中森明菜は昔、たびたび見かける歌番組で、他の歌手と比較して『何となくいいなぁ。』という存在だった。だからといって、特別に聴いていたわけでもなかった。それがひょんな事から、たまたまネットで中森明菜を検索している最中、この
「マリオネット」 という動画にぶち当たった。この動画を観た瞬間、衝撃が走ると共に脳裏に浮かんだのが、澁澤龍彦「少女コレクション序説」と、藤田和日郎「からくりサーカス」だった。動画を観た後に、本棚の奥にあった澁澤龍彦と藤田和日郎の本を取り出したのだった。
この「マリオネット」という歌を調べると、1986年8月11日に発売された中森明菜の9枚目のアルバム「不思議」の中に収録された曲であった。この時の中森明菜は、21歳。動画は、歌番組でもある「夜のヒットパレード」での収録で、中森明菜「不思議」のアルバムの中から「Back door night」と「マリオネット」が歌われている。この動画の歌では、中森明菜の声にエフェクトがかかり、少々聴き辛くなっている。ただこれは、中森明菜「不思議」のアルパムでの声の表現がやはりエフェクトがかっている為、この「夜のヒットスタジオ」でそれを再現したのだろうが、それが残念だ。出来れば、同じ衣装で同じ振り付けで、そして同じ表現とテンションで、エフェクトがかからない中森明菜の生の声を聴いて観たいものだ。
中森明菜「マリオネット」の動画を観て思い出した
藤田和日郎「からくりサーカス」 だが、連載されたのが1997年からであるから、この中森明菜「マリオネット」よりも時代は、後の事になる。この藤田和日郎「からくりサーカス」は、どこか悪魔的な漫画であった。作中では、人間を絡めた中に、懸糸傀儡(マリオネット)と自動人形(オートマータ)の戦いが描かれている。実は中森明菜「マリオネット」の歌詞
「ゆるやかに踊る 月照かりのなか」 という歌詞の一節を動画の中で見た瞬間に「からくりサーカス」の絵が浮かんでしまったのだった…。
マリオネットは糸で操る人形だが、オートマータは糸無しでも自在に動ける悪魔的な人形となる。このオートマータは
「ギリシア神話」 にも登場する
ダイダロスのウェヌス像 を取り入れて、藤田和日郎が漫画の設定にしたのだろう。ダイダロスは鍛冶の神であるヘパイトスの真似をして、独りでに動く木製のウェヌス像を造った。ウェヌス像は、体内の水銀によって動く仕掛けになっていたという事から、「からくりサーカス」でフランシーヌ人形が造り出した、自動人形(オートマータ)に意志を与える水銀のような液体とは、そのまま水銀でよいのだろう。自分が観た中森明菜の踊りは、どこか「からくりサーカス」の自動人形(オートマータ)が月明かりで踊る様に感じた。といっても漫画には動きは無いので、あくまでそう感じただけだ。ただ「からくりサーカス」のアニメがあったかどうかはわからない。アニメを見れば、自動人形の(オートマータ)の踊りを見る事が出来ただろうか。
自動人形(オートマータ)には意志があり、その人形が意志を成しての行動は、日本において安倍晴明が人形を作って占術を施し、用済みとなった人形を、一条大橋の河原に棄てたところ、その人形が人間と交わって子供を産んだという話にも近い。「からくりサーカス」の人形も安倍晴明の人形も、悪魔的な人形でありながらも人間に近い心を持っていた事から、人間と接しなければ生きていけない悲劇的な側面も持ち合わせている。
そして、何故に
澁澤龍彦「少女コレクション序説」 が脳裏に浮かんだのかというと、マリオネットなどの人形の背景がいろいろと書いていた筈だと思ったからだった。そして何故、中森明菜が魔女の様な歌い方にし、魔女の様な衣装と振り付けで黒魔術を彷彿させるような表現にしたのかという事が気になったからである。とは言っても、恐らく当時21歳の中森明菜は劇的に忙しくて、澁澤龍彦を知る暇も無かったのではないかと思える。また、中森明菜が歌っている時の振り付けも、調べると振付師によるものではなく、自分で考えた振り付けをしていたようだ。付け加えれば、衣装もまた中森明菜が曲に感じたものをスタイリストなどと一緒に再現していたという。更に加えれば、演出もそうであったようだ。とにかく中森明菜は、歌のイメージを直感的に捉えた振り付けと衣装と演出をしていた事になるだろう。だから、ここで澁澤龍彦なんちゃらを語る事は無意味なのだが、それでも気になった事を書き記そうと思う。
澁澤龍彦「少女コレクション序説」の中の「人形愛の形而上学」に、こう記されている。
「そもそも遊びや玩具のなかで、その起源に、"魔術的"ないし宗教的な意味を見出すことができないようなものは、ほとんど一つもないのである。」 。これはつまり、どんな人形の背景にも魔術的要素が含まれているという事。また
「ヨーロッパの魔術の歴史を通覧すれば、いわゆる「愛の呪い」や「憎悪の呪い」のために人形が使用されたという例は、それこそ枚挙にいとまがないほどであろう。」 。愛に関する歌を多く歌う中森明菜が、「マリオネット」という曲で魔術的に演じた事は、まさにはまった感が強い。こういうマリオネットの背景を知らず、天性の感性で「マリオネット」を表現した中森明菜は、感性の天才であると思う。漫画
「ガラスの仮面」的 に表現すれば、当時二十歳そこそこだった中森明菜は
「明菜、恐ろしい子…。」 である。
ちなみに動画で「マリオネット」の前に歌われている「Back door night」も、主体を人形に置き換えてみれば、同じ人形としての歌にも思える。つまり、この「夜のヒットスタジオ」で表現した歌は全て、人形の愛と呪いという事になろうか。例えば、人形やロボットを人間が表現する場合、この時代でもカクカクッとした表現で、パントマイムやダンスで見事に人形やロボットを演じる人は多かった。しかし中森明菜は、そういう表現をせずに自分的な人形の在り方を表現している。それは、澁澤龍彦的に言えば自由意志を持った
"愛の呪い人形" という事になろうか。ここでもう一度思うのは
「明菜、恐ろしい子…。」 である。
とにかく中森明菜の歌は"歌謡曲"として捉える方が多いと思うが、最近いろいろとYouTubeで観て来たが、そんな思い込みは吹っ飛んでしまった。中森明菜は、稀代のアーティストであった事を今になって、改めて感じた次第で、この記事を書いたのだった。
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