遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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瀬織津比咩の祭祀其の四十五「三ツ石神社(早池峯の女神影向石)」

f0075075_05250255.jpg
伝説によると、昔この地方に羅刹という鬼が住んでいて、付近の住民をなやま
し旅人をおどしていました。そこで人々は、三ッ石の神にお祈りをして鬼を捕
らえてもらい、境内にある巨大な三ッ石に縛り付けました。鬼は二度と悪さを
しないし、又二度とこの地方にはやって来ないことを誓ったので、約束のしる
しとして三ッ石に手形を押させて逃がしてやりました。

この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源といわれ、又、鬼が再び来
ないことを誓ったので、この地方を「不来方(こずかた)」と呼ぶようになったと
伝えられています。鬼の退散を喜んだ住民達は幾日も踊り、神様に感謝のま
ごころを捧げました。この踊りが「さんさ踊り」の起源ともいわれています。

                      「三石神社案内板」

f0075075_05251449.jpg
岩手の県名になったとも云われる三ツ石神社の三つの石。これは三ツ石様とも呼ばれる、鬼を退治した石でもある。何故急に、盛岡の三ツ石神社を取り上げたかというと、ここにきて盛岡の早池峯神社に伝わる「早池峯神社略縁起」が気になったからである。この「早池峯神社略縁起」は、岩手神社庁だけに伝わり、一般的には広まってないものである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そもそも新山大権現之本地を尋ね奉るに、人王五十代桓武天皇延暦十四年乙亥三月十七日當山江、三柱姫神達、天降満します也。新山と申すは古起松杉苔むし老いた流枝に蔦蔓生え登り、山葉に曳月はかすかに見ゆ木魂ひびき鳥の聲あたかも、深山幽谷の如し。南に北上川底清く、水音高く御手洗也。雲井に栄え登る月影浪に光を浮かしめ、北は千尋に余る、廣野と萩薄生え繁。是を名付けて、新山野と申す也。

四方青垣山にして宝殿棟高く、御床津比の動き鳴る事なく豊明に明るい座満たして宣祢禰宜の振鈴、いや高く響、茂あらたなり今茂かわらぬ。三つの石あり、三柱姫神鎮座満します。故是を影向三神石と申す也。

然に氏御神天降給故を尋ね奉るに、東国魔生変化の鬼神充満し、多くの人民をなやまし、国土を魔界に成さんとせしを、天帝聞し召せ給、田村大明神を天降し、悪魔化道退散なさしめ、国土を治め給いしとかや、弘仁二年巌鷲山田村大権現と顕れ給い妃神を王東山大権現と顕し給いしとかや、其の御子三柱の姫神當山鎮座満しまし給、姫神達折々四方を御詠有りし遥か東方に雲を貫く高山あり。旭の光々たり、月の満々たるも、峰の高きを貴み給いて曰く我等山川の清を求め峯の高きに登り末を守らん。爰に我等の三躰を残し置くと宣いて、東方へ行幸ありしとなん。

人民肝留以催し、跡伏し拝み、悉く信心す時に姫神達東山に登給いれるに、童子一人顕れ、かれに山々を問わしめ給へば、童子指さし向に見ゆるは、於呂古志山、何方は大石神山此方は早池峯山と申す三つの山也。中にも峯高く絶頂盤石四方巌々として空にそびい鳥類翼を休めがたし。閼伽井より冷泉湧き出る是を名付けて早池峯と申す也。常に紫雲靄起こし、音楽の音止まず。折々天人舞い下り、不測之霊山也と言うを終わらず、虚空に上り雲中に声有。我は、是一の路権現なりと失せ給ふ御跡拝み伏す。

天に向かい此の三つ山、授け霊験を下し給いと祈り給へば、不測屋奈末の妹神の御胸に八葉の蓮華光曜として、天降蓮華の?に舞光を放ちて飛び、早池峯山大権現と顕れ給い、姉神は大石神山大権現と顕れ、第二姫神於呂古志山大権現と顕れ、国土を守り給いとかや況や御神徳著しき事、當社に先魂坐す故當社を早池峯新山大権現と齋奉流也。又神道には、瀬織津姫也大権現と書て大権現と讀み奉る也。古今の霊場にて弥陀薬師観音の三像相殿に敬い奉る事、其の徳社に満りと云々。

