遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリ
全体
民宿御伽屋HP
御伽屋・幻想ガイド
遠野体験記
民宿御伽屋情報
遠野三山関連神社
遠野不思議(山)
遠野不思議(伝説)
遠野不思議(伝説の地)
遠野不思議(遺跡)
遠野不思議(神仏像)
遠野不思議(石)
遠野不思議(石碑)
遠野不思議(追分の碑)
遠野不思議(史跡)
遠野不思議(樹木)
遠野不思議(桜)
遠野各地の滝
遠野の鍾乳洞
遠野不思議(自然)
遠野八景&十景
遠野不思議(オブジェ)
遠野不思議(その他)
遠野各地の河童淵
遠野各地の狐の関所
遠野各地のデンデラ野
遠野各地の水車小屋
遠野各地の不地震地帯&要石
遠野各地の賽の河原
遠野各地の乳神様
遠野不思議(淵)
遠野各地の沼の御前
遠野各地のハヤリ神
遠野の義経&弁慶伝説
遠野の坂上田村麻呂伝説
遠野の安部貞任伝説
遠野不思議(寺院)
遠野七観音
遠野各地の八幡神社
遠野各地の熊野神社
遠野各地の愛宕神社
遠野各地の稲荷神社
遠野各地の駒形神社
遠野各地の山神神社
遠野各地の不動尊
遠野各地の白龍神社
遠野各地の神社(その他)
遠野の妖怪関係
遠野怪奇場所
遠野で遭遇する生物
遠野の野鳥
遠野のわらべ唄
民俗学雑記
遠野情報(雑記帳)
観光案内(綾織偏)
観光案内(小友編)
金子氏幻想作品
「遠野物語考」1話~
「遠野物語考」10話~
「遠野物語考」20話~
「遠野物語考」30話~
「遠野物語考」40話~
「遠野物語考」50話~
「遠野物語考」60話~
「遠野物語考」70話~
「遠野物語考」80話~
「遠野物語考」90話~
「遠野物語考」100話~
「遠野物語考」110話~
「遠野物語拾遺考」1話~
「遠野物語拾遺考」10話~
「遠野物語拾遺考」20話~
「遠野物語拾遺考」30話~
「遠野物語拾遺考」40話~
「遠野物語拾遺考」50話~
「遠野物語拾遺考」60話~
「遠野物語拾遺考」70話~
「遠野物語拾遺考」80話~
「遠野物語拾遺考」90話~
「遠野物語拾遺考」100話~
「遠野物語拾遺考」110話~
「遠野物語拾遺考」120話~
「遠野物語拾遺考」130話~
「遠野物語拾遺考」140話~
「遠野物語拾遺考」150話~
「遠野物語拾遺考」160話~
「遠野物語拾遺考」170話~
「遠野物語拾遺考」180話~
「遠野物語拾遺考」190話~
「遠野物語拾遺考」200話~
「遠野物語拾遺考」210話~
「遠野物語拾遺考」220話~
「遠野物語拾遺考」230話~
「遠野物語拾遺考」240話~
「遠野物語拾遺考」250話~
「遠野物語拾遺考」260話~
「遠野物語拾遺考」270話~
「遠野物語拾遺考」280話~
「遠野物語拾遺考」290話~
「現代遠野物語」1話~
「現代遠野物語」10話~
「現代遠野物語」20話~
「現代遠野物語」30話~
「現代遠野物語」40話~
「現代遠野物語」50話~
「現代遠野物語」60話~
「現代遠野物語」70話~
「現代遠野物語」80話~
「現代遠野物語」90話~
「現代遠野物語」100話~
「現代遠野物語」110話~
「遠野妖怪談」
「闇・遠野物語」
遠野小学校トイレの花子さん
遠野小学校松川姫の怪
遠野小学校の座敷ワラシ
菊池氏考
佐々木氏考
クワガタと遠野の自然
安倍氏考
阿曽沼の野望
遠野・語源考
河童狛犬考
飛鳥田考
遠野色彩考
遠野地名考
ゴンゲンサマ考
五百羅漢考
続石考
早池峯考
七つ森考
六角牛考
羽黒への道
動物考
月の考
「トイウモノ」考
小松長者の埋蔵金
遠野七観音考
鯰と地震
三女神伝説考
早池峯遥拝所
河童と瀬織津比咩
狐と瀬織津比咩
勾玉の女神
橋姫と瀬織津比咩
平将門と瀬織津比咩
狼と瀬織津比咩
鈴鹿権現と瀬織津比咩
母子信仰と速佐須良比賣
七夕と白鳥
来内の違和感
瀬織津比咩(イタリア便り)
水神と日の御子
年越しの祓の女神
「七瀬と八瀬」
鉄の蛇
荒御魂
閉伊氏の正体
早瀬川と白幡神社
瀬織津比咩雑記
岩手県の瀬織津比咩
古典の世界
「宮木が塚」
「蛇性の淫」
「白峰」
「吉備津の釜」
「菊花の約」
「青頭巾」
「浅茅が宿」
「徒然草」
「源氏物語」
「枕草子」
わたしの怪奇体験談
よもつ文
遠野の自然(春)
遠野の自然(夏)
遠野の自然(秋)
遠野の自然(冬)
遠野の夜空
以前の記事
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
お気に入りブログ
パチンコ屋の倒産を応援す...
ゲ ジ デ ジ 通 信
宮  古  物  語
民宿御伽屋
不思議空間「遠野」別館
ひもろぎ逍遥
jun-roadster
リティママ の日々徒然
世に倦む日日
なんでもブログ
外部リンク
最新のコメント
記事が大変興味深く拝読さ..
by 陽啓 at 01:17
古い記事なのですが、写真..
by 鬼喜來のさっと at 18:26
気仙川河口の鮭漁争いで、..
by 鬼喜來のさっと at 09:12
私は学校の校庭などでやり..
by 鬼喜來のさっと at 17:32
この釘刺しについては私も..
by 鬼喜來のさっと at 17:24
このカマコヤキと同じ行事..
by 鬼喜來のさっと at 17:03
あれ?しまった「猫渕観世..
by 鬼喜來のさっと at 01:47
スサノオが牛頭天王と習合..
by 五十嵐洋 at 11:57
太田館主の石田宗晴、諱だ..
by 鬼喜來のさっと at 23:33
承久の乱に敗れ奥州江刺郡..
by 鬼喜來のさっと at 16:08
最新のトラックバック
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:よもつ文( 35 )

