遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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又兵衛の矛(其の一)

f0075075_06455509.jpg

遠野の町に宮という家がある。土地で最も古い家だと伝えられている。この家の元祖は今の気仙口を越えて、鮭に乗って入って来たそうだが、その当時はまだ遠野郷は一円に広い湖水であったという。その鮭に乗って来た人は、今の物見山の岡続き、鶯崎という山端に住んでいたと聴いている。その頃はこの鶯崎に二戸愛宕山に一戸、その他若干の穴居の人がいだかりあったともいっている。

この宮氏の元祖という人はある日山に猟に行ったところが、鹿の毛皮を著ているのを見て、大鷲がその襟首をつかんで、攫って空高く飛び揚がり、るか南の国のとある川岸の大木の枝に羽を休めた。そのすきに短刀をもって鷲を刺し殺し、鷲もろ共に岩の上に落ちたが、そこは絶壁であってどうすることも出来ないので、下著の級布を脱いで細く引裂き、これに鷲の羽を綯い合せて一筋の綱を作り、それに伝わって水際まで下りて行った。ところが流れが激しくて何としても渡ることが出来ずにいると、折りよく一群の鮭が上って来たので、その鮭の背に乗って川を渡り、ようやく家に帰ることが出来たと伝えられる。

                       「遠野物語拾遺138」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何度か記事に取り上げた事のある、宮家と鮭の関係。実はこれ以外にも、佐々木喜善「聴耳草紙」「鮭魚のとおてむ」というタイトルで、別の話が紹介されている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昔、遠野郷がまだ大きな湖水であった頃に、同町宮家の先祖が、気仙口から鮭に乗って、この郷へ入って来たのが、この郷での人間住居の創始であるというように語られている。

この家の幾代目かの主人、大層狩猟が好きであった。その頃今の松崎村のタカズコという所に、鷹が多く棲んでいて飛び廻り、人畜に危害を加えてしようがなかった。この人ある日その鷹を狩り獲ろうというので、山へ登って行くと、かえってやにわに大鷹に襟首をとらえられて宙高く引き上げられてしまった。その人はどうかして逃れようと思ったけれども、かえって下手なことをしたなら天から堕落される憂いがあるからそのまま拉し去られて行くと、やや久しくして高い断崖の上の大きな松の樹の枝の上に下された。その人は腰の一刀を引き抜いて隙があったらその鷹を刺そうと構えたが、どうも寸分の隙もあらばこそ。そうしているうちにどこからか一羽の大鷲が飛んで来て、鷹の上を旋回して、鷹かまたは自分かを窺うもののようであったが、鷹が首を上げてそれを見る隙に、その人は得たり賢こしと一刀を擬して柄も通れよとばかり鷹の胸を刺し貫いた。何条堪まるべき、鷹は一たまりもなく遥か下の岩の上に堕ちた。それと一緒にその人も岩の上へ落ちたが鷹を下敷にしたのが幸いに怪我はなかった。

そのうちにかの大鷲も、いずこへか飛び去ったので、そこを立ち去ろうとして、よく見るとそこは海と河との境に立った大岩であった。そこで自分の衣物を脱いで引き裂き、斃れた鷹の羽を絡んで一条の網を作って、これを岩頭に繋ぎ、それを頼りとしてだんだんと水の近くへ降りて見ると、水が深くてなかなか陸の方へ上ろう由もなかった。途方に暮れていると折しも一群の鮭魚が川を上がって来た。その中に一段と大きな鮭が悠々と岩の岸を通って行くから、その人は思わずこの大鮭の背に跨った。そしてやっとのことで陸に近づき上陸をして四辺を見れば、そこは気仙の今泉であった。

その人はすぐに故郷へ帰ることもならない事情があったと見えて、しばらくその地に足を停めているうちに、世話する人があって鮭漁場の帳付となった。勿論文才もあり、勤めも怠けなかったので、大層人望が厚かった。

今泉と川を隔てた高田とには常に鮭漁場の境界争いがあって、時には人死になどさえもあった。そんな時にはその人の仲裁でどっちも納まっていたが、ある年鮭が不漁なところから人気が悪く、重ねて例年の川の境界争いも今までになく劇しかった。この時ばかりはその人の仲裁も何の甲斐もなく、日に夜に打ち続いて漁師が川の中で闘争を続けていた。その時、その人は遂に意を決して川の中央へ出て行って、両方の人々に聞こえるような高い声で叫んで言った。今泉の衆も高田の衆もよゥく聴いてくれ。今度ばかりは俺の誠意(まごころ)も皆様に通らなくて毎日毎夜、夜昼こうやって喧嘩を続けているが俺にも覚悟がある。俺は今ここで死んで、この争いを納めたい。そこで皆様は、俺の首の流れる方を今泉の漁場とし、胴体の流れる方を高田の漁場としてくれ。それよいか、と言って、刀を抜いて後首から力まかせに自分の首を掻き切って落した。そしてしばらくたつと暴風雨が起こって、その人が自害した辺に中洲ができ上がった。それで両地の境界が定まって、自然と川争いも絶えたという。

その後その人の子孫は先祖の故郷の遠野へ帰った。そして先祖が鮭のために生きまた鮭のために死んだのであるからというので、家憲として永く鮭を食わなかった。もし食えば病むと伝えられて今でも固く守っている。    

