河内(かわち)も「古事記」によれば本来「川内」と記されていた事からも、「かわうち・かわち」のどちらでもよいのだろう。しかし河内明神として調べると、その殆どが様付をして「こうち様」と呼ばれる。そしてどうも、河内明神として古くから信仰されているのは、和歌山県牟婁郡を流れる古座川の河内明神のようである。和歌山県牟婁郡の河内明神の信仰は、元々古神道にのっとった信仰で、鳥居も無かったようだ。それ故に、神社関係の本には、殆ど記載されていなかった。明治時代の神社誌によっても、山形県の河内神社がある程度で、どうやら藩主が勧請したらしいというのはわかったが、それがどこなのかまでは、わからなかった。ただ和歌山県牟婁郡の河内明神は、「紀伊続風土記」によれば、かなり古くから信仰されていたもののようで、どうも平安時代まで遡るようである。

そして「河内(こうち)」の語源を調べていくと、それは「カカチ」からきているのがわかった。そう「カカチ」とは、”蛇の古語”である。牟婁郡の河内明神を信仰していたのは、古くからの農村の四ヶ村であった事からも、蛇と関係が深いとされる川の水を引く農地開発に関係したであろう。それは、土淵の開発に重なる。ただし、和歌山の牟婁郡の農地開発と、遠野の農地開発では、かなりの時代の隔たりがあるだろう。ところで和歌山県牟婁郡の河内神社に祀られる祭神は素戔男尊となっているが、村人達は「河内(こうち)様は、元々は蛇である。」と断言している。河内様の神域は河内橋の下手一帯で、そこを「六蛇の瀬」と呼んでいる事からも、蛇であろうと思われる。

先に記した河内国だが、気になるのは物部氏の勢力圏内であったという事。この和歌山県の牟婁郡は、熊野に隣接しているのだが、この”牟婁(むろ)”の由来は、ウィキペディアによれば「牟婁の由来である「室」は「周りを囲まれた所」を意味し、三方を山に囲まれた田辺湾を指す地名てある。」としている。岩手県の室根は、和歌山県の牟婁郡から蝦夷平定の為に、蛇神でもある早池峯の神が運ばれて来た事に由来しての”室根(むろね)”であった。遠野には、土淵町の”高室(たかむろ)”と、小友町の”土室(つちむろ)”がある。その小友町の土室に鎮座する篠権現には”御室様”が祀られているという。また、同じ小友町の堂場沢稲荷には、御室様を祀る奇岩がある。御室の意味の一つに「神を囲う場所」という意味があるが、古くからの信仰として御室神事を執り行ったきたのは、蛇を祀る諏訪大社である。熊野に隣接する牟婁郡の牟婁も恐らく室で「蛇神を囲う場所」という意があるのではなかろうか。何故なら古座川だが、以前は祓い川という名であり、上流に祓神社が二社ある事からも蛇に関係が深いのが理解できる。「大祓祝詞」によれば祓戸の神は、”罪をカカ呑む”と記されている。カカ呑むとは、蛇の丸呑みの事である。その袚戸神の中心は、熊野大神でもある事から熊野大神の蛇神としての別の姿を囲うという意になるのではなかろうか。話が飛んでしまったが、”室”が登場した古くは「古事記」における、根の国の素戔男尊が登場したくだりである。大己貴命が素戔男尊によって”蛇の室”に泊る事になったが、須世理姫が与えた”蛇の比礼”によって事無きを得たのだが、この蛇の比礼は”物部の神宝”でもあるのだ。それ故に、物部氏の勢力圏であった河内国と河内明神が、まったく関係無いとも言い切れない面がある。

ともかく遠野の土淵は、「諏訪」と「河内」という二匹の蛇によって農地が開発されたと考えるべきか。それが和歌山県の牟婁郡に関わるものであるならば、恐らく熊野修験が関わっている可能性があるだろう。その開発された時期は、土淵の郷土史によれば「尾崎神社縁起」”明神をそこに配置し、開発につとめさせた”事が記されているので、時代は安倍氏の時代から阿曽沼の時代に河内明神を祀り、開発したのであろうという事だ。しかし、何故に土淵の開発の事が「尾崎明神縁起」に記されているのかだが、それは尾崎明神なるものが安倍宗任と関係するものと考えているが、それは別の記事で書く事とする。ただ紹介するとすれば、尾崎明神も鱗があり、安倍宗任もまた鱗があるとの九州の伝承がある事から、尾崎と安倍宗任は結び付くものと思う。ともかく「蛇!蛇!蛇!」である。安倍氏が深く関わる遠野市の土渕もまた、蛇に大きく関わっているようである。

by dostoev | 2019-07-07 21:22 | 「トイウモノ」考

「遠野物語」トイウモノ

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「遠野物語」…柳田國男は、何故にこのタイトルとしたのだろうか。「物語」とは、一般的に「話し、語る事」であり、「様々な事柄について語る事である。」という定義がある。その中には当然、創作の話も加わる。また「物語」とは広義的に、他人に対して語られるものとされる。確かに「○○物語」というものは、多くの読者に読んで欲しいモノであると受け取られている。そういう意味から他人に対して語るも、他人に読んで貰いたいも同義となる。ただ本来「物(モノ)」と呼ばれるものに鬼や御霊が含まれていた。ただその物(モノ)も言霊の一種であり、「鬼」と言えば鬼が寄って来るものと信じられていた為に、敢えて鬼をモノと称していた時代があった。赤坂憲雄「異人論序説」において、赤坂氏は「物語」とはこうであると述べている。

「物語りとは、いわば、モノ(鬼・御霊)と化して浮遊するマツロハヌモノらのための鎮魂儀礼である。」

この赤坂氏の言葉を創作話としてリアリティを持たせたのが、小泉八雲「耳なし芳一」である。「耳なし芳一」では、平家の亡者達に対して語る「平家物語」が、霊の鎮魂となっていた。つまり小泉八雲は「物語」トイウモノの本質を知っていたという事になろう。恐らく、柳田國男もまた、「物語」の本質を知っていたものと思われる。佐々木喜善から聞いた話を、選択しまとめあげた話を「遠野物語」とした。そこには遠野に伝わる全ての話が載っているわけではなかった。あくまで、柳田國男の想いと重なる話が「遠野物語」であったろう。その想いとはねなんであったか。それは恐らく、南方熊楠との書簡でも明らかだが、山人・山男に対する想いであったろう。柳田國男は、遠野にはまだ山人・山男がいるのではないかと期待していたようだ。しかし南方熊楠に、その想いは否定されたのは周知の通り。つまり「遠野物語」とは、柳田國男による山人・山男に対する鎮魂儀礼でもあったのかもしれない。もしくは、文明開化と共に主流となりつつある西洋文明の大きな流れに流されていく、古い時代の遺物に対する鎮魂儀礼であったのかもしれない。赤坂憲雄の言う「マツロハヌモノ」には、時代の流れに取り残された遠野の民も含まれるのかもしれない。その時代の変換期に、今尚古き時代を歩む遠野の民と文化と信仰が、新しい時代の流れに呑み込まれ無くなるであろうと予見した、柳田國男の山人・山男を含む全ての遠野に対する鎮魂儀礼が「遠野物語」であったのかもしれない。

