遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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カテゴリ:瀬織津比咩雑記( 92 )

穢祓の女神(水と風)

穢祓の女神(水と風)_f0075075_19343845.jpg
個人的には、岩手県の中心に早池峯が聳えていると思っている。その早池峯に坐すのは、瀬織津比咩という神名の穢祓の女神だ。古代の穢祓は、海に浸かる事から始まったとされる。それは水の霊力に期待してのものだった。その海の水は、川から注がれる。その川を辿って遡上すると山へと辿り、そして人々の目を惹く神々しい滝に出遭う。滝こそが、この水の流れの根源であるという感覚に支配された事からの水神であり、滝神であったと思う。それ故に、早池峯の麓の又一の滝は、滝神でもある女神の御神体であると思っていた。また、早池峯という漢字には「早池」という水を象徴する漢字が充てられている事からも、水神であるという認識が定まっていた。しかしだ。早池峯には、「疾風(ハヤチ)」という音が含まれている。またヤマセという春から夏にかけて吹く冷たい風は、早池峯が起こすという伝承もある。早池峯の女神は、水神でありながら風神でもありえるだろうと考えていた。
穢祓の女神(水と風)_f0075075_20531678.jpg
盆の頃には雨風祭とて藁にて人よりも大なる人形を作り、道の岐に送り行きて立つ。紙にて顔を描き瓜にて陰陽の形を作り添へなどす。虫祭の藁人形にはかゝることは無く其形も小さし。雨風祭の折は一部落の中にて頭屋を択び定め、里人集りて酒を飲みて後、一同笛太鼓にて之を道の辻まで送り行くなり。笛の中には桐の木にて作りたるホラなどあり。之を高く吹く。さて其折の歌は『二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る』と云ふ。

                            「遠野物語109」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遠野物語」の補注には「雨風祭は本来、二百十日(陽暦九月一日頃)に行われる雨風鎮めの共同祈願である。」という。別称として「風祭・風日待・風神祭」と云い、基本的には風神に対する祭であったのに、後から虫祭の習俗が重なっ伝わっているようだ。伊能嘉矩「遠野の民俗と歴史」によれば、伊能嘉矩はこの祭を広瀬竜田祭と同じであるとしている。

「大忌風神の祭といふ是なり、風水の難を除きて、年穀の豊なる事を祈申さるゝにや。」


また伊能嘉矩は、大忌風神祭、道饗祭、御霊絵、即ち辻祭に関する観念が混同の姿をもって奥州に伝えられ、それには風雨の厄と疫鬼の禍が結び付けられていると説いている。まず「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」という歌の最後「北の方さ祭る」だが、これは玄武を意識しての信仰であるようだから、遠野であれば素直に早池峯を指してのものだと考えるべきだろう。まず風雨鎮めに関しては、時期的に収穫の頃の台風除けを意識しているものだと思える。また、サムトの婆で知られる風もまた同じもので、風による厄災を鎮めねば五穀豊穣はままならぬのも、山神に対する意識がある為だろう。ましてや遠野は、盆地である。山々の手のひらの上に生かされているのが、遠野の民だという意識はあったのだと思える。
穢祓の女神(水と風)_f0075075_19193049.jpg
恐らく、遠野の歴史の中で古くから中心であったのは、土淵であり附馬牛であったろう。その土淵だが「土渕教育百年の流れ」を読むと"明神"の働きかけにより、和野から一の渡まで一つの大きな文化圏を作っていたと考えられているようだ。その明神とは、河内明神か諏訪明神であろう、としている。河内明神は蛇神だが、諏訪明神もまた蛇神。ただし諏訪明神は、風の神でもあるとされる。ただ、風の神としての諏訪明神だが、「倭姫命世紀」には、「風神 一名志那都比古神。広瀬竜田同神也。」と記されている。その志那都比古神だが、志那都比古神の「志那都(しなつ)」は「信濃(しなの)」の転訛とされる。つまり、志那都比古神は諏訪明神でもあるという事となる。これは伴信友「倭姫命世紀考」に「級津彦命、科戸邊命、伊勢津彦命ト同神ニテ諏訪ノ建御名方モ同神ナルコト云ベシ」と記されているように、突き詰めていくと全ての神が一体化してしまう。これらを全てまとめて現れる神名は、遠野の早池峯の女神となる。そうかつて、水神として、また風神として、また穢祓の女神として、その地を祓い清めてきた瀬織津比咩。穢れとは、疫病も含め、あらゆる穢れがあるのだが、その穢れを水と風の力で祓う女神が、岩手県の中心である早池峯に坐しているのだ。岩手県に未だコロナウイルス(武漢肺炎ウイルス)が広がらないのは、早池峯の女神の力と思ってしまうのは仕方ないのではなかろうか。

by dostoev | 2020-06-23 19:51 | 瀬織津比咩雑記

早池峯妙泉太神龍(白龍)

