ノリコシという化け物は影法師の様なものだそうな。最初は見る人の目の前に小さな坊主頭になって現れるが、はっきりしないのでよく視ると、その度にめきめきと丈がのびて、ついに見上げる迄に大きくなるのだそうである。段々に下へ見下ろして行けば消えてしまうものだといわれている。
土淵村の権蔵という鍛冶屋が、師匠の所へ徒弟に行っていた頃、ある夜遅く余所から帰って来ると、家の中では師匠の女房が燈を明るく灯して縫物をしている様子だった。それを障子の外で一人の男が隙見をしている。誰であろうかと近寄って行くと、その男は段々と後ずさりをして、雨打ち石のあたりまで退いた。そうして急に丈がするすると高くなり、とうとう屋根を乗り越し(ノリコシ)て、蔭の方へ消え去ったという。
「遠野物語拾遺170」思うのだけど、ドッペルゲンガーは自分の影の部分。心理学的には主体の逆転現象みたいなもの。陰陽五行では、光と闇の二極がある。太陽と月がその代表で、ある意味、生と死を意味していると思う。太陽が沈んで月が昇るように、生と死は交互に活動しているが…たまに太陽と月は同じ天空に浮かぶ。つまり主体である自分が、死を司り影の存在であるドッペルゲンガーに遭遇するというのは主体の逆転現象を示し、死を意味するのかもしれない。西洋に影に自分の生活を乗っ取られ、今まで主体だった自分からいつの間にか影がその社会の主役となり、その主体である自分は死に至ってしまう…。
元々人間には二面性が存在し、生と死&天使と悪魔みたいな感じ。月の女神も優しい慈悲溢れるダイアナと、復習の女神であるヘカテ。ヤヌス神というのもあるし、とにかく二面性は昔から伝えられてきた。だから「遠野物語79話」に登場する目玉だけが伸びている妖しい男は、自分の影の存在だったのかもしれない。またノリコシも、師匠の女房を覗き見している自分がその場におり、その自分自身に対する恐れから、そういう存在を見たというか…自分自身の影に対する部分の恐れが具現化した妖怪としての話かなぁなどと感じたりもした。
ちなみに写真は、最近撮影した妖怪?のようなもの…。
ある深夜の事…寝ていたのだけど…フト目が覚めたら、窓の外にボンヤリと人影が。
『ああ、外に誰か立っているな…。』 また目をつむり、寝ようとしたら気付いた…。
『子供?…。』 一瞬ゾッとして、次には枕元にデジカメがあったので、1枚パチリと写したら、写っている!!!
この写真は、明け方3時半頃に撮ったもの。この時間に散歩している子供っているか? この食堂の床に寝ている事は、確かに同級生なら知っている。飲みに行ったついでにからかってやろうという輩がいてもいいのだろうが、普通は窓を叩いたりして、寝ているのを起こす筈だ。しかし自分は、なんとなく目が覚めて、窓の方を見やっただけだ。そして、1枚目の写真を撮って、今度は近づいて、もう一枚パチリ。そうすると、内部に気付いたのか?外の怪しい人影は動き出した。紙製のカーテン素材を使っているので、薄くなった箇所から、向かいの街灯が透けて写っている。そして、慌ててカメラを手にして、玄関へ走って外に出たら…誰もいないぞっ!おい!(ーー:)