千晩ヶ嶽は山中に沼あり。此谷は物すごく腥き臭のする所にて、此山に入り帰りたる者はまことに少なし。昔何の隼人と云ふ猟師あり。其子孫今もあり。白き鹿を見て之を追ひ此谷に千晩こもりたれば山の名となす。其白鹿撃たれて遁げ、次の山まで行きて片肢折れたり。其山を今片羽山と云ふ。さて又前なる山へ来て終に死したり。其地を死助と云ふ。死助権現とて祀れるはこの白鹿なりと云ふ。
「遠野物語32」縫の倒した鹿は、角が八つに分かれており、きっと山ノ神の化身に違いないと、縫に鹿の肉を勧められた人々は決して、その肉を食べようとはしなかったという。縫が鹿を仕留めた処に石の権現様を祀り、鹿の霊を供養する事にしたのだと。この石の権現様が「ぼっちらしの権現」で「死助権現」とも呼ばれる。明治22年頃、区画整理の為に栗橋の人間が遠野から、自分の土地へと下げたのが、この写真に祀られている権現様である。