                          【早池峰神社略縁起】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この「早池峰神社略縁起」の冒頭部分から、この縁起は盛岡土橋の早池峯神社に関するものだと簡単に思っていたが、よくよく読むと違う事が理解できる。総じて言えば、遠野三山の由来でもあるこの縁起書の最初に三柱の女神が影向した石が紹介されている。その場所は、土橋というわけではなく「四方青垣山」という記述から、どうも盛岡全体を示しているものと理解できる。その四方青垣山に囲まれた地(盛岡)に、三つの石があると。

三つの石あり、三柱姫神鎮座満します。故是を影向三神石と申す也。

時代は、坂上田村麻呂時代となる。その時代に鬼退治をしたというものであるが、早池峯の女神である瀬織津比咩の岩手県における古い歴史は、鬼の平定の為に養老二年、熊野から室根山へ運ばれて来た事であった。鬼を平定した三ツ石神社の三ツ石様が何故に三つの石なのかは、どこにも伝わっていない。土橋の早池峯神社にも、その三つの石は無い。鬼を平定した三つの石として伝わるのは、三ツ石神社の三ツ石様以外にないではないか。恐らく三ツ石神社の三つの石に、早池峯の女神を中心とする三女神が影向したものと思われる。岩手県には、早池峯を中心とする三女神伝承がいくつかあるが、本来は早池峯の女神である瀬織津比咩から始まったものが、この「早池峯神社略縁起」を基点として、三女神伝承が広まった可能性もあるかもしれない。ただ、この「早池峯神社略縁起」のスタンスが、あくまで盛岡地区を中心としている事に加えて、かって東峯と呼ばれた早池峯山を「東方の雲を貫く高山」と紹介している事から、早池峯山が当初、東峯と呼ばれた原型であるのかもしれない。ともかく、今まで気にしていなかったが、この三ツ石神社の三石に、早池峯の瀬織津比咩は降り立ったものと思って良いのではないか。

# by dostoev | 2019-02-04 06:12 | 岩手県の瀬織津比咩

安倍宗任の妻

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安部貞隆氏「逆説前九年の合戦史」で述べている"安倍宗任奥州帰還説"を読み、頭に浮かび上がったのは、伊豆神社に伝わる下記の伝承だった。

安倍宗任の妻「おない」の方は「おいし」「おろく」「おはつ」の三人の娘
を引き連れて、上閉伊郡の山中に隠れる。

其の後「おない」は、人民の難産・難病を治療する事を知り、大いに人命を
助け、その功により死後は、来内の伊豆権現に合祀される。

三人の娘達も大いに人民の助かる事を教え、人民を救いて、人民より神の如く
仰がれ其の後附馬牛村「神遺」に於いて別れ三所のお山に登りて、其の後は
一切見えずになりたり。

それから「おいしかみ」「おろくこし」「おはやつね」の山名起これり。

此の三山は神代の昔より姫神等の鎮座せるお山なれば、里人これを合祀せし
ものなり。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今まで疑問に思わなかったのだが、何故に安倍宗任の妻が三人の娘を引き連れて遠野に来なければならないのか?そして、そもそも安倍宗任の妻とは、どこで結び付いた妻であったのだろうか?当初、「上閉伊郡の山中に隠れる」という記述から、前九年の役という戦の最中であったのだと思ったのだが、その当時には嫡子の男子がいただけという古文書の記録があるようだ。それでは、その時の安倍宗任の妻が、その後に三人の娘を産んだというのは、有り得ない話である。その安倍宗任は、安倍貞任の遺言であったであろう安倍一族の再興を、九州に於いて体現していた。では、この安倍宗任の妻は、九州で結び付いた妻であったのか?そして、わざわざ九州から遠野へと、三人の娘を連れて旅をしてきたのだろうか?と考えても、当時の状況を考えれば、それもまた有り得ない話だ。ならば奥州へと帰還してから結び付いた妻と子供であったかと、考えてしまう。