早池峯妙泉太神龍(白龍)_f0075075_21391204.jpg
薬師岳から早池峯を望んで気付くのは、早池峯の真上に北斗七星と北極星が輝いているという事だった。
早池峯妙泉太神龍(白龍)_f0075075_20242615.jpg
そして、その早池峯に向って左側に月が沈む。
早池峯妙泉太神龍(白龍)_f0075075_20245736.jpg
また早池峯に向って右側から太陽が昇って来る。
早池峯妙泉太神龍(白龍)_f0075075_20241246.jpg
早池峯を基点とした星の運行の形は、まさに妙見信仰の尊星王だと思える。早池峯をまず支配したのは、星の宗教と呼ばれる天台宗であった。坂上田村麻呂による蝦夷国平定の後、東北地方を布教して回ったのが天台宗。この頃は、西の真言、東の天台と云われ、西日本を中心に布教活動したのが、真言宗。東日本を布教活動したのが、天台宗だった。尊星王は、左右の手に日月を持つ星神である。この尊星王は、しばしば九頭竜として降臨する。そしてこの尊星王は、三井法流において吉祥天女とされる。
早池峯妙泉太神龍(白龍)_f0075075_21272877.jpg
中野美代子「仙界とポルノグラフィー」で、9世紀唐末の「西陽雑爼」には「龍の頭上には博山の形をしたものが一つあり、尺木と名付ける。龍は、尺木が無ければ天に昇る事が出来ない。」と記されている。それはつまり、龍が天に昇る時は依代が必要であるという事らしい。それは神の宿った樹木であるのだが、有名な長谷寺の「長谷寺縁起文」に記されている龍神の依代となったのは、神の憑依した樹木で造られた毘沙門天像であった。毘沙門天の妻であるとされるのは、龍神とも結びつけられるラクシュミー(蓮女)である吉祥天女であろうから、長谷寺の信仰には、吉祥天女が夫である毘沙門天を抱いて天に昇ったと云う意味を持っているものと考える。
早池峯妙泉太神龍(白龍)_f0075075_22314015.jpg
その吉祥天女を色濃く伝えるのが、早池峯である。遠野に伝わる三女神伝説には蓮華が登場し、それを手にしたのは三姉妹の末娘で、姉の上に降りて来た蓮華の花を奪い早池峯の女神となった。その早池峯の女神の神名は瀬織津比咩であるが、養老二年に国家鎮護の為、熊野から運ばれて来た。それと同じように国家鎮護の為に坂上田村麻呂によって、毘沙門天像が運ばれて来たとされるが、坂上田村麻呂そのものが毘沙門天の化身と云われた。その坂上田村麻呂であり毘沙門天を祀るのが、岩手山。そして吉祥天を色濃く滲み出しているのが、早池峯である。岩手山と姫神山、そして早池峯の関係は、岩手山の本妻が姫神だ、いや早池峯だとされるが、岩手山が毘沙門天を意識し、早池峯が吉祥天女を意識しているならば、本来の夫婦は岩手山と早池峯という事になるのではないか。ともかく早池峯は、龍神であり、それと結び付く吉祥天女が重ねられている。
早池峯妙泉太神龍(白龍)_f0075075_20244107.jpg
九州の闇無浜神社に伝わる古縁起「豊日別宮伝記」には、下記のような伝承がある。

瀬織津比咩は、伊奘諾尊日向の小戸の橘の檍原に祓除し給ふ時、左の眼を洗ふに因りて以て生れます。日の天子大日孁貴なり。天下化生の名を、天照太神の荒魂と曰す。所謂祓戸神瀬織津比咩是れなり。中津に垂迹の時、白龍の形に現じ給ふに依りて、太神龍と称し奉るなり。

上記の「太神龍」という表記だが、正確には「妙泉太神龍」もしくは「妙泉大龍神」と表現する。遠野の早池峯神社の本来は、神仏習合であった早池峯妙泉寺だった。この早池峯妙泉の名は、太神龍意図しているのはいうまでもないだろう。つまり早池峯妙泉寺は仏教的に、白龍を祀る寺院であったのだろう。

by dostoev | 2019-12-17 22:55 | 瀬織津比咩雑記

三ツ石の影向石は明星

三ツ石の影向石は明星_f0075075_18514634.jpg
土橋の早池峯神社には、三女神が降り立った影向石の伝承がある。それは、本殿の裏にある三つの石だとされるが、何故かそこには、四つの石があった。現在の早池峯神社の祭神は、瀬織津比咩の一柱だけとなっている。他の女神の気配が感じられないのは、何故か。ともかく影向石について宮司さんに聞くと結局、昔の事でよくわからないというが、それは確かに本音であろうと思う。ただ、女神の降り立った影向石、もしくは来迎石としては、この石は余りにも小さ過ぎる。
三ツ石の影向石は明星_f0075075_20220407.jpg
この土橋の早池峯神社の本来は、早池峯神社ではなく、天台宗の寺院があったという。確かに本殿裏は、それなりの広い空間があった。この本殿裏の敷地は、その天台宗寺院の敷地内であり、その一角に新山権現として、早池峯の女神が社を持たずに信仰されていたという。天台宗寺院が廃寺となった後、新山権現を祀っていた場所に、現在の社が建立されたようだ。つまり、この女神が影向したとされる石は、天台宗寺院の礎石に使用された石ではなかっただろうか。
三ツ石の影向石は明星_f0075075_20384644.jpg
神社を建立して神を祀るとは、坂上田村麻呂の蝦夷平定後、都の文化が流れて来た為でもあった。それ以前は、山を神として崇める場合、直接山を拝むものであった。考えてみると、遠野の早池峯信仰も、始閣藤蔵が金が発見されたら、お宮を建てると早池峯へ祈願した後に、山頂へ奥宮を建てたのが始まりだったが、その奥宮へ突然"瀬織津比咩神"を祀ったわけではないだろう。すでに早池峯に瀬織津比咩神が鎮座していた事から、始閣藤蔵は、そのお宮を建てようと約束したのだと思える。瀬織津比咩が岩手県に運ばれて来た歴史で、一番古いとされるのが、蝦夷平定の為、熊野から室根山運ばれて来たのが養老二年。それは三女神では無く、あくまで一柱の神として運ばれてきている。そして始閣藤蔵は、早池峯の神へ誓ったのだが、それは瀬織津比咩という一柱の神に誓ったもので、遠野三山の三女神に対して誓ったものではないだろう。つまり、始閣藤蔵の時代の姫神とは、三女神ではなく、あくまで早池峯に鎮座する瀬織津比咩神、ただ一柱の神だけであったと想定できる。
三ツ石の影向石は明星_f0075075_21472254.jpg
遠野の早池峯神社は、真後ろに早池峰が聳え、まさに早池峰を拝む形に神社が建立されているのがわかる。それは、遠野の伊豆神社もまた同じだ。大迫の早池峯神社は、遠野の早池峯神社へ向けて建てられているのは、あくまで遠野の早池峯神社経由で、北に聳える早池峰を意識しての信仰からだろう。その背景には、天台宗の北辰信仰が重なっている。しかし、この土橋の早池峯神社は、早池峯へと向けられていない。方角は北へと向けられてはいるが、その先に山があるわけではない。それでは何があるかというと、恐らくそれは、盛岡の三ツ石神社ではなかろうか。また土橋の早池峯神社宮司さんの話によれば、その三ツ石神社手前の櫻山神社の烏帽子岩にも、密かに女神が降り立った伝承があると聞いた。とにかく、この土橋早池峰神社の方向は、その烏帽子岩であり、三ツ石神社方面に向いて建てられている様に思えてしまう。ここで、岩手神社庁に伝わる「早池峯神社略縁起」の一文を、もう一度掲載してみる。
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そもそも新山大権現之本地を尋ね奉るに、人王五十代桓武天皇延暦十四年乙亥三月十七日當山江、三柱姫神達、天降満します也。新山と申すは古起松杉苔むし老いた流枝に蔦蔓生え登り、山葉に曳月はかすかに見ゆ木魂ひびき鳥の聲あたかも、深山幽谷の如し。南に北上川底清く、水音高く御手洗也。雲井に栄え登る月影浪に光を浮かしめ、北は千尋に余る、廣野と萩薄生え繁。是を名付けて、新山野と申す也。