by dostoev | 2018-08-28 21:46 | 「トイウモノ」考

南部鶏舞トイウモノ

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早池峯神社の夜神楽に、鶏舞がある。この鶏舞は、南部神楽の演目のようである。それ故に、画像でわかるように早池峯神社の幕には、南部の家紋が描かれている。この鶏舞は、「古事記」においては天岩戸に籠った天照大神を出そうと、常世の長鳴鳥を集め、互いに長鳴きさせた事を再現したものだとされている。長鳴鳥は、鳴声が暁を告げ、闇の邪気を祓う太陽の神使とされている。伊勢神宮の神使が鶏になっているのは、この「古事記」の記述によるものである。
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ところが鶏舞は、雌雄の鶏が踊るものとなっている。東北において雌雄の鶏で、何を思い出すだろうか。それは恐らく、奥州藤原氏が金鶏山に黄金の雌雄の鶏を埋めた伝説ではなかろうか。更に気になるのは、鶏冠の兜のデザインである。恐らく南部時代から続くデザインと思われるが、そこに鶴があしらっているのは南部氏の家紋である向鶴を意図してのものだろう。ただ、鶴は鉱山用語で「鉱脈」を意味している。そして、兜の左右に赤い玉と、白い玉が描かれている。それは日月を意味しているもので、かなり興味を引く。何故なら天台宗、及び真言宗での日月とは、明けの明星である金星を意味するからだ。鎌倉時代の「梵天火羅図」には金星とは形如女人。頭戴酉冠。白練衣弾弦」と記されているが、様は女神であり、琵琶を弾く事から弁才天や吉祥天に習合しているようである。平泉は、天台宗や真言宗の影響を受けていた。その台密・東密において、金星とは、下記の様に記されている。

「中尊志神伝。人魂魄也。但頂鶏戴事。僧正本命曜之金曜也。」

中尊が人の魂魄であり、中尊の頭部の鶏冠は僧正の本命曜が金曜星であるとしている。奥州藤原氏の築いた中尊寺の名は、ここからきているのだろう。金鶏山に黄金の雌雄の鶏を埋めたという伝説は、金星に対する信仰に基づくようだ。ただし、あくまでも九曜の中の金星である事から、南部氏の家紋に刻まれている九曜紋の信仰が根底にあるだろう。
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さて一歩引いて、鳥舞が天照大神を天岩戸から出す為の手段であるとしよう。早池峯神楽でも、天岩戸舞はある。この舞で現れ出でた天照大神は、黄金の面を付けている。太陽を色で表す場合、赤色、もしくは白色と、月と重なるときがままある。それが黄金色であっても、違和感は無いだろう。ただ、黄金色の大抵は、仏像で使用される場合が多い。以前書いた記事に、「遠野物語拾遺126(三面大黒 続編)」がある。その記事に書いた様に、黄金色の仏像などは、そのまま黄金を意味していた。早池峯神社には、三面大黒の体内仏に黄金の十一面観音像があったと記している。これは山に内包物である金鉱脈を意味するもので、それを手にする為に始閣藤蔵などが、早池峯山に祈願している。早池峯神社の前夜祭で繰り広げられる夜神楽には、南部氏の意識が含まれていたものと思われる。恐らく、鶏舞は天岩戸から黄金の天照大神を出す為の前座の舞であろうが、その背景には金星信仰と九曜信仰があり、それは南部氏が元々採掘・冶金の氏族であった事を意味するのだろう。

by dostoev | 2018-02-09 18:07 | 「トイウモノ」考

天女トイウモノ(其の一)

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菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」において菊池照雄氏は、館と沼の御前と天女伝説が何故か結び付いていると問題提起した。「遠野物語拾遺1」「遠野物語拾遺3」「遠野物語拾遺4」にも天女、もしくは天人児の話として紹介されている事から、遠野でも天女伝説は大切なものとして定着したものだろう。その最もたるものは、遠野三山神話になる。早池峯山、六角牛山、石上山の三山に、三女神が向かうのには歩いて行く表現もあるが、飛んで行くという表現もある。日本の古代では、天を山の上とも定めていた。その山の上に飛んで行く遠野三山の女神は、天女でもあった。蓮華を手にした女神は早池峯を手にする事がとされるが、蓮華を象徴するものは吉祥天女である。つまり、早池峯を手にした女神は吉祥天女でもあるという事。これは、北の守護神でもある毘沙門天に対比されるものでもある。その毘沙門天の妻は、吉祥天とされている事からも、早池峯山へと据え置かれた女神は、当時の朝廷の考えに則った女神である。早池峯の女神は瀬織津比咩という神名を持っているが、その古くは熊野から養老年間に蝦夷征伐の為に室根山へと運ばれて来た女神であるが、当時最強の女神という触れ込みであった様。

これは遠野だけでなく日本全国に拡がる天女の話ではあるが、日本に於いては「近江国風土記」「丹後国風土記」の天女伝説が元になるのであるのだろう。しかし、これら「風土記」の羽衣伝説もまた、何かをモチーフにして創作されたものと思わねばなるまい。例えば阿蘇の羽衣伝説を調べると、神武天皇の孫がその地を支配した時、その土地の娘を強奪して奪った、もしくは土地の地母神を奪った行為が、羽衣伝説になったものに思える。司東真雄「東北の古代探訪」によれば、大昔から蝦夷が神としていた山に上毛野国から来た上毛野氏が駒形神を祀った為に、蝦夷の反乱が起きたと記されている。神を祀る地に、別の神を祀るとは、その神や、神を祀る人々に対する冒涜になる。しかし、その土地の地母神を妻にするというのは、ある意味融和策であろうが、人質にとったものでもある事から、その土地の者達は手出しを出来なくなる。