ところで、三人の娘はそれぞれ「おいし」「おろく」「おはつ」となっている。これは、遠野三山の山名を人名化したものと誰もが思う事だろう。それでは安倍宗任の妻の名「おない」はどうだろうか。「おない」の「お」は尊称であろう。では「ない」なのだが、これは「オクナイサマ」に関する記事にも書いたが、例えば明治時代に流行った妻を表す言葉「家内(かない)」の「内」は、古代には「内裏(だいり)」などが古い用法となっているが「ない」という音は「なゐ」、所謂「地震」として広まっていた。その「なゐ」という意味の本来は「大地」という意味であった。これを単純に訳せば、「おない」とは「地母神」という意味であろうか。地母神=大地というイメージがあるが、そもそも古代の万物が発生する大地とは、山そのものであった。水が発生し、樹木が発生し、獣が発生する山は地母神そのものであった。つまり要約すれば「おない」とは、「山神」の意であると思う。とにかく、この伝承は創作であるのはわかるのだが、問題は安倍貞任の妻ではなく、何故に安倍宗任の妻であったのか?という事。

気になるのは、伊豆神社の場所だ。これは、もしも安倍宗任が奥州へ帰って来たとの前提で考えた場合、ある一人の人物と重なってしまう。それは、源義経である。義経北方伝説は、平泉から逃げ延びた源義経は、まず遠野市小友町にある五輪峠から遠野に入ったとされている。そのまま山ルートを辿り、来内経由で遠野の上郷町へ入ってから沿岸へと抜けたと云われる。「判官びいき」という言葉は源義経から発生したと云われるが、安倍宗任の名前は「鳥海前判官安倍宗任」であり、安倍貞隆氏に伝わる過去帳には安倍宗任の戒名が記されており、それは「珠林院殿前判官中峯圓心大居士」であると。そう、安倍宗任もまた「判官様」であった。上郷町の日出神社の伝承に、源義経が現地妻と結ばれ生れたのが日出姫であった…というものがある。その日出神社の側には鳥海館跡があり、鳥海(トンノミ)と呼ばれる霊池がある。日出神社周辺は、どうも源義経よりも安倍宗任に、関係が深そうである。とにかく「判官様」に関する伝説の全てが源義経であるとされているが、もしかして安倍宗任との混同もあったのではなかろうか。何故なら、信仰の元に安倍宗任と源義経は、重なる箇所が余りにも多い。これに関しては、別の記事で書く事としよう。

# by dostoev | 2019-01-27 13:28 | 安倍氏考

藤原基衡の妻 安倍宗任の娘

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まず、安倍氏の後裔による著書を紹介したい。安部貞隆氏による「豊後安倍氏の伝承」「逆説前九年の合戦史」である。去年出版された「逆説前九年の合戦史」は「豊後安倍氏の伝承」の流れから書かれた書でもある。ここで著者の安部貞隆氏は、家に伝わる古文書などから安倍宗任の奥州帰還説を唱えている。それによって、今まで疑問だった藤原基衡の妻が、安倍宗任の娘である事が、どこかしっくりくる。またこの安倍宗任奥州帰還説によって、いろいろな事が繋がって来るように感じた。別の機会に、それらを記事にしようと思うが、今回は書籍の紹介だけにとどめたいと思う。

# by dostoev | 2019-01-13 20:15 | 安倍氏考

鈴鹿権現と瀬織津比咩(其の九 結)

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遠野の西に聳える山を「高清水山(たかしみずやま)」と呼ぶ。それとはまた別に、遠野の東、仙人峠に聳える山を「高清水山(たかすずやま)」と呼ぶ。「清水」を「すず」と呼ぶのは古い用法である。そしてまた別に、「泉(いずみ)」を古くは「泉(しず)」と呼んだ。
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気になっていたのは、現在宮古市に属する川井村の鈴ヶ神社である。源義経が立ち寄り、静御前の想いを切々と語ったので、本来は静(しずか)神社であったのが、岩手県人の訛りの為に「しずか」が「すずか」に転訛してしまい、後から「鈴」の漢字があてられ「鈴ヶ神社」になったという。しかし例えば花巻市に伝わる伝説に、ある家に鈴鹿御前が立ち寄ったが、もしかして本当は静御前ではなかったか?などという話がある。静御前も鈴鹿御前も、音が似通っている為に、どこか混同してしまうのは致し方ない。ただ史実として、静御前が岩手県に来た事は無い。源義経伝説が形を変えて、様々に広がっている中での静御前であろうが、どこか坂上田村麻呂と共に語られる鈴鹿御前と混同されて伝わったのではないかと思えるのだ。