四方青垣山にして宝殿棟高く、御床津比の動き鳴る事なく豊明に明るい座満たして宣祢禰宜の振鈴、いや高く響、茂あらたなり今茂かわらぬ。三つの石あり、三柱姫神鎮座満します。故是を影向三神石と申す也。


然に氏御神天降給故を尋ね奉るに、東国魔生変化の鬼神充満し、多くの人民をなやまし、国土を魔界に成さんとせしを、天帝聞し召せ給、田村大明神を天降し、悪魔化道退散なさしめ、国土を治め給いしとかや、弘仁二年巌鷲山田村大権現と顕れ給い妃神を王東山大権現と顕し給いしとかや、其の御子三柱の姫神當山鎮座満しまし給、姫神達折々四方を御詠有りし遥か東方に雲を貫く高山あり。旭の光々たり、月の満々たるも、峰の高きを貴み給いて曰く我等山川の清を求め峯の高きに登り末を守らん。爰に我等の三躰を残し置くと宣いて、東方へ行幸ありしとなん。

人民肝留以催し、跡伏し拝み、悉く信心す時に姫神達東山に登給いれるに、童子一人顕れ、かれに山々を問わしめ給へば、童子指さし向に見ゆるは、於呂古志山、何方は大石神山此方は早池峯山と申す三つの山也。中にも峯高く絶頂盤石四方巌々として空にそびい鳥類翼を休めがたし。閼伽井より冷泉湧き出る是を名付けて早池峯と申す也。常に紫雲靄起こし、音楽の音止まず。折々天人舞い下り、不測之霊山也と言うを終わらず、虚空に上り雲中に声有。我は、是一の路権現なりと失せ給ふ御跡拝み伏す。

天に向かい此の三つ山、授け霊験を下し給いと祈り給へば、不測屋奈末の妹神の御胸に八葉の蓮華光曜として、天降蓮華の?に舞光を放ちて飛び、早池峯山大権現と顕れ給い、姉神は大石神山大権現と顕れ、第二姫神於呂古志山大権現と顕れ、国土を守り給いとかや況や御神徳著しき事、當社に先魂坐す故當社を早池峯新山大権現と齋奉流也。又神道には、瀬織津姫也大権現と書て大権現と讀み奉る也。古今の霊場にて弥陀薬師観音の三像相殿に敬い奉る事、其の徳社に満りと云々。

                          【早池峰神社略縁起】

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この縁起によれば、時代は坂上田村麻呂の蝦夷平定の頃となる。三女神は、坂上田村麻呂と烏帽子姫との間に生まれた、三柱の姫神という事。三ツ石神社の、三つの石は、岩手山が噴火した時に飛来した三つの石であるとされている。ある意味、岩手山に祀られる坂上田村麻呂から誕生した三女神を意図しての事に思える。しかし、あくまでも表向きの名前は"三ツ石様"で、三つの石をまとめて三ツ石様と呼ぶのにも、どこか違和感がある。それは、宗像三女神をまとめて、宗像大神と呼ぶのに似ている違和感である。とにかく、岩手県に記録上で一番古くは、瀬織津比咩という姫神が蝦夷平定の為に運び込まれた養老二年の後、今度は同じ蝦夷平定の終焉である坂上田村麻呂の時代に、三女神の伝承が続く…といものだが、恐らくそれは、南部藩時代に意図されて創られた伝承であると思う。とにかく、この土橋の早池峯神社の原初は、天台宗寺院であった。天台宗の教義から考えても、北辰を意図した信仰形態であったろう。それでは、その北辰の信仰と三つの石との関わりは何かと考えた場合、現れるのは"明星"であろう。明星とは、単純に言えば、日と月の組み合わせによって、星が生まれたものと解釈して良いだろう。室町時代に成立した「日本書紀纂疏」に、星に関してこう記述されている。

然らば則ち石の星たるは何ぞや。曰く、春秋に曰く、星隕ちて石と為ると「史記(天官書)」に曰く、星は金の散気なり、その本を人と曰うと、孟康曰く、星は石なりと。金石相生ず。人と星と相応ず、春秋説題辞に曰く、星の言たる精なり。陽の栄えなり。陽を日と為す。日分かれて星となる。故に其の字日生を星と為すなりと。諸説を案ずるに星の石たること明らけし。また十握剣を以てカグツチを斬るは是れ金の散気なり。

