遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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熊の話(其の二)

熊の話(其の二)_f0075075_09342456.jpg
X(旧ツイッター)を見ていると、熊が里に降りてきて害をなしているのは、山に設置されたメガソーラーの影響もあるという書き込みをいくつも見かける。それは果たして、どうなのだろうか。

平成6年(1994年)に、遠野の水光園行われた「日本ツキノワグマ集会in遠野」の情報によれば熊の胃袋の中身の90%以上は、ドングリなどの木の実だという。つまり、主食のドングリなどの木の実が不作、もしくは伐採された場合は、熊の主食が無くなるという単純な構造が理解できる。X(旧ツイッター)では、熊が里に降りてくるのにメガソーラーの設置は関係ないだろうとの否定派もそれなりにはいる。しかし単純に、メガソーラーを設置する為に熊の主食であるドングリのなる樹木を伐採すれば、それだけで熊に対する影響は、かなりあるだろう。

クワガタの話で恐縮だが、クワガタは毒素を持つ針葉樹には生息できない。ドングリなどがなる広葉樹があってこそ、クワガタの生息圏となる。ところがその広葉樹が伐採されて針葉樹が増えれば、限られた広葉樹地帯へとクワガタも密集する。するとまず始まるのが、クワガタの小型化だ。一本の木に沢山のクワガタの幼虫が密集すると、幼虫同士が近づくたびに顎をカチカチ噛んで警戒音を発する。そのストレスが続くと、早くその木から脱出しようとサナギ化が始まる。じっくり育つ環境があれば、かなりの大きなクワガタに育つのだが、小型化したクワガタを目撃するという事は、環境の破壊(広葉樹の減少)が起こっているものと理解できるのだ。遠野市でも、平成の半ば過ぎまで「植樹祭」といえば杉の木を植えていた歴史がある。平成の初期頃に、遠野の山々でクワガタ採集をしてまわったが、やはり懸念していたクワガタの小型化は始まっていたと思える。それと比例するかのように、平成6年に絶滅の危機に瀕しているツキノワグマに対する集会が行われている事からも、ドングリのなる広葉樹は、かなり無くなっていたのだろう。生物の絶滅は、乱獲によるものではなく環境破壊が一番の要因だからだ。
熊の話(其の二)_f0075075_16252484.jpg
「遠野物語」には、熊の話が殆どない。狼や狐、もしくは猿などが多く登場している。これだけ存在感のある熊が、何故に「遠野物語」に登場しないのか。それは、里の人々が熊を目撃する事が殆ど無かったものと考えてしまう。江戸時代となり、狂犬病が日本に上陸し、今まで山の奥で鹿などを捕食していた狼が、狂ったように人や馬を襲うようになった。それ故に、まず馬を保護する為に曲がり家が普及した。更に、三峰様を祀る(信仰)と狼除けとなるとされれば、一気に三峰様を祀るようになった。江戸時代の記録によれば、関東から東北にかけて一番日本鹿が生息していたのは、遠野の東に聳える五葉山周辺であったよう。それに伴い、その鹿を捕食する狼も、また多かった。和山方面には廃村になった場所がいくつかあるが、目につくのは「三峰様」の石碑だ。和山は五葉山にも近いために、狼もかなり生息していた事だろう。それに伴い、三峰様の石碑が多いのも、当然の成り行きだろう。ともかく、人間に害をなす獣は、ある意味神として祀られる。その根底には「祟らないでください(襲わないでください)」という意識があるからだ。遠野界隈で唯一、熊を祀っている神社は上記に示した画像。川を渡って参拝する、熊を祀る山神社だ。とにかく狼や狐に比べて、これだけ熊を祀る神社が少ないのは、熊が山奥に棲んでいて、人里には殆ど降りてこなかったからだと考える。
熊の話(其の二)_f0075075_17234498.jpg
一昨年の遠野新聞にも此記事を載せたり。上郷村の熊と云ふ男、友人と共に雪の日に六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたれば、手分して其跡を覔め、自分は峯の方を行きしに、とある岩の陰より大なる熊此方を見る。矢頃あまりに近かりしかば、銃をすてゝ熊に抱へ付き雪の上を転びて、谷へ下る。連の男之を救はんと思へども力及ばず。やがて谷川に落入りて、人の熊下になり水に沈みたりしかば、その隙に獣の熊を打執りぬ。水にも溺れず、爪の傷は数ヶ所受けたれども命に障ることはなかりき。