鈴鹿の語源が水音から来ているという説を、以前に紹介した。【水音の説】「スズカとは、山での水が流れる音から来たというもの。」この説に連動するように、 片山神社の鎮座する山から流れる清らかな水の流れが、片山神社祭神の一柱である瀬織津比咩と結び付き、山姫として信仰されたというものもある。この「スズカ」が水が流れる音としてではなく、山の清水そのものがスズカであったというのは、片山神社の祭神の一柱である瀬織津比咩が、そのまま水神であり、鈴鹿御前は、瀬織津比咩の分身として作られた存在であったのか。そして恐らく静御前も水、もしくは水神を意識した名前ではなかったか。

この「スズ」の音から気になるのは鈴木氏だ。鈴木氏の発生は熊野だと云われる。また岩手県に瀬織津比咩が運ばれた古い記録は、養老二年に熊野から室根山に運ばれた記録だ。その時に帯同した人物に穂積氏がいた。熊野三党と呼ばれる三氏がいる。それが鈴木氏であり、榎本氏であり、穂積氏であった。その中の穂積氏は、穂積姓から餅を献じたので丸子氏となり、後に宇井(鵜井)と改姓している。この穂積氏が改姓した丸子だが"丸"「ワニ(和邇)」とも読み、船をも意味した。船に「〇〇丸」と丸を付けるのは、古代から続いていたようである。「続日本記」に、陸奥に丸子連と称する者がいたと記されているので、かなり古くから丸子氏は陸奥に居たのか。遠野にも丸子地名があり、苗字にも丸子氏がいる。この丸子は、どうも水に関係する姓氏であるようだ。また、その後に関係して宇井氏となったようだが、宇井の「井」は井戸にも使用されるので、水との関係が深い。そして宇井だが、もしかして「和妙類聚抄」で記されている、木の洞に溜まった水の状態を「岐乃宇都保能美都(きのうつぼのみづ)」と書き示し、それを「半天河」としている。半天河とは、夜空に浮かぶ天の川に準ずるものであるという。つまり宇井とは「宇都保能美都」を意図した姓氏ではないかと考えてしまう。熊野三党の一人である榎本氏の榎もまた水、そして水神に関係の深い樹木である。この榎本氏は、古い熊野神に固執していた為、武蔵国一ノ宮である氷川神社では何故か榎本氏を忌み嫌い、氏子にはさせないという決め事があるという。この古い熊野神の正体は記録されていないが、つまり氷川神社でも古い熊野神を祀っていた歴史があると考えて良いのか。そして鈴木氏であるが、学者によれば鈴は「錫」であり、古代採鉄と関わりがあるとしている。しかし採鉄民による蹈鞴などでは火と共に重要なのは水である。スズが清水であるなら、鈴木氏は水と関係の深い樹木であるという意味になる。


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こうしてみると、熊野三党の榎本・宇井・鈴木は、そのまま水に関係し、また水に関係の深い樹木の意である事がわかる。樹木とは、枝葉は地上の空へと伸び、根は地下へと伸びる事から、地上と地下であり、この世と黄泉国との境界に立つモノでもある。瀬織津比咩が境界神としても存在するのは、「大祓祝詞」からも理解できる。祓戸の三女神とは、この世に坐す瀬織津比咩が世の穢れを海を通して根の国・底の国へと流す存在となっている。それはつまり、あの世とこの世との境界神としての役目もあるからである。琵琶湖畔の黄泉国の入り口だと恐れられた桜谷に祀られていたのは、瀬織津比咩であった。桜もまた、水に関係の深い樹木である。

スズは金属の錫であり鈴でもあるが、清水のスズであり水神に結び付く言葉でもあった。水音を表すスズカから瀬織津比咩が祀られた片山神社は、鈴鹿峠に鎮座する神社である。峠そのものも境界である事を考えれば、境界を自在に動く水がそのまま水神である瀬織津比咩に結び付くのは、当然の帰結であった。故に鈴鹿御前とは、水神が現世に現れる仮の姿としての形であったのだろう。そしてあの世と野繋がりがある事から、反面恐ろしい存在としても確立されたのが鈴鹿御前であったのだと思う。熊野那智大社には、藤原秀衡の手植えとされる山桜があるというが、藤原三代が信仰した白山信仰と、藤原氏によって建立された新山神社には瀬織津比咩が祀られている。この世の浄土を求めた藤原氏には、あの世と結び付く瀬織津比咩への想いがあったのか。それ故に、熊野那智大社へ山桜を植えたのは、境界神でもある瀬織津比咩へ、この世の浄土を願ったのかもしれない。

