
ここで、もう一度「琴畑」という地名を考えてみよう。
菊池輝雄「山深き遠野の里の物語せよ」では琴畑の地名の語源説を「
先祖は琴の名手で、慣れない畑仕事の合い間に琴を弾き、はるか故郷の加賀の国をしのんだ。」と記している。しかし琴という楽器は、畑仕事の合い間に奏でる楽器ではない。琴は出雲神話での
「天の召琴(あまののりこと)」でわかるように、降神楽器であった。これにより、琴の別名は「神懸かり板」とも呼ばれたのは、「琴」そのものの意味が
"特別な呪力を発揮する"であった。その琴の響きが神聖な空間を作り出すものと。そして「琴畑」の「畑」は「ハタ」と読む。「ハタ」は秦氏の「ハタ」でもあるが、八幡神社などの「幡(ハタ)」でもある。この「ハタ」とは、神の依り代であり、幡(ハタ)そのものが神としてみられていた。つまり「琴畑」を言い換えれば「神を降臨させる地」とでも言おうか。ただ、その神とは何かという事になろう。

琴畑渓流を遡上し、広又沢方面へ行くと、白望山の登山口がある。「遠野物語」では、多くの怪奇譚が語られる山である。この白望山は、以前は朝倉山と呼ばれていた星見の山であった。それは、過去の記事を参照に
「朝倉トイウモノ」。その、星見の朝倉山が、何故に白望山となったのか。ただ、星と白とは関係が深い。白を当初、白山信仰だけの関係で考えていたが、妙見信仰を調べるにしたがい、「白」は鉱山に関わっていたのがわかった。鉱石を「白(シラ)」という事からも、白望山という山名は鉱石を求めた人による命名であろう。
「日本書紀纂疏」の記述「
星堕ちて石となる」の「石」とは「鉱石」の事を云う。そして、その鉱山との縁の深い妙見信仰と関係する氏族が秦氏である。

以前、琴畑での早池峯遥拝所の場所を聞いたのが、琴畑の奥に住む、俗に
「熊吉(クマキッツアン)」と呼ばれる人物だった。その熊吉さんの名字は、現在は琴畑だが本来は
「阿蘇」だと述べていた。それが正しいのかどうか、またはどこまで遡れるのかどうか。ところで阿蘇氏と聞くと九州と思いがちだが、土淵が諏訪明神の働きによって開発されたとの話から浮かび上がるのが、信濃国造の系譜に繋がる阿蘇氏の可能性もあるだろうか。
琴畑の集落は、ある意味白望山の麓でもある。琴畑が神を降臨させる地という意味であれば、その神とは白望山と関係が深い神であろう。大和岩雄「続・秦氏の研究」によれば、大分県南海郡の白谷の「白(シラ)」という意味は、穴・洞窟を意味すると。そして、同じ大分県海部郡の白山もまた、洞窟を意味している。また対馬の白岳は、山頂が二つに分かれ、南の山頂を男岩、北を女岩と呼び、その女岩には洞窟があり、女神が鎮座していると云われている。天照大神が天の岩戸に篭ったように、古来から岩屋などの洞窟に入るものは、女神と信じられてきた。伊邪那美も、洞窟を通って黄泉国へ行っているように、洞窟は女性のホトを意味する。つまり、「白(シラ)」が洞窟を意味するのであれば、白望山の神とは女神という事になる。その琴畑には、早池峯の遥拝所が二ヵ所。そして、琴畑渓流の白滝傍の白滝神社は早池峯の方向を向き、早池峯の女神が祀られていた。その早池峯は、白山と重ねられる女神であり、その白山を開山した泰澄は、秦氏である。始閣藤蔵が金を見つけたらお宮を建てると誓ったのは、早池峯の女神に対してであった。そして琴畑もまた、恐らく金を見つける為に移り住んだ秦の民であった可能性があるだろう。
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