往時は今の土淵村を中心とし、松崎村の一部、附馬牛村の一部を総称してキタガメ(Kitagame)といへり。キタガメは、蓋し「日高見」即ち「北上(Hitakami=Kitakami)」と同源の夷語に出でたる地名として見るべき如し。
「遠野くさぐさ(キタガメ)」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー遠野から車で107号線を走り北上市へ行く場合、北上の街の手前に北上川が流れている為に、珊瑚橋を渡っていた。ところが後から、日高見橋が造られ、今では普通に日高見橋を渡っている。日高見橋の完成は、平成五年(1993年)。翌年の平成6年には鬼の館がオープンしているので、この頃は北上市が大々的に歴史と民俗を宣伝し始めたのだと思う。ところで「北上(キタカミ)」は確かに伊能嘉矩の言うように「日高見」の可能性はあるだろう。しかし、その前に「北上」は「ホクジョウ」と読む。
例えば「上京(ジョウキョウ)」という言葉がある。以前の都は、平安京のある京都である事から、都を中心とした考えから上京とは、京都へと行く事だった。ところが、徳川幕府が江戸城を構え、中心が江戸へと変わっり、明治時代になり皇居がその江戸城となった事から、今の都は東京という事になり、「上京」するという事は、東京へ行くという事になった。ところが、紀元前から中国の定説であり、日本に輸入された考えが「天地玄黄(てんちげんこう)」であった。これは、東西南北を守護する四神という四方に拡がる水平軸の考えよりも単純な、天と地という垂直軸により成り立っているという観念。そして天とは玄であり、黒。これは陰陽五行において、北を表す。また地とは、黄で示すのだが、これは地面の更なる下の黄泉をも含むものとなる。つまり古代中国の天とは、北の事であった。厳密にいえば、北に聳える山。そして古代中国における玄武とは、水神を意味すると云う。これを日本に当て嵌めれば、北上とは東北・北海道へと向かう事でもある。辞書で「北上(ホクジョウ)」と調べても、ただ単に「北へ向かう事」とだけ述べている。ところが先程述べた「天地玄黄」に則って作られたものが地図である。地図の常に上は、北となっている。これは北が天を意味しているからであった。しかし、それでは面白くない人達が大勢いる。例えば、河北新報社の名称の由来は、明治時代の政府の人に「白河以北一山百文」と、東北を軽視した発言に奮起して名付けた社名となったのは、余りにも有名。そんな言葉を吐く明治政府の人間が「北上」が天を示す言葉であるのを、許せる筈も無かっただろう。

東北が軽視されていた明治16年、上野に駅が開設された。明治24年には、青森まで26時間で到達する線路が開通し、"東北の玄関"とまで言われた。しかし
"東北の玄関"とは、奇妙な言い回しである。何故なら、風水により鬼門の玄関は不吉とされていたからだ。何故なら、江戸城(皇居)から上野の地は鬼門として扱われていた。その鬼門に"東北の玄関"を設置したのは明治政府だった。わたしはこれに対し、常々違和感を抱いていた。そしてもう一つの違和感は、何故に東北六県だったのか。明治四年(1871年)に、明治政府の行政改革である廃藩置県によって、東北の地は六県となった。

ところで遠野市小友町に、「六地蔵と冥道」という名所がある。謂れは明確でないが、全国に広がりを見せる話から来てるものと思われる。その話とは、
「昔ある人物がに夜道を歩いていると、道の分岐点に差しかかったという。ところがどちらの道へ行って良いのか迷っていると、六体の地蔵さんが現れ、行くべき道を指してくれたという。」である。
「遠野物語拾遺223話」に六道の石碑の事が書かれているが、
"六道"とは
「地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上」であるとされる。または、第六天魔王などがいる事からも、六という数字は不安をあおる数字である。これが西洋となれば、666は悪魔の数字となる。何故、東北六県なのだろうか。例えば個人的見解だが、津軽と南部の争いから、青森と八戸を分けても良かったのだろうが、同じ青森県に属したのは地形だけの話だったろうか。
