
雨上がりの午前中、いたるところに鳶がグループごとに集まっていた。カラスが毎日群れを成しているのを見るが、鳶はカラス程、群れとして見る事は少ない。しかし、ねぐらでは、集団で群れをつくって寝るそうであるから、その群れでの行動の普段を、わたしが気付いていなかったという事か。気になったのは、過去においてトンビが群れを成している時に、強い地震が起きたという事。このトンビを群れを見た日にも、強い地震が起きている。

猛禽類ではあるが、食性などがカラスに近い為に評価の低い鳶。しかし神武天皇の神話に
"金色の霊しき鳶"として登場し、まるで太陽の眷属のような活躍をしている。しかし江戸時代の百科事典である
「和漢三才図絵」に
「すべて鳶、鴉は害あって益なく、しかも多くいる鳥で、人に憎まれるものである。」と記されている。一時期、わたしの営む民宿に防衛大学の学生がよく泊っていただいた時があった。その防衛大学の学生に聞いた話では、寮の近くにコンビニがあり、そこで買い物をした客を狙って襲う鳶がいたそうである。まあ野鳥というものは大抵は、そんなものである。沿岸の防波堤で釣りをしていても、カモメやカラスやトンビの急襲に遭い、持ってきていたオニギリや釣り餌を強奪された経験が何度もある。野良猫もしかりで、野生は生きる為に必死という事なのだろう。しかし、そういう行動が「和漢三才図絵」にも書かれるように「人に憎まれるものである。」と古くから、そう思われて来ているのだろう。
山と渓谷社「鳥のことわざうそほんと」では、江戸時代にトンビはかっぱらいの名人とされていた事が紹介されている。それから、人の隙を狙って金品を盗んでいく小盗人を「トビ」とか「トンビ」と呼んだそうである。また、昼間に活動する盗人の事を「昼トビ」「昼トンビ」などと言ったそうである。もしかして「鳶(とび)」が「トンビ」とも呼ばれるようになったのは、江戸時代に蔑称として「トンビ」になったのかもしれない。
中国では、鳶は"物忘れの象徴"として認識されていたようだ。その為、鳶の脳を酒に混ぜて人に飲ませると、その人は物忘れが激しくなると。唐朝10代目の皇帝である粛宗の皇后は、鳶の脳入りの酒を何度も飲ませた為なのか、皇帝を自由に操ったとされる。

昔、平凡社の月刊「アニマ」という本で、怪我をしたトンビを飼育して人に慣れた話が書かれていた。ただ、その家の子供が通う小学校にも、そのトンビがついて行った事から、もしかして他の子供達に危害を加えるのでは?と小学校で問題となって、飼育していたトンビを処分する話であった。トンビは臆病で有名な鳥であるが、どんな野鳥や野生動物でも、飼い馴らす事が出来るものなのだろう。空をゆったりと舞うトンビには、自由さを感じる。空を飛べない人間にとっての古代日本、鳥は身近な神秘体験だったのだろう。だから古代日本における鳥霊信仰が、広く普及していたようだ。「古事記」や「日本書紀」の神話に、現代では嫌われているカラスやトンビが八咫烏や金色の鳶として出ているのは、まだ身近な神秘として崇められていた時代だったのだろう。それがいつしか慣れてしまい、その神秘性が失われ嫌われてしまったカラスやトンビは、そういう人間の感性などどこ吹く風で、今でも必死に生きているのだった。
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