遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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又兵衛の矛(其の二)

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岩手県宮古市に、奇妙な祭が伝わる。神野善治「鮭の精霊とエビス信仰 -藁人形のフォークロア-」によれば、藁で作られたY字型の人形は又兵衛と呼ばれ、地元では逆さ磔にされた後藤又兵衛の姿を象ったものとされているよう。しかし、この後藤又兵衛という名前は後から付けられたものであるようだ。初めに信仰儀礼があり、後から人形の股を開いた形に、又兵衛という名前を付けて作られた伝説であるようだ。取り敢えず「宮古のあゆみ」に、それが記されている。

「時代は不明であるが、南部藩が津軽石鮭川を直営した頃、後藤又兵衛という役人が、津軽石に出張して来た。其の年は未曽有の豊漁であったが、住民は、打ち続く凶作で、南部藩の援助も及ばず餓死者が続出した。又兵衛が『神が村人に与えた鮭である。この様な時に鮭を与えることが殿様の慈悲である』と言って、自由に鮭を住民にとらせた。人々は、この又兵衛の慈悲行によって救われた。南部藩庁では行き過ぎとして、又兵衛を逆さ磔の極刑に処した。津軽石人は、又兵衛の『身を殺して仁をなした』人間愛を銘記して、旧暦十一月一日、寒風すさむ丸長川原に、又兵衛刑死の姿に、藁人形を作り、神酒を捧げて又兵衛のに霊を慰め、加えて豊漁を祈念する習慣になっている。」

この後藤又兵衛という人物が南部藩の役人となっているが、該当する人物は存在せず、また南部藩において、実際にこういう事件の記録も無い事から、やはり後から話が加えられたものと考えられている。ところで谷川健一監修「鮭・鱒の民俗」での谷川健一は、又兵衛人形の又の形状は、恐らく鮭の尾ヒレを表しているのではないかと考えているようだ。また、鈴木鉀三「三面川の鮭の歴史」によれば、三面川の河口から五十町ほどの地点に標をたて、御境としたという。その御境から下流に又兵衛という名称があった事から、又兵衛という名称は漁場との関連、もしくは二股に分かれた川に関連しているものとも考えられているようである。

この鮭が溯上し、又兵衛人形が立てられる川は、宮古市の津軽石川となる。この津軽石川に鮭が溯上する由来譚に、何故か弘法大師が登場している。そのあらすじを下記に紹介しよう。

「この津軽石というのは、津軽の黒石という所から来た人達の作った村で、その昔はシブタミ村といったという。昔、弘法様が津軽を漫遊していた時に黒石の川で鮭がとれているのを見て、これを食べてみたいなぁといったが、村の人は乞食坊主みたいな者に何もやれないとことわった。弘法様は仕方無くそこの河原の石をひとつ拾って来た。そして弘法様がこの津軽石を訪ねて来た時に、川で同じように鮭がとれていて、食べたいなぁというと、村の人は鮭を煮たり焼いたりして御馳走してくれた。ほうしてタモトから石をとり出して川にほうりなげて、今後いつまでも鮭が帰ってくるように祈ったと。ほれから、弘法様が津軽から石を持って来て鮭がとれるようになったのでシブタミ村を津軽石という名前にしたわけだな。(宮古市在住の方の談)」

鮭の溯上に宗教者が関わっているのは「又兵衛の矛(其の一)」にチラッとは書いた。その中で多いのが、弘法大師である。東北地方に広く分布する「弘法とサケ」という弘法伝説であるが、これは鮭に限らず前回紹介した「杖の井」などもそうである。遠野にも来た筈の無い弘法大師伝説がいくつかあるが、恐らく信仰の変遷からの流れであったろう。東の天台、西の真言と云われる様に、東には天台宗の慈覚大師伝説が多く、また別に西には真言宗の弘法大師伝説が多くあった。しかし、早池峯妙泉寺そうであったが、当初天台宗であったものが真言宗の支配に移り変わっていた。天台宗から真言宗に代わった事によるのか、真言宗は、弘法大師の奇跡の伝説を広める事によって、天台宗からの信者を獲得していった経緯もあるのではなかろうか。
f0075075_18130861.jpg
この又兵衛人形の起源だが、同じ宮古市内の山口の小笠原家で発見された天保四年(1833年)の「覚書」の文書に「小盗はやり盗まづり、人形作、鎗つきまくり、三日の内まつり申候」という記述から、盗人送りの人形突きの祭があった事が確認された。これは別に津軽石地域の出来事が記されている安永六年(1777年)の「日記書留帖」には、一匹の鮭を盗んだ浪人が村人達によって殺され、その祟りによって鮭が上らなくなったので、それから河原で祭をする事になったと記されているようだ。内容は祭場の側に穴を掘るのだが、川の側である為にすぐに水が溜まる。そこに等身大の藁人形が運ばれ、二人の人間によって足を一本ずつ掴まれ、腹這いの格好で頭を水溜りの穴に突っ込まれる。そこへ竹槍を持った三人の男によって藁人形は槍で突き刺され、穴の中に蹴り落し土をかぶせて埋め、墓を作って供養するという盗人除けの呪いの祭りであったよう。飢饉の時は食料の盗難が深刻な為に、この祭が行われたのではないかと憶測されている。しかし、菅豊「修験がつくる民俗史」によれば盗人送りの祭とは別に、18世紀初頭には既に鮭に関する儀礼があった事を紹介している。それは毎年鮭漁の開始時期に稲荷山へ登り、湯釜を立てて、その託宣によって漁の豊凶を占ったようだ。そして河原においては「くいを立て、神になぞらえて…。」と、又兵衛人形と似たような儀礼が行われたようである。現在の又兵衛祭りは、この鮭に関する儀礼に盗人除けの呪術が結び付いて出来上がったものだと考えられている。恐らく又兵衛という名前も、鮭の儀礼で立てられた人形の形状から名付けられたものであろう。つまり、元々鮭の儀礼に立てられた人形の形は二又であったと思われる。

by dostoev | 2018-04-04 06:24 | 民俗学雑記
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