# by dostoev | 2019-01-06 16:08 | 鈴鹿権現と瀬織津比咩

南部氏も恐れた早池峯大神の神威

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以前「早池峯山と火葬の話」という早池峯の神が火葬を忌み嫌うという内容の記事を書いたが、これは吉田政吉「新遠野物語」に紹介されていたもので、どちらかというと怪異のフィクションに近いものであった。「遠野旧事記」には、元禄の中頃まで死者が出た場合、十月から二月まで火葬が行われていたという。しかし早池峯山が開いている三月の中旬から、山閉じの九月の中旬までの間、火葬の煙を早池峯の神が忌み嫌う為、参詣人の身が穢れるのを恐れて火葬を禁じていたそうな。

早池峯の神は水神であり穢祓の女神でもある。しかし火葬をした場合に参詣人の身が穢れるというのは、穢祓の神威を停止するだけでなく逆に、その穢れを振り撒くという事だろうか。厄災が振り撒かれるが、蘇民将来の札を貼っている家には厄災が降りかからないという牛頭天王の伝承と繋がる可能性を持つ話ではあると思う。自分は、天安河原で素戔男尊と対峙したのは天照大神の荒魂だと考えている。その天照大神の荒魂とは、早池峯の穢祓の女神でもある。遠野全体に、厄災を振り撒く牛頭天王(素戔男尊)と穢祓の女神である早池峯大神が一緒に祀られている社をいくつか目にしている。延長年中に早池峯山頂の本宮と后宮が修理されたという記録から、それ以前から本宮には恐らく男神が祀られ、后宮には現在の祭神である早池峯の姫神が祀られていたのだろう。その男神が祀られていた事実を考えれば、その男神とは素戔男尊の可能性があるのかもしれない。厄災神と穢祓の女神の夫婦神…いや実際は、男神として天照大神が祀られ、女神として天照大神の荒魂として伊勢神宮の荒祭宮に祀られる早池峯大神である瀬織津比咩であるか。

話が横光に反れてしまったが、火葬を忌み嫌うのは早池峯大神だけではなく、火葬に対する俗信も広まっていたからのようだ。それは「火葬の時の煙の"気"が井戸に入れば、井戸水が穢れる。」というものであった。それ故に人々は火葬があると聞けば、火葬場からいかに離れていようと、井戸に蓋をしたのだという。今の時代よりも、更に水の大切さを切実に感じる時代、水を守る意識の高さからの話である。そして火葬は、通年通して行われなくなったのだと。

しかし南部家では、代々火葬を行ってきたものであったが、遠野を統治してから火葬を止めざる負えなかったというのは、どういう心境であっただろうか。早池峯妙泉寺には、南部氏以前に統治していた阿曽沼氏からの書が伝わっているという。それは、"早池峯への寄進を引き継いでくれ"というものであった。それを引き継ぎ南部直栄は、更に玄米と共に七十石を寄進したそうである。これらから、いかに早池峯大神が、阿曽沼氏からも南部氏からも恐れられていたかわかるというもの。まあこれは、南部氏の本拠である八戸の櫛引八幡に、早池峯大神が大きく関わっていた事に由来するのであろうが、その南部氏が代々伝わる家の火葬習俗を諦めたのは、それだけ早池峯大神の神威であり、その祟りが恐ろしかったのだろうと思えるのだ。

