下郷に対して、上郷の獅子踊りの元祖は、松崎村駒木の角助と云う人になっている。
今は昔、この角助は遠野南部氏に仕えて鎗持ちをしていた。或る年の事、領主がお伊勢参りに出かけたのであるが、角助もまたこれに従った。旅の途中、遠州の掛川に着いた。そこには偶々大きな祭典があり、まことに賑やかであった。殊に勇壮にして珍奇なる踊りが、衆人の目を引いた。その踊りこそ、獅子踊りであった。鎗持ちの角助も之を見ていたが、興に乗じて帰るのも忘れて終日見ていたので、遂に領主の一行と別れてしまった。夜になって宿を求めたが、一晩中心配し通しで、眠る事が出来なかった。翌朝、宿の主人に事情を打ち明けて相談した。すると主人は、こう述べた。
「あなたが今になって、主人の行列に借りに追いついたとしても、罪は決して軽くならないで、かえって罰せられるだけだろう。それならば、その踊りを覚えて国へ帰り、この踊りを組織して、改めて領主に事情を話して謝ったなら、或は許す事もあるであろう。」
角助は宿の主人の教えに従って、決然意を堅くし、槍を宿主に託して、其の翌日から踊りの教えを受け、三年有余の年月を経て故郷へと帰った。
角助は領主へ事情を訴えて謝ったが、領主も偉い人で罪を問わず、直ちにその踊りを見たいと旨を申された。角助は喜んで居村であった駒木の若者を集め、数ヶ月にして習熟し、上覧に供した。領主は思いのほか喜ばれて褒美を与え、更に領内に広めるようにと仰せを出し、各村々にも伝わったとされる。従って別名を角助踊りとも云い、その時踊った場所を角助の踊り場として、今に伝えられている。
「上閉伊今昔物語」
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前回紹介した「下郷獅子踊り」の続きでもある。しし踊りは現在の遠野に13団体があり、分派もあれば、独自に伝わったとの由緒もあり、正確にどうして遠野にしし踊りが伝わったのかは、不明であるようだ。私は角助とは、しし踊りの踊りををまとめた人だと、漠然と覚えていた。だから、この伝説を読んでも、ぴんとは来なかった。このしし踊りの由来は、あくまで「上閉伊今昔物語」に掲載されている伝説の一つとして読んで欲しい。
下郷としての綾織のしし踊りだが、伝えによれば中宿の金成という屋号の家の祖先が宮城県の金成村のしし踊りを伝えたという。その後、中宿だけではなく、日影や砂子沢にも伝わったが現在は、一つにまとまって活動していると云う。また、綾織の山口では、かってしし踊りがあったが、飢饉に連動して、それから踊られなくなったとの伝説もある。
例えば小友町の長野しし踊りは、西来院を開創した興庵篤隆和尚に同行してきた現在の一関の東山五書が、慶長二年(1597年)に子孫繁栄を願って伝えたそうだが、その遠野のしし踊りが、釜石の小川町に伝えられ今でも踊られている事から、しし踊りの魅力が岩手県の人々の心をとらえ、あちこちに広がっているようである。そして現在でも、しし踊りを習いたいと云う人達もいる事から、しし踊りの連鎖は、今でも続いているようだ。こうなってくると、しし踊りの元祖とか本家とかは、どうでもよくなってくるものだ。とにかく、古来から人々を魅了し熱狂させた踊りがしし踊りであり、それを垣間見た者達が、まだ伝わっていないオラが村に伝え広めてきたのだろう。その枝葉が無数に広がったのが、今に至っているのだと思える。
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