陰影

f0075075_14410527.jpg
ごろごろしていた猫を撮影したら、陰影がくっきりしていた。ましてや家の猫も、白と黒なので、かなり印象的な画像になったと感じた。このコントラストは、あくまでも白、もしくは光を際立たせるもの。
f0075075_14412858.jpg
以前、旧仙人峠の砂防ダム湖へ撮影しに行った時、スローシャッターの撮影中に、たまたま通りかかった車のライトが写り込んだ。その光は、暗闇の砂防ダムを印象的に浮き上がらせてくれた。これもまた、陰影の美しさかとも思う。
f0075075_18244841.jpg
また日陰になっていたところに、雲の切れ目から細い太陽光が滝をスポットライトの様に照らし時、その滝は虹を伴い浮き上がって輝いたのを見、美しいと思った。とにかく極端な陰影、コントラストは、目を通して印象的に脳裏に刻まれてしまう。ただこういうのを含めて、あらゆる偶然が重なったものが目の前に現れてくれるのは、やはり縁かなぁと思っている。あとはただ、カメラのシャッターを切るだけ。
f0075075_18500258.jpg
そして神仏像も光による陰影で、その迫力が増すのを感じる。とにかく突発的な光によって作り出された陰影は面白い。今年は、どういう縁があるのだろうか。

by dostoev | 2018-02-16 18:55 | よもつ文 | Comments(0)

多国籍文化共生のカオス

f0075075_10352127.jpg

昔、椎名誠の本を読んでいたら、確か新宿の喫茶店に入ってコーヒーを飲んでいると、隣の席にアベックがいたと。アベックはドイツ語で、カップルの意味でもある。昔はアベックが一般的だったが、それがカップルになったのはもしかして、柳沢きみお「翔んだカップル」が流行ってからだったろうか?とにかく椎名誠が喫茶店の席に座っていると、隣のアベックの男が、彼女に対してしきりに「アイラブユー」を連発していたと。よく洋画にはまると、洋画のセリフがカッコイイと思い、それを言ってみたくなる時がある。しかし、日本の日常世界に急に「君の瞳に乾杯」などというキザなセリフは浮いてしまうので、躊躇する人が殆どだと思う。しかしその男は、しきりに「アイラブユー」を連発していたのは称賛に値する。しかし、やはり日本社会では受け入れられないのが現状だろう。

西洋人に憧れて、鼻を高くする整形を施したり、髪を金髪にする人は、かなり日本に定着している気がする。基本的に、白人はカッコイイと思っている人が多いからだ。それと共に、黒人がカッコイイと思っている人達もいる。それに合わせるかのように、俗にブラックミュージックと云われるものの演奏をしたり、ファッションを真似したりと、それはそれで問題は無い。しかし最近、とある芸人が顔を黒塗りにして黒人の真似をした事が"黒人差別"だと叩かれている。白人の真似をするなら、整形をして髪を金髪にすれば、それらしく見える。しかし黒人に憧れている人や、黒人の真似をしたい人は、どうすればいいのだろうか?その前に、髪を金髪にするのは、"白人差別"にならないのだろうか?思えば「チビクロサンボ」という童話も、差別だとされ世の中から姿を消したようだ。また例えば日本の漢字にしても障害者に「害」という漢字が含まれているから差別だ!と騒ぎ、いつからか「障がい者」という表記も普通になりつつある。ただ思うに、その差別だと声を掲げる人達は、例えば「広島」を「ヒロシマ」と表記し、「福島」を「フクシマ」と表記しているようだ。つまりどこかで日本文化の一つである、漢字文化の破壊をしいるように思えて仕方ない。差別を乱用すれば、いろいろなものを無くしてしまう可能性はある。

話は横道にそれたが、白人・黒人の話は、どちらかというとアメリカ文化の流入からきているものだ。ところが最近は、いろいろな国から日本に住みつく人達が増えて、田舎に住んでいるとわからないが、東京へ行くと、まるで日本じゃない気がするとの話も聞く。いろいろな国の人達が日本に住めば、いろいろな文化もまた日本に溶け込もうとするだろう。例えば、外来語やカタカナ英語などは、昔から日本文化に融合された感じで定着している。それでも、あくまで単語としての外国語であって、自分の気持ちを伝える一つの日本の言葉で「愛してる」を「アイラブユー」と訴えても違和感しか残らない。

似た様なものに、遠野市のスーパーでいつからか挨拶を朝鮮式挨拶に変えたスーパーがある。「ありがとうございます」と言いながら、朝鮮式の肘を広げる挨拶だ。これにはいつも違和感を覚える。何故なら、逆に日本式挨拶をしながら中国語の「シェイシェイ」と言ったら、買い物客はどう思うかだ。英語の「サンキュー」と言った場合、買い物客はどう思うかだ。地元のスーパーは、そういう事をやっている。音で発すれば目立つから、音は日本語で発し、仕草は朝鮮式にするから目立たない様に思えるだろうが、世の中には仕草を見ている人達はかなり存在する。挨拶の言葉は耳で受け入れ、挨拶の仕草は目で受け入れてしまうから、目に映る違和感がありすぎるのだ。ただ先の外国文化に憧れて真似する人はいる。その遠野のスーパーでは全ての人が朝鮮式挨拶をしているわけではないが、最近入った新人さんが、やはり朝鮮式挨拶をしている事から、上からの指導があったのが理解できる。つまり、朝鮮式挨拶を指導した経営者が、朝鮮文化に憧れを持って、従業員に指導しているのかとも思える。それならば中途半端な事はせずに、挨拶の言葉も日本語から朝鮮語に変えてもいいのでは?などと思ったりもする。何故ならそのスーパーは新たな文化の発信を、自分の店で出来るからだ。慣れてくれば、受け入れる人達も増えるのではないか。ただし、自分はダメ。やはり日本式の「ありがとうございます」の言葉には、日本式の挨拶でして欲しいからだ。

