1584年作と云われる、山谷の経筒は、遠野市の有形文化財の指定を受けている。高さ12センチ、上蓋部の幅8センチ、台の幅7センチで、形は六角形である。
経筒は経塚に埋めるための物で、遠野市にも経塚はいくつか点在している。末法の世が終わる56億7000年万年後に弥勒が来迎する時に、経典が必要だろうと、筒に経典を入れて埋められた「タイムカプセル」の先駆けとなったのが経塚思想だ。
東北北部に経塚が作られたのは、奥州藤原氏が初めてであり、岩手県内では20箇所以上の経塚が見つかっているが、その中に、遠野市の経塚も含まれている。つまり、経塚の思想は、藤原氏の思想の反映が脈々と伝わっていた現われでもあるのかもしれない。また経筒の六角形で思い出すのは、聖徳太子の篭った六角堂だ。六角形という形には、親鸞上人もそうだが仏からのお告げを受けるという意味合いも含んで、六角形の形には仏が宿るという考えもあったのかもしれない。
また六角堂は西国巡礼三十三所の第十八番札所にもある。花山法皇が996年正月、六角堂へ向かったのが巡礼の始めと伝えられ、観音信仰が盛んになるにつれて霊場として庶民の信仰を集めるようになったのも、この経筒の六角形に現れているのかも…。