
遠野七観音伝説には、慈覚大師が物見山の桂の木から七体の観音を彫りあげて、各地に祀ったとの伝説がある。これとは別に、附馬牛の沢の口にあった松ノ木の大木から彫ったともされるが、どれも定かでは無い。

ただ、現存する七観音で一番古いとされる鞍迫観音像の材質は、桂の木であるようだ。

鞍迫観音の境内には、
「蛇棲み桂」と呼ばれる桂の古木がある。古代中国の
「酉陽雑俎」に、月には桂の木とガマガエルがいるとあり、また五百丈もの桂の木を、仙人の呉剛という男が、いつも伐るが、伐っても伐っても直ちに樹の切り口が塞がるという、永遠の呵責が課せられている説話があり、桂の木に不死が結び付いている。また
「山城国風土記」には、
「月読尊、天照の勅を受けて、豊葦原の中国に降りて、保食の神の許に至りましき。時に、一つの湯津桂の樹あり。月読尊、乃ち其の樹に倚りて立たしましき。其の樹の有る所、今、桂の里と号く。」
これらの話は、桂の木に月読尊の霊力が依ったものと解釈でき、桂の木と月と不死の話が結び付く。つまり、桂の木には月神が憑き、月に伴う変若水という不死の水。つまり、月神と水神信仰の踏襲でもあるかもしれない。その水神は、しばしば蛇神ともなる事から、この鞍迫観音の「蛇棲み桂」は、そのまま受け入れる事が出来る。また別に、小友の千本桂もまた大蛇(白蛇)が棲みついていた伝承がある事から、桂の木は水神や蛇神と結び付いていると知られていたという事だろう。
「古事記」において、山幸彦は海神の宮殿へ行き、井戸の側の桂の木に登っていて、海神の娘に発見する話があるが、これは桂が神の依代であると共に、水との縁が深い事を示している。そして海神の娘である豊玉比咩は、ワニとも竜=蛇とも云われる。この「古事記」の話からも、桂の木と蛇が密接な関係にある事が理解できる。

ところで日本に仏教が輸入され、その教義の布教と共に仏像の布教もあった。仏像を広める時に、それまで認知されていた神を利用した。
「この木には、神が宿っています。この神の宿る木から仏像を彫りあげるという事は、神と仏が一体という事です。」
本地垂迹というと、神の本地は仏であり、神よりも位が高いものと広めた。しかし、神の宿る木から彫った仏像は、あくまでも目の前に見えるのは仏像の姿だけである。つまり仏教の教義とは逆に、仏像になった樹木に宿った神の姿が、大抵の者の目には見えていない。それは仏像の奥に潜んだ神の本体こそが本地とも取れるのが、仏教側の示した本地垂迹ではないか。そして、桂の木から彫った仏像に宿る神とは様々な事象から考えるに、それは
水神であり、
龍蛇神であり、
月神であるべきだろう。慈覚大師円仁が彫ったとされる遠野七観音が桂の木から彫られたという事は、初めから水神を遠野七観音の中に封じ込めようという意図があったのものではなかったか。遠野七観音には、観音像を彫った後に、七つの井戸で洗ったとの伝承がある。それはつまり、仏像の穢祓をしたという事。それはつまり、七瀬の祓いを意図した伝説では無かったか。
遠野に於いての慈覚大師円仁が関係する伝説は、この遠野七観音と早池峰に関するものだけである。早池峯の神も水神である事を踏まえても、天台宗の慈覚大師円仁は、水神を仏像の中に封じると意図をもって仏像を彫ったとも考えられる。慈覚大師はあくまで伝説ではあるが、天台宗の関係が遠野に来ているのは確かであろう。その天台宗は、星の宗教とも呼ばれる。天台宗の総本山である比叡山は、北斗七星が降りたとされる霊山である。その星の教義を携えて、遠野を訪れたという事だけは間違いない事であろう。早池峯と遠野七観音は、天台宗の教義に深く関わるのだと思えるのだ。
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