遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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蛇と猫と女神

蛇と猫と女神_f0075075_15091293.jpg
画像は、瀬織津比咩を祀る銚子波分神社。元々この神社は、広大な北上川に面していて、船の安全祈願から建立された神社だった。しかし、いつの頃か養蚕を保護する神社に変わった。それは瀬織津比咩が蛇神でもある事から、蚕を喰らう鼠を捕食する守り神の蛇として祀ったという事だろう。ところがいつの時代からかわからぬが、蚕の守護が、蛇から猫に移り変わった。恐らく、蛇よりも親しみやすく飼い馴らせる猫に変更になったのは、時代の流れだと思っていた。一般庶民に猫が広がったのは江戸時代からとされている事から、この銚子波分神社の守護が猫になったのも、やはり江戸時代であろうか。他にも猫淵神社など、やはり養蚕を保護する神社では猫が祀られており、蛇は守り神の立場から、いつしか人々に忌み嫌われ、悪役へ移り変わったかのよう。しかし蛇と猫を調べていくと、その原初がエジプトまで行き着き、もしかして蛇と猫の関係が、そう単純なものではないのかとさえ思えてきたのだった。
蛇と猫と女神_f0075075_18424149.jpg
猫の伝播ルートは、上の画像の通りだとされる。発祥は、やはりエジプトであった。これが最終的には、古代中国経由で日本に猫が伝わったのだろう。猫が初めて日本に輸入されたのは、仁和元年(885年)唐から輸入された黒猫を宇多天皇が飼ったのが始まりとされているが、それ以前に「日本霊異記」に、死んで猫になった話が紹介されている。つまり猫の生体はまだ日本に来てはいなかったが、その猫の情報だけは届いていたという事だろうか。しかし、延暦十六年(797年)に執筆された弘法大師「三教指帰」という仏教書に、「始は鼠上の猫の如く、終わりは鷹下の雀たり」という一文があり、これは猫が鼠の天敵である事を元に書かれている。これは弘法大師空海がまだ中国へ留学する前なので、その頃既に猫は日本にいたのではとされているようだ。この弘法大師「三教指帰」「日本霊異記」が同じ時期である事から、やはり日本には既に猫はいたのだろうか。昭和時代に、船乗りが三毛猫の雄を50万円で買い取るという話が広まっていた。その当時は、遠洋漁業もまだ盛んな時代で、縁起物として三毛猫の雄が求められていた。三毛猫の雄を船に乗せると、船は転覆しないなどと安全祈願の話を聞いたものだったが、元々は船中においても鼠対策から猫を乗せていたようだ。例えば、長期間の船旅の為に食料が備蓄されるのだが、それをどこからか忍び込んだ鼠が食い荒らしてしまう。また古代において、日本は沢山の経典などの書物を中国から輸入していたのだが、それもまた船中で鼠の被害に遭っていたそうだ。その鼠対策から、いつしか猫を船に乗せるようになったという。古くから三毛猫の雄は、いないとされていた。もしも三毛猫の雄がいたら、それは化け猫だと伝わっていた。船乗りが三毛猫の雄を求める話は、化け猫である三毛猫の雄の霊力を期待してのものだったろう。つまり、化け猫ほどの霊力があれば、その化け猫が乗っている船は沈没しないだろうという考えに至ってのものだったろう。

