昨日の遠野は、夕方から吹雪になったが、その吹雪の風が雲を吹き飛ばしていた為か、合間に満月が顔を出していた。ところでその満月の名が、コールドムーンと付けられ広まっていた様。最近、満月にも様々な名称がつけられているようだ。スーパームーンだ、ストロベリームーンだ…etc。昔は、こういう名前が付けられていなかったと思う。ところで、この寒い冬の日の名称としてのコールドムーンは、まさにピッタリ当て嵌まる。冬の月は、見ても温かさを感じる事が無く、氷の様に冷たい月に感じるからだ。
冬の満月というと、「遠野物語103」に雪女の話が紹介されている。しかし、自分の小さな頃に、雪女という存在は、昔話の中のものであり、身近に感じるものではなかった。原美穂子「遠野の河童たち」の中に、著者の原さんが雪女の事をチラッと記していた。
「私の子供の頃にしても、人家の並んでいる環境にもかかわらず、雪が降れば山から雪女が下りてきて軒の端に佇み、家の中の様子(子供)をうかがうという昔話がほんとうに思えてきて、障子を一寸ほどあけて眺める雪あかりの中には、なんとなく白い白い雪女というものが立っているようで、その影が想像されて心が寒くなったものである。」
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小正月の夜、又は小正月ならずとも冬の満月の夜は、雪女が出でゝ遊ぶとも云ふ。童子をあまた引連れて来ると云へり。
里の子ども冬は近辺の丘に行き、橇遊びをして面白さのあまり夜になることあり。十五日の夜に限り、雪女が出るから早く帰れと戒めらるゝは常のことなり。されど雪女を見たりと云ふ者は少なし。
「遠野物語103」
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原さんの記した内容には、「遠野物語103」と重なる箇所がある。原さんの話は、大人が子供を諌める為に話した昔話のようであるが、雪女の印象は子供の心奥深くリアルに、その恐怖が刻まれるものである。「遠野物語103」では雪女が童子をあまた連れて来ると書かれているが、原さんの雪の降る夜は、雪女が町の各家々の子供の様子をうかがいに来るというのは、その子供を連れて行くものとして結び付く。つまり、原さんの話は「遠野物語103」の前ふりだろう思える。ただ「遠野物語103」の話そのものが、現代において聞いた事のない話であり、どこかでぷっつりと途絶えたのか、或は遠野以外で語られたものが、たまたま流れて来ただけの話であっただろうか。ただ、雪女の引き連れる童子には、どこか座敷童子の匂いがする。河童が家に入ると座敷ワラシになるという話は、遠野に伝わる。その河童が山に入ると、山童になるという話が西日本に伝わる。また雪女の子供を雪ん子と云うが、別に雪の精でもあり、雪童子とも呼ばれるのは、古来からの少童譚に繋がるもののようであるが、その根底には不遇の子供が浮かび上がりそうだ。幼くして死んだ子供の魂は、様々なものに変化して語られる。そこで今回の雪女の話も、やはり子供を諌める話で、一般的な「悪い子でいると雪女に連れて行かれるぞ。」といった、ナマハゲと同根の話として広がっていたのかもしれない。
ともかく、真冬の月は見た目が氷の様に冷たく感じる。しかし、その月の白さは際立ち、まるで雪女の肌の様に白く思えるのはもしかして、真冬の月の冷たい美しさを見て、雪女そのものの創造がなされたのかもしれない、と思ってしまうのだ。