天女の起源はインドに求められる様だが、古代中国での一般的は、天の川と重なる天女伝説となる。天の川といえば、天照大神と素戔男尊の誓約の場面は、天の安川を挟んでのものだった。天の安川とは、天の川であるとされる。更に素戔男尊が手にする十握劒を天照大神が手にして三つに折り、天眞名井の水で濯ぎ噛みに噛んで噴きだした狭霧から誕生したのが宗像三女神であった。「丹後風土記」で眞名井の池で水浴びしていたのが天女であるから、恐らく天眞名井の水の狭霧から誕生した宗像三女神が天女のモデルになったのではなかろうか。「丹後風土記」に登場する豊受大神だが、中世には天照大神よりも神格の高い女神とされた。江戸時代になってお伊勢参りが盛んになるが、それは伊勢神宮での豊受大神を祀る外宮参りであって、天照大神への参詣ではなかった。何故に豊受大神が天照大神を凌ぐ神格に昇格したかといえば、それは中世に創られた中世神話によるものであったよう。山本ひろ子「中世神話」を読む限り、豊受大神の存在そのものが、いろいろと利用されたものの様に感じてしまう。それ故に「丹後国風土記」もまた、豊受大神の神格の上昇に一役買っている気がしてならない。豊受大神は常陸国から丹後国に来たとの伝承もある事から、豊受大神を天女として考えるのは、ここでは差し控えたい。あくまで日本での天女の原型は、天照大神であり、宗像三女神であると思える。
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この前「妙見の女神」の記事を書いた時と同じ画像だが、妙見曼荼羅に描かれている七星閣には七人の女神が居り、そのうちの一人だけが下界に降りて来ている。七星閣は北斗七星を表しており、七人の女神は、その一つ一つの星に対応している。下界に降りた星の名は、「覚禅鈔」によれば「北斗七星之中一星下地。是文曲星。」でと記している事から文曲星という北斗七星を構成している一つの星である。文曲星は水精でもあるので、水を自在に操るともされる。それ故に、七星閣から地上に降りたった白いものは、水であり、滝を表しているのだろう。この文曲星の本地は、吉祥天であり十一面観音とされている。そして北を司る水精であり、泰山府君を配すとされている。この地上に降りる星として浮かび上がるのが、天台宗の秘法であった尊星王法である。これは聖武天皇時代、東北から金が発見されると託宣した琵琶湖近くの三井寺最高の秘法であると云う。

「近江国風土記」の羽衣伝説もだが、琵琶湖を中心とする豊かな水と、それを望む北斗七星が降りた伝説のある比叡山は、水と星の伝説に溢れる。その比叡山の麓で琵琶湖の辺である、かって天智天皇が都を築いた大津にあるのが、天台寺門宗の総本山が三井寺である。伝説の背後には、よく信仰が入り込む。ましてや聖武天皇は、深く仏教に帰依していたというが、その当時の仏教の主流は天台宗であった事からも、深く妙見信仰に結び付いていた。そして尊星王法も含む修法は、天皇が営ませる事を原則としていた為、妙見の信仰には政治的要素も入り込み、当時の為政者の意図が反映されていたものと思われる。中西用康「妙見信仰の史的考察」によれば、元明天皇・聖武天皇・孝謙天皇の即位の宣明には「近江大津の宮に御宇し天皇の改るまじき常の典と初の賜ひ定め賜へる法」と。つまり近江令の精神に従って政治を行えと云う旨が宣言されている。大津宮を築いたのは天智天皇で、その時に三井寺を創建する予定であったが、壬申の乱などで頓挫した。しかし天武天皇がそれを許可し園城寺の寺号を与えた。その後の天皇にも大津の精神が伝えられ、平安京を築いた桓武天皇は「近江大津の宮において制定された永遠不変の律令に従って万機を総攪する。」と宣言している。更に淳仁天皇の時代の即位の宣明には「北辰妙見菩薩呪」の一文が使用されている事からも、天皇の背後には常に天台宗がいた事が理解できる。

三井寺による尊星王法は、龍に乗った女神の姿で表されている。その竜は、北辰であり、北斗七星の姿であると。それがしばしば"九頭竜となって地上に降臨し"、三井の尊星水を守護したという。この龍に乗った女神は、三井法流では吉祥天女とされている。これはつまり、北斗七星での文曲星という事である。ところで九頭龍だが、九頭一尾の鬼と記された嘉祥二年の開創は、天台宗である比叡山の僧による書「阿娑縛抄」によるものだが、その200年後に戸隠山の僧による「顕光寺流記」によれば、比叡山の学問行者の前に「九頭一尾大龍」が出現していたという事らしい。それを別に「九頭竜権現」とも云う事から仏教と結び付いていたようだ。この九頭竜が何故、北斗七星の変化であるのか伝わっていなかったのは、あくまで当時の秘法であった為だろうか。その九頭龍は、白山にも出現しており泰澄が白山の池に祈ると九頭龍が現れ、真の姿を現わして欲しいと祈ると十一面観音が現れたという。また「彦山流記」でも、阿蘇の池に九頭龍が現れ、そして十一面観音が現れている。九頭竜を祀る戸隠神社は、天照大神の隠れた天岩戸の岩戸を天手力男神の手によって、九頭龍は隠されてしまったが、それは何故なのか。この戸隠神社と同じ事が起きているのが長谷寺である。長谷寺に奥の院と称する瀧蔵神社というものがある。古来より信仰が深い神社で「長谷寺へ参詣しても当社(瀧蔵神社)へ参詣しなければ御利益は半減する。」と云われているのだが、そこにも九頭竜が祀られ、それを閉じ込めるかの様に天手力雄神もまた祀られている。それは天照大神の命を受けて、天手力雄神が来た事になっているが、それは戸隠神社と同じ理由の様であった。ここで解せないのは、何故に北斗七星の化身である九頭竜が封印されたのか。また九頭竜本来の姿である北斗七星の姿を隠し続けなければならなかったのかという事。更に、この尊星王法とは、太白金星をもモデルにしていると云う。金星で思い出すのは、香香背男であり、天津甕星という悪神とされた星神である。この香香背男は隠岐においては、龍神であり水神として信仰されていた。また二荒山を開山した勝道上人は、金星を求めたという。妙見菩薩が両手に日月を手にしているのは、日と月を合せるのは明であり、金星を意味すると。しかしそれならば、何故神話の上で金星を表す香香背男であり天津甕星が悪神とされたのか理解出来ない。恐らく大切な神でありながらも、表に出せなかった理由があるのだろうと察する。

