早池峯は、御影石の山なり。此山の小国に向きたる側に安倍ヶ城と云ふ岩あり。
険しき崖の中程にありて、人などはとても行き得べき処に非ず。こゝには今でも
安倍貞任の母住めりと言伝ふ。雨の降るべき夕方など、岩屋の扉を鎖す音聞ゆ
と云ふ。小国、附馬牛の人々は、安倍ヶ城の錠の音がする、明日は雨にならん
など云ふ。
「遠野物語65」
安倍ヶ城の頂に立つと、遥か下方に山のうねりが見える。谷間はアンニョカイ沢
と薬師川の源流が流れ、それがタイマグラへと注ぐ。もしもこの安倍ヶ城で岩の
扉を閉めたとしても、山々がその音をこだまさせ、タイマグラへと、その音を運ぶ
ものだと思う。試しに安倍ヶ城の頂から叫んでみると、こだまは幾重にも、その音
の広がりをみせる。
安倍ヶ城の麓は、岩の音を妨げる人間の力は何も無い。その岩山の音が山を
伝い、タイマグラへと届けたのだろう。それが、山の怪異として…。