元々多様化している文化を持つ日本。「エッサ!ホイサ!」という掛け声の「エッサ」とは、ヘブライ語で「担ぐ」という意味になるという。古代にはすでにヘブライ語を導入していたのか?となるが、真意はまだよくわからないようだ。ただ日本が国として確立しようとした頃は、諸外国のいろいろなものを取り入れていたのだろうと予想は付く。殆どは中国から多くの書物が輸入され検討されたようだが、その中にはトンデモ本も混じっていた様なので、おかしな知識も入ったのだろう。また羊太夫の様に、クリスチャンも古代に居た事から、キリスト文化が日本に文化に融合されていたとしても驚きはない。キリスト教が禁止され、外国の宣教師が国外追放となってから、クリスチャンとなった日本人達が、見よう見まねで、宣教師たちの真似をしてキリスト教の教義を模倣していたという。しかしそれはどんでもないもので、明治時代になって多くの宣教師が訪れ、隠れキリシタン達の信仰方法を垣間見、それはもうキリスト教とは、かけ離れた不思議なものになっていたらしい。これもまた日本文化との融合であったのだろう。普通の阿弥陀如来像に罰点が付いているだけで、キリスト信仰であるとした場合、本来の宣教師達は、それを認める事が出来ないだろう。つまり隠れキリシタンの信仰形態は、あまりにも日本的過ぎて外国人宣教師から否定されたのだった。ただ外国文化が日本文化と融合した場合、あくまで日本文化主導の融合であるなら、それはすんなり受け入れられるだろう。中華料理なども、そのままの味が日本に来るのではなく、日本人の好みの味に直されて広がったと同じだ。そういう意味では、これから様々な多国籍文化が日本に流れ着いたとしても、残るのは日本流にアレンジされたものだけが残るのだろう。
by dostoev | 2018-01-07 12:16 | よもつ文 | Comments(0)

早池峯での心霊体験(宮澤賢治)

f0075075_1465194.jpg

昨日、以前泊ったお客さんから、本のコピーが送られて来た。三浦正雄・矢原秀人「あの世はあった」というタイトルで、読んでみると、宮澤賢治の心霊体験について記してあった。賢治の心霊体験は、宮沢賢治「河原坊」という詩と、森荘巳池「宮澤賢治の肖像」佐藤隆房「宮澤賢治(改訂増補版)」からの引用であった。

まずは、宮沢賢治「河原坊」の一部を紹介。

寒さとねむさ もう月はただの砕けた貝ぼたんだ

さあ ねむろう ねむろう

…めざめることもあろうし そのまま死ぬこともあろう…

誰かまわりをあるいているな

誰かまわりをごくひっそりとあるいているな

みそさざい みそさざい

ぱりぱり鳴らす 石の冷たさ 石ではなくて二月の風だ

…半分冷えれば半分からだがみいらになる…

誰かきたな

…半分冷えれば半分からだがみいらになる…

…半分冷えれば半分からだがみいらになる…

…半分冷えれば半分からだがみいらになる…

そこの黒い転石の上に うす赭いころもをつけて

裸脚四つをそろえて立つひと

なぜ上半身がわたしの眼には見えないのか

まるで半分雲をかぶった鶏頭山のようだ

…あすこは黒い転石で みんなで石をつむ場所だ…

向うはだんだん崖になる あしおとがいま峯の方からおりてくる

ゆうべ途中の林のなかで たびたび聞いたあの透明な足音だ

…わたくしはもう仕方ない 誰か来ように ここでこう肱を折りまげて

睡っているより仕方ない だいいちどうにも起きられない…


叫んでいるな(南無阿弥陀仏)(南無阿弥陀仏)(南無阿弥陀仏)

何というふしぎな念仏のしようだ まるで突貫するようだ

もうわたくしを過ぎている

ああ見える 二人のはだしの逞しい若い坊さんだ

黒の衣の袖を扛げ 黄金で唐草模様をつけた

神輿を一本の棒にぶらさげて 川下の方へかるがるかついで行く

誰かを送った帰りだな 声が山谷にこだまして

いまや私はやっと自由になって 眼をひらく

f0075075_14365360.jpg

まず驚いたのは、宮沢賢治は早池峯の岩の上に、そのまま寝たという事。登ったのは夏の様だが、詩の中の表現に「ぱりぱり鳴らす 石の冷たさ 石ではなくて二月の風だ」というのは、それだけ寒かったという事なのだろう。夏の夜を早池峯山頂で過ごすと、今が夏である事を忘れるくらいに寒い。その早池峯の寒さを、そのまま石の上に寝る宮沢賢治とは、常人ならざる者としか思えない。ただ極限に身を晒すと幻覚を見るという話を聞いた事があるが、この時がそうであったのだろうか。

