実は与右衛門洞の手前に、古い時代の石垣痕があった。近所の爺様に聞くと、石灰を燃やした場所だという事だ。上郷では石灰が採れたらしく、松崎の横田城の空堀の側に、山蛍の里と呼ばれたタタラ跡がある。
松崎のタタラは、原料の砂鉄を地元の金ヶ沢や鉦塚付近で採集し、それを燃やす木炭もまた地元松崎で生産したものを火入れから三日三晩かけたそうな。しかしタタラの過程で必要な石灰は、全て上郷産のものを使用したという。ただ松崎産の砂鉄の産出量は少なく、後に上郷は佐比内の鉄鉱石を砕いて使用するようになってから、生産量が増えたと伝えられている。
写真の様に、上郷にはこのような石灰焼場があったという。その殆どが上郷は佐比内であったと。
上に立つと、形の良い長方形を成していて、丁度小さな屋外ステージと同じような形だ。