東北六県の一般的な説は「陸奥(むつ)」だから「六つ(むつ)」に分けたとの事。しかし「六つ」という用法は、「暮れ六つ」「明け六つ」などで、酉の刻から卯の刻。つまり「六つ」とは、暗くなってから明るくなるまでの"闇の時間帯"に使用する。思えば古代、常陸の国から蝦夷国の境界に、境の明神と呼ばれるものが設置された。常陸国側には、「伊弉諾」が祀られ、蝦夷国であり現在の福島県側には、「伊邪那美」が祀られた。これは何を意味するのかと言えば、「古事記」では"千引きの石"によって、生きている人間の世と黄泉国である死者の世が分けられた。そう、伊邪那美が祀られた側は、黄泉国である闇の世であるという意味となる。まさに六つの時間帯は闇の世である。
東北の玄関である、上野駅に戻ろう。江戸城(皇居)から上野駅は、鬼門である。その鬼門からやって来るものとは誰か。それは、鬼である。さんさ祭の謂れは、坂上田村麻呂が悪い鬼を退治して、村人が「さんさ、さんさ」と喜んび踊った事からと伝えられるが、その悪い鬼とは蝦夷であった。宮元健次「江戸の陰陽師」によれば、青森県には北斗七星型に、七つの神社が建立されたという。神社そのものが、都の文化であった。その七つの神社から、蕨手刀が出土したという。蕨手刀は、蝦夷が使用した刀と認識されている。平安時代、神社は現世利益を唱えて、人を集め利益を上げようとした。現代でも、御利益を期待して神社を参拝する人が、後を絶たない。それが迷信の横行する古代ともなれば、それを信じてどれだけの人が訪れたのか。
「鬼を以て鬼を制す」という言葉がある。例えば、前九年の役で安倍氏が破れたのは、古代東北の蝦夷直径の在地豪族である清原氏の裏切りが大きかった。ある意味、清原氏の裏切りも、鬼を利用して鬼退治した話、つまり「鬼を以て鬼を制す」であった。相撲の四股とは、地鎮祭の原初でもある。つまり地面を踏み固めるとは、その地を鎮める行為である。それでは、青森県の神社に埋められていた蕨手刀は、どう意味だったか。つまり、現世利益を信じて神社に集まって来るのは、蝦夷国の住民。その大勢の住民が訪れる事により、その地が踏みしめられ鎮まる。その下には蕨手刀が埋められているという事は、蝦夷の反乱を鎮める意図があったと思われる。これもまた「鬼を以て鬼を制す」である。
そして、上野駅に戻る。明治政府の人間により「白河以北一山百文」と東北が軽んじられた時代、東北(鬼門)の玄関である上野駅に、何かしらの呪術が仕掛けられた可能性を考えてしまう。文明開化の時代に呪術?と思う人がいるかもしれない。しかし、昭和時代に建立された遠野市の福泉寺の初代和尚は、戦時中に日本軍に呼ばれ、その当時の対戦国であるアメリカのルーズベルト大統領を呪い殺す事を行っていた人物であった。福泉寺の和尚は、呪いという観念が、昭和の時代にも続いていたという生々しい事実の生き証人でもあった。古くは、蝦夷の反乱を恐れて。また新たな時代には、東北の民が常に従順であるように、何かの呪術を上野駅の下に埋められたと考える。ゆえに私は思う「上野駅の下には、何かが埋められている筈だ。」と。
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-33611026"
hx-vals='{"url":"https:\/\/dostoev.exblog.jp\/33611026\/","__csrf_value":"c69687cae5d549c35c6a7372e1d7f5ebb63cc77f34c955d755ebd0f96c2b09bb50ba04387de26d6ad6edbe20219efef7d6706fe891025b4b64fd7c5db94a09b5"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">