また気になったのは、宮沢賢治が呪文のように「みそさざい みそさざい」と言っている事だ。鳥の「ミソサザイ」は別に「ミササギ」とも云う。「ミササギ」は天皇陵の意味にもなる事から、宮澤賢治は自らが横たわった石の上を天皇陵に模したものかとも思えてしまう。その後に「半分からだがミイラになる」と言っている事から、寒さと孤独を表現し、それはやはり天皇陵を意識しているのかと感じてしまう。山は、魂が登る地とも云われた。山を、疑似墓所とする場合もある。その山の中でも早池峯は、その信仰圏が際立って広い。早池峯山頂手前には、賽の河原と呼ばれる場所があるが、この「河原坊」の詩の一節に「みんなで石をつむ場所だ」という言葉から、早池峯全体が霊界である認識をしていたのだろう。
f0075075_15473251.jpg

この「河原坊」という詩とは別に、森荘巳池が「宮澤賢治の肖像」で、宮沢賢治が早池峯で体験した言葉を紹介している。

お月さまもあって静かでよい晩でしたね、うつらうつらしていましたらねえ、山の上の方から、谷あいをまるで疾風のように、黒いころもの坊さんが駆け降りて来るんですよ。念仏をとなえながら、またたく内に私の前を通り過ぎ、二人とも若い坊さん達は、はだしでどしどし駆けて行ったんです。不思議なこともあるもんだとぼんやり私は見送っていましたがね。念仏はだんだんに細かく微かに、やがて聞こえなくなったんですよ。後で調べたら、あすこは昔大きなお寺があったとこらしいんですね。河原の坊といわれるところでしたよ。土台の石なんかもあるという話でしたよ。何百年か前の話でしょうねえ、天台か真言か古い時代の仏跡でしたでしょうねえ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そしてもう一つ佐藤隆房「宮澤賢治(改訂増補版)」では、宮澤賢治が金野医師に語った、早池峯での霊体験の話が紹介されている。

僕はもう何べんか早池峯山に登りました。あの山には、御承知かもしれませんが早池峯の七不思議というものがありまして、その一つに河原の坊という所があります。早池峯の登山口で裾野をのぼりつめたところの岳川という、岩をかむ清流の岸辺にありまして、言い伝えでは何でも何百年か以前に天台宗の大きな寺のあった跡で、修行僧も大勢集まっていて、随分盛んなものだったということです。そこでは今も朝の小暗い黎明時に、ひょっとするとしんしんと読経の声が聞こえて来ると噂されております。先年登山の折でした。僕はそこの大きな石に腰を掛けて休んでいたのですが、ふと山の方から錫杖を突き鳴らし、眉毛の長く白い見るからに清々しい高僧が下りて来ました。その早池峯に登ったのは確か三年ばかり前なのですが、その御坊さんにあったのは何でも七百年ばかり前のようでしたよ。
f0075075_1622251.jpg

「河原坊」の詩とは違い、知人に語る心霊体験談は、ひょうひょうとしている。ある意味、照れ隠ししているかのよう。宮沢賢治の父は、常々「怪力乱神」を語ってはならぬと諌めていたようだ。それでも、そういうモノを頻繁に体験・遭遇する賢治は、それを淡々と話す事で大袈裟にしないようにしていたのかもしれない。宮澤賢治本来の感覚は詩に表し、その感覚を抑えた表現を知人に語っていたのだろう。

「神輿を一本の棒にぶらさげて 川下の方へかるがるかついで行く

                     誰かを送った帰りだな」


宮澤賢治の心霊体験が本当なのかはわからぬが、この詩の一節から、早池峯には死者の魂が昇り集り、それを坊さんの霊たちが、川へと持って行き禊をしているかの表現になっているのは、三途の河を意識して見た幻なのか。見える人と、見えない人という表現があるが、誰でも「そこに霊がいる」と言えば、大抵の人が冗談を言っているのだと思ってしまう。だが宮沢賢治の感覚は、どこか一般人とかけ離れているのは、多くの人が理解しているのだと思う。その賢治が見たと言えば、殆どの人がそれを認めてしまうのではなかろうか。テレビに出演する胡散臭い霊能力者の「あなたの後に霊が!」という言葉より、現代人にとって"宮沢賢治なら仕方ない"と認めてしまう雰囲気はあるような気がする。

佐々木喜善もそうだったらしいが、いつもどこか遠くを見つめていたらしい。それはこの世とは違う場所を見つめていたようだ。それと同じように、宮沢賢治もまた、人の見えぬ世界を見つめていたからこそ、あれだけの作品と、人と違った表現が出来るのだなとも思える。

宮澤賢治は他に、大入道を見たとか、餓鬼の声を聴いたとの体験談もあるようだ。そこでふと以前、遠野の早池峯神社境内で大入道を見たと云う人の話を思い出した。変なもので、大入道を見たというと、どこか胡散臭く感じるが、宮沢賢治も見た大入道と同じとなれば、どこかで『もしかして有り得るか?』などと、思ったりもする。宮澤賢治は、現実世界と、また違う別世界に足を踏み入れている住人だと感じていた。こういう霊体験は、普通にするだろうとも。それ故に、早池峯で僧の幽霊を見たといって驚きはしない。それよりもこれを読み、自分は宮沢賢治の時代における早池峯の立ち位置であり、存在を再認識した。宮澤賢治が惹かれた早池峯という山は、蛇紋岩だけでなく、その信仰の深さにもあったのだろうと。
by dostoev | 2018-01-06 17:01 | よもつ文 | Comments(0)

女人禁制(宗像沖ノ島への危惧)

f0075075_82111.jpg

早池峯はかつて、女人禁制だった。いや早池峯だけでなく、いくつかの山々が女人禁制だった。例えば遠野三山に伝わる姥石の伝説は、女性はここから先に足を踏み入れれば祟りに遭うとされた境界が姥石であった。それとは別に禁足地というものがあり、男でも入れない聖域というのもあり、現代でもそれを維持している場所もある。