# by dostoev | 2019-01-04 20:50 | 民俗学雑記

御白様・神闇様・奥内様

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柳田國男「遠野物語」によって紹介されたオシラサマは本来、小正月の時だけに語られる話であったものが、今では語り部のレパートリーに組み込まれるなどして、あまりにも有名になった。「オシラサマ」という呼称にあてる漢字は、今のところ無い。遠野の民は、文字ではなく話を通じてオシラサマを認識してきたからだ。ただし「オシラサマ」の「シラ」に漢字をあてるとしたならば、やはり「白」なのだろう。別に「お知らせする神」という認識から「知」という漢字も有りだろうが、オシラサマに関する全般を調べると、やはり「白」が適切であると思う。そのオシラサマは養蚕の神としても知られる。養蚕の主役は蚕だが、この蚕の正式名は「天の日の虫」という事で、太陽と関係するようである。事実、ある家の烏帽子を被った男神であろうオシラサマの後には、太陽神と認識されている「天照大神」と記されていたそうである。そして同じオシラサマの女神の方には、何も記されていなかった。これを、どう捉えるかである。
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ところで、このオシラサマとは別にカクラサマという神様がいる。佐々木喜善はカクラサマを評して「この神はオシラ神とは、全く反対の性質を持ち給ふが如し。形態に於いても霊験に於いても二神は遂に全く相違す。」と述べている。オシラサマの「シラ」を「白」とした場合、「白々」の意味には、だんだんと夜が明ける様を表す事から、太陽を内包する言葉でもある。そしてカクラサマの「カクラ」だが、"カクラ神社"なるものが遠野にはいくつも点在して祀られている。その「カクラ」にあてられる漢字は「神倉・神楽・角羅・賀久羅・神座」などである。秋田県に雪で造られる「カマクラ」があるが、このカマクラの語源はどうも「カマ(覆う)クラ(影)」の意でもあるようだ。佐々木喜善が指摘している様に、オシラサマと正反対の性質を持つカクラサマであるなら、オシラサマが太陽をも意味する神であるなら、それと対比される影はまさにカクラサマの性質にも思われる。「クラ」は「影」の意ではあるが別に「闇」という漢字も当てる事が出来る。これは貴船神社の祭神である高龗神・闇龗神で理解できるだろう。貴船神社の闇龗神は、「谷」の意味を有する。その谷である闇龗神に相対するのが、山である高龗神となる。古代、山の頂は天とされた。天に帰る天女の行きつく先は、山の頂でもあった。つまり太陽神である天照大神が坐す高天原は、天空でもあり山の頂でもあった。そして谷は民の暮す平地では無く、さらに窪んだ地である。琵琶湖の桜谷が黄泉国の入り口であったように「谷」にはもっと奥深い意味が隠されている。太陽を意味を内包する「白」がオシラサマに含まれるのだが、それに相対する性質を持つカクラサマは、まさに「白」に相対する「闇」ではなかったか。カクラサマにあてる漢字は様々あるのだが、本来は「神闇様」ではなかろうか。確かにカクラサマは、オシラサマに全く相違する神であるように思われる。

そして、もう一つ気になる事がある。伊能嘉矩「遠野くさぐさ」において、遠野におけるカクラサマの伝承を紹介している。「野外に於ける一種の神にカクラサマと呼ぶあり。木造の半身像にて、多くは荒削りに形つくられ、男女二体より成り。是り太古八百万の神々の中にて剰れる神にまし此神より除外されたまひしなりと。」と伝えられているようだ。それでは「除外された神」とは、どういう神であろうか?思い出すのは、高天原から移封され、最後には根の国・黄泉国の神となる素戔男尊が思い浮かばれる。もしくは、武甕槌と経津主神でも倒せず、代わりに派遣された建葉槌命によって倒された香香背男(天津甕星)もまた除外された神と考えるべきか。さらに「古事記」に記載されない瀬織津比咩のような神もまた、除外された神と考えてよいのかもしれない。カクラ神社は、殆どが村境に建てられている。村境とは道祖神や各々石碑などが建てられる、あの世とこの世の境界ともされる場所である事からも、カクラサマが黄泉国に寄った神である事が何となく理解できる。オシラサマが男女二体による神像であるとされ、実際にオシラサマは男女二体、もしくは馬像なども含めて三体となり祀られている。しかし、それではカクラサマがオシラサマと対になる神であるのには不自然ではないか。そのカクラサマもまた、男女二体として別に祀られているのは、やはり不自然。オシラサマとカクラサマが形態や霊験において全く相違する神であるというのは、火と水、男と女の様に、陰陽五行に則った形である。それ故に、オシラサマの知られている祭祀方法が、カクラサマを排除した祭祀方法となっているのは、どこか解せない。もしかして伊能嘉矩の紹介している様に本来、オシラサマの対であったカクラサマが家神から除外された為に、現在伝わるオシラサマの祭祀方法になったのではとも考えられる。
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そして、気になるのはオクナイサマだ。学者の研究によれば、オシラサマもオクナイサマも同じものとされている。ただオクナイサマの神体が掛軸だったり木彫りの人形だったりと、オシラサマに比べて形態の変化に富んでいる事くらいか。ところで遠野ではオクナイサマは「屋内様」では?と認識されている。これが山形県へ行くと、「御宮内様」であろうとされている。カクラサマの「クラ」が影の意であるのは、古代縄文人の言葉によるものであった。そしてオクナイサマであるが、「ナイ」という言葉は、例えば遠野市では栃内・佐比内・来内など、いくつも「内(ナイ)」の付く地名がある。「ナイ」とはアイヌ語で「谷」を意味するのだとされている。これは、先にカクラサマの「クラ」は闇龗神の「闇」であり「谷」を意味するというものに繋がってくる。伊能嘉矩は、オシラサマと対になるのはカクラサマであり、カクラサマが屋外に祀られる事に対比し、屋内で祀られるオシラサマを「オクナイサマ(屋内様)」と呼んでいるのだろうとしている。ただ「ナイ」というと、古くは「なゐ」という音は、地震を意味していた。しかし正確には「なゐ」は大地を意味し、大地が揺れる地震を「なゐふる」としていたものが、省略され、いつしか「なゐ」だけが地震を意味する語となったようである。その「なゐ」という語は「日本書紀」にも記されている為、「なゐ」=「地震」というのはかなり古い時代まで遡る。つまり「ナイ」が大地を意味する語として呼ばれていた時代は、途方もなく古い時代という事になる。

