
今回の安倍宗任に関連して、もう一度遠野に伝わる三女神伝承を見直してみたい。画像は、早池峯神社の祭壇。早池峯神社は現在、早池峯大神を祀っているのだが、この後ろに三山の社が並んでいるのは以前、三山の三女神を祀っていたという事になろうか。まずは、この前紹介した安倍宗任絡みの伝承を精査したい。
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安倍宗任の妻「おない」の方は「おいし」「おろく」「おはつ」の三人の娘を引き連れて、上閉伊郡の山中に隠れる。其の後「おない」は、人民の難産・難病を治療する事を知り、大いに人命を助け、その功により死後は、来内の伊豆権現に合祀される。三人の娘達も大いに人民の助かる事を教え、人民を救いて、人民より神の如く仰がれ其の後附馬牛村「神遺」に於いて別れ三所のお山に登りて、其の後は一切見えずになりたり。それから「おいしかみ」「おろくこし」「おはやつね」の山名起これり。此の三山は神代の昔より姫神等の鎮座せるお山なれば、里人これを合祀せしものなり。
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この安倍宗任絡みの伝説を読んで、下記の「遠野物語(二話 抜粋)」と重なるものと感じる。
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大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の来内村の伊豆権現の社にある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止まりしを、末の姫目覚めて窃かに之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早池峯の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山には遊ばずと云へり。
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しかし、「遠野物語 二話」に記されている霊華の話は、安倍宗任の伝説には記載されていない。この霊華の話は、下記の蛇神の伝説に登場している。
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来内に六陸田という地があり、ここは太古は池であった。この池に、お早、お六、お石という三匹の蛇がいた。この蛇たちは水神でもあったから、遠野三山の水源で神になろうと、この六陸田の地から一直線に天ヶ森へ経て、長峰七日路に水無しという水の無い峰を越え、現在の神遺峠の神分の社に来て泊まった。蛇たちは、天から蓮華の花が降ってきた者が、早池峰の主になる事にしようと話し合って、眠りに就いた。明け方近く、それは姉の胸に降ってきた。ところが、末の妹の蛇は、寝ずに待ちうけていてすぐに起き上がり、それをそっと自分の胸に置いて、寝たふりをした。みんなが目を覚ました時、末の娘の蛇は、約束通り、天の神が私を早池峰の女神に選びましたと言って、早池峰に飛び去った。姉は怒って早池峰と背中合わせの、一番低い石上山の、中の姉は六角牛の女神になった。この為、遠野三山は、女が登れば妬み、男の登るのを喜んだので、女人禁制の山になったという。
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安倍宗任絡みの伝説と蛇神の伝説を足したのが、どうも「遠野物語(二話)」になるのではなかろうか。ただ気になるのは、伊豆神社のある来内という地域である。この来内という地には、蕨峠から入る事が出来る。蕨峠を下って来ると、画像の様に前方に聳える六角牛山が目に付く。ところが、この来内の地からは早池峯山と石上山は、まったく見えない。ただし伊豆神社は、早池峯の神を祀った事から、遠野三山ではなく、あくまで早池峯を祀る神社であったのだろう。しかし何故か視界には、六角牛山だけが入る不可解さである。ただ天台宗の影響下にある信仰であるならば、北を重視した信仰であったろう。つまり、目に見える山では無く、あくまで北方を信仰し、そこに聳える早池峯を重視していた為に建立されたのが伊豆神社であろうか。ある意味伊豆神社は、早池峯遥拝所としての立ち位置なのかもしれない。
上記の蛇神を除いた二つの伝説には、既に伊豆権現があったという前提からの伝説である。つまり三女神は、早池峯の姫神一柱の信仰が後で三女神に分離されたものと考えられる。ところで、気になるのは伊豆という語源だ。伊豆神社の伊豆の語源は、遠野の先人で有名な学者である伊能嘉距のアイヌ語の転訛説を一般的としている。アイヌ語の「山の鼻」という意味の「Etu(エツ)」より、山の鼻に鎮座する神「エツ、カムイ」と呼ばれたものに、後から「伊豆」という漢字があてられて「伊豆の神」と呼ばれて、後に伊豆から飛んできたという神話が発生したものだというもの。これには伏線があり、伊豆神社の鎮座する地名を「来内」と云い、やはりアイヌ語の「ライ・ナイ(死の谷)」という意味がある為なのか、この来内一帯をアイヌ語の普及している地と考えたのかもしれない。また「伊豆(いず)」は「出雲(いずも)」と類似している事から、信仰的な要素から付けられた名の様にも思える。その出雲の語源は、「出る」もしくは「斎つ」から来ているとも云われるが、気になるのは音で重複する「飯綱(いずな)」だ。飯綱は飯綱権現でもあり、元々は長野県の飯綱山の山岳信仰が発祥とも云われる。飯綱権現に関して一番古いとされる室町時代の頃の文書に「戸隠山顕光寺流記并序」には、こう記されている。
「吾は是、日本第三の天狗なり。願わくは此の山の傍らに侍し、九頭竜権現の慈風に当りて三熱の苦を脱するを得ん。須らく仁祠の玉台に列すべし。当山の鎮守と為るらん。」
仏教色の強い文章だが、これによれば、飯綱は天狗であるとしている。天狗の古くは「日本書紀」に記されている「天狗(あまつきつね)」であり、その正体は彗星とされていた。そして飯綱権現は、九頭竜権現に影響を受けたとなっているが、その九頭竜権現もまた星に関係する。天台宗の三井寺による"尊星王法"は、龍に乗った女神の姿で表されている。その竜は、北辰であり、北斗七星の姿であると。それがしばしば"九頭竜となって地上に降臨し"、三井の尊星水を守護したという。この龍に乗った女神は、三井法流では吉祥天女とされている。
この星に関係しそうな飯綱権現は、伊豆那権現とも書き表す。調べると、九州では"伊豆奈"と書いて「いとな」と訓み、"金星"を意味していた。伊豆奈が「いとな」と訓むとなれば、アイヌ語の「えつ」にも似通ってくる。アイヌ語の「えつ」が山の鼻を意味するというが、別に「えつ、かむい」として神が坐すと考えられるのは、「えつ」が山の中でも特別な意味を持つからだと思えるのだ。以前「朝倉」を調べた時、朝倉は朝座であり、星見の山であったのを思い出す。神は、しばしば天体とも重ねられた事を考えれば、アイヌ語の「えつ、かむい」は、何等かの天体が昇り、山と重なった時の状態を意味しての「えつ、かむい」であるのかもしれない。遠野で嬰児籠は「えじこ」と訓むが、場所が変れば「いじこ」とも訓む。また飯詰は「えづめ」とも「いづめ」とも変化する事からも、「いと」と「えつ」は非常に似通っている。恐らくだが、アイヌ語の「えつ、かむい」は星の昇り立った、もしくは降り立った山の場所を意味したのではなかろうか。そして、伊豆奈が金星を意味するのであれば、それは遠野の伊豆神社が、金星であり太白信仰から建立された神社ではなかっただろうか。
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