来年が戌年だから…というわけではないが、ちょっと気になった犬の話をしよう。画像は、弥生時代の銅鐸に刻まれた、イノシシを取り囲む犬が五匹と、弓を引く人間の姿。恐らくこれ以前の古い時代から、犬は人間と共に狩りをしていただろうという事になっている。その狩で思い出すのは、山神である。例えば遠野では、「遠野物語拾遺84」の様にオシラサマが倒れた方角へ狩へ行くと良い成果があるなど、他にも「遠野物語拾遺81」「遠野物語拾遺82」「遠野物語拾遺83」などもオシラサマと山神との結び付きを示唆する話になっている。「遠野物語」や「遠野物語拾遺」には、マタギがそれなりに登場しているが何故か、狩猟の友である筈の犬の登場が「遠野物語」「遠野物語拾遺」には、殆ど無い。唯一「遠野物語拾遺134」に、もしかしてと思える話が紹介されている程度だ。
オシラサマは養蚕に関する神であるとしながら、狩猟にも関係する神と認識されているようだ。しかし「遠野物語」「遠野物語拾遺」の狩猟に関係する話に登場しない犬が、三河の地で養蚕に関係している話がある。それは
「今昔物語」の
「参河国に犬頭絲を始めし語」である。養蚕で羽振りの良かった家が急に蚕が全て死んでしまった為にさびれてしまった。しかし、蚕が一つ桑の木に付いているのを見つけ大事にしていたところ、家で飼っていた白い犬が、それを食べてしまう。ところが蚕を食べた犬がくしゃみをした拍子に、犬の鼻から白い糸が僅かに出た。それを巻いているとキリが無いくらい巻き取ると、犬はそのまま倒れて死んだ。それは神仏が犬に変化して助けてくれたものと思い、犬を裏の桑の木の下に埋葬した。それから、その桑の木にはびっしり蚕が繭を作り、極上の糸をとる事が出来るようになった。それが犬頭糸の由来となったようだ。娘と馬の悲恋物語のようなオシラサマ譚では無いが、これもまたオシラサマ譚に似通った話で、白馬の代わりに白い犬となっている。これは恐らくだが、山神に関係するのではないかとも思えてしまう。
秩父の三峯神社では、参詣者に御守の札を与える事を
「犬を貸す」と言う。東北では狼の事を「御犬様」と呼ぶ様に、どこかで狼=犬という認識があるからだと思える。実際に、犬とは飼い馴らされた狼から発生したものとされている。画像は、秩父の三峯神社から江戸時代に分霊された岩手県は衣川の三峯神社で、参詣者に出す御眷属様と呼ばれる御札となる。これが「犬を貸す」、つまり狼と同等の霊力を持つ御札である。これはどういう事かといえば、つまり狼は山神の使いであるから、その山神に使いである狼(御犬様)を借りるに等しいものとなる。
あまりにも有名な
「花咲か爺」の話は、よくよく読んでみると、かなり象徴的である。花咲か爺には、優しい老夫婦と、性根の悪い老夫婦が登場する。話は、その優しい老夫婦が川で犬を拾う事から始まる。この川で犬を拾うという話は、別に「桃太郎」という御伽話で、川に洗濯に行ったお婆さんが、川上から流れて来た大きな桃を拾う事に似通っている。桃はどこから流れて来たのか。また、犬を何故川で拾ったのか。川の源流は、山である。山というものは、水を産み、獣を生み、樹木をも生み出し、その山そのものの金などの鉱物を内包する、人間の母親の様な存在である。だからこそ、山神は女神であるという認識も広く伝わる。「日光狩詞記」を読むと、山神は女の場合と男の場合と二通り認識されてはいるが、女神であると信じている割合が多いようだ。
ある時、犬は畑の土を掘り「ここ掘れワンワン」と鳴く。爺様畑を掘ると、金(大判・小判)が掘り出されるのは、やはり山に内包する金を、山神の使いである犬が見付けるというものであろう。その犬は、隣の悪い老夫婦に奪われ殺されてしまう。優しい老夫婦は、死んだ犬を引き取って庭に墓を作って埋め、そして雨風から犬の墓を守る為、傍らに木を植えた。植えられた木は短い年月で大木に成長し、やがて夢に犬が現れ、その木を伐り倒して臼を作るように助言する。
短期間で成長する話は
「竹取物語」を思い出す。かぐや姫が3ヶ月で大人になるのは、何故か狼と同じ。その狼は、満月の晩によく狩をするという。そして、そのかぐや姫を見つけた竹は、金色に輝いていた。それから竹取の翁は、暫く竹の中から金を見つけて豊かになったとしている。かぐや姫もまた、その物語のキャラクター設定の背景に狼と山神が組み込まれているものと思えて仕方ない。
そして、臼だ。これは
「遠野物語27」では山の沼に棲む主から臼を貰い、豊かになる話だが、似た様な話は全国にある。この「花咲か爺」でも、犬の墓の傍らの木から臼を作り、それで餅を搗くと、財宝が溢れ出た。この臼もまた、山神と関連するアイテムである。その臼もまた奪われ燃やされてしまうが、その臼が燃えた灰から、今度は花を咲かせる。全ては、山の内包する命に則った話でもある。
オシラサマ譚も含め、先の桑の木と犬の話。そして「花咲か爺」も含め、実は山神による恵みの話であると思われる。その山神の使いである犬を大事にするという事は、山神の恩恵を受けるに等しいものだと、昔の人は考えたのかもしれない。まあその前に、人に懐き、狩の友となった犬に対する後付けとなるだろうが、白い犬を殺した
「遠野物語拾遺134」や
「花咲か爺」を読めば、まるで座敷ワラシが出て行った様に、その家は没落してしまう。座敷ワラシも、遠野では早池峯という山の神と縁が深そうであるから、全ての根源が山神に結び付きそうでもある。ともかく犬は、山神からのプレゼントと思って良いのかも。
ちなみに「遠野物語」と「遠野物語拾遺」に何故に犬の話が少ないのかという疑問だが、明和八年(1771年)に南部藩が飼い犬禁止令を発布している。その禁止令の原因が、とんでもない。当時の南部藩主の妾が犬を嫌いだという理由から、飼い犬禁止令を発布したのだった。そしてその飼い犬禁止令から、とんでもない事件が起きている。南部藩の隣の伊達藩に、南部藩で飼われていた飼い犬をまとめて、数百匹を放したという。数百匹という数は、現代のペットブームの時代ではなく、江戸時代の話であるから、かなりの飼い犬が集められて、放されたのだと想像する。「遠野物語」「遠野物語拾遺」は江戸時代も含んだ明治時代中心の話であるが、約100年前に遠野から犬がまったくいなくなり、たまに遠野に迷い込んだ犬も、飢饉などの影響で食べられたり殺されたりすれば、犬はかなり貴重であったのか?…などと妄想をしたりする。そう犬は大事にもされたが、食糧にもされた歴史もあるので、山神の恩恵という幻想が崩れた時代は、犬を大事にしない人達も増えたようである。そういう意味から「花咲か爺」などの御伽話は、そういう事を伝える為に広まったのかもしれない。ただしこの現代、犬を可愛がる人は多いだろうが、山神の棲む山そのものをどうにかしなければならなくなっているのだろう。