
気になっている事がある。それは、淵の主とは誰を云うのか、という事。川の主とは、その水の発生する源流神を意図する。川と云うのは、清い流れがあって、その浄化作用を信じられていた。極端な話だが、川の上流でオシッコをしても、
「なぁに、水は一尺流れれば、綺麗になるから大丈夫だ。」と信じられていた。しかし淵とは、その同じ川の流れでありながら、別に独立した存在。淵とは、淀みである。淀みとは、流れの停滞するところであり、河童などの妖怪の棲家としても伝わる。
遠野の町の愛宕山の下に、卯子酉様の祠がある。その傍の小池には片葉の蘆を生ずる。昔はここが大きな淵であって、その淵の主に願を掛けると、不思議に男女の縁が結ばれた。また信心の者には、時々淵の主が姿を見せたともいっている。
「遠野物語拾遺35」
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時々淵の主が姿を見せたとあるが、遠野内において"淵の主"というものを調べると、例えば赤羽根の堤工事の時、贄として生き埋めにした鶏を"淵の主"としている。また、中山太郎「人身御供の資料としての「おなり女」伝説」には、発狂して池に飛び込んで死んだ女が、その淵の主となり、その池の側を通る人の影が池に映ると池の主が引き込んでしまう話など、どうも淵の主、池の主の殆どは、その淵なり池で、不遇の死、不幸の死を迎えた者のよう。

ここで、もう一度縁結びを振り返ってみよう。元々の縁結びは、倉掘神社内の淵に対して祈願する事だった。ところが文久年間(1861年~1864年)に、宮古市の北、普代村の卯子酉山の中腹に鎮座する鵜鳥神社から分霊されて来た頃から、倉掘神社は卯子酉神社と社名を変えたのだろう。その縁結びだが、鵜鳥神社にも、縁結びが伝わる。それは
「男は左手で、女は右手で松の小枝を結べば、縁が結ばれる。」というもの。陰陽五行によれば、火は陽であり左手で、男を指す。水は陰であり右手で、女を指す。ところが遠野の卯子酉神社には、
「左手だけで赤い布切れを結ぶ事とが出来れば、縁が結ばれる。」伝わり、そこに男女の区別は伝わっていない。普代村の鵜鳥神は、海上安全などの水難事故防止の御利益もあるようだが、遠野における水難事故で祀る神は、殆どが金毘羅だ。
ところで卯子酉神が分霊された文久年間は、幕末の動乱期でもある。その頃の遠野はどうだったかというと、1861年に大雨による大洪水が起き、それから大凶作と麻疹が流行り、多くの死者が出た大変な時代であった。そんな時代に何故、普代村から縁結びの神を分霊してもらったのか?恐らく、1861年の大雨による洪水被害から、分霊されたと考える。またこの大雨による大洪水で、天保6年(1835年)に卯子酉氏神社前に広がる猿ヶ石川沿いに造られた堤防は、決壊したものと思われる。

卯子酉神社の御本尊は、それぞれ文殊菩薩(卯)千手観音(子)不動明王(酉)となる。画像の本尊の配置は、向かって左から千手観音、不動明王、文殊菩薩で、卯子酉の順番通りには、なっていない。そして、この十二支を陰陽五行に当て嵌めれば、卯→木、子→水、酉→金、となる。陰陽五行の三行までが卯子酉であるのだがら、残りの火は、恐らく縁結びで結ぶ、赤い布切れだろう。また、卯子酉神社の鳥居の赤い色も含むだろう。鳥居の赤は、陰陽五行での「火生土」を意図する。つまり、縁結びで行う、赤い布切れを結ぶ行為とは「火生土」を意図してのものではなかったか。つまり、遠野の縁結びは、土との縁を結ぶ意を含んでいるという事になる。前回紹介した愛宕神社に祀られる加具土命は、別名
"火産霊(ほむすび)"とも呼ばれる。そう、火を結ぶのである。
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