最近、睡眠用にとYouTubeの「怪談」をよく聞いている。寝ながら聴いていると、知らない間に寝ている場合が多い。そんな中で、今回アップした動画の最後の方で川奈まり子さんの語る「夜の足」という怪談話は、千葉大学のキャンパス内にある七天王塚に関する話だった。七天王塚は平将門に関係する塚だが、要は妙見信仰に関する塚である。七天王塚と数字の「七」が付くが、これは北斗七星の七の影響からというのが一般的だ。この七天王塚には、子供の骨が埋められていたようだ。ところで何故に、子供だったのか。そして、ここでは七という数字を確認しようと思う。

遠野で七というと、遠野七観音を思い出す。この遠野七観音には慈覚大師(円仁)の伝説が付随するが、恐らく天台宗が北辰の信仰から早池峯信仰に重ねて付け足したものと思える。その慈覚大師は、天台宗に属する。その本山である比叡山延暦寺は京都府と滋賀県との境界になるのだが、平安京を造る時に鬼門の方向に比叡山が来るように設計されたとも云われる。その比叡山は北斗七星降臨の地という伝説が付随し、その比叡山の麓は七瀬と呼ばれ、穢祓いの地でもあったのだが、それは死体が棄てられた川原でもあった。その
京都では死者を葬る時、七曜星形に並べた七個の丸い餅を七段、合計49個積んで供える風習が未だに残っている。古代中国に伝わっているものに「北斗は死を司ると」云われいる。それに関連する北斗七星の七と云う数字は、不吉な数字でもある。仏事における七という数字は、初七日に始まり7×7=49として、四十九日の法要があり、7回忌、17回忌、27回忌など、7と云う数字を絡め、非常に死の匂いを感じる。
七より一つ少ない六という数字は、山神の好む数だとされる。その六の倍で十二は、十二様などと呼ばれ信仰されている。そして12月12日は山神の日となっており、今でも神事が執り行われている。山神が六を好むのは、六人のマタギが山神を助けたという俗信からだとされる。そしてそれ以来、一つ増えての七という数を山神が嫌うとも云われる。もしもマタギが七人いる場合、同行した犬を足して七人では無い事を山神に示さなければならないとも。また、マタギの妻などが出産した場合"赤不浄"と云い、マタギは猟を七日間休まなければならないなど、七という数に対する禁忌がある。

ところで北斗七星の別名を「四三の星(しそうのほし)」とも云う。
野尻抱影「日本の星(星の方言集)」には四三の星の謂れが書いているが、もしかして四三の星は「死相の星」を暗喩しているのではないか。「四三の星」の他の俗信を調べると、「四角い棺を引く三女神」というものがあった。そういう意識下で早池峯山&薬師岳を見ると、三角と四角の組み合わせの山に見えてくる。ましてや星の信仰である天台宗との縁が深く、三女神の伝説のある北に聳える早池峯であるから。妙見と三女神伝説は、埼玉県の秩父妙見にも伝わる。ただし秩父妙見の場合、その三女神とは宗像三女神となっている。
ちなみに山神の好む六という数字は、十二支でいう巳(蛇)にあたる。その山神だが、出生にも大きく関わる。「遠野物語拾遺237話」では、「この地方では産婦が産気づいても、山の神様が来ぬうちは、子供は産まれぬといわれており」と伝わっており山神にはどうも、生死が関わっているように思える。現在の京都である平安京は、長安の都に倣って築かれた帝都であるが、中野美代子「仙界とポルノグラフィー」によれば、その長安には北斗七星の呪術が施されていると云うが、それとは別に「生を司る」南斗六星の呪術をも施されている。古代において山の頂とは、星々が輝く天でもあった。当然、山に星の信仰が重ねられても不思議ではない。山神が好む六という数も、忌み嫌う七という数も、恐らく生死を意図して組み入れられたのではなかろうか。
日本最古の妙見宮とされる熊本県の八代妙見では「妙見が山の上から里にわたってきた。」と伝わるのは、秩父妙見と同じである。これもまた「山は天である」という認識からの伝承だろう。

七という数は、人間の年齢にも大きく関わる。これもまた俗信として伝わる
「七歳までは神の子」であるとされていた。
【梁塵秘抄】「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動かるれ」
この「梁塵秘抄」の歌は、子供の遊びというより神の子供の遊びを歌ったともされる。神の子とはつまり、七歳までの子供である。ただ七歳を過ぎると、普通の人の子となるので仕事をさせられてしまうという区別がなされていた。また、その神の子が死ぬと、葬礼も仏事もされなかったそうである。
妙見神の一般的は、女神とされる。しかし他にも武将の姿など、その姿が一定しないのは、様々な要素が含まれている為だろう。その中に、童子型の妙見神がいる。小村純江「妙見信仰の民俗学的研究」で紹介されているが、山口県での大内氏(1446~1495)の妙見信仰において、「舞童」と称する二十二名の児童に舞を奉納させ、舞を通して大内氏の祖神といわれる妙見菩薩と領民を結び付けたと記されている。また大内氏は亀蛇を尊重しており、子孫の幼名に亀という字を用いていた。ところがこの大内氏は、京都を意識していたようで、その妙見信仰の根底もどうやら京都から来ているようだ。京都は都であるという事からも、東北にも様々な文化や風習、そして信仰が日本海側経由で、かなり入ってきていた。

幼名(童名)もそうだが、髪型もまた大人(人)と区別された。一般的な座敷ワラシの髪型は、オカッパと呼ばれる髪型だ。つまり結っていない髪型。髪を結うとは、霊力を閉じ込める意味を持つ。天武天皇時代に発布されたのは、女性は髪を結わなくても良いというものだった。これは神との交流を図る巫女に適用された。髪の毛から迸る霊力を振り出しながら、神との交流し託宣などを授かるので、髪の毛は結わなくともよいとされた。そして七歳までの子供もまた、霊力溢れる神の子。その子を大事に七歳まで育てるのだが、その童子から溢れる霊力が家を守る事にも繋がっていた。
先に紹介したように、七歳までの霊力溢れる童子がもしも亡くなった場合、その身柄は葬礼も仏事もされなかった。人を祀るのが寺。神を祀るのが神社である。七歳までの童子とは、人ではなく神そのものである。そしてこれらから思い出されるのが、有名な岩手県二戸市金田一温泉緑風荘に祀られている亀麿神社だろう。「亀麿」という名前そのものが童名であり、「亀」という字を含んでいる事から妙見系ではないかと思われる。早池峯を開山したとされる始閣藤蔵は、「金が採れたらお宮を建てる。」として早池峯に祈願した。妙見に祈願して栄えた代表は、世界遺産にも登録された石見銀山だろうか。早池峯もまた北に聳える山として知られ、その北の守り神は玄武=亀である。つまり「亀」とは妙見である北を意味し、それに願うという事は、金であり財を願うという事である。
恐らくだが、亀麿神社に祀られる存在とは、七歳にならぬ前に亡くなった子供の可能性があるだろう。神として祀る。もしくは、七天王塚のように神の霊力を保持するための存在としても童子は使われる。亀麿とは、妙見の童子ではなかろうか。
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