このように天女の話で始まったのだが、恐らく簡単に天女だけの話で済まされなくなってしまったようだ。ともかく日本における原初の天女の形は、天の安川で対峙した天照大神であったろう。今となっては、それが本当の天照大神であったかさえも疑問となる。何故なら、「日本書紀」などの記述から、天照大神が武装して前面に立つ筈もない。ましてや天の川に立つ天照大神は、その性質から有り得ない話となる。次は、その天照大神と天女を絡めての話としよう。

by dostoev | 2018-01-31 23:06 | 「トイウモノ」考

「九」トイウモノ

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菱川晶子「狼の民俗学」を読んでいくと、金沢のオイノ祭が紹介されている。自分は一度も見た事は無いのだが、地元の方に聞くと、ただ行列を組んでお供え物をあげてお終いの祭りだから、見て面白いものじゃないよとは聞いていた。この金沢は「遠野物語64」において「金沢村は白望の麓、上閉伊郡の内にても殊に山奥にて、人の往来する者少なし。」と紹介されている。遠野から行く場合は、340号線から川井の手前から土坂峠を越えていくか、貞任高原を走る舗装道路を道なりに走り、標識のある大槌との境界から左へ曲がり窓貫峠を抜け、小槌川沿いの林道を下る難所を通らねばならない。土坂峠は冬場はどうにか行けるが、窓貫峠経由は貞任高原への道が冬季閉鎖となる為に、まず無理であろう。その金沢で毎年2月19日に"オイノ祭"が行われている。ただ19日にはなっているが、それは毎年限りなく19日に近い日曜日に行われる様になったという事である。となれば来月2月のオイノ祭は、2月18日の日曜日になろうか。

この金沢には、三峯山の碑が25基確認されている。その石碑の建立日の殆どが19日になっているのは、本山である秩父三峯神社での御焚上の神事が、毎月10日と19日に行われている事に対応しているようだ。その中でも19日は、全国へ遣わされた眷属へ向けられている事から、三峯山碑の建立日、及び祭礼が19日に設定されているようである。つまり19日は、狼の縁日と思って良いのだろう。しかし、ここでフト頭を過ったのは「遠野物語拾遺275」にも記されている、神仏の御縁日だ。その中で9日は、稲荷様。29日は蒼前様となっている。新しい時代であれば、稲荷様は狐を意味し、蒼前様は馬を意味する。これに狼を加えれば、何故か9のつく日は動物神があてられている事に気付く。これは、何故なのか。単純な発想で考えれば、例えば狐と9の数字を組み合わせれば、九尾の狐が思い浮かぶ。漫画「ナルト」にも九尾の狐は登場していたが、それ以上の数の尾獣は登場していない。それは、9という数字が最高数でもあるからだった。数字は、1から始まって9で終わり、その繰り返すをする。

古代中国では、九天のもとに、九野、九州、九山、九塞、九藪がある九地が広がっていると考えられたようだ。以前「九重沢」という記事で書いたので重複するが、韓 愈(768年~824年)は、古代中国の唐中期を代表する文人であった。その韓愈の詩の一節の一部に、こう記されている。

一封朝に奏す 九重の天

この「九重の天」とはどういう意味であろうか。それについて、星見の家系に伝わる話がある。古代の星見の仕事をしていた人間を、天官と呼んだ。天官は、いつも夜空の観測をしていた。その星見の仕事をする者達の間では、観星台の事を「隈元(くまもと)」と呼んでいた。その星見系に伝わるのには、天であり夜空であり、宇宙の空間を「九間(くま)」と記していたと云う。「隈なく見渡す」の「隈なく」とは、空の隅々までという意味となる。その九間の成立は、八方と玄天から成り立つと。即ち、八方の中心となる北辰の座が九間であった。韓愈の詩に書かれる「九重の天」とは、この八方と北辰から成り立つ「九間」であると。この「九間」なのだが実は、魔方陣で構成された九つの間でもあるようだ。初めの九天からなる世界は、古代中国の創世神話に登場する伏犠と女媧によって作られた世界であり、伏犠は3×3の合計九個の桝目から出来る魔方陣を考え出したという。つまり九間とは、その魔方陣である。この魔方陣から誕生したのが、九星占術であり、九天を意味する。九字護身法と呼ばれるものがある。これは漫画や時代劇などでもよく登場するもので「臨兵闘者皆陣烈在前」と唱えて九字を切るというもの。この九字の根源が、伏犠の魔方陣でもあるようだ。
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妙見神の始めは、熊本の八代にある妙見宮が古いとされる。その妙見神は「大亀にのって来た女神」とされている。しかし北へ行くに従い、海の無い地域では、なじみの薄い亀に対しては反応が薄い様で、関東から北ににかけては白馬になったり、狼にも変化している。しかしこれは裏付けがあるもので「西の真言、東の天台」と云われた様に、関東から北へと布教したのは天台宗であった。その天台宗の秘法に尊星王法がある。武田和昭「星曼荼羅の研究」には、その尊星王法の曼荼羅も紹介されているが、「阿娑縛抄」によれば、妙見の形は不同であるとしている。つまり、同じ形に固定されるものではないと。一般的な妙見神とは、大亀に乗る女神と龍に乗る女神の二つに分けられるが、その変化は鏡によるものであるという。
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鏡は、月を見立てたものだとされる。その鏡には、自分と鏡に映る別の自分の投影されている。月を介して和魂と荒魂の概念は、ここに集約されるようだ。神社の御神体に鏡が多く採用されているのは、一つの鏡に和魂と荒魂があるとされたからだろう。ところが天台宗の秘法に尊星王法には、ありとあらゆるものが集約された存在であるよう。その中には九曜もあり、当然月や太陽も含まれる。千葉氏で有名になった九曜紋のデザインは恐らく、曼荼羅からであろう。その天台宗の秘法に尊星王法の曼荼羅によれば、月の使役は狼となるようである。九曜に獣を配している事からも、九という数字を付けるのは、妙見神の使役という事になろうか。それ故に、9日、19日、29日が各々獣の縁日にされているのは、妙見神を意識してのものであったか。

by dostoev | 2018-01-17 19:23 | 「トイウモノ」考

嫁トイウモノ

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かみさんから「そんな無駄なブログなんて、やめてしまえ。」と言われた。まあ、仕事に直結していない事から、無駄といえば無駄。だからといって、ここまで積み上げたものを簡単にはやめられない。ここでフト、子供の頃に覚えた歌のフレーズが出て来た。「いやじゃありませんか家の山の神…。」ドリフターズの「ほんとにほんとにご苦労さん」という歌の中にある歌詞の一節だ。この時は、ただ歌詞を覚えただけで、「家の山の神」が、どういうものかを理解していなかった。ところがそういう場合、子供同士で情報交換があり、山の神とは母親の事を言うのだと、何となく理解した。それが明確に理解出来たのは、自分の父親と母親の力関係を子供視点で見ていくと『なるほど。』となるのに、そう長くはかからなかった。そういう流れの中「刑事コロンボ」というドラマが始まり、主役のコロンボ刑事の口癖に「家のかみさんがね…。」というがあった。やはり、常に"かみさん"を意識している刑事コロンボは、かみさんに頭が上がらないようであったのは、古今東西同じなのだとも理解できた。ただそれでも、本来の山の神がどういうものかは、まだわかっていなかったが…。
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ところで、山の神は別に略して「かみさん」とも言われるが、別に「妻」とか「嫁」とも言われる。「妻」は「古事記」にも記されているのでわかるが、「嫁」とは「女」と「家」の結び付き。これは、他人の家に入る女という感覚で思っていたが、取り敢えず「日本語源大辞典」で調べてみた。