                          「鮭魚のとおてむ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「遠野物語拾遺138」も「鮭魚のとおてむ」の二つの話は連動するものであり、どちらも常識的には有り得ない話ではある。強いて言えば、宮家と鮭には密接な関係があるという事が誇示されているかのよう。ただ、大川善男「遠野における一神社考」において大川氏は、この伝承を一笑に付し、単なる福岡県の鮭神社を模倣したものだとしている。しかし、鮭が溯上する地域は東北・北海道にかなり集中しており、その東北において、宮家の伝承に近似したものがいくつも点在している。つまり宮家が模倣したというよりも、鮭の溯上する東北を中心に広まった伝承であると考えた方が無難であろう。大川氏の指摘する鮭神社に伝わる古文書によれば、祭礼の日に社殿まで鮭が遡上してくるのだが、これは豊玉姫尊が御子である鸕鷀草葺不合尊の元へ遣わされるものであり、これを途中で殺すと”災い” があるとされる。この鮭神社の古文書に記される伝承は、鮭に助けられた宮家の伝承というより、例えば花巻市大迫に伝わる「傀儡坂物語」に近い。

大昔、亀ヶ森の蓮花田村の長が、川に登ってくる鮭が思いのほか大漁で、その鮭を運ぶ人手が足りなくて困っていた。その時、一人の傀儡女が長い旅を続けたのかボロボロの格好をして足取りも重く、村長の方に歩いてきたのだと。その道は、早池峰に続く道であったが、村長はこの鮭を運ぶのを手伝わないと、この道は通さないと言った。 そして無理やり、その傀儡女に鮭を背負わせ、何度も手荒く運ばせたところ、無理がたたり傀儡女は倒れてしまったという。

「罪の無い私を、こんな目にあわせたからには山河の形が変わり、この川の流れが別の場所に変わるまで、この川上には決して鮭を登らせないから。」

と言い残し、傀儡女は息絶えたのだと。それからこの川には鮭が登る事無く、そして傀儡女が倒れた場所を傀儡坂と呼ぶようになった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
鮭神社の伝承では、川を遡上する鮭を途中で殺すと災いがあるとしているが、「傀儡坂物語」では、早池峯へ向かう途中の傀儡女を殺した為に、それから鮭が溯上しなくなるという災いが降りかかった。鮭は海神の使いとして溯上するものと考えられているが、「傀儡坂物語」での傀儡女もまた、海神の使いであると考えて良いだろう。菅豊「修験がつくる民俗史」を読むと、多くの宗教者が鮭の伝承に関わっているを考えみても、まず神ありきであり、その神の元に集まるものたちを邪魔する事は、神の祟りに遭うという認識で良いのだと思う。そして、その鮭の背に乗って助けられた宮家の人間もまた、海神に関係する宗教者の一人であったかとも思える。何故なら「鮭魚のとおてむ」の話では、最後に首を切り落とす行為は自らを生贄とする呪術でもある。宮家の首を切って中洲を作って境界とした話と重なるであろう話は、鈴木鉀三「三面川の鮭の歴史」にやはり鮭に関する話が紹介され、三面川の河口から五十町ほどの地点に標を立て、御境としたという。
f0075075_09520350.jpg
境界といえば、樹木が思い浮かぶ。「古事記」において、八上姫と結婚した大国主は、八上姫を因幡から出雲へ連れてきたが、本妻の須世理姫を恐れて、八上姫が生んだ子供を木の股に刺し挟み因幡に返してしまった。それからその子供の名前を木俣神、またの名を御井神といった・・・という話。この木俣神は、伯耆国の阿陀萱神社で阿陀萱奴志多喜妓比売命という神名で祀られている。その由緒は、下記の通りとなる。

多喜妓比売命は大己貴命の御子なり、母は八迦美姫命と申す。神代の昔、出雲国直会の里にて誕生あり。八迦美姫命、因幡へ帰らんと大己貴命と共に歩行し給ふ時に、御子多喜妓比売命を榎原郷橋本村の里榎の俣に指挟て長く置き給ひしときに、我は木俣神なりと申給ひて宝石山に鎮座し給へり。

また、同地に鎮座する御井神社の祭神も木俣神であり、その由緒に「木俣の神、又は御井の神と申し上げ、安産守護、水神の祖として広く信仰をあつめている。」としている。水神の祖とはどういう事なのかだが、安産守護に関しては二股は女性の股を意図としている事からのものだろう。とにかく木俣神は、御井神であり、多喜妓比売命という神名であった。この三つの神名は、まったく関係なさそうでありながら、実は深い繋がりを持つ神名である。

”樹木は地上と地下の境界”であり、地下である根の国の入口として認識されていた。遠野の東禅寺跡に、早池峰権現が無尽和尚の杖をとって地を突いたところ、水が湧きだした事から「杖(またふり)の井」、または開慶水と伝えられる。開慶水は別に早池峯山頂にもあるのだが、早池峯権現がこの東禅寺にも開慶水を与えたという話である。ところで「杖(またふり)の井」とは、二股の木を地面に突き刺して涌き出た泉の事を云う。どうやら二股の部分が地との交流を促す呪力があると信じられていたようだ。二股の杖は西洋では占杖といい、この杖で地下水や地下鉱脈を探るのに使われたという。古今東西、二股の杖は、地下との交流・交信の手段のアイテムであると認識されているのは興味深い事だと思う。

by dostoev | 2018-04-01 09:56 | 民俗学雑記
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