高山を登るのは、山伏かマタギくらいだった。里人は、必要な芝刈や山菜・キノコ採りなどは、里山があればじゅうぶんだった。綾織三山というものがある。これは、二郷山・笠通山・桧沢山を三山と制定したようである。ところが遠野三山の石上山が抜けているが、それは石上山が別格で、里人の登る山では無いとの認識であったようだ。石上山の姥石の話は「遠野物語拾遺12」に紹介されている様に、石上山は綾織の人々にとって、山としての格の高さを物語る話であるのだろう。ただ二郷山や笠通山にも、恐ろしい話が伝わる。それは山とは何が棲んでいるかわからない恐ろしい場所だと認識されていた為であろう。

日本中に、多くの女人禁制の山々があったが、明治時代になり西洋からアルピニストの精神と共に登山文化が輸入された。それから多くの山々に人々が登るようになった。明治時代に広まったのは、文明開化の名のもとに現代でも広く信仰?されている、科学とスポーツであろう。そのスポーツ枠に登山が属している。とにかく明治時代から急速に、登山文化が普及した。それと共に、山に抱いていた恐れが無くなり、一般人は科学を崇拝し、今まで抱いていた山に対する恐れが迷信であると認識され始めた。しかし代々神社などに奉仕する人達にとって、それは有り得ない話であった。例えば三峯神社の宮司さんは、「みね」という漢字を当用漢字の「峰」ではなく、未だに「峯」を採用しているのは、山を頭の上に置くのが、山に対する敬意だと考えているからだ。しかし、その考えは一般人には、なかなか伝わらないもの。

平成初期であったと思う。遠野で山神の祭が12月12日に執り行われた。それを取材しようと、いくつかの新聞社が記者を派遣した。その中で確か、読売新聞社であったと思うが、女性記者を派遣したのだった。山神は女を嫌うとされる。その理由は、自分より美しい女に対して嫉妬するからなどという話があるが、平成の世になれば、そういう山にも女性が登っていたので、そんなものは迷信として一蹴されていた。しかし、山神の祭には女人禁制が継続していたのだった。その為、山神の祭りの関係者から「まあ迷信でしょうけど、昔から山神の神事は女人禁制でやっていましたので、今回は申し訳ありませんが…。」と、女性記者を派遣した読売新聞社だけが取材拒否となってしまった。男女同権を謳う現代の世の中でも、日本の神々に携わる地には、こうして女人禁制などの迷信が未だにあった。しかし、それを否定しようとは思わない。昔からそれを信じて奉斎してきた人々にとっての、心の拠り所であるからだ。現代となっても、守るべきは守るのが日本の伝統文化でもあるのだろう。
f0075075_93371.jpg

ところが2005年11月3日、大峰山の女人禁制に反対する伊田広行、池田恵理子らが結成した「大峰山に登ろうプロジェクト」のメンバーが、大峯山登山のために現地を訪れ、寺院側に質問書を提出し、解禁を求めたが不調に終わった。その結果改めて話し合いの場を設けることで合意して両者解散したが、その直後に問題提起の為としてプロジェクトの女性メンバー池田恵理子を含む3人が登山を強行した。大峰山を含む紀伊山地の霊場と参詣道は、世界遺産にも登録されていた事に起因するようだ。厄介なのは、このメンバーの一人である池田恵理子は、NHKのチャイナスクールと呼ばれる中国べったりの一派の代表でもあった。もう一人は伊田広行で、国会議員でもある辻元清美の支援団体「つじもとネット」代表である。国会議員の辻元清美とは、自ら「自分は国会議員ではなく、国家の枠をいかに破壊させるかという国壊議員だ。」と宣言している。恐らく伊田広行の黒幕として、辻元清美がいるのだと思う。調べれば出て来るが、現在騒がせている学校法人森友学園問題でも、裏で辻元清美が工作員を使って暗躍しているようだ。池田恵理子は中国系に、辻元清美は朝鮮系にべったり関わっているようだ。何をしようとしているかは、過去の行動から、日本文化の破壊にも関わっているよう。だからこそ、日本に古くから伝わって来たものを壊す事が目的なのかもしれない。今の時代は、男女同権や差別という言葉を発すれば、何でも良しとされる風潮もある。神社界などは、格好の標的だろう。だから簡単に、女人禁制であった大峯山に強行侵入した。これだけで、古より守り続けてきた日本の伝統文化が凌辱されてしまった。その後、この大峯山に池田恵理子も伊田広行も関わって無い事から、初めから伝統文化の凌辱が目的だったと思えてしまうのだ。そして次は、やはり世界遺産登録を目指している宗像の沖ノ島だろう。この沖ノ島は、現在の日本で唯一、女人禁制を守っている地ではなかろうか。世界遺産登録を果たした後、大峯山と同じ悲劇が待っているようにしか思えない。現在のリベラル派と呼ばれる者達は、どちらかというと左翼というより反日派であり、こういう日本の文化を否定する者が多い。辻元清美を筆頭に、皇室廃止を唱え、神社の在り方を否定する。そういう者達にとって宗像沖ノ島は、格好の餌食になるのではないかと危惧するのである。
by dostoev | 2018-01-05 09:41 | よもつ文 | Comments(0)

遠野物語の山の舞台は、早池峯より東側の山に多し

f0075075_16102512.jpg

「遠野物語」の舞台の中心は?と問われれば、やはり佐々木喜善の住んでいた山口部落を中心と答えるだろう。そして「遠野物語」の数多くの話の舞台は、山となる。その山に関してだが、有名なマヨヒガの話は白望山周辺となる。その白望山は、遠野盆地の東側に位置する山でもある。
f0075075_16164181.jpg

耳切山から荒川高原にかけて、夜に車を歩走らせると無数の日本鹿に遭遇する。ところが、その無数の日本鹿がいる筈の高原を冬に訪れても、足跡を発見できない。あるのは、兎やキツネなどの小動物の足跡ばかりである。そうそう、この時は、カモシカに遭遇した。しかし、日本鹿の姿を見る事は出来なかった。