嫁とは「息子と結婚してその家の一員となった女性」と説明されている。それでは、その語源はというと、下記に一覧を書く事にしてみる。

1.「呼女(よびめ)」家に呼んだから。
2.「弱女(よわめ)」立場が弱いから。
3.「吉女(よめ)」良女(よきめ)の義。良い女、幸運をもたらす女と解釈か。
4.「世継女(よつぎめ)」世継ぎを生む女。
5.「夜女」夜の殿に仕える女の意か。


まあいろいろあるが、どれも確定ではないようだ。ところで別に「嫁が君」という言葉がある。これは何故か、鼠の異称とされている。「遠野物語」で有名になったオシラサマの話は、馬と娘が結び付いた話になっているが、古くは「日本霊異記」に人間の男と子供までもうける「狐女房」という異類婚の話もある。鼠になると、室町時代成立の「鼠の草子」では逆にオシラサマと同じく、人間に化けた鼠と人間の娘が婚姻を果たす話になっている。ただ、正体がばれて娘は逃げ出してしまう事が、オシラサマとは違ってくる。だが、オシラサマの別譚では、馬を嫌っていた娘を強引に連れて行く話もあるので、一概にオシラサマは馬と娘の恋物語では無い。そして仏教思想が蔓延すれば、畜生類と結び付くのは畜生道に堕ちるとも考えられていた筈である。動物との異類婚を認める事は、普通有り得ないだろう。
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ところで鼠で思い出すのは、地下の住人という事である。「古事記」では、大国主を素戔男尊が放った火から地下へと導いて助けたのが鼠であった。そこでもう一度「嫁」を調べると「夜目(よめ)」という言葉がある。これは先の鼠が「嫁が君」とは本来、夜に行動する鼠を意味して「夜目が君」ではないかとしている。ただ鼠は、そんなにも夜目がきくわけでは無いらしい。その「夜目」とは「夜モノ」の転であるようだ。「夜モノ」とは「名前を呼ぶ事を忌はばかる恐ろしいもの」。これは夜行性の獣全般に言えるようだが、ようは夜と云う時間帯は人間では無く、神や魑魅魍魎の時間帯となる。つまり夜モノとは闇のモノと考えても良いだろう。闇が広がるのは、黄泉国もそうである。鼠が「嫁が君」と呼ばれる背景には、もしかして黄泉津大神(よもつおおかみ)がいるからではなかろうか?鼠は、黄泉津大神の使いであると。闇の国である黄泉国を支配するのは、女神だ。「嫁が君」とは暗に黄泉津大神である伊邪那美を指している可能性があるだろうか。

津は「~の」の意であるから黄泉津は「よもの」とも読める。黄泉津は闇世界であるから、そこに君臨する黄泉津大神とは、伊邪那美の変化である。伊邪那美は黄泉津大神となって伊弉諾に対して「一日、千人の人間を殺す」と宣言した恐ろしい女性である。となれば、「家の山の神」も「嫁」もまた、恐ろしい存在として認識されたという事になるか。
by dostoev | 2017-12-28 12:42 | 「トイウモノ」考

マリオネット(中森明菜)トイウモノ

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「マリオネット」

「マリオネット(別バージョン)」
中森明菜は昔、たびたび見かける歌番組で、他の歌手と比較して『何となくいいなぁ。』という存在だった。だからといって、特別に聴いていたわけでもなかった。それがひょんな事から、たまたまネットで中森明菜を検索している最中、この「マリオネット」という動画にぶち当たった。この動画を観た瞬間、衝撃が走ると共に脳裏に浮かんだのが、澁澤龍彦「少女コレクション序説」と、藤田和日郎「からくりサーカス」だった。動画を観た後に、本棚の奥にあった澁澤龍彦と藤田和日郎の本を取り出したのだった。

この「マリオネット」という歌を調べると、1986年8月11日に発売された中森明菜の9枚目のアルバム「不思議」の中に収録された曲であった。この時の中森明菜は、21歳。動画は、歌番組でもある「夜のヒットパレード」での収録で、中森明菜「不思議」のアルバムの中から「Back door night」と「マリオネット」が歌われている。この動画の歌では、中森明菜の声にエフェクトがかかり、少々聴き辛くなっている。ただこれは、中森明菜「不思議」のアルパムでの声の表現がやはりエフェクトがかっている為、この「夜のヒットスタジオ」でそれを再現したのだろうが、それが残念だ。出来れば、同じ衣装で同じ振り付けで、そして同じ表現とテンションで、エフェクトがかからない中森明菜の生の声を聴いて観たいものだ。
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中森明菜「マリオネット」の動画を観て思い出した藤田和日郎「からくりサーカス」だが、連載されたのが1997年からであるから、この中森明菜「マリオネット」よりも時代は、後の事になる。この藤田和日郎「からくりサーカス」は、どこか悪魔的な漫画であった。作中では、人間を絡めた中に、懸糸傀儡(マリオネット)と自動人形(オートマータ)の戦いが描かれている。実は中森明菜「マリオネット」の歌詞「ゆるやかに踊る 月照かりのなか」という歌詞の一節を動画の中で見た瞬間に「からくりサーカス」の絵が浮かんでしまったのだった…。

マリオネットは糸で操る人形だが、オートマータは糸無しでも自在に動ける悪魔的な人形となる。このオートマータは「ギリシア神話」にも登場するダイダロスのウェヌス像を取り入れて、藤田和日郎が漫画の設定にしたのだろう。ダイダロスは鍛冶の神であるヘパイトスの真似をして、独りでに動く木製のウェヌス像を造った。ウェヌス像は、体内の水銀によって動く仕掛けになっていたという事から、「からくりサーカス」でフランシーヌ人形が造り出した、自動人形(オートマータ)に意志を与える水銀のような液体とは、そのまま水銀でよいのだろう。自分が観た中森明菜の踊りは、どこか「からくりサーカス」の自動人形(オートマータ)が月明かりで踊る様に感じた。といっても漫画には動きは無いので、あくまでそう感じただけだ。ただ「からくりサーカス」のアニメがあったかどうかはわからない。アニメを見れば、自動人形の(オートマータ)の踊りを見る事が出来ただろうか。