この事から察すれば、全国に広がる巨石信仰とは即ち星の信仰であるのだろう。古代において、天とはや山の頂を意味していた。その天でもある山の頂から降って来た、つまり岩手山の噴火によって降った石は、星そのものであるという考えであったろう。「早池峯神社略縁起」の縁起によれば、巌鷲山田村大権現と姫神との結び付きで、三女神が顕れたとするが、それは「日=岩手山=坂上田村麻呂」「月=姫神山=烏帽子姫」によって生まれた明星が、早池峯の女神であるとしているのではないか。

北辰としての天台宗ではあるが、天台宗の「秘鈔」では「一切の衆生は日月星から生れて来た。衆生の心というものは、日月星の三魂なのだ。と、北辰とは別に明星をも説いているのが天台宗である。恐らく、その天台宗の教義と重なるのが三つの石であり、後から三女神が重ねられたのではなかろうか。とにかく、蝦夷平定後には、天台宗が東北の地へと布教に訪れている事実がある。遠野の早池峯神社の本来も、天台宗からであるが、あくまで北辰を強く意図した信仰形態であるのに対して、この土橋の早池峯神社は、明星を強く意識した信仰形態ではなかろうか。それが三つの石の信仰であろうし、その三つの石の御神体こそは、岩手山から降って来た三ツ石ではないか。つまり、この土橋早池峰神社は、天から降り、地に降りた星である、三ツ石の遥拝所では無かっただろうか。

by dostoev | 2019-08-19 23:03 | 瀬織津比咩雑記

早池峯神社(土橋)例大祭 2019.08.17

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8月17日は、土橋の早池峯神社例大祭であったが、今まで一度も行った事が無かった。今回は、少しばかり時間が取れそうなので、行ってみようと思った。取り敢えず宮司さんへ確認の為、例大祭の二日前に電話してみた。すると、16日の前夜祭、17日の例大祭の神事は行いますが、台風が来るので、それ以外のイベントは中止になると思います…。と、台風の影響で、歯切れが悪かった。天気予報を確認しても、確かに微妙だが、岩手県そのものは、殆ど台風が避けて通るので、恐らく大丈夫だろうとは思っていた。
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8時半頃に、遠野を出発して土橋早池峯神社へ向かった。遠野では雨が降っていなかったのだが、遠野を越えた辺りから、雨が降って来た。場所によっては、強く降ってもいたが、どうも斑状に雨が降っているようだ。予定より早く早池峯神社に到着したが、現地は軽く雨を感じる程度。空も、雲に覆われてはいるが、かなり明るくなっていた。
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舞台にも幕が張られ、神楽でも行われるのだろう。ただ、そこまでは時間が取れないので、自分は神事だけを見て、お暇する事にしていた。
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神事が開始される10時頃になると、雨雲に覆われた空から、日差しが戻って来た。
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さて神事の開始時間となるので、本殿に宮司さん達が集まって来た。
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祭壇には、自分が持って来た「瀬織津比咩」と「早池峯天女」の酒が並んでいる。
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さて、神事の開始である。
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不思議な事に、宮司さんの祝詞が始まると、爽やかな風が吹いてきた。神事に合わせて、太陽が顔を出し、祝詞の奏上とと共に爽やかな風が吹き始めるなど、これは護られているのだなぁと思ってしまった。
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さて、いつもの御札などの見本の箱を見ると、いつもとは違う御札を発見してしまった。
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いつもの倍の値段のする、瀬織津比咩の御札だ。当然、購入した。

玉串奉奠の最中だったが、ここで早池峯神社を後にする事にした。

by dostoev | 2019-08-18 05:17 | 瀬織津比咩雑記

瀬織津比咩への奉納酒

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明日、7月17日と明後日7月18日は、遠野早池峯神社の宵宮と例大祭。両方行けるかどうかはわからないが、宵宮だけは客を迎えに行かなくては。
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ところで、この例大祭に間に合わせ、「早池峯天女」と「瀬織津比咩」の奉納用酒を、瀬織津比咩を祀る神社へと奉納予定。自分が行けない遠い地で、瀬織津比咩を祀る神社にも、今日発送した。どこぞから、クレームが来ない事を祈る(^^;

by dostoev | 2019-07-16 15:18 | 瀬織津比咩雑記

高千穂の神と早池峯の神

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ある、お婆ちゃんが亡くなった。そのお婆ちゃんは、昔から伝えられている事を守っていたお婆ちゃんだった。常々言っていたのは「高千穂の神様と、早池峯の神様は同じだよ。」と。昔、遠野人達と高千穂の人達との交流会があったと聞いた。その時、高千穂の方々もまた、高千穂の神様と早池峯の神様は同じだと聞いた事があると述べていたそうである。この話もまた学者には一笑に付されるであろうが、遠く離れた東北の遠野の地と、九州の高千穂の地で語り伝えられていた事を思えば、神話の里としての高千穂と遠野は古代において、何等かの繋がりがあったものと思える。今でこそ、遠野観光のキャッチフレーズに"民話の里"と広く宣伝されるが、もしかして今後"神話の里"としての遠野の立ち位置もありえるか。何故なら「遠野物語」読み調べていくと、文中には示されないが、早池峯の神に繋がる話が実は多い。そういう事からも「遠野物語」は民話では無く、神話に位置する気がする。高千穂の神とは一般的に高千穂皇神となるが、その高千穂皇神が早池峯の神である瀬織津比咩であるという事を今後、その詳細を紹介していかなくてはならないだろう。
by dostoev | 2018-07-22 11:53 | 瀬織津比咩雑記