雪を苦手とする鹿は、雪が降ると山を越え、雪の降らない沿岸域へ避難する。かって青森県までいたイノシシも雪を苦手とする獣であるが、やはり生息していたのは青森県でも雪の比較的降らない太平洋沿岸部である八戸市近辺であった。江戸時代の記録によれば、八戸市では猪に畑を荒らされ飢饉となり、餓死者が200人にもなったと云う。猪であれ日本鹿であれ、苦手な冬の雪を想定すれば、山に囲まれた遠野盆地の中でも、東側に多い理由が、これになる。実際、夜に西側の山へ車歩走らせても、動物との遭遇率は東側の山と比較して、かなり低い。「遠野物語」には、動物の話も多いのだが、先の理由から殆どが東側の山が舞台になっている。ただ狐や狸だけは、遠野のどこでも万遍なくいるようだ。その為、狐の話だけは、遠野全体に広がっている。
f0075075_1774048.jpg

かつて狼が、遠野に多く生息していた。これは江戸時代から明治時代にかけて、五葉山が鹿の宝庫であったせいもある。その為、堺木峠の沿岸寄りに廃村があるが、その辺りでは三峰様の石碑が多く建っている。また、大槌町の金沢には「オイノ祭り」と呼ばれる「狼の産見舞い」の民俗儀礼が、今尚行われている。「オイノ」とは、「御犬」からの転訛である。金沢の人の話では、大した事が無い祭なので、見に来なくてもいいよ、とは言う。それは毎年2月19日に山神と三峯山の石碑まで幣束と供物を持って御参りするだけのものらしい。供物は御産した狼の乳の出を良くする小豆飯のお握りと、吉次などの赤魚や鶏卵であるようだ。このオイノ祭も、五葉山中心に多くの日本鹿が生息していた為、それを捕食する狼もまた多く生息していた時の名残である。

和野の佐々木嘉兵衛、或年境木越の大谷地へ狩にゆきたり。死助の方より走れる原なり。秋の暮のことにて木の葉は散り尽し山もあわは也。

向の峯より何百とも知れぬ狼此方へ群れて走り来るを見て恐ろしさに堪えず、樹の梢に上りてありしに、其樹の下を夥しき足音して走り過ぎ北の方へ行けり。その頃より遠野郷には狼甚だ少なくなれりとのことなり。

                        「遠野物語41」


この様に堺木峠より沿岸寄りには、狼が沢山生息していたようだ。その狼の群れが最後に向ったのは、北。北というと、北に聳えるのは早池峯というイメージになる。狼が北に向かったのか、それとも早池峯に向ったのかはわからぬが、何となく象徴的な表現になっている。ただこの頃の狼は、狂犬病にかかり、また懸賞金がかけられ、多くの狼が殺されている時代でもあった。死期を察するものは、北へと逃げるのは、古代から物部氏や、源義経、長慶天皇など、多くの人間達もまた北へと逃げて来た。北に何があるわけでも無いだろうが、北を目指したのは追い詰められての苦肉の方角でもあったか。ところで、早池峯近辺には伝説も付随する狼岩という地名があり、早池峯神社はドローンも飛ばない電磁波を発生しているよう。白鳥は磁気を感じ取り、北へと向かうとも云われるが、狼も地磁気を感じる能力があるのだろうか。「遠野物語41」での狼が北へ向かう行動は、本能からのものであろうとは思う。ともかく「遠野物語」の山の舞台は、北に聳える早池峯から東の山にかけてが殆どである。今は居なくなった日本鹿も、厄介な事に雪が融けはじめる春には、再び北に聳える早池峯から東の山々に、大挙戻ってくるだろう。
by dostoev | 2018-01-03 18:24 | よもつ文 | Comments(0)

隕石が落ちたら…。

f0075075_1711763.jpg

この画像は深夜、霧に覆われた遠野盆地上空に輝く月。夜霧の影響から月光は眩い光りとなって、まるで隕石が遠野盆地に向けて落下しているようにも感じた。隕石と言えば、映画は観ていないが漫画では確認した「君の名は」のストーリーに、彗星の破片が隕石となって落下し、町が消滅し湖になったという設定があった。

遠野は、アイヌ語の「トオヌップ」という「湖のある地」の説もあるが、これは考古学者によって「湖では無く、恐らく尾瀬みたいな湿地帯だったでしょう。」と、やんわりと否定されている。しかし、本当に隕石が落ちたら「君の名は」みたいに遠野の町は消滅し、湖になってしまうのだろう。遠野盆地は、全て水源を有する山に囲まれている。昔よりは水量も減ってはいるが、もしもの隕石による窪みに、遠野盆地の山々から注がれる水が溜まり、あっという間に湖になってしまうだろう。それこそ伝説の遠野になってしまうが…。
by dostoev | 2017-10-23 17:49 | よもつ文 | Comments(0)

デススター

f0075075_1955888.jpg

昨夜の月光を見て、何かに似てると感じていた。それが映画「スターウォーズ」のデススターによるレーザー攻撃だったと、後から思い出した。元画像の明るさを少し強調してみると、やはりデススターぽく見えると感じるのは、自分だけ?(笑)
f0075075_206150.jpg

取り敢えず、本物のデススター攻撃画像を拝借してきた。まあ、なんとなく…(^^;
by dostoev | 2017-09-25 20:02 | よもつ文 | Comments(0)