                          「遠野物語43」
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「遠野物語43」に、熊の話が登場する。そこには六角牛に狩に行き谷深く入りしに、熊の足跡を見出でたればと記されている。また現実に、この話を紹介した遠野新聞には山奥深く分け入りしに淡雪に熊の足跡あるを見出しと書かれている事からも、山の奥にこそ熊は棲んでおり、滅多に人里に訪れる事は無かったものと思える。江戸時代など、飢饉が頻繁にあっても、熊が人里に降りてきて害をなしたとの話が殆どない。平成の初期に、やはり飢饉があった。岩手県では、人間が食べれる米が出来なかった。その年に、わたしの住む家から歩いて10分もかからない場所に、光の園幼稚園がある。そこに熊が出没し、残飯を漁っていたと聞いた。そう、江戸時代の飢饉でも熊は里に降りてこなかったが、平成の飢饉時には、熊は人里に降りてきていたのだ。これはつまり、山の豊かさが江戸時代よりも平成時代が、より失せていた可能性があるだろう。
熊の話(其の二)_f0075075_04582269.jpg
街中での熊の被害が相次いでいる秋田市では、熊一頭の駆除の報奨金を以前よりも増額し、1万円を支給すると発表している。吉田政吉「新・遠野物語」を読むと、熊は昔から大変お金になるもので、狩猟民の間で重宝されたらしい。なので山役人の許可を受け熊を獲り、礼銭という名目の税金を支払わなければならなかったようだ。熊の胆をお金に換えて、一年寝て暮らした猟師もいたという事である。それだけ熊は、お金になった。しかし時代が現代となり、熊を一日一頭駆除し、30日間続ければ給料が30万円貰えると考えた場合、昔の相場とはかなりかけ離れているのが理解できる。果たして、現代での熊駆除の適正相場は、いくらであろうか。
熊の話(其の二)_f0075075_07480693.jpg
神として祀るという話をしたが、熊を神として崇めていたのはアイヌが有名だ。局地的であるが、熊野大社がある紀州では、熊は熊野権現のこの世に現れた姿とみなし、熊を捕獲すると熊野権現を祀っている社の屋根の茅が一本抜けるという可愛らしい俗信があるようだ。また別に、熊が殺されると雪が降るとの俗信もある。

嘉禎年間(1235年~1238年)に記された「諏訪上社物忌令之事」によれば、熊は諏訪神が人界に現れる仮の姿だから、熊肉を諏訪神へ供えてはならないと記されている。神とは、人前にそんなに頻繁に顕現するものではない事からも、諏訪地域でも熊が人里に降りてくるのは極稀であるのがわかる。また昔話などには多くの動物も登場するが、これだけ強烈な個性をもった熊が、殆ど昔話には登場していない。皆が知っている有名な話は、せいぜい「金太郎」くらいだろうか。つまり、それだけ一般庶民には認知されていなかったと考えられるのは、やはり滅多に人里に降りてこなかった事が理由にあげられるのではないか。遠野界隈では、狼除けや鹿除けの呪い(マジナイ)は聞くが、熊除けの呪いは聞かない。
熊の話(其の二)_f0075075_08065614.jpg
寛政十一年に記された「日本山海名産図会」によれば、飛騨から日本海側にかけての熊猟は、山の奥へと入り込みまず熊穴を見つけてからの熊猟のよう。熊と対峙して槍で突くのだが、その際に「お前の秘密を知っている、月の輪!」と大声をかけるそうだ。それは、熊が胸に秘めた月輪(ガチリン)の秘密を暴かれたと思って怯むとされ、その隙に槍で突くのだと。その掛け声は、熊の魔力を弱めるものと信じられていたようだ。魔力を弱めるといえば、岩手県沢内村では熊は化身の者だから、捕った熊の両目を抜き取って山に捨てよと伝わるのは、熊の目玉は死んでも撃ち取った者を見ていて祟りをなすので、その祟りを避けるための秘法であるそうだ。この祟り除けの秘法は、あくまでも一般庶民に伝わっているものではなく、マタギなどの狩猟者に伝わっているものである。
熊の話(其の二)_f0075075_08453068.jpg
話が少々逸脱したが、熊が里に降りてくる要因に、メガソーラーなどの環境破壊は当然あるだろう。ドングリのなる山の木が伐採されれば、熊は現存するドングリの木へと集まる。そこには当然、熊同士の力関係も発生するだろう。例えば、たまに遠野の町に現れるはぐれ猿も、単独で里に降りてくる牡の日本鹿も、争いに負けている筈だ。豊かな山があれば、熊同士の餌の争いの果てに里に降りてくる熊も、少しはいなくなる筈だ。とにかくツキノワグマは一度、絶滅の危機を迎えていた。その要因は、やはり山の木の問題、餌の問題だった筈。日本は、戦時中に東京が焼け野原となり、その戦後の復興に沢山の樹木が伐採されて運ばれたという。遠野の周辺の山々に牧場となっている山が多いのも、その影響を受けている筈。そして財産になるからと戦後、伐採された山々には杉の木が植林されたが、現代では単価の安い輸入材が主流となっている為に、放置された杉林が多い。とにかく、ドングリのなる木が伐採されて熊の餌が不足になり始めたのは戦後からだろう。それが平成の時代に差し掛かった頃に、ツキノワグマが絶滅の危機に瀕した事実がある。それでも立て直して、ツキノワグマが増えたのだが、やはり牧場だけではなく、スキー場やゴルフ場。最近ではメガソーラーと野生の熊の領域を、人間が利潤追求の為に開発している。仏教が導入された奈良時代以降、寺院作りに励んだ日本は土砂崩れが頻繁に起きるようになり、平安の末期には山の木の伐採禁止令が発布された。しかし現代は、そこまでの思い切った政策を打ち出せないまま、山に関してはほぼ放置となっているようだ。確かに、熊は恐ろしい。しかしその恐ろしい熊も、山の奥に潜んでいた状態であったならば、今ほどに熊に対して大騒ぎする事は無かったろう。山と里、熊と人との境界があった、そういう世界が、過去の日本にあったという事だ。

by dostoev | 2025-10-31 09:25 | 動物考
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