妙見の女神

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妙見神とは、星の神だろうという認識があった。しかし九州地域においての妙見神は、水神として認識されていた。この認識の違いはどこから来ているのかと、疑問に思っていた。ただ調べていくと、坂上田村麻呂の東征以来、東北の地を布教したのは慈覚大師円仁を中心とする天台宗の僧であった。天台宗は星の宗教とも云われる様に、北極星や北斗七星に重きを置いていた。ある意味、星と共に北という方位をも重視していた。天台宗の秘法に、尊星王法というものがある。画像は、その尊星王法の曼荼羅。この尊星王法は龍の上に立つ菩薩形で、吉祥天如ともされている。また日月が配されているのは、明星を意味しており、そのモデルは太白金星であるというが、これはそもそも本来の妙見神の中の、一つの神を取り上げたもののようである。
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天台宗は北を重視したという事を簡単に書いたが、紀元前の時より、銅鏡により多く刻まれる言葉があった。それは「朱鳥と玄武は陰陽を順う」という言葉であった。朱鳥は南を意味し、玄武は北を意味していた。古代中国の皇帝の玉座は南に置かれ、北と向き合う形になっていた。皇帝は男であり、陽であった。奇門遁甲に長けていたと云われる天武天皇は、元号を朱鳥と定めた。この朱鳥という元号は、自らが古代中国と同じ皇帝の玉座に坐すという意志の表れと共に、北を重視し陰陽を調えようとした政策の一環ではなかったか。その流れが、天武天皇から始まった様にも思えるのだ。ただし妙見への信仰は、それ以前から始まっている。
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妙見宮として一番古いのは、熊本県の八代妙見宮とされる。この八代妙見宮の女神は、画像の様に大亀に乗った形で表されている。ただ妙見宮の古さに関しては、宗像は大島の妙見宮の方が古いともされるが、それを九州の神社庁に聞いてもわからないとする事から、その真意は定かではない。ところで多田和昭「星曼荼羅の研究」を読むと、大亀に乗った女神の形は、北の玄武を意識したもので、かなり道教色が強いものであると云う。「阿娑縛抄」によれば、妙見神の形は「凡此尊形像不同也。」と記されている。それは、鏡によって変化するものであると。

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大亀の上に鏡を立て、その一面に龍に乗る像と蓮華に坐す像になるともされている。今では日本全国の神社の御神体として鏡が、数多く祀られている。しかしそれは、明治時代になって、天照大神=大日如来を中心とした神国を意図した政府の意向があったようだ。大日本とは、大日如来の本国という意味から、その太陽神の依代である鏡が御神体とされたようだ。ところで鏡とは本来、太陽では無く月の依代であったようだ。鏡の原初は、水鏡から始まったものだが、その水と縁の深い月が結び付いた。自分自身と、その自分が投影された分身が鏡の中に存在する。これが恐らく、和魂と荒魂の概念の始まりであろう。ローマ神話においても、優しいダイアナと荒ぶるヘカテという両面の女神がいるのは、月と鏡が結び付いたせいでもある。伊勢神宮における和魂とは天照大神の事であるが、その天照大神荒魂は、早池峯の女神でもある瀬織津比咩となる。

話が飛んでしまったが、蓮華と縁が深い神は吉祥天となる。遠野の三女神のうちの末の娘は、その蓮華を奪って早池峯の女神になったとされる。その蓮華と縁の深い吉祥天の夫は、北を鎮護する毘沙門天であり、坂上田村麻呂の化身ともされている。蝦夷の地へ毘沙門天と吉祥天を配する考えは、宗教的である。その宗教の信仰をもたらし布教したのは天台宗であるから、早池峯の女神の謎は、やはり天台宗の教義から成り立っていると考えるのが普通であろう。その吉祥天に関してだが、その吉祥天を含み、水神であり太白金星の神であり、その本地を十一面観音とする妙見神が存在した。
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画像は、「終南山名曼荼羅」妙見曼荼羅の一つであるが、上に朱塗りの建物内に六人の女神がいる。実はこの建物は、七星閣であり、北斗七星の擬人化であり、七人の女神がいる。しかし何故にこの七星閣には六人の女神だけしかいないのかというと、一人の女神は、下に降りたって人間と接している。この女神が地上に降りたっている表現に描かれている白い雲の様な水の様なものは、定かではないとされている。この「終南山名曼荼羅」で、地上に降りたった女神について「覚禅鈔」によれば「北斗七星之中一星下地。是文曲星。」であるとしている。文曲星は水精でもあるので、水を自在に操るともされる。それ故に、七星閣から地上に降りたった白いものは、水であり、滝を示しているのだろう。この文曲星の本地は、吉祥天であり十一面観音とされている。そして北を司る水精であり、泰山府君を配すとされている。泰山府君とは、中国の五岳の一つであり、太山(泰山)を神格化したものであり、中国では人が死ぬと泰山に帰るとされる事から、泰山の神は生死を司る冥界の神ともされた。遠野でもまた、人が死ぬとその魂は早池峯を昇るとされている。その泰山の信仰が、そのまま早池峯にかかって伝えられたのだろうと思える。
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岩手県の室根山に熊野から瀬織津比咩が運ばれたのが、養老年間となる。その時の瀬織津比咩は、蝦夷を平らげる為の軍神としてのものであったよう。天照大神荒魂は「日本書紀(神功皇后記)」において、仲哀天皇を祟った神として呼ばれた。恐らく神功皇后もまた、この荒魂を信仰していた為に、自らが武装して三韓征伐に出撃したのだと思える。この荒魂は崇神天皇時代から、周辺の平定をする為に彷徨った軍神であり、最後に滝宮に祀られた荒魂であった。もっと古くは、天の安川で素戔男尊と対峙した武装した天照大神が、天照大神荒魂であったのだろう。これについては、別の機会に記す事にする。その軍神であった天照大神荒魂である瀬織津比咩に、後から天台宗が妙見の文曲星を被せて祀ったものだと思えるのだ。何故ならこの文曲星の性質は、今に伝わる早池峯の女神である瀬織津比咩そのものではないか。

by dostoev | 2018-01-19 19:04 | 瀬織津比咩雑記

縁結びと縁切り(瀬織津比咩)

