

遠野市上郷町佐比内の砂防ダム湖は、奇麗なエメラルド色をしている。その色の発色がどこからきているのかわからぬが、もしかして佐比内鉱山との関係はあるのだろうか。ところで、この「佐比内」という地名は、岩手県内に二ヵ所ある。その一つが、遠野市上郷町の佐比内で、もう一つは紫波郡紫波町佐比内となる。この二つの佐比内には共通点があるのだろうか?
佐比内という地名は
伊能嘉矩「遠野方言誌」でアイヌ語説を採用し
「Sap Nai(下だる谷)降下の谷」という意味だと記している。また
「紫波郡誌」を読むと、佐比内の語源は同じくアイヌ語説を採用しており
「アイヌ語の「サピナイ」より来り藪ヶの渓谷の集合せる場所を意味す。」と記されている。伊能嘉矩「遠野方言誌」では「降下の谷」という意味が、「紫波郡誌」では「藪ヶの渓谷の集合せる場所」と訳している違いがあるが、何となくニュアンスは汲み取れるので同じ意味なのだろう。ただ「佐比内」の「佐比(さひ)」を注目すると、
柴田弘武「鉄と俘囚の古代史」によれば、「サビ」が古代朝鮮語の「サプ(鉏)」からきたもので、「剣(サヒ)」を意味する産鉄用語であるとしている。また、青森県下北郡の佐比浜主神社(さひひょうずじんじゃ)の「佐比」は「鉄」を意味すると伝わっている。「剣(サヒ)」は恐らく「鉄剣」であろうから、やはりそのまま「鉄」の意味だろう。また「佐比内」の「内(ナイ)」は、やはりアイヌ語の「ナイ(谷)」を意味し遠野にもいくつか「内」を有する地名がいくつかあるので、伊能嘉矩「遠野方言誌」や「紫波郡誌」もアイヌ語説を採用したのだろう。ただ「内」は「うち」であり「内包(ないほう)」する意味である事から、「佐比内」は「鉄を内包する地」の意味であると私は考える。事実、遠野と紫波の佐比内のどちらも鉱山が有名となっている。

天正年間に近江国から遠野の佐比内に移り住んだ近江一族は、佐比内から森の下まで開発したという。その主だった開発は、やはり鉱山であったろう。近江弥右ェ門という人物がいる。その人物の詳細は、上郷町の郷土誌
「上郷聞書」に詳しく書かれている。
「中世末以来の佐比内の開発は、近江弥右ェ門によって行われたと伝えられている。近江弥右ェ門は近江国の生まれで、天正年間(1573~1592)に一家七人行商して遠野を訪れ、間もなく此の土地に居を定め、佐比内の開発を手掛けていった。」と記されている。その近江弥右ェ門の主だった実績は、慶雲寺の建立と、鎌ヶ峰金山・日柄沢金山の開発、佐比内の開墾だとされる。やはり、資金を見込める金山開発が主だったものだろう。そして生活するにおいての開墾も当然の事だったろう。そして近江弥右ェ門について「上郷聞書」には、こうも書かれている。「祖父、父、長兄が遠野に落ち着き、次兄以下が当時郡山と言われた今の紫波町に移ったらしく…。」と。その裏付けとして「紫波郡誌」には、「天正十九年十一月南部信直之を藩治の下に人口漸く増加するに及て開墾事業を奨励し一村部落を成せり。」と記されている事からも、近江一族が紫波の佐比内に移り住んだのではなかろうか。その時点で村と成したという事であるから、紫波の佐比内村は天正年間に出来たのだろう。そしてその「佐比内村」という名付けもまた遠野上郷の佐比内と繋がるならば、近江弥右ェ門一族が金山開発を意識しての「佐比内」と名付けた可能性があるのではないか。とにかく私は「佐比内」とは「Sap Nai(下だる谷)」というアイヌ語ではなく、「鉄を内包する地」としての「佐比内」だと思うのである。
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