写真は樹齢1200年の「千本桂」を逆光で撮影したもの。太陽光の悪戯か、赤い光が螺旋状に写り込み、まるで赤い蛇がとぐろを巻いた形にもみえる。まあこの「千本桂」は元々、大蛇が棲むと永きにわたり保護されてきた古木でもあるので、蛇という形が具現化してもおかしくはないのかもしれない。
ところで赤い蛇となると「遠野物語拾遺142」に、刀か赤い蛇になって帰ってきた話が紹介されている。昔から、刀と蛇は繋がりをもつものだから…。
ところで、自然界においては赤は警戒色だという。赤い色は、炎を現し、また血の滾りをも現す魂の色だ。白蛇や白鹿などは神の使いだというが、それは冬に雪などが大地を浄化するという清めの意識が神に通じるからだ。出産の時でも、白い壁に囲まれた中で出産したというものは、神に見取られ清めるという意識が働いた為だと思う。
また疱瘡などの病にかかった場合は逆に、赤い壁に囲まれた中で過ごしたものだという。これは赤色が炎を表し、病魔を焼き尽くすものだと考えられたからである。つまり赤色もまた、神のまた違った側面を現す色なのである。
人々の願いを聞き届ける神はまた、人々に罪をも与える存在だ。その両面性が、紅白としての色合いがそれを示す。紅白が縁起良いというのは、神に守られている意識からなのだろう。
白は光を現し、赤は血の滾り。そして黒は闇と黄泉の世界を現すことから紅白は生者の色であり、白黒は死者の色。つまり赤色は生きている証の色でもあるが、それは魂が生きている事にも通じる。
体は朽ち果てても魂だけは生きている証明であり、赤色が発する刺激色は、何者も犯すべからずという警戒色なのかもしれない。
写真の「千本桂」に写りこんだ赤い螺旋の蛇は、太陽光の悪戯だとしても、実はこの桂の樹に宿る大蛇の魂は、まだまだ生きている証明なのだと思われないのだろうか?
ついでに「千本桂」の全景。