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縁結びと云えば、今では綾織町の卯子酉神社が有名だ。赤い布切れを左手だけで祈願すると縁が結ばれるとされる。しかしそれは綾織町の事で、遠野の町での縁結びの神とは、多賀神社になっていた。多賀神社の祭神は、伊弉諾と伊邪那美の夫婦神となっている為だ。しかし、伊弉諾と伊邪那美は黄泉国で袂を分かった夫婦神であるから、縁結びには向いていない気がする。また厳密に言えば、多賀大社から分霊されてきた祭神は、多賀大社からの記録によれば、伊弉諾と弥都波能売神となっている。伊弉諾は、伊邪那美を捨てて、弥都波能売神という水神を選んだのだろうか? この弥都波能売神だが、本来多賀神社には御神水が涌き出ており、それによって神社を建てたとの話もある。その多賀神社の眼下には、猿ヶ石川が流れていた。弥都波能売神はいつしか、灌漑用水に祀る水神として扱われるようになったようだ。その為か、天保年間には猿ヶ石川の護岸工事において水神の碑として弥都波能売神の神名が刻まれている。これは多賀神社に影響されたとも聞くが、本来こういう川に対する石碑は、川の水源神に対してのものであるという。先に紹介した卯子酉神社は、この水神の碑の近くにある。その卯子酉神社も、本来は水神に対して縁を祈願するものであった。その祈願する水神もまた、猿ヶ石川の水源神である。古来から、猿ヶ石川の水源は又一の滝から始まったとされるが、それは早池峯大神でもある瀬織津比咩という水神である。熊野大社を調べても、本来祀るのは熊野川の水源神であったというが、その上流に祀られている神は、天河弁財天社の天照大神荒御魂であり、別の神名を瀬織津比咩と云う。

では何故に縁結びであるかという事だが、縁結びで有名なのは出雲大社である。神無月には、出雲に八百万の神々が集まり相談するのだと。主にその相談とは、人間達の縁を結ぶ為のものだと云われている。遠野に伝わる話に、山神が縁を結ぼうとする話があるが、遠野における山神の頂点は早池峯である。早池峯山頂手前に、賽の河原という場所がある。これは人は死んだら魂は山へと昇るとされたものに対応する為、仏教が普及してから名付けられものであったが、本来は神々が集まる祭礼の場所であったようだ。それはどういう事かと言うと、遠野の早池峯は神無月ではなく神在月の地であったという事。つまり、早池峯の神は出雲の神であったという事になる。出雲大神とは大国主が奉斎する神の事をいうのだが、その神とは熊野大神の事になる。熊野大神は熊野川の源流神でもあるが、広義的には那智の滝神でもある。その那智の滝神を祀る本来は飛竜権現社のようだが、熊野三山年中行事には、三月二十一日に飛竜権現社で瀬織津比咩祭が行われている事から、出雲大神=熊野大神=早池峯大神=瀬織津比咩という事になるのだろう。

縁を結ぶのが山神であり水神である早池峯大神になるのだが、縁を切る場合、有名な神社が京都にある。それは橋姫神社で、その祭神は瀬織津比咩であった。つまり、瀬織津比咩とは、人の縁を結び、また、その縁を切る事も出来る女神でもあるという事。縁を結ぶとは、子宝にも恵まれる事に繋がる。そしてこの縁を結ぶ祈願をする者達の殆どが女性である事から、いつしか瀬織津比咩は女性に信仰される神にもなったようである。
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by dostoev | 2018-01-09 21:34 | 瀬織津比咩雑記

瀬織津比咩祭

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出雲大神とは、突き詰めれば熊野大神である。出雲大社の宮司によれば、大己貴命(大国主命)が奉斎する神こそが出雲大神であり熊野大神という事の様だ。熊野本宮大社には家都御子神、熊野那智大社には熊野牟須美神が祀られている。熊野那智大社の異称を「結宮」と云うのは牟須美神が「結」でもあるからか。考えてみれば「結」は「むすび」とも「けつ」とも読む。つまり、熊野夫須美大神と家津御子大神は同一神である可能性が高い。奈良時代の記録では、熊野本宮大社に熊野牟須美神が祀られていた。その熊野牟須美神は現在、熊野那智大社に祀られているという事は、熊野牟須美神は熊野本宮神でもあるという事か。

出雲と熊野は死の国として繋がり、地名や川の名も重複する。その大己貴命は、熊野那智大社第一殿 瀧宮である飛瀧権現の主祭神となっている。それはつまり、那智の滝に祀られる神こそが、大己貴命が奉斎する出雲大神であり、熊野大神という事に成りえる。大己貴命はかって、この那智の大滝の飛竜権現に祀られていたが、現在この飛竜権現は、熊野那智大社別宮となっている。

ところでこの飛竜権現だが、飛竜(ひろう)と読む。「ひろう」は「疲労」「卑陋」などの悪い言葉にも繋がるので、例えば「葦(あし)」が「葦(よし)」に変えて読まれた様に「ひろう」が変換されて伝わったのが「ほうりょう権現」であろう。恐らく、熊野神社の普及と共に広がったものと思える。

熊野三山年中行事には、三月二十一日に飛竜権現社で瀬織津比咩祭が行われている。これはそのまま、那智の滝神は瀬織津比咩であると宣言しているようなもの。そして十二月二十八日に行われる「三所権現天照大神飛竜権現祭」の表記は、正確には天照大神荒魂ではなかろうか?何故なら二十八日は、不動明王の縁日でもあり瀬織津比咩の縁日でもあるからだ。
by dostoev | 2017-07-05 05:59 | 瀬織津比咩雑記

泥棒を守護する神の根源

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以前「泥棒を守護する神トイウモノ」という記事を書いたが、この泥棒の根源を考えてみた。