「ナイ」が「谷」であるなら、それは窪んだ大地と考えて良いのかもしれない。屋内の奥座敷に祀られるオクナイサマは、正確には「奥内様」であろうか。「奥内」が、奥の窪んだ大地、つまり沢の流れる谷であるならば水をも内包する。それに対比するかのように、家屋内で日(火)を扱う場所がある。竈がある台所である。陰陽五行で、日・火は陽であり、男を意図し、水は陰であり女を意図する。家屋の台所にある竈神は火男=ヒョットコとしても有名となり、そのヒョットコに対比されるものにオカメがいる。このオカメが登場するのは近代になり里神楽で登場したのが初めてとされるが、カメの「カ」は甕からきている。もしくは、亀に似ているからともされる。どちらも水に通じる語であるが、本来は蛇神を意味する龗(オカミ)が原型ではなかったろうか。「オカ」そのものは「陸・岡」の意を含み大地にも通じるが、「オカ」の原初は「オ」は「峯」であり「カ」は「棲家」が結合して出来た言葉であるようだ。また、亀といえば四神の北を守護する玄武という亀の神獣がいる。陰陽五行において、北を護るのは亀であり、水を意味している。そして色は黒色であり、「遠野物語拾遺44」「遠野物語拾遺46」に登場する黒蛇大明神が、実は早池峯大神であったのも、陰陽五行において黒蛇が北を意図した蛇神であった事を意味している。古代日本で、峰に棲む神とは蛇神でもあった。どちらにせよ「オカメ」も「オカミ」も蛇神であり水神に通じる語である。つまり家屋には、男神である火神と女神であり蛇神である水神の棲家が意図的に作られていたのではなかろうか。

オシラサマとカクラサマが本来、対となる男女神であったのならば、その本来の形を繋げる役目がオクナイサマではなかったか。オクナイサマはオシラサマであるとはされているが、オクナイサマそのものの語に、オシラサマとカクラサマを繋げる意図をどこかで感じてしまうのだ。「古事記」には、古代の縄文人が使用していた語によって理解出来た文がある事から、「古事記」そのものが大和言葉と縄文語の融合によって記された書であったのだろう。「ナイ」という語もまた縄文語でも捉える事が出来、「オカ」という語を含めて、遠野では全て文字では無く、口承によって伝わって来た事からも、あらゆる語が混雑していたのではなかろうか。オシラサマ・カクラサマ・オクナイサマは、未だに分からない事が多い。あくまで「恐らく、こうであったろう。」という漠然としたものでしか理解できていないのが現状である。新年早々、戯言・妄想の記事ではあったが、今後もこういう戯言・妄想のような記事も書いていきたいと考えている。何故なら、本当の意味を探るには、いろいろな視点もまた必要となる。少々突飛な視点であったも、何かのきっかけになれば良いだろうと考えるからだ。

