山名というものは、誰かが付けたのだろうが、どういう意図を持って付けたのかは記録が無い限り想像の範疇にある。ところで、今では雲海を眺める事の出来る人気の山に、高清水山がある。その高清水山の以前は
"鶴音山"と云ったそうな。実は以前にも、この鶴音山の記事を書いている。今回は、もしかして?と思うところがあったので、再び鶴音山について書こうと思う。
画像は、遠野盆地が雲海に覆われている様。その雲の海に対し、真ん中から矛を突き刺しているかのような山が高清水山であり鶴音山で、それに連なるのが天ヶ森だ。
天狗の話が残る天ヶ森だが、里から見る天ヶ森には、何故か神秘性を感じない。しかし薬師岳から雲海に覆われた遠野の里を見下ろすと、高清水から天ヶ森にかけては、まるで日本神話に登場する伊弉諾と伊邪那美が混沌とした大地をかき混ぜたという天沼矛を彷彿させる。それ故に以前、天ヶ森は天沼矛の様なものとして修験が考えたのではないかとも書いた事がある。とにかく山を支配していたのは、修験であった。金を探しに来た修験は、その足跡として不動などの名前を残していったとされる。それが山の沢沿いに残る不動沢であり不動岩であり、不動の滝などがそれにあたる。そして修験は山の頂に立ち、遠野であれば遠野の地を、信仰の中からイメージしたのではないか。当然、その中には山名も意識し名付けたのだろうと思えるのだ。
天沼矛では無いかと考えた鶴音山から天ヶ森にかけてをよく見ると、鶴の首から頭にも見える。
青笹町に鶴巻田という地があるが
「ものがたり青笹」によれば、その由来は鶴が舞った地として伝わっている。田んぼに鶴が飛んできて餌をとったので鶴巻田という地名が付いたというものの他に、昔大きな沼があり、そこに毎年鶴が飛んで来て舞ったので鶴巻田という地名になった。また別に、ある時鶴が飛んで来て、誰かのお墓を旋回したのが地名の起こりだという話もあるが、何となく岩手県に伝わる
「鶴女房」の民話の前ふりのような表現でもあるが、どれも然程古い話では無いようだ。後は南部氏の家紋の由来に鶴が登場するくらいだが、しかしその鶴が現れた場所は遠野では無い。鶴が遠野に来たとの記録が無い事から、高清水が以前「鶴音山」であったとされる由来に、実在の鶴が関与したとは考え辛い。一番は、古老が鶴音山が「がんのんやま」と呼んだ事から観音の変化かと思うのがすんなりと受け入れやすい。ただ観音といえば松崎観音が思い浮かぶが、松崎観音はどちらかというと天ヶ森の麓に属す。それ故に、高清水が
"観音山(かんのんやま)"であったというのも、少々無理があるか。鶴の古い呼称が
「くわく」であり、それが時代と共に
「かく」に変化している。つまり本来「鶴音山(くわくおんやま)」であったのが「かんのんやま」、そして遠野流に濁点が付き「がんのんやま」に変化したのは有り得る事か。しかしそれならば「鶴」はどこから来たのかと考えれば、その山容に関わる可能性も否定できない。先に書いた様に、高清水山から天ヶ森にかけてが鶴の首から頭の様にも見える。雲海に突き出すような天ヶ森の尖った先端は、まるで鶴の嘴のようでもある。後は、想像力の問題である。そう感じない人もいるだろうし、そう感じる人もいるだろう。ただ、ここでの想像力とは古代の修験者に蓄積された知識であり、信仰による意識下からくるものとなるのだが。
古代人の視力は、かなり良かったらしい。更に、夜目もきいたらしい。ただ現代人である自分が薬師岳の頂に立ち、遠野の町を遠望しても、高清水山から天ヶ森の特異性をはっきりと見て取れた。あくまでも想像だが、古代人でもある修験の者が、高清水から天ヶ森を見た場合
「あの山は何だ?」と意識する程の特異性を持っている。鶴と感じるのもそうだが、もう一つ感じるものがある。それは、早池峯山と薬師岳である。
鶴音山と天ヶ森が連なる山容が、まるで早池峯山と薬師岳の並びに似通っている。まるで疑似早池峯&薬師岳の様でもある。阿曽沼は、鶴音山の麓に横田城を築いた。しかし地形的にも背後から敵からの侵攻を受けそうなこの鶴音山に、何故城を築いたのか?同じ時代を生きて来た阿曽沼氏が、源義経による一ノ谷の戦いを知らなかったわけでは無いだろう。そのリスクを冒してまで、鶴音山の麓に城を築いたのは何故か?その山容から、天ヶ森は薬師岳となり、鶴音山は早池峯山となるのだろう。つまり阿曽沼氏は、早池峯山の麓に城を築いたという事になろうか。となれば、阿曽沼氏の根底には早池峯信仰があった事になる。「鶴音山」が本当に「観音山」であったのならば、その観音とは早池峯の神の本地である十一面観音という事になろうか。山も含めて様々ものには異称・別称というものがある。一つの山に対しても、またいくつかの呼び名があった可能性もあるだろう。ただ、それを理解し名称を付ける事の出来たのは、山を支配した修験の者だけであった。今回、その修験の者が登り立ったであろう薬師岳から遠望した遠野を見て、感じたままに書いてみた。