遠野の不思議と名所の紹介と共に、遠野世界の探求
by dostoev
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日本人の感覚

日本人の感覚_f0075075_1655867.jpg

小槌の釜渡りの勘蔵という人が、カゲロウの山で小屋がけして泊まっていると、大嵐がして小屋の上の木に何かが飛んで来てとまって「あいあい」と、小屋の中へ声をかけた。勘蔵が返事をすると「あい東だか西だか」と、また言った。どう返事をしてよいのか分からぬので、しばらく考えていると「あいあい東だか西だか」と、また木の上で問い返した。勘蔵は「何、東だか西だかあるもんか!」と言いざま二つの弾丸をこめて、声のする方を覗って打つと「ああ」という叫び声がして、沢鳴りの音をさせて落ちて行くものがあった。

その翌日行って見たが、何のあともなかったそうである。何でも明治二十四、五年の頃のことだという。

                      「遠野物語拾遺118」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この奇妙な生き物の正体は、以前に検証したようにムササビであり、野衾で確定であろう。遠野では晩に飛ぶ鳥だから「晩鳥(バンドリ)」と呼ばれる。空を飛ぶものは鳥であるという認識が続いた為の命名であろうか。それよりも気になるのは、この物語を伝えた者がムササビの鳴き声を「あいあい」「あい東だか西だか」と聞こえた事である。

日本人は、獣や鳥、また虫の鳴声を細分化して認識していた稀な民族だと思う事がある。例えば以前、オランダ人が自分の飼育しているクワガタムシを見て「何故、こんな虫を飼育しているのですか?」と質問してきた事がある。聞くと、オランダだけでなくヨーロッパ全般で、こういう甲虫の類でも日本人がゴキブリを忌み嫌うように、ヨーロッパの人間は同じように忌み嫌うのだと述べた。小さな頃に夢中になって読んだ「ファーブル昆虫記」の作者であるファーブル氏はフランスの人だった。その業績をたたえてなのか、フランスの郊外にファーブル昆虫館なるものが建てられたようだが、訪れる人の大半は日本人であったという。アメリカも同様で、ハリウッド映画を観ていると、気持ち悪い表現として虫の群れを登場させる事がしばしばある。中には映画で小道具として使用する事から、ゴキブリを大量に飼育している施設もあるようだ。中には虫も平気な人はいるようだが、殆どのアメリカの人やヨーロッパの人達は、虫を一緒くたにして接し、忌み嫌っているようだ。だからアメリカ・ヨーロッパで「虫が好き」と言うと、変人扱いされる。ただネットが普及し、ヨーロッパの虫好きな人は日本人と交流を持ち、密かに虫の交換などをしている。とにかく虫好きは、アメリカ・ヨーロッパでは市民権を得ていないというのが現状のようだ。
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角田忠信「日本人の脳―脳の働きと東西の文化」を読むと、虫の声が聞こえるのは日本人とポリネシア人だけだと述べている。ただ、この本に対する批判もあり、日本民族や日本文化がいかに独特で凄いんだ!を強調する戦後に流行した似非科学だと指摘する人も多い。角田忠信は、虫の声を日本人は言語音を解する左脳の優位脳でとるが、ヨーロッパの人達は、右脳の劣位脳で雑音として聞いていると述べている。それが正しいかどうかはわからぬが、「リーン、リーン」「チンチロリン」「ルー・ルー」などと秋の虫の声を風流だと捉えて来た日本人の感性と、その虫の声を聞いても虫を忌み嫌うヨーロッパの人達の違いはあるのだと思える。西洋人にとっての"ビートル"は、日本人にとってカブトムシやクワガタムシになり、そのクワガタムシにも個体によって、様々な名称を付けた日本人は、虫に対して愛着を持つ世界に稀な人種と考えても良いと思う。
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日本では「堤中納言物語」の中の「虫愛づる姫君」が有名だ。女だてらに虫を愛づる姫君は、変わり者であるとされている。しかし「虫愛づる姫君」の冒頭に「人びとの、花、蝶やと愛づるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり。本地尋ねたるこそ、心ばへをかしけれ」と姫の心情が書き記されている。これはつまり、仏教思想の本地垂迹であり、虫の本地を大事に考え、蝶の本地の毛虫に興味を持つのは、仏教思想での天照大神の本地である大日如来に興味を持つ事に等しい。つまり虫愛づる姫君は、仏教思想を小さな虫というミクロコスモスの中に追い求めていたという事。様々な神仏がある様に、虫も様々な種類がある。その特徴の違いは形状であったり、色であったり。そして、鳴き声となる。
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西洋人が読めばゾッとする話が、日本には古くから伝わる。それは人の死後、虫になるという話だ。「新著聞集(1749年)」には、京都の飾屋九兵衛の下女の玉という女性が、僅かな給料を溜めて亡き両親を供養し、残りの給料は九兵衛に預けていたが、玉は病で死んでしまった。しかし魂は蝿になって九兵衛に纏わりつくので、九兵衛は玉が残した給料を寺に納めて回向すると、その蝿は死んでしまった。また「甲子夜話(1833年)」では、画家の谷文晃の家に、一羽の揚羽蝶がしばしば飛んで入り、いつの間にか文晃に馴れて来た。宴会の席にも舞い込み、文晃の杯の酒を舐めて去る事が往々にしてあったという。これは、恐らく人の魂が蝶となったものと考えられたようだ。