天斑駒

f0075075_5211838.jpg

荒川高原に、青白い斑駒がいる。斑駒というと思い出すのは「日本書紀」で、素戔男尊がいくつかの罪を犯している。その一つに「秋は天斑駒を放ちて、田の中に伏す。」 またもう一つに「又天照大神の、方に神衣を織りつつ、斎服殿に居しますを見て、即ち天斑駒を剥ぎて、殿の甍を穿ちて投げ納る。」という二つの罪に、何故か天斑駒が登場している。天斑駒は、天界に棲むという斑毛の馬とされ、ほぼ空想上の馬と云う事になっている。ただ「日本書紀」の天斑駒は「ごま塩柄だ。」とも云われるけれど、正確な描写がないので、どういう斑模様なのか、よくわからない。ただ白馬は、神の乗る馬とされるので、その白馬の斑柄なら、天斑駒のイメージに近いのか?とも思える。
f0075075_65513.jpg

白馬の斑(ブチ)というと、競馬界のアイドルホース"ブチコ"を思い出すけれど、この馬はどちらかというと、ヨハネ黙示録第6章第8節にあらわれる、死を象徴する青白い馬のイメージに近いか? アガサ・クリスティ「蒼ざめた馬」は、タリウムによる毒殺の小説だったと思うが、その死の象徴としてヨハネ黙示録に登場する蒼い馬がタイトルに採用された様だ。
f0075075_6114289.jpg

顔を見れば、アイドルホースのブチコと比較して、とてもアイドルホースではなく、やはり不吉なヨハネ黙示録に登場する蒼ざめた馬の方にイメージが近いと感じる。もしも荒川高原へ行ったら、この不思議で奇妙な柄の馬を見つけてみてください。
by dostoev | 2017-07-13 06:25 | よもつ文 | Comments(0)

落ち逢う

f0075075_2163342.jpg

猿ヶ石川と早瀬川が合流する地点を落合と云う。この落合という言葉は、一般的に川の合流点という意味で使用される。道で言えば、辻に等しい。ただ道の辻はしばしば、異界や霊界の境界とされるが、落合もまた同じである。川が落ち合うだけでなく、死人とも落ち逢う場所でもあるようだ。画像は、昭和52年撮影の航空写真で、早瀬川の下流域で落合までの流れとなる。
f0075075_542593.jpg

この落合から下早瀬橋辺りまでの川は、自分が子供時代の遊び場でもあった。沢蟹を採ったり、カジカを捕まえて焼いて食べた自然の遊び場であった。今では有り得ない話だが、川遊びをする子供達は、普通にマッチを所持しており、いつでも魚を焼く為の焚火を出来るようにしていたものだった。

小学の1年か2年の時だったと思ったが、自分が初めてカジカを捕まえて焼いてみたが、すぐにカジカの表面が黒く焦げてしまい、上手に焼けなかった。すると、どこからともなく同じ学校の上級生が寄ってきて「なにやってんだ」と言って、その上級生がカジカに塩を振って焼くと、みるみる美味そうに焼けた。こういう事は、親では無く子供同士で情報交換をして覚えたものだった。例えば、初めて一人で銭湯へ行った時、座った場所の鏡がすぐ曇るので手で拭いていたら、やはり同じ学校の上級生がいつの間にか現れて、「こうすれば曇らないぞ」と、鏡に石鹸を塗りたくって洗い流すと、それからは鏡が曇らなくなると覚えたりと。とにかく日常の事は、親からではなく子供同士で教え合っていた。

それから必ず川遊びをする時は、マッチだけでなく塩を所持して遊んだものだった。そして川遊びを止めて家に帰る時は手が生臭くなっているので、いつも川原に咲いているピンクの花を採り、それで手を揉みこすった。ピンクの花は、手で揉みこするとブクブクと泡立ったので、その後は川でその泡を洗い流して家に帰ったものだった。自分達は、そのピンクの花を石鹸花と呼んでいた。これも子供同士で知った事なのだが、その花が本当に洗浄能力があったのかどうかは知らなかった。

川原の土手には蛇(大抵はシマヘビ)がいつもいて、その土手が秋になると、多くのカマキリが発生して、夢中でカマキリ採りをしたものだった。早瀬川から落合にかけては雑木も多く、クワガタやカブトムシもいた。子供の頃の早瀬橋の街灯には、沢山の虫が集まり、渦を巻いていた。だから落ちているカブトムシを拾うには、あらゆる虫の渦巻きの中に入らねば無かったが、たまに蛾や蚊が苦手な子供が、その虫の渦巻き前でオロオロしていた。
f0075075_21435568.jpg

小学校何年生の時だったろうか?夏休みに入る前、上級生の子が落合で溺れ死んだ。朝の朝礼で校長先生が、川遊びはじゅうぶん気を付けてくださいとの事を言っていた記憶がある。現代では、こういう事故が起きると川遊びは禁止になりそうなものだが、その時代は大らかで、気を付ければじゆうぶん防げる事故と考えられていたのだろうか。確か、現在の遠野小学校は、川遊びは禁止の筈である。"もしも"を考えたらきりがないのだが、その"もしも"の時は学校側が大変になるので川遊びが禁止となったのは、時代の流れであろう。

少ししてから、川で溺れた上級生が帰ってくるという噂を、人伝にチラッと聞いた。ただ冗談半分だったので、頭から冗談話だと思っていた。
f0075075_59779.jpg

夏休みに入り、落合の辺りで1泊のキャンプをする事になった。友達の父親同伴である。今となっては、夜に何を食べたまでは記憶ないが、ずっと川遊びばかりしていた記憶がある。また、親の監視下から離れた解放感から、夜になれば早瀬橋の街灯下に行きカブトやクワガタを探し、また川に石を投げたりして遊んでいた。小学の頃は怖いものが好きで、家の隣が映画館だった事もあってか、夜の九時からの怪談特集を一人で見に行き、終了するのが夜中の2時頃で、気分が高揚しているので一人で、夜の鍋倉山に肝試しに行った程だった。とにかく夏の夜は、一人で夜の街灯を巡って昆虫採集をしたり、肝試しをしたりしている子供だった。

