七観音考察として1度は書いてみたけど、実は以前の遠野の観音は四観音だった、という説がある。そして遠野三山もまた以前は、早池峰山、薬師岳、天ヶ森山の三山が遠野の古来の三山であったらしい。これは中世に阿曽沼が横田城を築いた時に、都合よく現在の早池峰山、六角牛山、石上山の三山へ移行させたようだ。
ところで以前の遠野四観音の一番は山谷観音で、2番は松崎観音。三番は上郷の平倉観音で、四番が鱒沢の鞍迫観音。この四観音で、昔は打ち止めだったらしい。ここで気付くのは、一番の山谷観音と二番の松崎観音を線で結び、また上郷の平倉観音と鱒沢の鞍迫観音を結ぶと罰点ができる。昔の簡単な呪法は、その地に×を打つ事だ。早池峰神社に祀られている早池峰大神とは誰か?それは、大祓祝詞に登場する瀬織津姫だ。そしてもう一つ、早池峰神社に祀られている観音様は何?それは、十一面観音である。白鳳時代から密教の流入は、従来の観音信仰を大きく変えた。そこに現れた「変化観音」は、不可思議な神威霊力を振るう最強の仏神として、国家鎮護の法要に欠かせない存在となっていった。また瀬織津姫も、最強の神としてエミシの国に祀られた経緯がある。要は最強の神と観音のタッグコンビである。
「東大寺のお水取り」で執り行われる法要「十一面悔過法要」というのがある。悔過(けか)とは生きる上で過去に犯してきた様々な過ちを、本尊とする観音の前で懺悔するという事だが、要は天下国家の罪と穢れを滅ぼし浄化する観音だ。つまり、瀬織津姫の穢れ祓いと同格の観音なのだ。そして瀬織津姫と違うのは、形としてハッキリ残る十一面観音を祀る事ができるというメリットだ。偶像を祀る事によって存在を明らかにし、その観音を信仰する事により”救済”という甘い言葉を振りかざし、その地の穢れを祓って浄化するという意識の現われが、瀬織津姫と十一面観音だったのかもしれない。
エミシの地である遠野には閉伊族がいた…。
東和町には、猿石ヶ川を望む場所に成島毘沙門天像がある。これは猿石ヶ川を移動手段として使う、閉伊族を睨む形で建立されたという説があるが、大量の人もしくは物資を移動させる為の最適最速の移動手段は、あくまでも川を利用したものであったと思われるので、それを阻止する手段としての、成島毘沙門天像であったのだろう。そして、そこから導き出される答えは、それ程どまでに、遠野の閉伊族を警戒していた事になるのだと思う。
その後暫くして、遠野四観音が建立されたわけだか、第一の観音は豊富な金山を有する、現小友町にある、山谷観音。そして次は遠野の中心、龍穴の中心に位置する松崎の松崎観音。。そしてやはり鉱山資源が取れ、沿岸との流通の拠点である上郷に平倉観音。更に、猿ヶ石川を移動手段とする為に、その猿ヶ石川を睨むような形で建立された鱒沢の鞍迫観音。実は、遠野四観音とは、早池峰を拠点とし、遠野の地の主要な場所を押さえ浄化する為の意味合い、いや意思を感じる観音堂だったのかもしれない。そしてこの四つの観音堂に加え、当時の遠野三山を結ぶと、少々いびつではあるが、逆北斗七星の形が見えてくる。現在の地図で照らし合わせてみると、確かに不恰好だが当時の測量技術で考えれば、四観音のお堂が丁度柄杓の口の部分四つを示し柄の部分を遠野三山で大雑把に作り出せば、当時のイメージとしては北斗七星だったのかもしれない。それも逆だ…。裏返す、隔てるは当時の簡単な呪いだった筈。中国の道教で用いられる北斗踏みの儀礼を逆にするものは、当然封印を現す…。