実は、平成の世の遠野でも実際に似た様な事があった。ある若者が事故で死んだのだが、その葬式の日に一匹のトンボが葬式の会場に入って来て、その兄の周りをつかず離れず飛廻っていた所に、死んだ弟と生前付き合っていた彼女が葬儀に訪れたという。その彼女は、死ぬ寸前まで一緒にいたそうだが、携帯電話のカメラでトンボを撮影していたのだと。そのトンボの画像を兄に見せたところ、今葬儀会場を飛んでいるトンボとそっくりであったという。それで兄は、虫好きだった弟がトンボになって来てくれたのだと思ったそうである。
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日本には「一寸の虫にも五分の魂」という言葉がある。これは、小さく弱い者にも、それ相当の意地や根性があるのだから、どんな相手でも侮ってはならないという例えとしているが、虫を引き合いに出す事が日本人らしいと思える。もしかしてだが、その一寸の虫の魂は、死んだ人間のものが入り込んだと考えてのものであったかもしれない。
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「吾妻鏡」「黄蝶が群れ飛び、鎌倉じゅうに充満した。これは戦乱の兆しである。天喜年間には陸奥出羽にこの怪事があり、平将門と安倍貞任が乱をおこした時にも黄蝶の群飛があった。」と記されている。蝶は人の魂の化身で、蝶の群れは人々の魂の不安を現したと考えられたようだ。また黒い大型の蝶をカマクラチョウと呼ぶ地域では、新田義貞の鎌倉攻めの時に死んだ武士達の魂が黒い蝶になったと信じられているようだ。上総の国では黒蝶が地獄蝶と呼ばれるのも、黒い大型の蝶は死霊であり、人魂の具現化と信じられたようだ。鴨長明「発心集(1215年)」にも、花好きの男が死後に蝶に生まれ変わった話もある。先に記した事からも含め、人は死後に虫になるという話は恐らく、日本独特のものではなかろうか。西洋に行けば、例えば蝿などはベルゼブブという悪魔と重なる不吉なものとなってしまう。

思うに、日本人は昆虫をも食してきたのだが、西洋ではそれほど普及していなかった筈。食に対する好奇心が虫に向かなかった為に、虫を軽んじた結果なのだろうか?ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」では、イナゴを食べていたとの言葉があった。実際に聖書にもイナゴを食料としていたとの記述もあるが、あくまでも生きる上での究極の食事であったようだ。魔法使いによって獣に化けてしまった王子様やお姫様の話は多いが、虫に化けさせられた王子様の話を西洋では見かけない。何故なら虫に変身した場合、カフカ「変身」と同じ様に言葉が通じないだろうし、恐らく相手に気付いて貰えなくなるので、虫になった王子様の物語は西洋では有り得ない物語となるのではなかろうか。そういう意味合いから、カフカ「変身」は、西洋文化に衝撃を与えたのかもしれない。ただ「変身」の主人公がなってしまった虫は、日本語訳では毒虫としてあるが、要は細かな虫の設定は無かったようだ。この「変身」という小説からも、西洋人は虫を忌み嫌い、そして虫を一緒くたにして考えているのが理解できる。もしも「変身」の作者が日本人ならば、細かな虫の設定をしただろうと思えるのだ。
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日本では、犬は「ワン」猫は「ニャー」が定番化している。そして他にも、実際に見た事は無くても「ホーホケキョウ」はウグイス。「カッコー、カッコー」は、カッコウの鳴声として認識できていると思う。今はどうかわからぬが、小学校の音楽で習った曲に、「虫のこえ」や「静かな湖畔」という曲があり、自然にマツムシやスズムシ、そしてカッコウの鳴声を脳に刷り込まれてしまう。そう、日本では学校で擬声語を学んでいる、もしくは脳に刷り込まれている。しかしこれは悪意のあるものでは無く、その生物に対して親しみを覚える様な配慮を感じる。

日本での犬は「ワン」猫は「ニャー」が、他国へ行くと様々な擬声語で表現されており「ワン」や「ニャー」に親しんだ日本人には、違和感しか覚えない。まあどれが正しいという訳では無いが、先に紹介した角田忠信「日本人の脳―脳の働きと東西の文化」によれば、日本人は虫の声を言語音を解する左脳の優位脳でとるが、ヨーロッパの人達は、右脳の劣位脳で雑音として聞いているという事から、鳴き声を聞き取り認識する脳が西洋人と日本人とでは違うので聞こえてくる鳴き声を、声や文字として表現する時に、まったく違うものになっているのは当然という事になるか。

脱線してしまったが、冒頭に紹介した「遠野物語拾遺118」のムササビの鳴き声、「あいあい」「あい東だか西だか」は聞き手が、その獣なりを人間と同等の存在として認識し、なるべく日本語として認識できるよう都合よく聞き取った話であると思う。自然の木々のざわめきや、金属のきしむ音や、楽器の奏でる音の中に、もしも僅かだけ日本語に聞こえる音が響いただけで、日本人は反応する。わけのわからぬ言語を聞いても、日本語らしい響きやフレーズに日本人が反応するように、自然界の音に対しても日本語で聞き取ってしまうのが日本人だと思う。例えば風によって木が軋む音が、まるで女の声に聞こえた場合、日本人はもしかして神霊・心霊ではないか?と考えてしまう人も多いと思われる。自然と八百万の神々に囲まれて育った日本人は、自然界の音も神秘的に捉えてしまいがちだ。だから「遠野物語拾遺118」は普通なムササビの話が、どこか神秘的な話に変換されて伝わったのだろう。
by dostoev | 2017-12-06 08:36 | 民俗学雑記
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