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  <title>不思議空間「遠野」　－「遠野物語」をｗｅｂせよ！－:古典の世界</title>
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  <modified>2010-11-14T12:48:45+09:00</modified>
  <author><name>dostoev</name></author>
  <tabline>遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求</tabline>
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    <title>桜</title>
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    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>古典の世界</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201011/14/75/f0075075_12184955.jpg" alt="_f0075075_12184955.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center><br />
遠野の桜は、多分４月２０日頃に咲くと思うけど、全国ではもう既に、チラホラと桜の便りが届いてきている。ところで馬肉は別名「桜肉」とも呼ばれ、この由来には諸説様々だ。馬肉を切った後、馬肉は空気に触れると桜色になるという説がある。 <br />
<br />
また馬肉は桜の咲く4月から5月にかけてが、一番おいしいからというからという説もある。これは夏の青草ばかりを食べた馬の肉は水っぽくて美味くないのだと。それより、冬の間に干し草や殻類を沢山食べて肥え、脂がのった馬肉は美味しいという。 <br />
<br />
ところで、奈良県の吉野の奥に丹生川上神社中社という、水神を祀っている神社がある。この神社には古来から雨乞いが必要な時、もしくは大雨が続く場合には、馬が献上される慣わしがあったのだと云う。雨が必要な時には黒い馬が献上され、晴れ間を必要とする時は、白い馬が献上されたのだと。<br />
この時馬は、神社の下を流れる丹生川の"馬背"という場所で桜の木に結び付けられ洗い清め"馬谷"という場所に放たれたのだという。 <br />
<br />
この"儀式"は、応仁の乱の頃に途絶えてしまったそうだが、その後には代わりに"藁の馬"に、黒い布か白い布を着せて献上するようになったのが江戸時代まで続いたのだと云う。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201011/14/75/f0075075_1221108.jpg" alt="_f0075075_1221108.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center> <br />
江戸時代の童謡に「咲いた桜になぜ駒つなぐ」というのがあり、この吉野の丹生川上神社の風習が残っておりそこからきているでは？という事らしい。 <br />
<br />
馬は「桜」であり、猪は「牡丹」、鹿を「紅葉」と呼ぶ様に、動物の肉を隠語で呼ぶのは、江戸時代に仏教の影響で殺生には厳しく、獣肉を公に食べる事ができなかったから、その"代用語"として生まれたのだというが、馬と桜の結び付きは、吉野から伝わったものなのだと。<br />
<br />
ところで八十禍津日神と呼ばれた瀬織津姫は滝と水の化身でもあり、その水を同時に奉っている桜の化身でもある。伊邪那岐命が黄泉の国から帰還し最初に現れた瀬織津姫は、死者という冥界をも司る。常に生と死の狭間に存在し、天照の対比と成す神である。そしてこの瀬織津姫は、早池峰神社を中心に、岩手県に多く祀られている。桜の木下には死体が埋まっている…などという迷信は、常<br />
に冥界を意識せざるおえない、瀬織津姫の存在があるからだ。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201011/14/75/f0075075_12233137.jpg" alt="_f0075075_12233137.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center><br />
【呪いの藁人形（恋に破れた乙女の呪い行為）の物語】 <br />
<br />
<br />
森の神々はお気に入りの桜・松・杉に傷が付くのを大変嫌っているが、この弱みに付け入る事によって恋に破れた乙女は恨みを晴らす。 <br />
<br />
乙女は、あたかも男をくどきに出かけるかのように着飾って真夜中、三本の火をつけたロウソクを頭の被り物につけて、首にひとつの鏡をかける。左の手には、裏切った男に似せて作った藁人形右の手には金槌と釘を手にしている。 <br />