自動人形(オートマータ)には意志があり、その人形が意志を成しての行動は、日本において安倍晴明が人形を作って占術を施し、用済みとなった人形を、一条大橋の河原に棄てたところ、その人形が人間と交わって子供を産んだという話にも近い。「からくりサーカス」の人形も安倍晴明の人形も、悪魔的な人形でありながらも人間に近い心を持っていた事から、人間と接しなければ生きていけない悲劇的な側面も持ち合わせている。
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そして、何故に澁澤龍彦「少女コレクション序説」が脳裏に浮かんだのかというと、マリオネットなどの人形の背景がいろいろと書いていた筈だと思ったからだった。そして何故、中森明菜が魔女の様な歌い方にし、魔女の様な衣装と振り付けで黒魔術を彷彿させるような表現にしたのかという事が気になったからである。とは言っても、恐らく当時21歳の中森明菜は劇的に忙しくて、澁澤龍彦を知る暇も無かったのではないかと思える。また、中森明菜が歌っている時の振り付けも、調べると振付師によるものではなく、自分で考えた振り付けをしていたようだ。付け加えれば、衣装もまた中森明菜が曲に感じたものをスタイリストなどと一緒に再現していたという。更に加えれば、演出もそうであったようだ。とにかく中森明菜は、歌のイメージを直感的に捉えた振り付けと衣装と演出をしていた事になるだろう。だから、ここで澁澤龍彦なんちゃらを語る事は無意味なのだが、それでも気になった事を書き記そうと思う。

澁澤龍彦「少女コレクション序説」の中の「人形愛の形而上学」に、こう記されている。「そもそも遊びや玩具のなかで、その起源に、"魔術的"ないし宗教的な意味を見出すことができないようなものは、ほとんど一つもないのである。」。これはつまり、どんな人形の背景にも魔術的要素が含まれているという事。また「ヨーロッパの魔術の歴史を通覧すれば、いわゆる「愛の呪い」や「憎悪の呪い」のために人形が使用されたという例は、それこそ枚挙にいとまがないほどであろう。」。愛に関する歌を多く歌う中森明菜が、「マリオネット」という曲で魔術的に演じた事は、まさにはまった感が強い。こういうマリオネットの背景を知らず、天性の感性で「マリオネット」を表現した中森明菜は、感性の天才であると思う。漫画「ガラスの仮面」的に表現すれば、当時二十歳そこそこだった中森明菜は「明菜、恐ろしい子…。」である。

ちなみに動画で「マリオネット」の前に歌われている「Back door night」も、主体を人形に置き換えてみれば、同じ人形としての歌にも思える。つまり、この「夜のヒットスタジオ」で表現した歌は全て、人形の愛と呪いという事になろうか。例えば、人形やロボットを人間が表現する場合、この時代でもカクカクッとした表現で、パントマイムやダンスで見事に人形やロボットを演じる人は多かった。しかし中森明菜は、そういう表現をせずに自分的な人形の在り方を表現している。それは、澁澤龍彦的に言えば自由意志を持った"愛の呪い人形"という事になろうか。ここでもう一度思うのは「明菜、恐ろしい子…。」である。

とにかく中森明菜の歌は"歌謡曲"として捉える方が多いと思うが、最近いろいろとYouTubeで観て来たが、そんな思い込みは吹っ飛んでしまった。中森明菜は、稀代のアーティストであった事を今になって、改めて感じた次第で、この記事を書いたのだった。
by dostoev | 2017-12-12 11:43 | 「トイウモノ」考

因幡の白兎トイウモノ

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前の記事で、朝倉は星見の座では無いかと書いた。実は「記紀」には明確に記されてないが、もしかして天体の話がかなりあるのでは無いかと考えてしまう。そこで気になるのは「因幡の白兎」の話だ。
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「月の兎」という認識が広まったのは、やはり古代中国だと云われる。紀元前4~3世紀の「天問」と云われ、また漢時代の「五経通義」「月中有兎」と記されている事から、それが日本にも伝わったのだろう。月には兎が棲んでいる。それがいつしか、月そのものが兎である様な認識にも変化している。
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「古事記」での「因幡の白兎」の話は、隠岐島から海を渡ろうと"わに"を騙し並べて渡ったものの、その寸前で騙した事を語り、"わに"の怒りを買い「あを捕へ、ことごとあが衣服を剥ぎき。」と、丸裸にされてしまった。兎が悲しんでいると、八十神が通り、兎は八十神の言う「海塩を浴み、風に当りて伏せれ」の通りにしたら兎の体は「あが身ことごと傷(そこ)はえぬ」と。

まず、海は「アマ」と訓むが、天もまた「あま」と読む。八十神に相対する大国主は、何度も死んでからの復活の話が多い中に登場する「因幡の白兎」の話も、死の境界を彷徨っている兎であり、その復活の話と捉えれば、大国主の流れに乗るものである。古代人が死と復活を意識したのは、やはり太陽であり、月だった。太陽は毎日、西の果てに死に、東から復活する。それと共に、月もまた同じ。ただ月の場合は太陽と違い、更に満ち欠けがあった事から、古代人にとっての神秘の度合いは、やはり月に注がれていたよう。やはり兎は月を意味して、渡ったのは海では無く天ではないのだろうか。

日本民族文化体系「太陽と月」には、三日月を見ると妊娠するという俗信が紹介されているが、へこんだお腹がまるで妊娠したように満ちる満月に、女性の妊娠を重ね合せている。更に兎が二重妊娠をする動物である為、極端な多産だ。月と兎と妊娠が重なるのは、必然であったか。

