本来は金ヶ澤稲荷神社であり、村兵稲荷神社は愛称のようである。この神社の由来は、下記にアップした案内板に記されている。ところで、岩手県神社庁のサイトで金ヶ澤稲荷神社を確認したが、現地の案内板と記されている内容が若干違っていた。
岩手県神社庁、遠野市「稲荷神社」
案内板と神社庁HPとの違いは、村上兵右衛門が建主となった年代が、神社庁HPでは「宝永年中(1704~1711)」となっているが、金ヶ澤稲荷神社現地の案内板には「文政年代(1818~1829)」となっている事。まあこれは神社庁側が、書き込む時に勘違いをしたものと思う。更に加えれば、神社庁HPでは、「京都から稲荷の御神体を背負い来り」と書かれている事。しかし、現地の案内板にはただ「勧請した。」だけが記されている。「まつざき歴史がたり」で金ヶ澤稲荷神社を確認すると、「村上氏由緒記」を元に記されていたが、やはり「京都から背負って」と記されていた。現地の案内板は、この「背負って」を省いてのものだったようだ。
ところで、この「背負う」で思い出すのは、「遠野物語拾遺136話」である。
遠野豪家村兵の家の先祖は貧しい人であった。ある時愛宕山下の鍋ヶ坂という処を通りかかると藪の中から、背負って行け、背負って行けと呼ぶ声がするので、立ち寄ってみると、一体の仏像であったから、背負って来てこれを愛宕山の上に祀った。それからこの家はめきめきと富貴になったと言い伝えている。
「遠野物語拾遺136」
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恐らくこの「背負う」という表現は、村上兵右衛門が神仏を大事にしていたという表現であったろうか。神仏を信じて大事にしたからこそ村上氏は、これだけ繁栄したという意味になるのかもしれない。
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