暗闇というのは、集中力を増す空間だと思う。それが"寝る" という意識に働きかければ、すぐにでも寝るのだろうけど、 目を瞑っても、どうも違う方に意識が働いてしまう時がある。暗闇というものは、幽かな音にも敏感に反応する。なんというか、自分の神経が研ぎ澄まされている感覚に陥るのが暗闇かなぁと。
某所で、言=琴と書き込んだ。そう、元々同じところから発生した漢字だからなぁ。ただ違うのは、言葉は口から発して神霊に訴えかけるもの。琴は、演奏して神霊に呼びかけるもの。どちらも切々と続けていくと、神霊が宿る空間を作る事ができる。 西洋には、アポロン型とデュオニュソス型というのがあり、これは造形型と非造形型と云われ相対するものだと云われてきたが、いつの間にか融合し更なる高みを生み出すものとなった。確かアポロンは夢状態で、デュオニュソスは酩酊状態だと思った。この二つが融合するというのは、それこそどんなものでも受け入れる状態になるという事…か? これは、言葉と琴の演奏が融合した場合でも、同じように高みに登りつめる事が出来る。要は、人間が発する音声と、楽器が奏でる演奏の融合が、更なる神霊の領域に入るものだという事。古来からの神降ろしは、アポロンの夢とデュオニュソスの酩酊の融合みたいで、ある意味無防備状態…。
琴だけではなく、昔から笛に対しても人々は神秘を感じていた。息=生きであり、息を吹き奏でる笛というのは、自らの息吹を託して発し、神霊に呼びかけるもの。つまり、人間の発する言葉と楽器の融合というものは、何かしらの神秘性を帯び、神託などを授かる場面などに利用されてきた。更にそれを増幅するものに、光と闇が必要となる。闇は不安を与えるものであるけれど、逆に集中力を増し、熱狂を誘発する。更にかがり火やライトなどの光が灯れば、明と暗の狭間で、人々は更なる熱狂に陥り易いという。
現代で現せば、舞台劇やコンサートなどが最もたるもの。そして宗教の勧誘などにも、こういう状況は作り出される。こういう時に効果的な言葉であったり演奏をすると熱狂に導かれて、その"コト"を発する人物に対してのシンパが誕生する。 過去に於いて有名なのは、ヒトラーなどがそうか。大抵は発する言葉が、自分なりの現状や過去の琴線に触れた場合に、それが起きるのかもしれない。
そういえば、大国主命が須勢理比売をおんぶして、間違って琴に木が触れてしまい、須佐之男命を呼び起こしてしまったのは、須佐之男命の琴線が須勢理比売だったからか? とにかく現代の言霊使いは、音と場所を操り神霊の降りて来る空間を作り上げる。そして、言の葉により、見ず知らずの他人の琴線に触れ刺激し、シンパという同調者を目覚めさせ、ある意味一つの宗教を作りあげるものなのかなぁと、フト思った…。