その月は、東から昇る時、また西へ沈む時は赤くなる。先の「因幡の白兎」も、兎の毛を全て刈り取れば、ピンク色の肌が見えて来る。それを、赤肌の兎と称しても良いだろう。現実的に、兎が毛をむしられるのは、人間が食べる時である。八十神の言う「海塩を浴み、風に当りて伏せれ」は、そのまま兎の肉に「塩をまぶして干し肉にしてしまえ!」という発言にも捉える事が出来る。恐らく「因幡の白兎」は、一度死んでいるのではないか?それが元の兎に復活する。
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石破洋「イナバノシロウサギ神話の新研究」の着眼点は、面白かった。ワニを並べて海を渡ったのは、兎の嘘だとしている。確かにワニを並べて海を渡ったとするシーンは、大国主に対して兎が一方的に話しているだけで、どこまで本当かわからない。石破洋は、兎は八上比売の使いで、大国主や八十神が八上比売と結ばれるに値するかテストする為だったと語っている。確かに兎の最後は莵神になっているのは、神の使役でもあったからとされている。もしくは八上比売は関係無く、兎そのものが初めから神であった可能性もあるだろう。何故なら出雲大社の宮司曰く「出雲大神とは大国主が崇敬する神である。」としている。その出雲大神とはやはり出雲にある熊野大社に祀られる神であろう。それは紀州の熊野と同じで「熊野権現御垂迹縁起」には、熊野神が三体の月になって天降ってきたという伝承がある事から、大国主が信仰した神は月神であった可能性はある。その大国主は何度も死に、最後には素戔男尊のいる黄泉国でもある根の堅州国へ行き、須世理姫を連れて地上に復活している。この大国主の命の復活劇の根底に、月信仰があったとしても不思議では無い。熊野では、兎の事を「巫女」と称する。つまり熊野神の使いという意味にも通じる。兎は月と結び付いて、その多産さから五穀豊穣と結び付いている。そしてそれが山神(サンジン)=産神(サンジン)という日本特有の語呂合わせでも結び付いているようだ。しかし突き詰めれば、その背景に熊野三山があったのだろう。だからこそ熊野の"歩き巫女"、つまり兎が伝え広めた「熊野権現御垂迹縁起」熊野神が三体の月になって天降ってきたとしたのではないか。
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中秋の名月に、ススキを供える風習がある。それは五穀豊穣と重なった月に対し、秋の実りとして稲穂の代わりに、ススキを供えると一般的に伝えられる。「因幡の白兎」では、蒲の穂を与えている。学者は蒲の穂は止血剤にもなるので、兎は毛が戻ったのではなく、単なる皮膚の損傷の治療行為と、現実的に考えているようだ。ただこれを大雑把に考えれば、月に対して穂(稲・蒲・ススキ)を供える風習ではとも思える。何故なら「穂」の語源は「ものの立ち上る意」「モノの現れ出る義」と「モノの生れ出る」意味を有している。つまり穂を月に供えるとは「月の復活」を期待してのものではないだろうか?兎は傷の治療を終えたのではなく、やはり元の白兎に復活したと考えた方が流れ的には自然かもしれない。
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【摂津国風土記】

ヲモトの郡に夢野というところがある。古老によれば、昔ここをトガ野といい、牡鹿が棲んでいた。その正妻の牝鹿もこの野にいた。

海を隔てた淡路島の野島に、その牡鹿の妾妻の牝鹿が棲んでいた。牡鹿はしばしば野島に泳いでいって、妾妻と愛し合っていた。牡鹿が正妻のところで一晩過ごした翌朝、彼は正妻に語った。夕べ、夢を見た。自分の背に雪が積もり、ススキという草が生えた、この夢はなんの前兆だろう、と。正妻は、夫がまた妾妻のところへ行こうとしているのを憎んで、いつわりの夢判断をして告げた。背に草が生えるのは、矢が背に突き立つ前兆です。また背に雪が降るのは、白塩を肉に塗るしるしです。あなたが野島に泳ぎわたろうとすれば、必ず船人に出会い、海の中で射殺されるでしょう、決して行ってはなりません、と。しかし牡鹿は恋心に耐えられず、また野島に泳ぎ渡って行く時、途中で船に出会い、射殺されてしまった。

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なんとなく「因幡の白兎」の話に似ているかと「摂津国風土記」を紹介してみた。夢診断が正妻の言霊によって最悪の話になっているのだが、海を渡るリスクと人によって殺される獣としての立場が、因幡の白兎と重複している。仏教説話に、帝釈天に対して何も食べ物を差出す事の出来なかった兎が自らを食べて欲しいと火中に身を投じ、その亡骸を月に納めた話がある。古代人は、月が欠けていくのは、月が死んでいくものと考えていたようだ。そして復活する永遠の存在が月であり、それが兎にも投影された為か、兎の死は復活の前ふりでもある。

鹿の海渡は理由が明確だが、因幡の白兎の海渡の明確な理由が不明のままになっている。ただ八上比売が大国主のものになると予言した事から、因幡の白兎が八上比売の使いであったとされている。現実として、古代においての渡海は、死を意味している。それを天空に移して見ても、天の川に対峙する織姫と彦星は、何故逢うのに一年も我慢しなくてはならなかったのか。それは大河を渡るというのは死を意味していたからだろう。確実に安全に、大河を、そして海を渡る方法は無かった。遣唐使や遣隋使で渡った船さえ、確実に安全に渡れる保証はどこにもなかった。それ故に、常に死を意識して海を渡ったようだ。また逆に、渡海が危険な行為であるからこそ、蒙古襲来において日本は救われたとも言える。渡海は、時代を遡れば遡るほど危険なものであった。その「アマ(海・天)」を悠々と渡れるものは太陽であり月であった。その太陽や月でさえ、毎日死ぬと認識されていた時代だった。
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「因幡の白兎」以外に白兎伝説が、八上比売を伝える地にもう一つあった。八上の霊石山を天照大神が行幸した時、行宮にふさわしい場所を探していたところ、一匹の白兎が現れた。白兎は天照大神の装束の裾を銜えて道案内をした。白兎は霊石山の頂上付近の平地である伊勢ヶ平付近まで案内し消えたという伝説がある。この伝説を思うに、やはり太陽と月の運行の話だと思う。太陽と月は、同じ黄道に乗る天体。つまり、消えた白兎とは、先に昇っていた月が沈んで太陽が昇った話では無いだろうか。また別に言えば、太陰暦から太陽暦になった話としても言える。ただ消えた場所が「伊勢ヶ平」であった事からも伊勢神宮の祭神の交代を意味している可能性もあるだろう。実は気になったのは、伊弉諾が左目を洗った時に生まれたのが、日天子と月天子の場合がある。自然界の左と右、阿弥陀の左と右の法則などもある事から、この詳細に関しては別の記事で書く事にしよう。とにかく今回は、兎は月を意味し、白兎の伝説は、月の運行から作られた話であると思って書いた記事であった。
by dostoev | 2017-10-21 07:02 | 「トイウモノ」考

朝倉トイウモノ

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朝倉という苗字がある。遠野では珍しい方だが、浅倉も含めると、遠野の電話帳を見れば、そこそこ出て来る。ところで朝倉という苗字から気になったのは、「朝の倉」とは、何だろうか?という事だった。

朝倉氏を調べるとウィキペディアには、「開化天皇の後裔とも孝徳天皇の後裔とも伝わる日下部氏が、平安時代から大武士団を形成し栄えていた。朝倉氏は、この日下部氏の流れをくむ氏族のひとつである。」日下氏の出自は九州であるから、血脈的には九州の血であろうか?

