伊豆神社がもし太白信仰から建立されたものだとしても、北に聳える早池峯の方角は、金星の見える方角とは違う。ただ伊豆神社には養蚕をもたらした拓殖夫人の信仰も重なっているのを踏まえれば、
菊池展明「エミシの国の女神」から金星である太白神が、三河の地で早池峯の女神と結び付いている事から、あくまで早池峯の女神の方角を重視したのが伊豆神社なのかもしれない。ある説で、伊豆神社から早池峯神社・早池峯山は一直線になっているという。これは最近図面上から発見されたものだが、伊豆神社から見えない早池峯を結ぶ線は、北という方角を重視した事から、北に聳える早池峯山へ向けて建立されたのが伊豆神社だと思っていた。
ところで遠野には昔から、
「遠野の民が死んだら魂は早池峯へと昇って行く。」と伝えられている。これは、山岳信仰によるものであるのは理解していたつもりだった。山の山頂は天であると考えられ、魂はより高いところへと昇って行くと信じられていた事から、遠野で一番高い山である早池峯に魂が集まるのは必然であった。ところで早池峯山頂から見ると、天の川は南方から立ち昇り、北方の早池峯へと向っているのが理解できる。古代中国では、この天の川を
「霊魂の集まり帰るところ。」「霊魂昇天の道」とされ、それは日本にも伝わっている。これは
「万葉集(巻三 四二〇番歌)」においても、天の川は死者があの世へ行く為の道であり、そして川であり、禊する場所と信じられていたようだ。そう、遠野の南方に位置する伊豆神社から、見えない北方に鎮座する早池峯へ、一筋の道があった。それが、天の川であると思う。考えてみれば、古代において方角を確認する方法とは、星見であった。伊豆神社の地から、見えない早池峯の方角を昼間に模索するよりも、夜になって星の方向を確認するのが、その当時は正しいやり方であった筈だ。その夜に、早池峯の方向を確認する為に夜空を見たであろう人々は、北に聳える早池峯へ向う天の川の流れも、また見た事であろう。
勝俣隆「星座で読み解く日本神話」を読むと、伊弉諾が黄泉国から帰還して誕生した神々を星と照らし合わせて解説している。その誕生した神々の中で、伊弉諾の御帯から成った
「道之長乳歯神」に注目したい。勝俣氏は、この道之長乳歯神を天の川と考えている。琉球王国で1531年~1623年にかけて編纂された歌謡集
「おもろそうし」には、星々を歌う流れに、次の歌に着目していた。
「上がる貫ち雲は、神が愛きゝ帯」この"貫ち雲"を天の川と考えたようだ。星が輝く夜空に登場する雲とは、普通に考えれば、その星々を隠す存在となる。「貫ち雲」の「貫ち(ぬち)」とは横糸を意味し、横糸の様に美しくたなびく雲が"貫ち雲"と信じられていた様だが、天の川そのものには雲の意があった。古代中国で天の川の別名が「雲漢」であり、銀河の英語名が「ネビュラ(星雲)」であるのは、ギリシア語の「雲」に由来しているという。シルクロードによって地中海世界の文化が古代中国に流れていた事からも、天の川が雲の意を含んでいるのは伝わっていたのだろう。また別に、もしもこの道之長乳歯神が天の川を意味するのであるのなら、「ギリシア神話」でゼウスの妻であるヘラの乳が流れ出したものが天の川になった事からミルキーウェイと呼ばれるようになった事が伝わっての漢字表記なのか?とも思ってしまう。その道之長乳歯神を学者は、「黄泉国から現つ国への脱出の道程の長さを暗示するもの。」と解釈しているようだ。黄泉国の穢れを祓う為、解いた長い帯が天の川という考えは、先に紹介した「おもろさうし」での「上がる貫ち雲は、神が愛きゝ帯」に掛かって来る。早池峯の女神が穢祓の女神である事を思えば、黄泉国という死者の集まる地と現世との境界に立ち、天の川という道を歩いてくる死者の穢れを祓うという観念に合致する。天の川を
"光の帯"とも表現するのは、まさに
"織姫の坐す天の川"ではなかろうか。次は、何故に三人娘なのかを書く事としよう。