テントを張った場所から川に向うと、遠目に白い大きな石があった。たまに胴長を履いた釣り人が、その白い石に立っている姿をよく見た事がある。その白い石は夜でも、どうにかぼんやりと確認できる程だった。一人で夜の川辺に立ち、その白い石の方向を眺めた。その白い石の辺りが、ぼんやりと、ゆらゆら白色が揺れている様に見えた。石を手に持って、白い石の方向へと水切りしてみた。すると全く意識していない左奥の方から小さな白いモノが白い石の方向へと近付いている。恐らくその時は、鳥か何かと思っていた。すると次に、白い石で揺れていた白いモノがこちらに近付いてくる。この時、恐ろしくなってテントに急いで戻った。テントの中で"それ"を話し、皆で外に出て確認したが、その時は何も無かった。
f0075075_5523580.jpg

翌日の早朝、白い石の方向を見ると、釣り人が二人ほど釣りをしていた。すると「釣れたぞ!」と大きな声を上げて、だんだんとこちらの方向に近付いてきた。見ると、針掛かりしているのは魚じゃなくて、蛇の様だった。釣り人は近づいて来て笑いながら「ほれっ、マムシが釣れたぞ。」とマムシが掛かった釣り糸を、こちらを脅かす様に向けて来た。その頃はマムシは恐ろしいと思っていたので、慌てて逃げた。聞くと、マムシがいたのでマムシの目の前で餌の付いた釣り糸をブラブラしていたら食い付いて来たとの事。

少ししてから、その釣りのオジサンに昨夜の白い石の場所の話をしてみた。すると「坊主、落合ってのはな、死んだ人間と落ち逢う場所なんだぞ。」と言われ、ビビッた記憶がある。
f0075075_682568.jpg

ところで白色というと雪の白さのイメージがあり、また昔の産室は白い壁でなければ無かったのは、白色が浄化を意味する色でもあった為だ。しかし柳田國男は、白色は異常彩色であり、本来忌々しき色だとしている。確かに白装束は死への旅立ちの衣装でもある。山へと向かう山伏の衣装もまた、死を意識しての白装束であった筈。逆に言えば、霊界から訪れる者達の衣装もまた、白装束という事になる。遠野のオシラサマも「お白様」であり、神の住む異界との交流に必要なモノではある。ところで調べると「白い石は死に石」という石に関する俗信がある。それを踏まえ、こうして現在、子供の頃の拙い記憶を呼び覚ますと、自分の見たゆらゆら揺れる白いモノとは、霊界から訪れた者達であったのかもしれない。その当時の石は、現在見る事が出来無い。その当時とは、かなり様相が変ってしまった。追い打ちをかけるように、去年の台風での洪水で、落合は更に変わってしまっている。土砂も流れ、石を埋め尽くしたようでもある。画像は、あくまでもイメージであり、その当時の白い石では無い。
by dostoev | 2017-07-08 06:30 | よもつ文 | Comments(4)

巨人と天の川

f0075075_8511296.jpg

10代の時、初めてマーラーという作曲家を知った。確か、小学・中学と音楽の教科書には、マーラーという作曲家は載っていなかったと記憶している。さらに音楽室にも肖像画は飾っていなかった筈。だからマーラーという作曲家は、自分の頭の中には存在していなかった。それがたまたま、どこかの催しで中古レコードコーナーがあって覗いて見た時があった。

表題音楽と呼ばれるものがある。例えばベートーベンの交響曲5番は、あくまで5番なのだが「運命」という表題を付ける事により、多くのファンを獲得した。つまり「表題」を付ける事により、個人の妄想を掻き立て、購買意欲をくすぐるという技法に音楽業界がその方向性へと行ったという事。当然の事ながら、自分も「表題」の発する魅力に取り憑かれ、取り敢えず表題音楽から、自分の抱いたイメージと合致するかどうかを確認する為に聴き漁っていた。

そんな中、たまたま目にしたのが上の画像で、雲を越えそうな巨人のジャケットだった。「悲愴」など観念的な標題音楽を聴いていた中、突然に知らない作曲家と巨人の絵。それに対して、まったくイメージが出来ない自分がいた。ところで、この巨人の絵がゴヤの絵だと知るのは、かなり後の事だった。
f0075075_916894.jpg

マーラー交響曲第一番「巨人」のレコードジャケットに出逢い、それから40年近く月日が過ぎ去り、再びその時の印象が蘇ったのは、この天の川の画像だった。撮影中は夢中だったので気付かなかったが、家に帰ってPCで画像を確認すると、山を超え雲を突き破るかのような巨人の様な天の川を見て、この時にマーラー交響曲第一番「巨人」のジャケットの絵が重なった。

天の川を肉眼で見れば、写真程にはクッキリとは見えない。何かモヤッと夜空に"巨大な何か"が聳えている様に見える。日本での巨人といえばダイダラボッチだが、西洋の巨人(タイタン)とは少しイメージが違うく思える。これは勝手なイメージだが、ダイダラボッチはどこか怪しく滑稽な感じもするが、西洋の巨人は威風堂々として、どこか近寄りがたい怖いイメージがある。これは小学の時に夢中で読んだ「ギリシア神話」でのゼウスとタイタンの戦いを恐ろしいものと感じたイメージがずっと残っているせいだろうか。

天の川はその名から、確かに天空に渡る大河の様でもあるが、天の川は蛇がかま首をもたげるように、だんだんと直立になるのを思えば、大河とは別に龍もしくは蛇に見立てられたのは当然の事か。しかし、こうしてこの画像を見れば、天の川は天空に聳え立つ巨人と捉えてもおかしくない気がする。星が輝く暗い夜空に、暗い影の様な巨大な何かが聳えるのを見て、巨人と思う人がいてもよいだろう。
by dostoev | 2017-07-04 09:46 | よもつ文 | Comments(0)