昔、綾織の新里に六助という者がいた。どうしたはずみか、カマドを返して村に居る事が出来なくなり、旅へ出たと云う。どこをどう旅しているかわからないまま、今の静岡県まで行ったそうである。ところが眼前に、大きな川が行く手を遮ったそうな。ただ橋はあるにはあったが、制札があり、そこには橋銭を支払って渡る旨が書いてあった。見ると橋守はおらず、橋銭を入れる箱が一つあるだけであった。六助は、はたと困った。無一文であったのである。暫く待っていると、橋守がやって来た。六助は事情を話し、一句詠むから渡らせてくれまいかとお願いした。橋守も気の毒に思い、許してくれたと云う。
家で 鍋かけかねて 旅かけて 又掛けかねる 掛川の橋
六助はこう詠って、橋を渡らせてもらった。橋を渡らせて貰ったが、無一文では旅が出来ないので、この掛川の農家に奉公したのであった。ところが、この掛川にはまことに勇壮にして面白い踊りがあった。これが所謂、獅子踊りであった。六助は農家に奉公している間に、この踊りを覚えてしまった。六助は、カマドを返して村に迷惑をかけたので、この踊りを村の人々に教えて、村の人達の明日への糧にしようと、綾織の生まれ故郷に帰って伝授したと云われている。それ故、獅子踊りの別名を掛川踊りとも云うそうである。その踊り場は、小枕山の裏側のシザンと云うところで、其処は草の生える暇が無かったと云う事である。
「上閉伊今昔物語」
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現在の遠野市には、上郷町はあっても下郷町は無い。遠野の町には、上組町があり、下組町がある。それ故に、上郷町という町名だけが浮き出ているように思っていたが、どうやら綾織町を別に
"下郷"と呼んでいたようである。
「竃(カマド)を返す」とは、竃は台所にあるものだが、それが財産だと転じて考えられた。そのカマドがひっくり返る事とは現代で言えば倒産であり、自己破産である。昔は、村単位の共同体でもあった筈だから、やはり同じ村の人達に、迷惑をかけたのだろう。
またこれは「上閉伊今昔物語」に紹介されている話だが、気になったのは橋銭の代わりに詠んだ歌が、三・七・五。七・七という歌になっており正しい形を成していない。出だしの「家で」は、もしかして別の言葉が削られていたのかとも思う。
小枕山は、天保年間に定められた、遠野八景の一つ
「小枕暮雪」と云われた山で、今の桧沢山となる。小枕は昭和時代まで草刈場だったが、今では、利用する事もなくなったようだ。年の暮れに、雪で白くなる小枕は美しいと言われ遠野八景に定められたのだが、明治時代に定められた遠野八景からは、その姿を消している。 シザンの場所は、不明。