<br />
それから神社仏閣などの木々の中で、人形を桜の木に打ちつけて、神仏に裏切った男の命を奪ってくれと願をかける。 <br />
<br />
「事が成就したら、この釘を抜いてさしあげます。それ以上は桜の木<br />
と神仏を困らせるような事はいたしません。」 <br />
<br />
<br />
と約束する。数晩にわたって神域である杜へと向かい、そのたびごとに釘を一本打ち込んで祈りを繰り返す。そう、基本的な呪いの藁人形は、神を脅すという行為なのである…。<br />
<br />
<br />
花の色はうつりにけりないたづらに　 <br />
<br />
　　　　　我が身世にふるながめせしまに <br />
<br />
<br />
<br />
小野小町の歌のように、愛であれ罪であれ呪いであれ、平安の人々は桜に我が身や心、そして想いを移した。生まれてきた子供を守る為、出生と共に庭に桜の木を植える風習が行われた。桜の木は元々、人の厄災を吸い込んでくれると思われていた。雛人形の発生と、同じ考えである。 <br />
<br />
目（芽）歯（葉）鼻（花）指（細枝）耳（実）腕（枝）頭（梢）胴（幹）足（根） <br />
<br />
<br />
木は、必ず人間の体と対比させて名称が付いたという。 だから”木”は、人間の”気”と同じものとして付けられた名称である。そして桜の樹齢は、人間の寿命に近いものとされた。だからこそ桜は人の移し身として、様々な役割をしている。先に記述した、呪いの藁人形の行為もしかりである。桜は、いろいろなものを、身に纏う…。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201011/14/75/f0075075_12394572.jpg" alt="_f0075075_12394572.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center><br />
桜と共に散りぬる（冬桜）<br />
<br />
<br />
伊予の国には、一人の男が命を捧げてまで桜の花を咲かせようとした。男は武士であり、子供時代にその桜の木の下でよく遊んだものだという。大人になってからも、毎年４月には任務の無いときには桜吹雪のの中に腰を下ろしていたものであったという。<br />
<br />
月日がたち、長寿を得たその男は高齢に達したが、妻も子達も、親類縁者も、ことごとく死んでしまい独りになっていたという。男と過去を結んでいたものはただ、その桜の木ばかりであった。<br />
<br />
ある年の夏、その桜の木が枯れてしまった。この出来事の中に、男は自然が何を自分に欲求しているか悟ったという。他の人々は、姿の良い若木を枯れた桜の木の傍に植えたので、喜んでいたが、男は辛い思いをしていた。冬が訪れた時であった。枯れた枝の下で男は、頭を下げて桜に言った。<br />
<br />
<br />
「敬愛すべき桜の木よ、もう一度花を咲かせてくだされ。<br />
<br />
　ただ今より、拙者の命を差し上げ申す故。」<br />
<br />
<br />
それから男は、地面に白地の布を敷き詰め切腹したという。流れ出た血は桜の根に染み込み、男の命が桜に乗り移り、冬ではあるが桜の花が咲いたという。そしてその桜の木は、毎年地面で雪が白くなっても、男の命日の為に咲いていると云う。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201011/14/75/f0075075_12432770.jpg" alt="_f0075075_12432770.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center><br />
櫻児の伝説<br />
<br />
<br />
昔、一人の乙女がいた。名前を、櫻児と言ったという。当時、二人の若者がいて、二人ともこの娘に結婚を申し入れていたという。それ故、この若者二人は命を捨てて争い、死をも顧みずに挑みあっていたという。ところがその争いを見て娘はすすり泣き、つぶやいた。<br />
<br />
<br />
「昔から今に至るまで、一人の女の身で二人の男に嫁ぐという事を聞いた<br />
　事も見た事もない。今となっては、二人の男の人の心を和らげる事も難<br />
　しい。ならば私が死んで、二人の争いを永遠に止めさせる以外にはない。」<br />
<br />
<br />
と、そうして櫻児は林の中に死に場所を求め、桜の木に首をくくって死んだという。その二人の若者は、悲しみに耐えることができずに、血の涙は衣の襟に零れ落ち、それぞれ二人は櫻児に思いを込めて、歌を詠んだという。<br />
<br />
<br />
＊　春さらば　挿頭にせむと　わが思ひし　櫻の花は　散りにけるかも<br />
　　(春になったら髪に挿そうと私が思っていた櫻の花は、<br />
　　　　　　　　　　　　　　今はもう散っていってしまったことだ。)<br />
<br />
<br />
＊　妹が名に　懸けたる櫻　花咲かば　常にや恋ひむ　いや毎年に<br />
　　(あの娘の櫻児という名にゆかりの花が咲いたのなら、これからは毎年<br />
