赤い鳥居が二重に列なり、卯子酉大明神の石碑の奥木立ちの中にある木造の社殿が、卯子酉様である。
「遠野の町の愛宕山の下に卯子酉様の祠がある。その傍らの小池には、片葉の芦を生ずる。昔は、ここが大きな淵であって、その淵の主に願をかけると、不思議に男女の縁が結ばれたと云う。また信心の者には、時々淵の主が姿を見せたとも云っている。(遠野物語拾遺35話)」ただ、縁が結ばれない場合には、傍らの瀬に片葉の葦が生えるとも云われている。この片葉の葦伝説は、江戸に伝わる「本所七不思議」にも片葉の葦の話はある。留蔵というならず者が、お駒という気立ての良い器量良しの娘を手篭めにしようとするが、思うままにならず、最後には刀で切り、片腕までも切り落として、駒止堀へと沈めてしまったという。それからそこに生える葦は、片葉になってという伝説。生きたいという願い虚しく死んでしまったお駒。その切望する生が叶えられぬ為、片葉の葦として形を残したのだと云う。
葦は、神の尺度を意味する植物と云われる。それが片葉になると、神の息吹が通らぬ片手落ちの状態となる。だからこそ因果応報、生に対する思いを断ち切った留蔵に罰が当たり、留蔵は死んでしまった。つまり片葉の葦とは、片手落ちの葦というか、一方通行の想いの象徴なのである。それを再び結ぶのは血の呪法しかない。卯子酉神社では血の依り代である赤い布切れがそれにあたり、縁結びを願ったものの、願いが叶わぬ恋に再び卯子酉神社へと訪れ、片葉の葦に願をかけるのが本来なのかもしれない。
卯子酉という名称は、十二支の子・卯・酉からきている。陰陽五行でいえば、子は水気であり北。卯は木気であり東。、酉は金気であり西。側に北から流れ出る猿ヶ石川が流れている事から、万物の流れの円滑を願ってのものが卯子酉神社なのかもしれない。さらに社には白虎の額が飾ってある事から、遠野の日が沈む西を暗示し、死から再び生まれ出る為の神社であったのかもだ。子である北を示すのは、玄武で蛇と亀の結合を示すもの。更に太陽は卯である東から酉である西へと沈み、再び東に上るという円運動が、卯子酉を陰陽五行に照らし合わせて浮かび上がる。だからこその、縁結び(円結び)を完成させる為の依り代が卯子酉神社なのかもしれない。
卯子酉様の祠には、ビッシリと赤い布切れが結びつけてある。様々な人の想いが募っている神社というのを感じる。ただ、年を重ねて人々の念が一箇所に集まっていくというのは、いろいろなものを呼び込むので”障り”に気をつけないといけないが。ここで気を付ける”障り”は、やはり生霊の障りであろう。相手に対する一念の想いや・妄想によって煩悩が刺激され、本人の意思とは別に、その想いが、他人の想いに反応し(嫉妬)邪悪な念に変わってその地の留まり、人を陥しいれてしまう場合もあるという。そして本人は、かえって煩悩の炎に身を焼かれ苦しむ事になるのだと云う。
「他の女に、心を奪われないように!」
「あの男性を私だけのものにしたい!」
「私だけを見て!」などという邪な想いの願をかけると”障り”に化ける。だから想う時は純粋に、ただ相手の事だけを想うのが必須。しかし長年沢山の人々が訪れて、念と願をかけてきたから当然、邪なものがあると想うので、気を付けるように・・・(^^;
通常は持参した赤い布切れに想いを込めて書き連ね、祠や側の枝葉に赤い布切れを結び付けるのだけれど、現在は一枚百円で販売しているようだ。この赤い布切れに人と結ばれたい、もしくは結ばれたい人の名前を記し、結び付ける。赤は神を示す色で、情熱をもあらわす。そしてこの風習は赤い糸の伝説にも通じるものがあるようだ。ただし、願いをかけるのは人知れずかけるものなので、人と一緒に行ったのでは、想いも伝わらないというもの。更に、赤い布切れを結び付けるのは左手だけでやらなくてはいけない。心臓に直結する左手は、昔から神に対して願をかけるに必須だったのである。
トランプ占いでの恋占いもやはり、カードは左手主体で切らないと想いが伝わらないというのと同じである。何故左かというと、昔ながらの左尊右卑の信仰があり、神の前ではなるべく左をというしきたりがあった。神の前へと進む場合も左足から進み、なるべく右足を前に出さないよう左側をなるべく長時間神の前にさらすというもの。元々中国の皇帝は玉座を南に位置して座っていたので向かって左側は東であり、太陽の昇る位置。世の中はの流れは左から太陽が昇って右の西へと沈むのが順当な流れ。それが逆になってしまうと例えば西から太陽が昇るとなると死者が蘇るなど不吉な事が起きると信じられていた。だからこそ、トランプ占いでも左でカードを切らないと自分の想いや願いと逆になってしまう恐ろしい事に成り得るのだ…。
何故か最近は、テレホンカードやら定期券を奉納しているようだ…。