早池峯の女神は三女神の末の妹であったが、姉の上に降りた霊華を奪い、早池峯の女神になった話は「遠野物語2」で紹介されている。この話からなのか遠野では「山のモノと女(おなご)はなぁ、早ぐとらねば誰かに取られてしまう。」として、山菜やキノコ、そして、気になった女性は早めに手をつけるものだと広まったようでもある。その為なのか佐々木喜善「遠野奇談」の冒頭に、その盗みを守護する早池峯の女神の逸話が拡大解釈され紹介されている。

「この三山の新山祭には、郷土の若者達の乱暴が荒く烈しければ烈しいほど女神が喜ぶというので、随分乱暴をはたらくのが土地の習慣となっている。そのうちでも早池峯神社の例祭には、乱暴の上に盗みをしてよいという習俗があるので、ちょうど七月頃の例大祭であるが、その往還に村の梨桃の実から、娘たちまでが大いに荒らされ盗まれる。」

これを読むと、早池峯の例大祭の昔はとんでもないものと思いがちだが、これと同じ様な記録を九州は熊本の阿蘇神社の例大祭で読んだ事がある。村崎 真智子「阿蘇神社祭祀の研究」に記されているが、やはり例大祭の時は、余りにも娘たちが乱暴されるので、いつからか娘たちを祭に出さなくなった家が多いと紹介されている。この阿蘇神社の例大祭もだが、遠野と同じに菊池氏が多いのは偶然だろうか?それは何も菊池氏がというわけではなく、その時代の流れもあっただろうが、早池峯神社よりも古い歴史を誇る阿蘇神社の例大祭の習俗を、遠野に移り住んだ人々がそのまま持ち込んだ可能性もあるだろう。何故なら、阿蘇大神は早池峯大神と同神であるからだ。一般的に阿蘇大神とは健磐龍命と思われがちだが、健磐龍命は外来の征服者と思えばよい。菊池郡の民俗・信仰を調べると、阿蘇の姫神である阿蘇津比咩を阿蘇大神として崇めている。その阿蘇津比咩は早池峯の女神である瀬織津比咩であり、嫁いだ為に阿蘇津比咩と神名が変化している。とにかく、九州から遠野に移り住んだ者達が同じ神を祀り、同じ祭の習俗を持ち込んだとしたら、早池峯の女神は盗みを守護する神であるという逸話も後付けでは無いかと思えてしまう。

佐々木喜善によれば「東西磐井から旧仙台領では泥棒の神様として斯云ふ職業の人達が重に信仰したものだと申します。」という、余りにも産土神を他人事みたいに語っているのが妙である。早池峯神社の例大祭は、県外からも大勢の人達が来たと伝えられる。その中に"泥棒守護の神"という意識で参詣した者もいたのかもしれない。遠野に隣接する東和町での早池峯の神は「一生に一度無理な願いを聞き届けてくれる神」として認識している人もいるそうだ。つまり、遠野を離れるにしたがって、早池峯の神の神威は曲解されて伝えられているようだ。
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「泥棒を守護する神トイウモノ」では妙見菩薩が、そのものの姿を変化させる力があるという事がわかった。早池峯の女神が、糯米の稲穂を粳米の稲穂に変化させたのは、早池峰の神の力であった。つまり泥棒を守護するというより、信仰する人を助ける為、そのものの形を変化させたりする霊的な力は、妙見菩薩と同じであった。その妙見の本地は薬師如来である。早池峯の前に聳えるのが薬師岳で、そこに薬師如来が祀られていると考えられている。それ故「前薬師」と呼ばれる。これは「上閉伊郡志」にも「早池峯の前にある薬師の山」と記されている。実はこの薬師岳は七つ森信仰に関する為、もっと複雑な祭祀形態になるのだが、ここでは省略する事にする。そして背後に聳える早池峯は十一面観音を本地としている。

「宮守村史」「砥森神霊翁之夜話」が載っているが、安倍氏に関係する伝承となる。早池峯もだが、この宮守の砥森もまた安倍氏に関係の深いところである。そこに、こう記されている「毎年四月八日、九月廿八日御山籠りと申て祈願のもの前夜詣ふて、拝殿にいのりて…。」と記されているのだが、四月八日は薬師如来の縁日。そして九月廿八日は、不動明王であり瀬織津比咩の縁日となっている。砥森でも早池峯と薬師の祭祀形態が伝わっているのであろう。瀬織津比咩の本地は十一面観音であるが、何故に不動明王であるかは以前別記事で書き記したが、十一面観音の脇侍として不動明王が存在し、薬師岳の麓の又一の滝を見てわかるように、滝そのものを、そして十一面観音を守護しているのが不動明王である。何故十一面観音かといえば、十一面観音の神威そのものが瀬織津比咩と同じであったのが大きかったのだろう。よって早池峯に祀られるべきは、薬師如来ではなく十一面観音でなければならなかった。それらについては他の記事でも書いてある為、詳細を省く事とする。そして言えるのは、養老年間に熊野から最強の神として運ばれて来た瀬織津比咩は蝦夷の地の平定を願ってのものであった。その後の大同年間に天台宗の影響から、瀬織津比咩に十一面観音が重ねられ、いつしか早池峯は観音信仰の山とされてしまった事を念頭に置いて欲しい。

それと紹介し忘れたが、佐々木喜善「遠野奇談」には、その三女神信仰をしていた一族に安倍氏が関係している事を紹介している。だからこそ、早池峯にも砥森にも、安倍氏の影が濃くなっているのは当然の事であった。
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昔三人の美しい姉妹があった。橋野の古里という処に住んでいた。
後にその一番の姉は笛吹峠へ、二番目は和山峠へ、末の妹は橋野の
太田林へ、それぞれ飛んで行って、そこの観音様になったそうな。