# by dostoev | 2019-01-03 19:24 | 民俗学雑記

二つのオペラ「遠野物語」

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奇遇な事に、「遠野物語」をオペラにした舞台が、今年二つ公演される。その一つが、こんにゃく座によるオペラ「遠野物語」。
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オペラ世界は古典的な西洋のオペラが主流だが、日本では例えば鮫島有美子さんを登用し「夕鶴」という作品が公演されるなど、日本の昔話を題材とした作品も誕生している。そして今年は「遠野物語」を題材としたオペラ。「夕鶴」のような一連の流れのあるストーリーではなく、いろいろなものが散りばめられたストーリーなのだろうと想像する。ただそうであるならば、似た様なものに遠野小学校の生徒によって長年演じられてきた「遠野の里の物語」にも似通ったものになるのだろうか。それとも、まったく別の新しい構成による内容となるのか、観ない事にはまったくわからない。

そして今秋に向けて、また別のオペラ「遠野物語」が制作されている。これはオーケストラによるものではなく、ピアノと三味線の演奏によるもので繰り広げられる「遠野物語」のようだ。楽器の編成から、今回のこんにゃく座の「遠野物語」が管弦楽を聴く様なものであるなら、今秋に公演される「遠野物語」は、弦楽四重奏に近いものなのか?などと想像を膨らませてしまう。ともかくどちらのオペラ「遠野物語」も興味深く、公演が待ち遠しくもある。が問題は…自分が観に行けない事である…。

# by dostoev | 2019-01-02 08:14 | 遠野情報(雑記帳)

あけましておめでとうございます。(2019.01.01)

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今年の正月は、「遠野物語」の舞台に出演する役者さんを連れて、早池峯神社へと初詣。
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相変わらず、参拝客が少ない早池峯神社。
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そして雪もまた例年より少ない早池峯神社。遠野の町も雪が少なく、気温もそれほど低く無いが、やはり寒いのは冬だから仕方なし。
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この時間で午前10時前くらい。この後に、チラホラと参拝客が増えて来たように感じた。
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日差しを期待したが、雲の多い日だった。たまに差し込む日差しが、とても暖かく感じた。さて、2019年もスタートとなりました。


# by dostoev | 2019-01-01 17:10 | 御伽屋・幻想ガイド

早池峯神社境内で、ちょっと気になる写真。

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客を早池峯神社に案内した時の、一枚。この時は、早池峯神社境内に霧が発生していた。一番霧が濃かったのは、拝殿の辺りだった。それから石段を上り、本殿前に着いた時に、客の背後からライトを照らして一枚だけ撮影してみた。他の似たような写真と比較して気付くのは、何故か首の辺りに影が出来ているという事。自分の影が、客に映ったのか?とも思ったが、どうも違う。木の枝葉が影となって客に…とも考えたが、石段を上り切って撮影するには、そういう邪魔な木は無かった。よくよく影全体を見ると、何やら客が影に抱かれているようにも見える。そう考えると、何やら不気味な写真に感じるようになってしまった。
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同じ客を撮影したものだが背後からライトをあてれば、大抵このように写る。首の辺りに影が出来る筈もない。客の影を撮影したものは全部で4枚になるのだが、早池峯神社本殿前で撮影した1枚だけが、何故か不気味に撮影されてしまった。

# by dostoev | 2018-11-14 06:25 | よもつ文

荒川高原から早池峯神社

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もう、数日前の事になる。遠野を撮影して回っている人物を夜の荒川高原から早池峯神社にかけて案内した。前日の雨模様とはうって変わり天気は良く、空は晴れ渡っていた。星空の撮影も、かなり久々に思える。
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夜の闇は、星を輝かせる。そして星よりも目に附くのは、獣たちの姿だった。やはり、いろいろな野生動物が車の前に登場した。
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そして、早池峯神社。連れて来た客は、早池峯の神である瀬織津比咩に興味があるらしい。早池峯神社へ行きたいと願う客は、瀬織津比咩か座敷ワラシで分かれるが、やや座敷ワラシが優勢の様。
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早池峯神社境内は、夜霧に包まれていた。といっても山門を潜った時はそう感じなかったが、拝殿辺りから霧の濃さが目に付いた。
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客を手前に置き、背後からライトをあてて撮影。白い霧に影が映る。時間的には、夜の11時頃だったか。これから遠野全体に夜霧が広がり、翌日の遠野は再び雲海となっていた。

# by dostoev | 2018-11-14 06:07 | 御伽屋・幻想ガイド