
建立された時期は不明らしいが、この辺では一番古い神社だと云う。神殿は古くなった為、明治時代に再建したそうだ。この小倉の地は附馬牛の中心であったらしく、明治12年戸長役場を置いた時、当時の松崎村、駒木村、安居台村、上附馬牛村、下附馬牛村、東禅寺村、六ヶ村の戸長役場が小倉部落に設けられ、明治22年まで村政は戸長の統率の下に行われた事からも、古い時代から有力な一族が住んでいて、この小倉稲荷を勧請したのかもしれない。
小倉武男「仙人峠を越えて 陸中釜石小倉一族の譜」によれば、附馬牛の中滝部落の元祖は、稗貫郡大迫町内川目村の黒森から来た小倉作右衛門という人物であるという。その大迫町の外川目には小倉掛という部落もあったそうである。要は
小倉武男「仙人峠を越えて 陸中釜石小倉一族の譜」の本の内容は、その小倉一族の軌跡を手繰り、辿っての本である。

武将としての小倉氏は清和源氏満季流で、承暦年代(1077年~1080年)に小倉景実が愛知郡小椋庄に小倉城を築いたのが始まりとされる。しかし、
大和岩雄「続・秦氏の研究」によれば、近江国の小椋谷は木地屋(中世の轆轤師)の発生の地となっている。この小椋谷に早くから渡来した一族が、秦氏であった。また「小倉」の「倉」だが、
千城央「エミシとヤマト」によると、「倉」は産鉄に関係していたとの事。小倉が木地屋の轆轤師であり産鉄に関係しているのであれば、やはりかなり古い時代に住みついた可能性はある。それが秦氏関係であれば、秦氏の祀る神に伏見稲荷があるが、その稲荷社の名が「小倉稲荷」であるならば、稲荷は「鋳成(イナリ)」ともされるように産鉄に関係し、元々は近江国の小椋谷から移り住んできた一族が小倉氏であった可能性があるだろう。
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