                     「遠野物語拾遺1」

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この「遠野物語拾遺1」の末娘の場所を辿ると、そこに祀られていたのは早池峯の神であった。つまり、この「遠野物語拾遺1」もまた、三女神譚であった。岩手県内に共通するのは、末娘が早池峯であるという事。そして一つ、気になる箇所がある。「それぞれ飛んで行って」と表現されている。これは遠野三山の女神も、別の伝承では「飛んで行った。」と表現されている。

飛んだと表現される話が別に「遠野物語拾遺3」に天人児の話として紹介されている。天人児が水浴びしている時に石にかけてあった羽衣を若者に奪われ、天に帰れなくなり、そのまま若者と夫婦として過ごすのだが、後に羽衣を取り戻して、天に飛んで帰って行くというもの。これは全国に広がる天女の羽衣譚の遠野バージョンであるが、この羽衣を奪われた天女は七人姉妹の末の娘である場合が殆どである。この「遠野物語拾遺3」の天人児は機織り機により蓮華から衣装を織った。この蓮華だが、三女神に降りて来た霊花もまた蓮華であった。蓮華は吉祥天に縁が深いが、その吉祥天は毘沙門天の妻であるとされる。毘沙門天の化身と呼ばれた坂上田村麻呂の伝説と、この蓮華の花を通じて、三女神伝説が繋がっているのは、その背後に安倍氏がいるからだろう。

坂上田村麻呂東夷征伐の時、奥州に国津神の後胤の玉山立烏帽子姫という女神があった。極めて美貌であったので、夷の酋長大岳丸というのが種々の手段で言い寄ったけれども、姫は少しも応じなかった。この時にあたって坂上田村麻呂は勅使を奉じて東北の地に下ってこられた。そして立烏帽子姫の案内で、よく蝦夷を討伐し、その頭領大岳丸を岩手山で討ち取った。それから立烏帽子姫と夫婦の契りを結んで、一男一女を産んだ。その名を田村義道、松林姫といった。義道は安倍氏の祖である。松林姫は三女を産んだ。お石、お六、お初といった。お石は守護神、速佐須良姫の御霊代を奉じて石上山に登った。お六は、速秋津比売の御霊代を奉じて六角牛に登った。お初は瀬織津比咩を奉じて早池峯に登った。この三人の女神たちの別れた所は、今の附馬牛の神遺神社の所であった。

                  佐々木喜善「遠野奇談」より抜粋

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天女を調べていると誰もが気付くとは思うが、七夕伝説に似通っている。水辺を中心とし、天女という織女が男と出逢って別れる図式は、七夕伝説と言っても良いほどだ。天女伝説の定着は王朝時代(奈良時代~平安時代)とされているが、弥生時代の銅鐸に紡いだ糸を巻く桛を持つ女性が描かれている絵を七夕と結び付けて考えられているが、それを天女伝説に結び付けても違和感が無いだろう。

羽衣を奪われ天界に戻れなくなった天女を、堕天使ならぬ堕天女と呼ぶ。その堕天女となった経緯は、たまたま男が羽衣を見つけたので奪ったというのが一般的である。しかしリアリティを持った伝承は、唯一阿蘇に伝わるもので、阿蘇神社の御前迎え神事に結び付いている。

赤水宮山に健磐龍命が行ったら山女がいた。この山女は日下部吉見の姫が赤水に来ていたもので、健磐龍命がこの姫を強引に担げて来て自分の嫁にした。嫁盗みを神様がやったので、阿蘇の人々にも許されている。実際にも行われていた。姫を盗む途中で十二か所寄って来る。化粧原は十二か所目になり、ここから夜になるので松明を出す。そして赤水のお宮で強引に姫の穴鉢を割る(犯す)。それからお宮(阿蘇神社)に連れ込んで高砂(結婚式)をする。お宮に連れ込んだが、姫が生まれ在所に帰りたいというので羽衣を隠した。子供が十二人生まれる。これが阿蘇神社の十二の宮である。子供が多く生まれたので、安心して歌を歌う。「姫の羽衣は千把こずみの下にある。」それで姫は羽衣を見つけ、生まれ在所に帰った。

先に、早池峯の神は荒く烈しい祭が好きで、男達は例大祭の時に、女をも盗む様な事を紹介したが、それが阿蘇神社の例大祭にも似てるとした。その根源は、阿蘇の男神である健磐龍命が日下の姫神を奪った事が発端であるようだが、この健磐龍命に"盗まれた"姫こそが早池峯の女神である瀬織津比咩であった事は紹介した。その瀬織津比咩は阿蘇において奪われた羽衣を見つけ奪い返し、生れた所に帰ったという話がそのまま岩手県に伝えられ歪曲したものが三女神伝説では無かろうか。本来天女の末娘は、蓮華の羽衣を盗んだのではなく、奪い返して天(早池峯)に帰ったとするのが、正しい話の流れであると思う。それが三人姉妹として三山に重ねた為に、話が歪曲され変換されたと。三山となったのは、熊野三山、出羽三山の流れに、天女の羽衣伝説を組み込んだものであろう。岩手県に早池峯を中心とする三山と三女神の話が多いのは、あくまでも早池峯を中心に三山伝説が作られ、それが各地にも広まったのだろう。菊池照雄氏は、三山伝説の伝承者が殆ど菊池氏であると指摘している。つまり菊池氏を中心とした信仰が、各地に分散して住みついた土地の地域性を加味して作られたのが、岩手県内に拡がる多くの三山三女神伝説であったのだろう。

菊池照雄「山深き遠野の里の物語せよ」で、照雄氏は遠野の中世の館に何故か天女の羽衣伝説が付随している事に着目した。奇しくも七姉妹の天女と同じく遠野全体で七か所の地に、羽衣伝説があるという。これは偶然なのか、それとも意図されたものなのかは今後調べてみないとわからないが、遠野の伝説の根底には天女の羽衣伝説が根深く潜んでいるのを感じるのである。
by dostoev | 2017-06-03 18:30 | 瀬織津比咩雑記