ところで日下については以前にも書いたが、谷川健一は「日下の草香」は「ヒノモトクサカ」と訓むべきで「クサカ」は太陽の昇る所であると述べている。しかし、それとは別に「クサカ」の「ク」は「カ・ウカ」の転訛であり月・月夜を意味し「サカ」は「下る」という語幹から利用されたものだという。つまり「日下(クサカ)」は「月坂」の意であると。日下氏は水神を祀っていたが、水は月の変若水にも関係する事から、月に関係の深い氏族でもある。その月に関係の深い日下氏の流れを汲む朝倉氏とは?
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「星堕ちて石となる」という記述は「日本書紀纂疏」にあったものだが、石であり磐座は星に関係の深いものだった。磐座(いわくら)の「座」は、今では星座(せいざ)という言葉に多用されようか。しかし古代における座とは「くら」とも訓んた。

筑前に、朝倉郡がある。この朝倉郡は、上座郡と下座郡が合併して朝倉郡となったのだが、ここでの「上座」を昔は「あさくら」と訓んだ。また星座と現代でも使うように、元々「座」は星宿の事でもあった。上座を「あさくら」と訓むのだが、ここでの上座・下座というものは皇帝の玉座に対応するものだろう。皇帝に向って左の左大臣が太陽の昇る東を意味し、右大臣が太陽の沈む(下る)西を意味する事から、上座とは太陽の昇る方向(東)の磐座であり、下座はその逆の西の磐座であろう。つまり、上座・下座を合せて「朝倉郡」となったのは、太陽の昇る方向に立つ磐座を意味するのだろう。
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長谷(はつせ)とは八節、即ち八季の異称であった。それが当てはまる星は、太白だとされた。雄略天皇の都は「長谷朝倉宮」であった。太陽の昇る方向の磐座に暁の明星である太白が重なるのは当然の事。考えてみれば、太陽暦が採用されたのは持統天皇時代以降。それ以前は、太陰暦が主流であった。太陽運行の軌道には、月が重なる。持統天皇時代以降に太陽暦が採用されたのなら、雄略天皇時代は、太陰暦であった筈だ。月もまた、太白と重なる。実は太白の異称に、長谷星、朝倉星があった。つまり雄略天皇の都は、太白の都でもあったという事か。そして朝倉は、そのまま太陽であり月の黄道に位置する磐座(いわくら)であり、その黄道に昇った太白を重ね合せた星座(ほしくら)という事になろうか。朝倉氏が日下氏の流れを汲む氏族という事だが、この月と星の関係をみると、そのまま日下氏と朝倉氏の関係に重なりそうだ。
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朝倉が星見の「朝の星座」で太白を意味するのなら、斉明天皇が崩御した朝倉宮もまた太白を意味するか。また「日本書紀」で斉明天皇の死後「朝倉山の上に鬼有りて、大笠を着て喪の儀を臨み視る」という記述は、天体現象ではなかったか?つまり朝倉山は、星を見定める山だった可能性があるかもしれない。
by dostoev | 2017-10-19 07:41 | 「トイウモノ」考

山トイウモノ

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「山」という言葉を語源辞典で調べてみた。

1.不動の意で、ヤムの転
2.どこにでもあるもので、不尽というところから、ヤマヌの意か。
3.弥間(ヤマ)の義
4.弥萌(イヤモエ)の約か。
5.弥盛(ヤモリ)の義
6.弥円(イヤマル)の義か。
7.弥土(ヤハニ)の義
8.弥穂生(イヤホナ)の義
9.ヤはいやが上に重なる意、マはまるい意
10.石群(イハムラ)の反
11.矢座(ヤマ)から出た語で、マは「場」と同じ。
12.アイヌ語から陸地の意

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何故か、どれもピンとこないのが正直なところ。秩父の三峯神社の宮司は、「ミネ」という言葉に拘り、当用漢字の「峰」では無く「峯」を使用している。それは「山」に対して尊敬の念を抱くから、山を頭の上に抱く「峯」という漢字を使用するのだと。時代に流されず、山を大切に思う気持ちからだ。その「山」というものが、上記の語源説にある「どこにでもあるヤマヌの意」である筈が無いと思われる。しかし決定打が無い為に、こういうとんでも説も語源辞典に記されているのが現状だ。

九州に、古代から星見の家系がある。その家系に伝わる文書には、「山はラマの転訛で、即ち水でもあった。」と伝えられていた。「ラマ」とは「lama」即ち「ラマ教」から来ているのだと。「la」は「生命の根源」を意味し「ma」は「託すもの」の意。生命の根源は水であり、それを託す存在が山であるとなったとしている。「ラマ」が「ヤマ」に転訛したというのは何とも言えないが、ただ山そのものが生命の根源であるという考えは納得するものだ。山は、動植物の故郷だと思われた節がある。そして人々に恵みを与えたり、人に災いをもたらす川の水を生み出すのもまた山である。つまり「山が水」という意は、「山が、生命の根源である水の器」であるという事になろうか。
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山で、思うところがある。伊弉諾と伊邪那美が「山と野の神」、つまり大山祇神と野椎神を生んだ後、軻遇突智を生み、伊邪那美はホトを焼かれて死んだ。その伊邪那美の血からいくつかの水神が生れ、また殺された軻遇突智の身体から、いくつかの山の神が生れている。その中の左手から生れた「志芸山津見神(しきやまつみのかみ)」に言及した話があった。

崇神天皇の都は「師木(しき)水垣宮」であった。垂仁天皇の都は「師木(しき)玉垣宮」であった。古代では、玉石は水を弾き土を固めるとして、波止めとして使用されたそうだ。つまり崇神天皇の都も、垂仁天皇の都も、水辺近くであったとされる。また安寧天皇の御名は「磯城(しき)津彦玉手(たまて)見命」で"玉手(たまて)"という意味は泊場の略とされている。師木(しき)玉垣宮に住む磯城津彦玉手見命とはつまり、湊の船の泊場を意味する名だとされる。となれば、崇神天皇の都は湊の水垣宮と考えてもおかしくはない。つまり「しき」とは湊を意味すると思って良いだろう。となれば山が水を意味するのならば「志芸山津見神」とは「水の湊」を意味するか。なれば、山そのものが水を意味するという事にも当てはまる。
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早池峯には、水神である瀬織津比咩が鎮座する。山に祀られるのは、山神では?と考えるのが普通だと思う。しかし、この瀬織津比咩という水神が祀られる場は、山中の滝か、山そのものに祀られる場合が多い。山が水の器であり、山そのものが水を意味するのならば、山に祀られるべきは水神でなくてはならないのだろう。
by dostoev | 2017-10-16 21:38 | 「トイウモノ」考