
以前「ノリコシ」という妖怪に関する記事を書いた事がある。ノリコシは、黒い影の様なものであるとされる。画像は、今から10年以上前に自分が体験した夜中の子供の様な黒い影。
山田野理夫「東北怪談の旅」によれば、ノリコシは岩手県和賀地方の妖怪とされ、花巻温泉の旅館に、初めは小さな子供のような影が現れた話が記されている。となれば自分の遭遇したのも、ノリコシの影か?などとも思えるのである。
話は変わるが、去年の事だった。ある時、飛び込みの客が訪れた。その客といろいろと話していると、実は他の宿から引っ越して来たとの事。その理由は、その宿では頻繁に幽霊の様なものが出るので、気味が悪いからと自分の宿に移って来たとの事である。その客が地元の知人に聞いたところ「あそこは昔、葬場だったから、出てもおかしくはない。」と言われたそうである。自分は、そこが"葬場"であったという事を知らなかった。知人の年配の方に聞いたところ、やはり火葬場であったようだ。「遠野町古蹟残映」のを確認すると「感応院通り」の項に「遠野南部氏中興の祖直栄公火葬の地である。利戡公の時、宝永二年春(1705)三間四面の観音堂を作ったのに始まり、享保年中(1716~1735)に、黄檗宗放光山感応院を建立した。初代廓心(感応庵)、二代仙厳(感応院)、三代石雲と続いた。」と記されている。遠野の町が鍋倉城下に移転したのが17世紀前半であったから、約100年後の18世紀前半にかけて観音堂から始まった感応院であったようだ。現在は、遠野駅前周辺として認知されているが、18世紀初頭は、まだ未開発の地であった。その未開の地に建立されたのが感応院であり、その敷地を今の遠野駅を中心として、かなりの広範囲に渡っていた。
客から、その幽霊らしきの詳細を聞いてみると、なんでも"黒い人影"のようなものが部屋に侵入してくるのだという。同僚二人で泊った時、ある晩酔いつぶれた同僚が気になって同僚の部屋に入ったところ、黒い人影のようなものが、その同僚顔を覗き込むように居たという。聞き逃したが、その影が子供の様であったのかは不明である。ところで今年、自分の宿で遠野高校サッカー部の生徒を下宿生として数名受け入れた。その中の一人の生徒が先月、寝ている時に黒い人影に起こされた体験談を聞いた。本人は、もしかして夢だったかもしれないとは言っているが、黒い人影で思い出したのが冒頭の人影の画像である。自分が見た人影と、去年泊りに来た客の見た人影、さらに下宿の生徒の見た人影が、もしも共通するものであるならば、全ては感応院を通じて繋がる人影であるのだろうか?
遠野駅の脇に、通称"親不孝通り"と呼ばれる飲み屋街がある。その親不孝通りで昭和54年、不審火が相次いだ。これは放火犯の仕業であったが、この界隈では「祟りだ。」という声を、いくつか聞いた事がある。なんでも昔、感応院の墓地であったのだが、その墓地が移転される時に供養をされないまま建物が建てられた為の祟りであるという意識があったようである。今でこそ聞かないが、昭和の時代にはどこか霊に対する不安が感応院の跡地全体に広まっていた様である。そういった空間での黒い人影の話は、どうしても感応院を意識してしまうのは当然であるのだろう。黒い人影が夢なのか幻想なのか、はたまた実在して夜中に浮遊しているものなのかは、わからない。今後に再び目撃例があったとしたら、やはりその土地の何かを意識してしまうのだろう。その何かとは、やはり供養されていない者の魂であろうか…。
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