
遠野七観音の七という数字が、どういう深い意味を持っているのか、それとも意味が無いのか?とも、いろいろ考えられるのは確かな事。ただ、やはり七は聖数で、意味があるのだろうと思える。平安時代には歴代の天皇が妙見を信仰していたように、北極星と北斗七星が重要視されていたのも、背景に天台宗の影響もあったのだろう。岩手県には坂上田村麻呂以降、多くの神社仏閣が建立され仏教が布教されたのも天台宗によるものだった。征夷大将軍に坂上田村麻呂を指名した桓武天皇は平安京を築いた。その平安京の北に位置しているのは北斗七星の降りた霊山とされる比叡山であり、比叡山延暦寺は
"星の宗教"とも云われる天台宗の総本山でもある。
画像は、小友町の山谷観音堂。初代の十一面観音像は火災によって燃えたようだが、焼け残っており秘仏とされているようだ。材質まではわからないが、鞍迫観音の平安時代作とされる十一面観音像も桂から彫られた事を考えれば、山谷観音の十一面観音像も、同じ桂から彫られた可能性は高いのではないだろうか。遠野の街から見れば、物見山は南に聳えているが、小友町からは東に聳えるのが物見山だ。
「とおの小友探訪」での物見山の紹介は、一名長富士と称し、鬱蒼たる桂林で頂に麻神の祠があり、長富士権現と信仰していた事から、今は分からぬが、小友側からの登山道もあったのではなかろうか。また山中に藁麦角石、坊主石、硯石等の天然記念物ありと記されている事から、やはり宗教人によって開発されていたのだろう。そしてそれは恐らく、天台宗であった可能性が高いと思える。

画像は、山谷観音堂の西側の経塚から発掘された、六角形の経筒。東北においての経塚は、奥州藤原氏から始まったとされる。仏教に対する信仰が深かった藤原氏であった事から、山谷観音堂の経塚と埋葬されていた経筒もまた、藤原氏の信仰の影響を受けていたものと考えて良いのではなかろうか。
六角という形に表れる六という数字は、仏教的に六大・六識・六欲・六字・六道・六根・六畜・六天など、様々な六がある。しかしこれらは恐らく、当初の六という数字に、後から仏教的なものを色々当て嵌めていったものだろう。

六角形そのものの形で、一番古い認識は亀甲だ。亀の甲羅は、紀元前から亀占に使用されており、その亀は北に鎮座する玄武としての地位を古くから築いている。

身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗の守護神は七面大菩薩といって、七面山を本拠地とする。その七面山のシンボルマークは、中央に一つの星、周囲に六つの星を並べ、外形を六角形したものである。つまり家紋で言えば、七曜紋を象った形が六角形である。画像は、妙見曼荼羅の七星閣の箇所であるが、七星閣の中には六人、つまり六星しかいない。残る一つの星は魁星と云い、下界に降りている星として描かれている。
ところで、覚えているだろうか?奥州藤原氏の祖である
安倍貞任が
"魁偉"と呼ばれていた事を。この六角形という形が北斗七星を意味するならば、その七つの星の中心となる魁偉こそが奥州藤原氏の祖、安倍貞任であるという意図を示している可能性があるかもしれない。
ところで夏の山谷観音堂は、ヒグラシの鳴声の最中であった。
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