少し違うが似たようなものに、河童がいる。やはり古代中国の文献が日本に伝わり、川には河童というものがいるらしいとなった。猫と河童の違いは、本物の生体が日本に持ち込まれたかどうかの違いだろう。ただ河童の場合は、実在しなくとも、その概念と存在だけは、日本国中に広まってしまった。
蛇と猫と女神_f0075075_18572113.jpg
養蚕の守護神は、蛇から猫に移り変わったが、エジプトでの蛇と猫の関係は、かなり興味深い。エジプト神話での猫は太陽の象徴で、蛇は闇の象徴となっている。その構図は対極となり、光と闇であり、善と悪であり、または美と醜だとし、それは地面から伸びる樹木の枝葉と、地下に広がる根の関係の様なもの。それはつまり、対極でありながら一体であると考えられていた。また北欧神話でもトールが猫を持ち上げようとしても持ち上げる事が出来なかったのは、猫がミッドガルドの蛇と繋がっているからとしていた。この善と悪が一体化している構図は、例えばローマ神話における月の女神であるダイアナとヘカテの関係。しかしこれと似たような構図は、日本にも存在する。それは和魂と荒魂の関係だ。日本神話における和魂と荒魂という構図は、やはり二面性の同居と考えて良いだろうが、その概念はどこから来たものかと考えても、なかなか答えが出ないもの。または、磐長姫と木花開耶姫の関係も似ているかもしれない。日本神話において天孫の瓊瓊杵尊が、大山祇から二人の娘を妻にと差し出された。しかし瓊瓊杵尊は、美しい木花開耶姫だけを選んだという話は、磐長姫と木花開耶姫は元々一体であったと考えてもおかしくはないだろう。また古代中国には、竜になった猫の話が伝わる。「稽神録」では、流れる水と戯れていた猫が次第に大きくなり、雷鳴と共に竜に変じたとある。登竜門の鯉が変じて竜になる話は有名だが、猫もまた竜になっていた。竜は元々蛇であるから、猫が蛇になるというのはある意味善から悪への移行の様にも思える。逆に、養蚕の守護神が蛇から猫に変わったのは、感覚的には悪から善への移行だが、実際はそう簡単にはいかなかったようだ。確かに猫は鼠を捕らえて蚕を守ったようだが、繭玉の状態は良いとして、まだ幼虫の状態のままであると、モソモソと動く幼虫に猫が反応し、遊び殺していたようだ。つまり猫そのものも、善悪が同居する存在という事。

日本における様々な知識や学問は、古代中国からもたらされたのだが、その古代中国のものでさえ、元々は他の国から伝わったものが多い。例えば、唐猫とは言われるが、それはインドから中国にもたらされ定着し、後に日本に運び込まれ唐猫と呼ばれた。慶長八年(1603年)成立の「猫の草子」では、猫が話すのは天竺の梵語なので日本人は理解できないでいるという話になっている。この事からも、唐猫は元々はインドから伝わったと知れてはいたようだ。しかし上記の猫の伝播ルートを見れば、元々はエジプトであったのだ。考えるに、猫が日本に伝わったとしても、それは生体だけではなく、その猫に関する様々に伝説なども含めて伝わったのだと思える。
蛇と猫と女神_f0075075_20443396.jpg
猫が太陽の象徴で、蛇が闇の象徴とは先に書いたが、その太陽の猫は闇の蛇を殺す役割になっている。その太陽と闇の激しい戦いが、日食であったようだ。確かに明るい昼間に太陽を暗い闇が覆う光景は、光と闇の戦いに思えたのだろう。最終的には、猫が蛇を八つ裂きにしてしまい、蛇は闇の奥へと逃げ帰る。これが日食のたびに繰り返される。エジプトのナイル川の流域にあるルクソールから北にデンデラ(Dendera)という地があり、そこにあるハトホル神殿は女神の母といわれるハルホトを祭った神殿であった。

