
写真は、綾織の馬の卵場である。ちなみに馬の卵場とは、馬の墓地の意味である。綾織の古老に教わったこの卵場であった地は、既に馬の卵場としての形は無く、現在は畑となっている。また別の写真もまた同じ綾織の地にある、やはり馬の卵場だ。この写真での卵場跡には何も無いのだが、共同墓地に隣接しているというのは、人の墓地にも卵場という意識を持たせたのかもしれない。

調べると
「卵場」とは、河原から卵形の石を集めて古墳に使用した事によるもので、転じて墓地を指す言葉になった。卵といえば、死よりも生。生誕を意味しているものに対し、墓場である死あてるというのは、復活を意味しているのだろう。復活で思い出すのが、キリスト教圏に広かる
「イースターの卵」だ。諸説様々だが、卵が象徴するものは、墓であり、そこから抜け出すことによって復活する命であるという事は、馬の卵場と共通するものの考えなのだと思う。古代、人は卵から生まれたという概念があったようだ。「日本霊異記」にも卵を産んだ女の話があり、また「竹取物語」の原型として伝わる話に、こういう箇所がある…。
「昔竹取の翁という者あり。女をかぐや姫という。翁が家の竹林に鶯の卵女の形にかえりて巣の中にあり。翁養いて子とせり…。」その卵とまた同じものとして「ひさご」があった。ひさひごとは、つまり瓢箪だ。その瓢箪と卵には、イースターの卵と共通する概念がある。朝鮮には卵から人間が生まれた話が多く、また瓢箪は魂を入れる器として伝わっているのだという。日本の前方後円墳の正しい見方とは、横から見ることであるという。するとその形は、瓢箪を半分に切った形となる。つまり、死者を瓢箪(卵)に入れるという考えは、西洋のイースターの卵同様、復活を意識してのものであった。
ところで新羅本紀の中の脱解王の物語は「龍城国出身の王女が卵を産んで、その子を舟に乗せて流したのを、新羅国で老婆が拾って育て、その子が脱解王になったという。そして「日本書紀」での豊玉姫は、姫が龍の姿になって卵を産んだと記されている。つまり豊玉姫とは新羅から来た姫である可能性は強い。これはそのまま、朝鮮から海を渡って、卵と瓢箪の概念が日本に伝わってきたものと考えてもいいのだと思う。その概念が、馬の卵場として伝わっていたのだろう。
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