　　　　　　　　　　　　　　のように恋に慕うことになるであろうか。)<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201011/14/75/f0075075_1247147.jpg" alt="_f0075075_1247147.jpg" class="IMAGE_MID" height="333" width="500" /></center><br />
桜に心を移したという事では、西行法師が有名だ。 <br />
<br />
<br />
花に染む心のいかで残りけん　 <br />
<br />
　　　　　　　　　　捨てはててきと思ふわが身に <br />
<br />
<br />
出家したばかりで、桜への思いを和歌に詠んでいる。西行の桜への熱い思いが凝縮された歌として特に有名なのが…。 <br />
<br />
<br />
<br />
願わくば花の下にて春死なむ　 <br />
<br />
　　　　　　　　　そのきさらぎの望月のころ<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
川沿いには桜並木が多く、桜は根が深く沢山の保水力を備えている為か、川が氾濫し多くの死者が出た後に日本人は多くの桜の木を植えている。つまり、死者への鎮魂の意味をも備えていたのだろう。<br />
いにしえからの人々の魂を吸い込んでいるからこそ、今でも桜は、その妖しくも美しい花を咲かせ、人々の心を魅了しているかもしれない。]]></content>
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    <title>夢</title>
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    <issued>2010-11-14T12:14:04+09:00</issued>
    <modified>2010-11-14T12:14:05+09:00</modified>
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    <author><name>dostoev</name></author>
    <dc:subject>古典の世界</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[日本の古来には、夢文化があった。夢とは現実に関与するもの。なので、良い夢を見るのに一生懸命だったふしがある。夢のお告げにより、悟りを得た坊さんの話や、夢によってお宝を得た話など沢山ある。 <br />
<br />
古来、蝶々は自分の魂の具現化の虫であり、寝ている間に鼻から魂である蝶々がヒラヒラと抜け出して、行った事も無い土地へ行って、お宝や美人などを探してくる。その夢を頼りに、初めて行った場所でもデジャヴーと同じくその土地を理解し、そのお宝であったり、美人であったりと遭遇するというもの。 <br />
<br />
<br />
<br />
また小野小町の歌にも、いくつかの夢の歌がある…。 <br />
<br />
<br />
<br />
＊　うたたねに恋ひしき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき <br />
<br />
＊　思いつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを <br />
<br />
＊　かぎりなき思ひのままに夜も来む夢路をさへに人はとがめじ <br />
<br />
<br />
最後の歌の解釈は平安の当時、夜に女から殿方の元へ出向くというのははしたなく許されないものだったが、夢であるなら私の方から参りましょうという大胆な歌で、当時としては衝撃的な歌だったら<br />
しい。ところが古代ローマになると、夢スパイというのが存在し、当時の民衆の夢を管理していたのだと…。 <br />
<br />
古代日本でも、古代ローマでも、夢というものは現実になりえるものと認識されていたようだ。古代ローマでは庶民の間に溶け込んだ夢診断をする人物がいて、その当時の人々の夢を聞いて判断し、危険な夢と判断した場合は国家へ報告し、その危険な夢を見た人物は投獄されたり、処刑されたと云う。考えてみると最もな話で…夢というのは、その人の持つ潜在意識の具現化みたいなもの。エッチな妄想に取り憑かれている人物は淫靡な夢をよく見る筈だし、それこそ国家転覆を願っている者は、当然その当時の国家に対する不満などが夢として具現化するものだ。 <br />
<br />
夢というのは在り得ないものではなくて、その人物の頭の中身を示すものだから、古代ローマで夢診断が普及したのは当然の結果なのかもしれない。 <br />
<br />
現代では、夢は夢でしかないというけれど、やはり自分の持つ不安や願望が夢に現れるので、夢診断というのは、その人物を知るには有効な手段だと思う。 ]]></content>
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