世界創生の時にナイル川が大洪水を起こし、大洪水が収まり最初に水面上に現れた丘がデンデラの地であり、古代エジプトの人々はハトホル神殿がその位置に当たると信じていた。そして、暗黒の世界を照らし出す最初の太陽が、デンデラ(Dendera)の地から昇ったと考えていたという。そのハトホル神殿の地下室には、太陽が西の空に沈むと、夜の間に地下の世界(冥界)を通って西から東に太陽と朝の空を運び、再び朝日が昇る過程が絵物語と象形文字で語られている。そして太陽である猫と闇である蛇を表す文字は、エジプト最古の記号の一つであるそうだ。蛇は脱皮する事から暗黒の夜から脱皮して、新しい朝を迎える日の出を象徴している。蛇はエジプト神話では女神の母ハトホルの息子であるハルソムタスを現していて、朝日の象徴としての役割を持っている。ハルソムタスは、生まれたばかりの太陽であり常にデンデラから空に昇ると云う。猫が太陽で蛇が闇とされる中で、蛇は別に太陽の象徴ともされているのは、やはり生と死という二面性の同居なのだろう。ドイツ語での快楽をも意味するオーガスムスには「小さな死」の意味を持ち、この一つの言葉にも死と再生の概念が伝わっている。
蛇と猫と女神_f0075075_21460527.jpg
遠野の山口部落にデンデラ野と呼ばれる地と、それに対となるダンノハナと呼ばれる地がある。現在ダンノハナは共同墓地になっており、そこには何故か古い鎌が切り株に置かれていた。古くから、死体を猫が飛び越えると、死体が起き上がると云われていた。その猫除けとして、鎌などを死体の棺桶などに置く習俗があった。この共同墓地であるダンノハナの鎌も、その習俗の名残なのかもしれない。しかし、何故に猫が死体を飛び越えると、その死体が起き上がるのか、明快な答えを自分は知らない。死人の魂が猫に入り込み、猫が動くのに合わせて死体が動く、もしくは起き上がるという説もあるものの、古代中国から伝わるものには、あくまで猫は死体を喰らう存在としてのみ伝わっている。となれば、日本独自に育まれた伝承となろうが、その発生の所在は不明となっている。また別に、遠野に何故エジプトのデンデラと同じ地名の場所があるのかも、未だに解明されていない。ともかくエジプトの伝承では、猫は太陽である。東から昇る太陽が西へ沈み暗闇が広がると、この世は蛇が支配する冥界となる。これを太陽である猫に置き換えれば、猫が飛んで着地するという事は、太陽が東から西へと昇って沈む運行にも思える。エジプトでは、そのデンデラの地の地下が冥界となっている。一つの可能性として、猫の生体の伝播と共に、その猫に関する伝説であり概念が、日本に伝わってきたという事は否定も出来ないだろう。「日本神話」であり「遠野物語」「遠野物語拾遺」に何故か、西欧の神話らしき話が伝わっているのか。

猫を初めて飼った記録が、宇多天皇(在位887年~897年)によって記されている。その宇多天皇は、猫に向かってこう言った。

「お前は、天地陰陽の気を含み、四支(両手・両足)七こう(両目、両耳、両鼻、口)を備えているのだから、わたしの心がわかるのだろうね。」

猫が天地陰陽の気を含んでいるという言葉は、猫に対する冗談にも取れかねない言葉だが、どこかでそういう情報を得ての発言にも思える。天と地、陰と陽。つまり対極のものを有する猫は、先に記したように二面性を持つ存在でもあるという事だろうか。天と地とは、太陽が運行し光が行き渡る地と光の届かない地で、陰と陽に通じる。その気を猫が有しているという発言は、猫が神に等しい存在と言っているようなもの。

また「日本霊異記」での話の内容だが、豊前国宮子郡の地方官、勝臣広国が急死し、その三日後に息を吹き返した。その仮死の時の話を語るのだが、広国は死の国で父親と出会う。その父親は、かなり飢えていた為に七月七日に大蛇となって家に戻るが、息子に追い出さされる。五月五日に子犬になって再び家に戻ろうとするが、やはり追い出された。ところがやっと正月に猫になって家に戻る事が出来、空腹を満たす事が出来たとの話の内容である。これは、何を示唆しているのか。猫が死体を動かす一つの説に、死人の魂が猫に入り込む話を紹介したが、確かにこの「日本霊異記」という仏教説話から、父親の魂が蛇でもなく犬でもなく、猫に入ったからこそ家に入れたとしてもおかしくはない。ただ受け入れた時期が正月であった事から、猫は豊穣や幸福をもたらす来訪神であるとの考察も出来る。猫が太陽であるならば、太陽の恵みがそのまま豊穣に繋がり、幸福をもたらす。その猫が年の初めに家を訪れるとは、その年の幸福が約束されたという事にもなるのではなかろうか。ただし正月には、蛇が居座っている。正月に飾る鏡餅は、蛇のとぐろを巻いた姿を模したもの。鏡のカガは、蛇の古語でもある。また注連縄も、蛇の交尾を模したものと伝わる。その蛇が飾られた正月に猫を招き入れるとは、蛇と猫が一体化する話でもある。しかし現代となると形式だけが伝わり、鏡餅が蛇である意識は皆無であろう。これは最初に紹介した、養蚕を祀る神社にも通じるだろう。蛇に対する意識が遠のき、新たなる来訪神である猫を招き入れ、神として祀った。この「日本霊異記」の仏教説話は、ある意味蛇から猫への推移を含んでいるだろう。
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銚子波分神社に祀られる瀬織津比咩は、蛇神であり水神でもある。蛇神の力によって雨を降らせ、その雨水が地下に浸み込み泉となる。冥界は、日本で言うところの黄泉国である。泉が湧く冥界は、水神であり蛇神の範疇でもある。そして蛇(龍)神は、天候をも司る。慶長八年(1603年)頃に成立した「猫の草子」に、高僧の夢に虎毛の猫が現れ、自分の生い立ちを語るのだが、自らを天竺や唐土で恐れられている虎の子孫だと語る。ここで思い出したのが、沿岸で舞われる虎舞であった。帆船時代、風が無くては船が進まない。そこで風を起こす為の舞が、虎舞である。虎は、風を司る。岩手県の沿岸域の法量神社は、漁民と農民の信仰を受けていた。強い風は、作物に悪影響を及ぼすので、農民たちは風が止むように祈願した。しかし、漁民達は風が無くては船を出せないので、風を起こすよう祈願した。これでは、神様もたまったものではないだろう。ところで、この法量神社。法量(ほうりょう)とは、実は熊野の飛竜からきている。「ひろう」「ひりょう」「ひりゅう」の転訛が「ほうりょう」となって伝わり広がったものだ。その飛竜だが、熊野三山年中行事で、三月二十一日に飛竜権現社で瀬織津比咩祭が行われている。熊野の那智の滝神として祀られている瀬織津比咩が最初の銚子波分神社に祀られ、養蚕の守り神として蛇から猫に移り変わったとして、そのどちらも内包する姫神であるから何ら問題は無かったようである。とにかく、蛇と猫は一対の存在である。そして、その蛇と猫は何故か、エジプトでも日本でも女神と一体化するようである。
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イタリアの元環境大臣アルフォンソ・ペコラーロ・スカーニォ氏は、遠野の姉妹都市となっているサレルノ出身でもあるので、遠野にもかなりの興味を示しているらしい。それはペコラーロ氏は母神や女神を研究しているようで、特にエジプトのイシスに注目しているとの事。イタリアにはメフィナという水の女神がいるらしいが、その女神はロッカモンフィーナという、人類最古のホモザピエンスの足跡が見つかった死火山に鎮座しているという。ちなみにロッカモンフィーナという山名の由来は、メフィナ神から来ている。そのメフィナ神もまた、イシスと習合するようである。そして、ペコラーロ氏は女神・地母神としての重要性を強調している考えから遠野の瀬織津比咩にも興味を示している。またアンジェロ・フスコというネクタイブランドを経営するの一族も、このロッカモンフィーナに鎮座するメフィナ神もまた瀬織津比咩と同じく、水の女神であり、養蚕を保護する女神でもある為、その共通性を高く意識しているのだそうだ。そのメフィナの女神の性質は、どうもエジプトのイシスから伝わっているようである。この女神達の性質の類似性は、各地で同時に発生したものなのか。それとも悠久の時の流れを経て、各地に伝わり同化したものなのか。
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何故、猫が死体を飛び越えると死体が起き上がるのか。何故、遠野にエジプトと同じデンデラと呼ばれる地があるのか。何故「古事記」「遠野物語」「遠野物語拾遺」に、「エジプト神話」「ギリシア神話」「北欧神話」に似たような話が存在するのか。何故、世界各国の女神が似たような性質を持っているのか。そして、蛇と猫の関係。元はエジプトから伝わったという考えは、荒唐無稽と言われる事だろう。そして、これらのどれも、明確な答えは無いという事実もある。今回は、養蚕の守り神が蛇から猫へと推移したものを見直し、単純に疑問を感じた事から書いた記事だった。正しく論じるための証拠としての文献は無いが、大陸から望む日本は太陽の昇る最果ての地である。大陸から太陽が昇る方向を目指しての最終到達点が日本である。文献は無くとも、国家を通さず話や思想・概念などを伝えた人達、もしくは直接猫を連れてきた人達がいたかもしれないと考えるだけで、どこか楽しくなってしまうのであった。

by dostoev | 2020-11-17 14:12 | 民俗学雑記
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